当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所

兵庫県加古川市加古川町に所在する加古川刑務所は大阪陸軍航空補給廠 神野(かんの)出張所の跡地にあります。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 西側壕口 (3)(兵庫)
▲林の中に遺る格納壕

【探索日時】
平成25年1月31日、2月1日






大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 現況
現在は西側の大半が加古川刑務所、東側一帯が住宅地、北側がゴルフ練習場、工場になっています。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所・神戸地區憲兵隊加古川分隊(兵庫)

※緑文字が当記事の紹介施設
陸軍航空廠各務原支廠 神野出張所(後、大阪陸軍航空補給廠 神野出張所
⑨高射砲第三聯隊
⑩側線
姫路憲兵隊 加古川憲兵分隊


遺構について ※青字は地図にリンクしています
⑧ 大阪陸軍航空補給廠 神野出張所
昭和12(1937)年、加古川町神野村(現、加古川町大野)に各務原陸軍航空支廠 神野出張所が開設し、各種航空爆弾、同信管類の貯蔵を開始します。
昭和14(1938)年8月1日、陸軍航空廠各務原支廠 神野出張所に改称、昭和16(1941)年6月1日、各務原陸軍航空支廠 神野出張所に復称します。
8月1日、加古川分廠とともに大阪陸軍航空支廠に移管され、昭和17(1942)年10月15日、大阪陸軍航空支廠は大阪陸軍航空廠に改編されます。
昭和19(1944)年10月10日、大阪陸軍航空補給廠が新設され、神野出張所は同補給廠に移管されます。
昭和20(1945)年1月23日、『工場緊急疎開要綱』が閣議決定され、神野出張所では隣接する日岡山(大野山)周辺に横穴式格納壕を掘削、北浦地区の新田地帯、空地に分散疎開を実施するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦後、神野出張所は米軍により接収され、貯蔵されていた爆弾の処理等が行われた後、和進産業に払い下げられ、同社撤退後、昭和23(1948)年5月、大阪刑務所 加古川建築場が開設、昭和24(1949)年6月、同建築場は加古川刑務所に改編され現在に至ります。

神野出張所の神野村への設置理由、用地買収、建設の経緯、開設月日等の詳細、また停戦後の経緯も史料が無く不明です。

遺構としては加古川刑務所内に弾薬庫防爆土堤のコンクリート製隧道が2本遺されている様ですが、場所が場所だけに探索できません。
また、こちらの『ちょっと古い鉄道のお話』様によると、平成19(2007)年まで西側に、またこちらの『失われた時を求めて(ブログ版)』様によると平成21(2009)年頃には北側にも建物も遺っていた様ですが、いずれも残念ながら破壊されてしまいました。

ネ 裏門
北画の道路沿いに遺ります。
コンクリート製で内側は丸く仕上げられています。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 ネ 北門 北から(兵庫)
▲左側の土留(門柱脇の三角形の部分)がやや破壊されています。

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 ネ 北門西側(兵庫)
▲右側の近影
  低くなっていますが外周の土堤(写真奥側に続く土盛)も遺っています。

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 ネ 北門西側 門札跡(兵庫)
▲右側門柱には門札の跡が遺ります。


ノ 貯水施設
裏門の道路を挟んだ北側にあります。
貯水施設の様ですが、そもそも当時の物かどうかも不明です。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 ノ 計量計 北から(兵庫)
▲量水計と思しきメーターがあります。


F 格納壕
大東亜戦争末期、神野出張所では貯蔵品を空襲から護るため、日岡山周辺に格納壕37本を掘削し分散疎開しました。
長さ20m程で“コ”字型をした小さな壕ですが、神野出張所の格納壕では唯一現存する貴重な遺構です。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 西側壕口(兵庫)
▲西側の壕口

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 西側壕口から内部(兵庫)
▲西側壕口から内部
 壕は爆風除けのため入ってすぐに直角に曲がります。

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 内部 東から(兵庫)
▲格納壕内部

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 内部 支保工跡(兵庫)
▲内部両側には支保工跡と思われる窪みが遺ります。

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 F 東側壕口 内部から(兵庫)
▲東側の壕口は崩落で殆ど埋まっています。

穴居人さんによると日岡山にも多数の壕跡が遺っている様です。


コンクリート構造物
北側道路沿いに四角いコンクリート製の構造物があり、四方に開口部があります。
上部はブロックの仕切りが造られていますが、下部は当時の材質の様に見えます。
これまた遺構かどうかも不明です。
大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 敷地北東角の構造物(入口4ヶ所)(兵庫)

大阪陸軍航空補給廠 神野出張所 敷地北東角の構造物(入口4ヶ所) (2)(兵庫)
▲開口部は全て扉が付いており、内部が見れないので用途は不明です。


⑪ 姫路憲兵隊 加古川憲兵分隊
現在の加古川健康福祉事務所敷地南半分にありました。

昭和11(1936)年11月12日、第十師團経理部は加古川陸軍飛行場用地とともに憲兵隊用地の買収を修了します。
昭和12(1937)年12月1日、加古川町役場に仮事務所を設置、同日、開庁式を実施し事務を開始(小笠原義一少佐(姫路憲兵分隊長兼務))します。
昭和20(1945)年3月30日、姫路憲兵隊は分隊に縮小され、加古川分隊とともに中部憲兵隊司令部隷下に新設された神戸地區隊に編入され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

遺構は何も遺されていません。


主要参考文献
『加古川市史 第三巻 本編 III』(平成12年3月 加古川市史編さん専門委員)

『続 陸軍航空の鎮魂』(昭和57年4月 航空碑奉賛会)

「加古川飛行場展」 資料
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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