当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第十七師團司令部

岡山県岡山市に所在する岡山大学津島キャンパスは第十七師團司令部及びその隷下部隊の兵営跡にあります。
第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築) 南東から(岡山)
▲岡山大学内に遺る第十七師團司令部庁舎(減築・移築)

【探索日時】
平成20年7月27日、平成24年3月22日、平成26年4月9・10日






第十七師團関連諸施設配置
岡山市明細地圖(明治42・1909)大久保翠琴堂(岡山)
▲『岡山市明細地圖』 明治42(1909)年

第十七師團司令部 岡山 中心 現在①~⑩(岡山)
▲師團司令部周辺と遺構の配置
※緑文字が当記事の紹介施設
①a 第十七師團司令部
①b 歩兵第三十三旅團司令部
①c 岡山聯隊區司令部

②  歩兵第五十四聯隊
③  輜重兵第十七大隊
④d 岡山陸軍兵器支廠
④e 岡山陸軍兵器支廠 火藥庫
⑤  工兵第十七大隊
⑥  山砲兵第二聯隊
⑦  野砲兵第二十三聯隊
⑧  騎兵第二十一聯隊
⑨  岡山號砲臺
⑩  岡山衛戍監獄
※ ⑪~㉑の施設は後日公開します。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
①a 第十七師團司令部
明治三十七八年戰役(日露戦争)後、ロシアが着々と極東の兵備強化を推進するなか、明治39(1906)年、我が陸軍は安全保障の観点から、2個師團(第十七、第十八師團)の増設を決定、明治40(1907)年5月18日、陸軍省は第十七師團衛戍地として岡山縣御津(みつ)郡伊島村を選定し、御津郡町長・小野禎一郎氏、伊島村長・中田代治氏の協力のもと、座主川北部、及び南部の一部を岡山市からの寄付、その他の用地を買収し取得(師團関連用地835,012坪、総額2,592,233円)し、8月、臨時陸軍建築部廣島支部の指揮・監督のもと地均しを開始します。

9月17日、『陸軍管區表』・『陸軍常備團隊配備表』を改正、戦役中に臨時動員した第十三、十四、十五、十六師團を常設師團に改編するとともに、第十七・第十八師團の新設、及び編合を定めます。
10月23日、第五師團司令部(木越安綱中将、広島)に新設準備を下令、26日、第五師團は蓮昌寺内に仮事務所(遠山虎雄騎兵大尉)を設置し事務を開始します。
11月10日、第十七師團各幹部は市内各寺院を間借りして仮庁舎とし、第五師團から事務を継承、12月9日、初代師團長・一戸兵衛中将が着任し、15日、蓮昌寺において開庁式を挙行します。
12月10日、騎兵営、明治41(1908)年1月18日、工兵営、2月10日、その他兵営、倉庫が竣工、3月4日、師團司令部の新庁舎が竣工し移転、10日、開庁式を挙行し、4月30日、歩兵営が竣工します。
第十七師團(岡山)
▲西南西上空から見た第十七師團隷下各兵営
 写真中央の白いコの字の建物が師團司令部庁舎です。
 聯隊區司令部庁舎が兵舎に建て替えられている事から
 昭和10年代初期の撮影と思われます。

8月20日、岡山陸軍兵器支廠が広島から、21日、岡山衛戍病院が市内薬師院、9月14日、野砲兵第二十三聯隊が広島、17日、工兵第十七大隊が広島、19日、山砲兵第二大隊が善通寺、20日、輜重兵第十七大隊が姫路、24日、騎兵第二十一聯隊が習志野から、11月9日、第三十三旅團司令部が野上(福山)、歩兵第五十四聯隊が鳥取から移駐し師團隷下部隊の移駐が完了します。

大正4(1915)年3月16日、師團の滿洲駐箚に伴い留守第十七師團が編成、大正6(1917)年5月10日、師團は岡山に帰還し、留守師團は復帰、大正14(1925)年3月27日、第三次軍備整理(所謂、宇垣軍縮)による復帰が公布され、4月14日、岡山陸軍練兵場において解団式を挙行、5月1日、第十七師團司令部は復帰します。

A 第十七師團司令部庁舎
明治41(1908)年3月4日、竣工しました。
第十七師團司令部、歩兵第三十三旅團司令部(大正14年5月1日~)、岡山聯隊區司令部(昭和15年8月1日~)の各庁舎として使用され、大東亜戦争停戦後は接収した米軍により将校宿舎に充当されます。
昭和24(1949)年5月31日、岡山大学発足後は事務局として使用された後、平成14(2002)年、事務局の建て替えにともない、一部が現在地に移築され研究推進産学官連携機構として使用されています。
元々は上図の紫色の位置にあり、上から見るとコの字型をしており4倍近い大きさがありました。
第十七師團司令部庁舎(岡山)
▲第十七師團司令部庁舎(撮影時期不明)

第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築) 東から(岡山)
▲減築・移築された師團司令部庁舎の正面
 上掲写真と比べるとかなり減築されているのが分かります。

第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築) 北東から(岡山)
▲北東から

第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築) 南から(岡山)
▲側面

第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築) 西から(岡山)
▲裏側
 裏側の両翼にあった部分は破壊されてしまいました。

第十七師團司令部 A 庁舎(縮小移築)西側の溝(岡山)
師團司令部敷地と歩兵聯隊敷地の境には当時の物と思しき側溝が遺ります。


B 師團司令部衛兵所
明治44(1911)年竣工しました。
現在は岡山大学の情報展示室として活用されており、 国登録有形文化財に指定されています。
第十七師團司令部 B 衛兵所 北西から(岡山)
▲北西から(平成20年)

第十七師團司令部 B 衛兵所 西から(岡山)
▲西から(平成24年)
 塗料が剥離して痛みが目立ちます。

第十七師團司令部 B 衛兵所 南東から(岡山)
▲南東から

第十七師團司令部の復帰に伴い、歩兵第三十三旅團司令部は第十師團(福原佳哉中将、姫路)に隷属転移、旧師團司令部庁舎に移転、6月9日、旅團の滿洲駐箚に伴い留守歩兵第三十三旅團司令部が編成、昭和2(1927)年9月12日、旅團は岡山に帰還し、留守旅團司令部は復帰、昭和7(1932)年4月12日、旅團の滿洲事變出征に伴い留守旅團司令部が編成、昭和9(1934)年5月13日、旅團は岡山に帰還し、留守旅團は復帰、昭和12(1937)年8月9日、旅團の支那事變出征に伴い留守旅團司令部が編成、昭和14(1939)年11月2日、旅團は岡山に帰還し、留守旅團は復帰します。

昭和15(1940)年7月10日、『昭和十五軍備改變要領 其ノ二』による既設師團の3単位(歩兵4個聯隊から3個聯隊へ)への改変に伴い師團内旅團の復帰、歩兵團への改変が決定、8月1日、第十師團の滿洲移駐に伴う編成改正により歩兵第三十三旅團司令部は復帰します。

歩兵第三十三旅團司令部の復帰に伴い旧師團司令部庁舎に岡山聯隊區司令部が移転、昭和20(1945)年3月24日、決號作戰(本土決戦)に備え岡山聯隊區司令部は復帰、同日、岡山聯隊區司令部が臨時編成され、聯隊區司令部内に岡山地區司令部が動員され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

10月12日、米第6軍第24師団先遣隊が岡山に進駐、23日、本隊が進駐を開始し、同日、旧第十七師團施設が接収され米軍兵舎に転用されます。
昭和21(1946)年4月、米軍に代わり英軍が駐留、昭和22(1947)年3月、英軍は呉に移駐しますが、施設は引き続き連合軍管理下に置かれます(以降の経緯から昭和24年頃に接収解除されたと思われます)。
12月、中国総合大学岡山設置準備委員会が発足(昭和23年、岡山大学設立期成会に改称)、校地の選定、費用調達、各方面への折衝等を開始します。
直後、空襲により校舎を焼失し倉敷に移転していた第六高等學校が特例により廣島陸軍兵器補給廠 岡山分廠の一部を校舎として移転して来ますが、昭和23(1948)年11月3日、閉校式を挙行し閉校、12月、期成会は旧第十七師團跡地を視察します。

昭和24(1949)年3月20日から5月20日まで兵舎一帯で産業文化博覧会が開催されます。
5月31日、 『国立大学設置法』施行を受け、岡山医科大学、第六高等学校、岡山師範学校、岡山青年師範学校を包括し、岡山農業専門学校を併合し、国立岡山大学が設立され、現在に至ります。


①b 歩兵第三十三旅團司令部
明治40(1907)年12月15日、第九旅團司令部内において編成(林太郎少将)、明治41(1908)年7月20日、歩兵第四十一聯隊兵営(野上村、現、福山)に移転、11月9日、新庁舎竣工を受け、岡山に移転してきます。

大正4(1915)年3月16日、滿洲駐箚に伴い留守歩兵第三十三旅團が編成、大正6(1917)年5月10日、旅團は岡山に帰還し、留守旅團は復帰、大正14(1925)年3月27日、第十七師團は第三次軍備整理(所謂、宇垣軍縮)による復帰が公布され、5月1日、第十七師團司令部が復帰したのに伴い、歩兵第三十三旅團司令部は旧師團司令部庁舎に移転、変わって南側にあった岡山聯隊區司令部が旧旅團司令部庁舎に移転してきます。

昭和15(1940)年8月1日、歩兵第三十三旅團司令部の復帰に伴い岡山聯隊區司令部は旧師團司令部庁舎に移転、敷地は隣接する歩兵第百五十四聯隊兵営に移管され、庁舎は解体され兵舎が新築、停戦を迎えました。
第三十三旅團司令部(岡山)
▲第三十三旅團司令部庁舎
 聯隊區司令部が旧師團司令部庁舎に移った後に解体された様です。

現在、遺構は何も遺されていない様です。


①c 岡山聯隊區司令部
明治40(1907)年9月17日、『陸軍管區表』・『陸軍常備團隊配備表』の改正に伴い、10月1日、尾道市久保町に福山聯隊區司令部(下鐵象中佐)とともに設置され、事務を開始(副島以辰中佐)します。
明治41(1908)年、新庁舎竣工に伴い岡山に移転、大正14(1925)年5月1日、第十七師團司令部の復帰に伴う歩兵第三十三旅團司令部の移転に伴い旧旅團司令部庁舎に移転、旧聯隊區司令部庁舎に第十師團経理部 岡山派出所が設置されます。
昭和10(1935)年頃、岡山派出所は廃止され、跡地は隣接する歩兵第十聯隊兵営に移管され庁舎は解体、聯隊砲大隊兵舎・砲廠が新築され、停戦を迎えました。

現在、遺構は何も遺されていない様です。


衛戍部隊
第十七師團司令部(月七三八一)
※拙ブログ「第十師團司令部/歩兵第八旅團司令部/姫路聯隊區司令部」参照


主要参考文献
『岡山市史 第6巻』 (昭和50年:昭和13年復刻 岡山市役所)

『岡山市史 戦災復興編』 (昭和40年 岡山市役所)

『岡山県史 第10巻 近代1』 (昭和61年 岡山県史編纂委員会 山陽新聞社)

『岡山県史 第13巻 現代1』 (平成元年 岡山県史編纂委員会 山陽新聞社)

『官報』
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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