当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

岡山號砲臺/岡山衛戍監獄

岡山県岡山市に所在する岡山大学津島キャンパスの北側、半田山霊園西端に岡山號砲臺がありました。
また岡山大学の西側に所在する明誠学院高は岡山衛戍監獄の跡地にあります。
岡山号砲台 午砲(復元) 北東から(岡山)
▲岡山號砲臺と復元された号砲

【探索日時】
平成24年4月9日、平成27年10月18日






第十七師團関連諸施設配置
岡山市明細地圖(明治42・1909)大久保翠琴堂(岡山)
▲『岡山市明細地圖』 明治42(1909)年

第十七師團司令部 岡山 中心 現在①~⑩(岡山)
▲師團司令部周辺と遺構の配置
※緑文字が当記事の紹介施設
①a 第十七師團司令部
①a 第十七師團司令部
①b 歩兵第三十三旅團司令部
①c 岡山聯隊區司令部
②  歩兵第五十四聯隊
③  輜重兵第十七大隊
④d 岡山陸軍兵器支廠
④e 第十七師團兵器部
⑤  工兵第十七大隊
⑥  山砲兵第二大隊
⑦  野砲兵第二十三聯隊
⑧  騎兵第二十一聯隊
⑨  岡山號砲臺
⑩  岡山衛戍監獄
※名称は明治42(1909)年頃


⑨  岡山號砲臺
半田山霊園に接した岡山理科大学駐車場の奥に遺ります。
明治三十七八年戰役(日露戦争)後、ロシアが着々と極東の兵備強化を推進するなか、明治39(1906)年、我が陸軍は安全保障の観点から、2個師團(第十七、第十八師團)の増設を決定、明治40(1907)年5月18日、陸軍省は第十七師團衛戍地として岡山縣御津(みつ)郡伊島村を選定し、8月、臨時陸軍建築部廣島支部の指揮・監督のもと工事を開始します。
明治41(1908)年3月4日、第十七師團司令部の新庁舎が竣工し移転、10日、開庁式を挙行、11月9日、師團隷下部隊の移駐・収容が完了します。

第十七師團司令部は岡山衛戍とともに号砲台の設置場所を求めますが敵地がなかなか見つからず、明治41年9月、漸く半田山墓地(現、霊園)西端の国有林内にある突出地を選定します。
12月5日、号砲台を起工、27日、岡山兵器支廠により明治二十七八年戰役(日清戦争)時に鹵獲した九珊青銅砲が据え付けられ竣工、明治42(1909)年1月1日1200、岡山陸軍練兵場からの手旗信号を合図に山砲兵第二大隊により号砲が開始されます。

大正11(1922)年8月15日、山砲兵第二聯隊(大正6年12月1日、大隊から改編)の復帰に伴い号砲台も廃止され大蔵省に移管されますが、岡山市會により継承が協議され号砲台と大砲が岡山市に無償で払い下げられ、11月15日から再開されます。
昭和4(1929)年3月31日、号砲は廃止されます。

廃止後、号砲台は放置(大砲の行方は不明)され、いつしか土砂に埋まり、土地はアイサワ工業㈱が取得するも号砲台跡は近年まで不法投棄により埋め尽くされていた様ですが、平成21(2009)年12月4日、岡山理科大学付属高校機械科により発掘、整備され、大砲も復元されました。

なお、現地説明板を始め各種資料には「午砲台」と記載されていますが、第十七師團関連の一次史料には岡山「號砲臺(号砲台)」と記載されています。

この号砲台(午砲台)、ですが、非常に分かり難い場所にあります。
行き方としては岡山理科大学の「クラブハウス半田山」から駐車場を突き当りまで行った斜面の下にあります。
遺構としては号砲台外周の境界石標、大砲周辺の門柱と石柵、大砲の車輪止めの石材が遺ります。
岡山号砲台 午砲(復元) 南から(岡山)
▲號砲臺 全景

岡山号砲台 午砲(復元) 南西から(岡山)
▲九珊青銅砲はアルミ鋳造の砲身を青銅色に塗色、砲車は大八車の車輪を転用して復元している様です。

岡山号砲台 午砲台説明 (3)(岡山)
▲『山陽新報』(昭和4(1929)年3月17日)掲載の号砲

岡山号砲台 午砲(復元) 南東から(岡山)
▲車輪がかなり小さく思いますが、雰囲気は出ています。

岡山号砲台 午砲(復元) 門柱ごしに 北から(岡山)
▲外周には石柵(半分程欠損)が並びますが、手前の物だけ吊金具が付いており、元々門扉があった様です。

岡山号砲台 午砲北側の門柱東側蝶番上(岡山)
▲門柱の蝶番金具

岡山号砲台 午砲台説明(岡山)
▲説明板


ツ 陸軍用地 第一号
駐車場と東側墓地の境辺りに遺ります。
岡山号砲台 ツ 陸軍用地(第一号) 東から(岡山)
▲正面には「陸軍用地」の刻字があります。

岡山号砲台 ツ 陸軍用地(第一号) 西から(岡山)
▲裏面には「第一号」の刻字があります。


テ 陸軍用地 第二号
号砲台と同じ高さの墓地の際に遺ります。
岡山号砲台 テ 陸軍用地(第二号) 南から(岡山)
▲正面には同じく「陸軍用地」の刻字があり、こちらは頂部に方向表示があります。

岡山号砲台 テ 陸軍用地(第二号) 北から(岡山)
▲裏面には「第二号」の刻字があります。

さてこの号砲台ですが、平成27年10月、別件で岡山に行った際に立ち寄ってみたところ、非常に残念な状態になっていました・・・。
岡山号砲台 崩壊する午砲(271018)(岡山)
▲車輪は朽ち果てて崩壊、砲身は新たに支柱が造られ何とか形状を保っている状態です。

せっかく苦労して発掘して復元したのですから、何とか維持管理してもらいたいものです。


号砲台の西側斜面下に大東亜戦争末期、陸軍が地下壕を掘削していました。
掘削した部隊、用途ともに不明です。
・・・行ってみたところ残念ながら、閉鎖されていました(゜Д゜;)
近所の方の話では「2、3年前(取材時、平成24年)に役所が来て閉鎖したよ」との事です。
長さは10m程度だったそうです。
岡山陸軍壕 ト 壕口(閉鎖)(岡山)
上図の“

岡山陸軍壕 ナ 壕口(崩落)(岡山)
上図の“
  こちらは崩落しています。


⑩  岡山衛戍監獄
第十七師團の新設に伴い、明治42(1909)年1月4日、伊島村(現、北区津島西坂)に設置、開庁します。
大正12(1923)年3月31日、『陸軍監獄官制』改正に伴い岡山衛戍拘禁所と改称し、師團司令部庁舎内に移転します。
大正14(1925)年5月1日、第十七師團の復帰に伴い岡山衛戍拘禁所も復帰、旧岡山衛戍監獄用地は新設女学校の校地を求めていた岡山県に売却され獄舎は解体され、新たに真備高等女學校が建設されます。

遺構は何も遺されていない様です。


主要参考文献
半田山の午砲台』(岡山理科大学附属高等学校 機械科 課題研究(機械班)・機械研究チーム)

第十七師團司令部歴史 明治四十年九月十七日~大正十四年六月十日』(アジ歴 C14060947100)

『官報』
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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