当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

岡山偕行社 / 岡山陸軍練兵場

岡山県岡山市に所在する岡山県総合グラウンドは岡山陸軍練兵場の跡地にあり、練兵場の南東隅に岡山偕行社がありました。
岡山偕行社 M 本館(移築) 東から (2)(岡山)
▲岡山県総合グラウンドに遺る岡山偕行社の本館

【探索日時】
平成20年7月27日、平成24年3月21日






第十七師團関連諸施設配置
岡山(明治43・1910) 大日本帝國測量部着色(岡山)
▲『大日本帝國陸軍陸地測量部測図』

岡山 中心 最終(岡山)
▲師團司令部周辺と遺構の配置
※緑文字が当記事の紹介施設
⑪  岡山陸軍病院
⑫  岡山陸軍練兵場
⑬  岡山偕行社

⑭  岡山聯隊區司令官官舎
⑮  岡山憲兵分隊
㉑  呉海軍軍需部 岡山作業所 (昭和16年4月、片倉紡績㈱岡山工場を買収、増改築)
※名称は昭和16年頃


遺構について※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
⑫  岡山陸軍練兵場
明治三十七八年戰役(日露戦争)後、ロシアが着々と極東の兵備強化を推進するなか、明治39(1906)年、我が陸軍は安全保障の観点から、2個師團(第十七、第十八師團)の増設を決定、明治40(1907)年5月18日、陸軍省は第十七師團衛戍地として岡山縣御津(みつ)郡伊島村を選定し、用地を寄付、買収により取得し、8月、臨時陸軍建築部廣島支部の指揮・監督のもと兵営の造成・建設工事と並行して、買収した水田を埋め立て練兵場の造成を開始します。
明治41(1908)年3月10日、第十七師團司令部が開庁式を挙行、明治42(1909)年4月5日、練兵場39,323坪を受領、5月4日、残り694坪(計40,017坪)、徒歩障碍物、乗馬障碍飛越物を受領し、練兵場の受領が完了します。
明治42年3月5日、練兵場南東隅2,115坪を岡山偕行社用地として貸付(10月、本館、附属屋等が竣工)、昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)の勃発とともに南西隅に岡山陸軍病院 津島分院(昭和20年6月29日、空襲により全焼)が開院します。

8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、10月23日、進駐してきた米第6軍第24師団により接収され、飛行機発着場として使用されます。
昭和25(1950)年、接収解除を受け旧練兵場は大蔵省に移管、西側一帯10,000坪は岡山県に払い下げられ、同県警察学校(現在、機動隊と官舎など)、岡山保健所、県衛生研究所、身体障害者更生指導所等(現在、合同宿舎、赤十字血液センター、障害児更生施設など)が建設されますが大部分は放置され、大半は近隣住民が畑として耕作を始めます。

昭和25(1950)年、岡山県が残りの旧練兵場を公園用地として大蔵省より無償貸付を受け、昭和26(1951)年、主に失業者対策事業として造成工事を開始、昭和37(1962)、岡山県営津島運動公園として開園されます。
また旧練兵場の北辺、及び東辺は岡山街道(国道53号線)の拡張工事に伴い縮小され、現在に至ります。

練兵場なので元々大きな建造物はありませんが、石碑が遺されています。

サ 御観閲之跡 碑
昭和5年(1930) 11月13~15日、広島県東部の神辺平野から岡山平野東部にかけた一帯で行われた特別大演習(第五、第十師團参加)に際し、最終日に岡山陸軍練兵場において 大元帥陛下(天皇陛下)により挙行された観兵式を記念して建立されました。
岡山陸軍練兵場 サ 「御観閲之跡」碑(岡山)
▲正面にフェンスが立てられており、非常に醜いです。
 もう少し何とかならなかったのかと思います。


ス 殉職 碑
明治41(1908)年6月、岡山陸軍練兵場の造成中に殉職された人夫を顕彰するため建立されました。
岡山陸軍練兵場 ス 「殉職」碑(岡山)
▲碑文には岡山陸軍練兵場の造成の経緯、殉職人夫の事が刻字されています。


あ 第二次世界大戦 岡山聯隊戦没者 英霊顕彰碑
昭和42年4月18日、英霊の慰霊とともに岡山県民の愛郷・愛国精神を涵養すべく建立されました。
揮毫は支那事變において歩兵第十聯隊を率いた第27代聯隊長・赤柴八重蔵大佐(最終、中将)です。
岡山陸軍練兵場 あ 第二次世界大戦 岡山聯隊戦没者 英霊顕彰碑(岡山)


⑬  岡山偕行社
明治41(1908)年3月10日、第十七師團司令部の開庁とともに師團経理部内に設置(附属病院は薬師院内に)されましたが、明治42(1909)年3月5日、練兵場南東隅2,115坪を借用し、本館、附属屋等を起工、10月10日、竣工、12日、移転・開館します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、10月23日、進駐してきた米第6軍第24師団により接収され、本館は将校クラブとして使用されます。
昭和25(1950)年、接収解除に伴い本館は岡山労働基準局庁舎として使用(昭和42年まで)、昭和43(1968)年、100m西側に移築され、合宿所として使用されますが、老朽化により閉鎖されます(附属屋の経緯は不明)。
平成2(1990)年、改修され岡山県総合グランドクラブとして再生、平成15(2003)年、体育館建設に伴い、さらに100m北西側に移築され現在に至ります。

M 岡山偕行社 本館
明治42(1909)年に建設されました。
現在は元々あった場所から西北西の位置に移築され、岡山県総合グランドクラブとして活用されています。
岡山偕行社 本館 竣工時(岡山)
▲竣工時の岡山偕行社 本館

岡山偕行社 M 本館(移築) 南東から(岡山)
▲上掲写真とほぼ同じ角度から
 状態は非常に良いです。

岡山偕行社 M 本館(移築) 東から(岡山)
▲本館 正面

岡山偕行社 M 本館(移築) 北東から(岡山)
▲平成20年の状態
 管理状態が良いため、現在でも劣化は見られません。

内部に入ってみます。
岡山偕行社 一階 廊下 (2)(岡山)
▲1階の廊下
 廊下は板張りで、内部は外周に沿って廊下があります。

岡山偕行社 一階 壁飾り(岡山)
▲階段周辺の仕切りには装飾が施されています。

岡山偕行社 一階 階段(岡山)
▲階段手摺には微細な彫刻が施され、親柱には陸軍の象徴が輝きます。

岡山偕行社 二階 階段(岡山)
▲細かい部分にも手抜きがありません。

2階に上がってみます。
岡山偕行社 二階 扉(岡山)
▲扉上には重厚な彫刻が施されています。

岡山偕行社 二階 扉飾り(岡山)
▲上掲の扉上彫刻を正面から

岡山偕行社 二階 廊下(岡山)
▲2階も1階と同様に外周に沿って廊下がありますが、本来2階は大広間があった様です。

岡山偕行社 二階 廊下天井(岡山)
▲2階は無理矢理仕切って部屋にしてしまった様で、天井に施されたせっかくの繊細な彫刻が台無しです。


シ 岡山偕行社 門柱
同じく移築され、本館の南側に並べられています。
説明板も何も無いので、この石柱が何なのか分からない状態です。
岡山偕行社 M 本館(移築) 南東から (2)(岡山)
▲門柱は偕行社本館のすぐ横に移設されています。

岡山偕行社 シ 偕行社門柱(移築)(岡山)
▲門柱には門札の跡があります。


主要参考文献
『第十七師團司令部歴史 明治四十年九月十七日~大正十四年六月十日』(アジ歴 C14060947100)

『岡山市史 戦災復興編』 (昭和40年 岡山市役所)

現地「総合グランドクラブ」説明板
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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