当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

岡山陸軍墓地

岡山市北区津高に岡山陸軍墓地があります。
岡山陸軍墓地 合祀碑 全景(岡山)
▲岡山陸軍墓地最上段の滿洲事變忠死者之碑(中)、歩兵第十聯隊戦病死将兵合祀之碑(左)、工兵第十大隊戦病死将兵合祀之碑(右)

【探索日時】
平成24年3月21日






第十七師團関連諸施設配置
岡山(明治43・1910) 大日本帝國測量部着色(岡山)
▲『大日本帝國陸軍陸地測量部測図』


遺構について※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
⑳  岡山陸軍墓地
明治40(1907)年5月18日、陸軍省は第十七師團衛戍地として岡山縣御津(みつ)郡伊島村を選定、用地を岡山市からの寄付、及び買収により取得、明治41(1908)年3月10日、第十七師團司令部が開庁します。
第十七師團の設置に伴い明治42(1909)年、横井村大字中原の丘陵地突端に岡山陸軍埋葬地が開設されます。

昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により岡山陸軍墓地と改称されます(但し、同規則制定以前にも「陸軍墓地」と呼称されている様です)。

経緯は不明ですが、昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦後も破壊される事無く存続し、現在に至ります。

当墓地は開設当初は参道から合祀碑に続く通路の両側にある階段状の区画に墓所が設けられていた様ですが、埋葬者の増加に伴い墓所が狭隘なため、南側に帯状の区画を増設して墓所を拡張した様です。
岡山陸軍墓地 墓地 参道 南から(岡山)
▲岡山陸軍墓地 入口
 灯籠も当時の物と思われますが、刻字等が無く不明です。

タ 陸軍用地
上掲写真にも写っていますが陸軍墓地入口付近に境界石標が1本だけ遺ります。
岡山陸軍墓地 タ 陸軍用地(岡山)

境界石標を通り越してそのまま進むと右側に階段が見えてきます。
岡山陸軍墓地 階段(岡山)
▲墓所に続く階段
 かなり急な階段です・・・

階段を登ります。
岡山陸軍墓地 階段途中左側の灯篭(岡山)
▲階段の左側にある灯籠
 昭和13(1938)年5月、岡山市役所員の方々による寄進です。

墓所前にある大香炉には陸軍の象徴が輝きます。
岡山陸軍墓地 線香台(岡山)


岡山陸軍墓地
▲階級別埋葬位置
・・・合葬碑
・・・将校
・・・下士官
・・・兵卒

岡山陸軍墓地 見取図(岡山)
▲陸軍墓地配置(現地説明板より)


最上段には3基の合祀碑が並びます。

滿洲事變忠死者之碑
昭和8(1933)年3月に建立されました。
揮毫は時の第十師團長・廣瀬壽助中将です。
岡山陸軍墓地 滿洲事變忠死者之碑(岡山)


歩兵第十聯隊戦病死将兵合祀之碑
昭和8(1933)年9月に建立されました。
揮毫は岡山出身の宇垣一成大将(当時は予備役で朝鮮總督)です。
岡山陸軍墓地 歩兵第十聯隊戦病死将兵合祀之碑(岡山)


工兵第十大隊戦病死将兵合祀之碑
昭和8(1933)年9月に建立されました。
揮毫は嘗て工兵第十大隊長を務めた井上幾太郎大将です。
岡山陸軍墓地 工兵第十大隊戦病死将兵合祀之碑(岡山)


将校 墓所
2段目にあり、36名の方が眠ります。
北西側の一角は墓所が狭く、埋葬者が増加したため区画が足りなくなって詰めて埋葬された為と思われます。
岡山陸軍墓地 将校(2段目 南側)(岡山)
▲将校墓所 南側
 墓所は南側(参道右側)から古い順に北側へと並んでいます。

岡山陸軍墓地 将校(2段目 北側)(岡山)
▲将校墓所 北側

岡山陸軍墓地 堀田万義大佐(最高位)之墓(岡山)
▲当墓地最高位の堀田万義大佐
 昭和12年9月10日、支那事変において青県で散華されました(享年46)。


下士官 墓所
3段目、及び4段目の南側増設部の奥側にあります。
岡山陸軍墓地 下士官(3段目 南側)(岡山)
▲下士官墓所 南側
 将校墓所同様に南側(参道右側)から古い順に北側、そして増設南側の奥へと並んでいます。

岡山陸軍墓地 下士官(3段目 北側) (2)(岡山)
▲下士官墓所 北側

岡山陸軍墓地 下士官(4段目 増設南側 奥)(岡山)
▲下士官墓所 増設南側の奥


兵卒 墓所
4段目、及び南側増設部の手前側、5段目全域にあります。
岡山陸軍墓地 兵(4段目 南側)(岡山)
▲4段目 兵卒墓所 南側
 兵卒墓所は古い順に4段目南-4段目北-5段目南-5段目北-南側増設部と並んでいます。

岡山陸軍墓地 兵(4段目 北側)(岡山)
▲4段目 兵卒墓所 北側

岡山陸軍墓地 兵(5段目 南側)(岡山)
▲5段目 兵卒墓所 南側

岡山陸軍墓地 兵(5段目 北側)(岡山)
▲5段目 兵卒墓所 北側

岡山陸軍墓地 兵(5段目(左)・4段目(右) 増設南側)(岡山)
▲兵卒墓所 南側増設部
 増設部は支那事變で散華した英霊の方々が眠ります。


以下は戦後の石碑です。
ソ 忠馬・犬・鳩之塔
  平和塔

墓地入口の階段下にあります。
忠馬・犬・鳩之塔は昭和29(1954)年3月に、平和塔は昭和25(1950)年3月25日に建立されました。
岡山陸軍墓地 ソ 忠馬・犬・鳩之塔(岡山)
▲忠馬・犬・鳩之塔

岡山陸軍墓地 ソ 平和塔(戦後)(岡山)
▲平和塔

大東亜戰争戦没者 慰霊碑
歩兵第十聯隊戦病死将兵合祀之碑の後ろにあります。
昭和52(1977)年11月に建立されました。
岡山陸軍墓地 大東亜戰争戦没者 慰霊碑(戦後)(岡山)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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