当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所

岡山市北区宿に所在する陸上自衛隊・三軒屋駐屯地は廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所の跡地にあります。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 A 弾丸薬莢庫  北東から(岡山)
▲三軒屋駐屯地に遺る彈丸藥莢庫(左)と現場事務所(右奥)

【探索日時】
平成26年4月9日、27年10月18日





遺構について※青字は地図にリンクしています
① 廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所
明治41(1908)年3月10日、第十七師團司令部が岡山縣御津(みつ)郡伊島村(現、岡山市)に設置され、明治42(1909)年9月11日、牧石村の半田山東麓に岡山東陸軍射撃場(37,050坪)が開設されます。

昭和14(1939)年3月1日、大阪陸軍兵器支廠 禁野倉庫で発生した爆破事故を受け、陸軍省は安全対策として各兵器支廠の火工作業設備を住宅密集地から隔離する事を計画します。
岡山陸軍兵器補給廠は周辺を調査の結果、人家が少なく、且つ細い谷地が数条に広がり天然の防爆土堤を形成している岡山東陸軍射撃場のある牧石村三軒屋(現、北区宿)を移転先として選定、第十師團経理部(姫路)により民家21軒、田18町歩、畑5反歩、山林6反歩が買収されます。
昭和15(1940)年11月、起工式を挙行、昭和17(1942)年3月、事務所、火工作業設備、洞窟式弾薬庫27基が大凡竣工したため、弾藥科設備を移転、岡山陸軍兵器補給廠 三軒屋分廠(通称:三軒屋部隊)が開設(矢野一三少佐)します(10月9日、勅令第六百七十七號『陸軍兵器補給廠令』施行に伴い10月15日、「三軒屋填藥所」に改称されたと思われます)。

昭和20(1945)年4月29日、岡山陸軍兵器補給廠が廣島陸軍兵器補給廠 岡山分廠に改編、三軒屋填藥所も移管され、廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所に改称、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦に伴い三軒屋填藥所は操業を停止、応徴士、報国隊・女子挺身隊に賃金、退職金を支給し勤務解除、11月10日、『臨時陸軍殘務整理部令』(勅令第六百三十一號)により陸軍兵器行政本部は復帰、第一復員省陸軍兵器行政本部殘務整理部が新編され、三軒屋填藥所は同部三軒屋出張所となり、所長・國岡盛一少佐以下復員官が残務処理に当たります。

10月23日、岡山に進駐してきた米第6軍第24師団に保管品のうち兵器・危険物を引渡し海中投棄、非危険物は日鉄臨時兵器処理部岡山事務所に引渡され、造幣局、広畑製鉄所、及び民間会社に払い下げられますが、施設は放置されます。
昭和21(1946)年4月、米軍に代わり英軍が岡山に進駐、旧三軒屋填藥所は接収され、昭和22(1947)年3月、英軍は呉に移駐しますが、施設は引き続き連合軍管理下に置かれます(以降の経緯から昭和24年頃、接収解除され大蔵省に移管、岡山県に払い下げられたと思われます)。

昭和23(1948)年4月、御津郡牧石中學校が旧三軒屋填藥所の南側(池より南側)に、昭和24(1949)年11月、岡山県岡山種畜場が上伊福から旧三軒屋填藥所の北側一帯(池から北側)に移転してきます。
昭和28(1953)4月1日、牧石中学校は市立岡北中学校に統合され廃校になり、昭和29(1954)年頃、岡山市は保安隊(現、自衛隊)の誘致を開始、昭和30(1955)年、防衛庁は岡山県に弾薬格納施設が遺る旧三軒屋填藥所の買収を打診、県議会による売却承認を経て1億9,000万円で購入、隣接する旧半田山歩兵・工兵作業場が大蔵省より移管され、4月5日、水島駐屯地三軒屋分屯地が開設されます。
15日、三軒屋分屯地において関西地区補給処三軒屋弾薬支処が編成完結、昭和32(1957)年9月5日、三軒屋分屯地は駐屯地に昇格、安全対策、周辺整備に伴い用地を拡張し、現在も我が国の安全保障に重要な施設となっています。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 岡山(岡山)
▲廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所 現況
 赤枠東側・・・岡山東陸軍射撃場
 赤枠南側・・・半田山歩兵作業場、北側・・・工兵作業場(推定)
 青枠・・・・・廣島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所(推定)
三軒屋填藥所の範囲については資料が無く不明なため、『岡山県畜産史』掲載の岡山種畜場設立時の配置図を参照にしました。
同書に総面積25町歩(248,000坪)とある事から、三軒屋填藥所は現在の駐屯地よりかなり狭く、大凡駐屯地内の平地(谷筋のみ)が範囲だった様です。

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 現在(岡山)
▲遺構の配置
※以下のアルファベット、カナ等の遺構配置は上掲地図参照
 また、名称は三軒屋駐屯地所蔵の『三軒屋填藥所圖』から

A 弾丸薬莢庫
現在は資料館「頌史館」等に使用されています。
頌史館は決して広くは無いですが、貴重な史料が多く、見応えがあります。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 A 弾丸薬莢庫  南東から(岡山)
▲南東から
 体験試乗時に撮影したので、この写真が限界でした・・・

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 A 弾丸薬莢庫  北から(岡山)
▲北東から
 三軒屋填藥所時代は同等の建物が北(右側)にさらに2棟並んでました。

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 A 弾丸薬莢庫  北西から(岡山)
▲西側の高台から
 屋根以外は殆ど当時のままと思われます。

見学については三軒屋駐屯地広報班(086-228-0111)に事前連絡のうえ、日時を調整して可能です。
毎年10月頃に開催される創立記念行事の際は開放していないので注意が必要です。
因みに創立記念行事の際はパジェロの試乗コース上にあるため、外観は見る事ができます。


B 現場事務所
西側の高台上にあります。
本部事務所(現、本部庁舎位置、昭和50年解体)とは別に火工作業場の事務所として使用されていた様です。
外壁に鋼板が貼られ改修されているくらいで、状態は良好です。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 B 現場事務所  南東から (2)(岡山)
▲坂の上にあるため撮影の角度が限られ幅が狭く感じられます。

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 B 現場事務所 南東から(岡山)
▲奥側はこれだけの長さがあり、窓に当時の面影を見る事ができます。

三軒屋填藥所時代は現場事務所南側に隣接して火工品庫、さらに熔填場、火工場、汽罐場等がありました。

同じくパジェロの試乗コース上にあり、この建物の前で引き返すので外観は見る事ができます。


I  貯水槽
円形の貯水槽が遺ります。
パジェロの試乗コース上、来賓駐車場(熔填場、火工場、汽罐場等の跡)付近にあり、近くで見る事ができます。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 I 貯水槽 (2)(岡山)


C 木造建物
配置図に無く、用途不明です。
この辺りには電源室があった様ですが、位置がずれている様に思うので、戦後の建物かも知れません。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 C 南から(岡山)

同じくパジェロの試乗コース上にあります。


D 木造建物
Cに並んでおり、配置図に無く用途不明です。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 D 北西から(岡山)

同じくパジェロの試乗コース上にあります。


E 耐熱試験場
東側の高台上にあります。
コンクリート造の様で、強固な造りになっています。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 E 耐熱試験場 北西から(岡山)
▲北西から

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 E 耐熱試験場 南西から(岡山)
▲南西から

戦車の試乗コース上にありますが、何回も乗れるパジェロと違い戦車試乗は整理券がいるので1発勝負になります。


F 耐熱試験場
東側の高台上にあります。
こちらもコンクリート造の様で、強固な造りになっています。
Eと同じ用途、同じ場所に並んでありますが、入口の形状が若干異なります。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 F 耐熱試験場 南西から (2)(岡山)
▲南西から

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 F 耐熱試験場 南西から(岡山)
▲西から

平成26(2014)年の記念行事の動画を見ていると、EとFの間に木造の物置の様な建物が遺っていた様ですが、残念ながら破壊されてしまい基礎だけになっていました。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 E・F間 建物(平成26頃解体)youtubeキャプ(岡山)
▲youtubeからのキャプチャー


J 側線橋台
駐屯地内に遺ります。
時期は不明ですが津山線から法界院東側付近で分岐、填薬所内に側線が敷かれていました。
停戦に伴い線路は撤去、遺されていた荷捌き場(プラットフォーム)も平成18(2006)年に撤去されてしまい、駐屯地内に遺る唯一の側線遺構です。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 K 橋台 南西から(岡山)


この他、グーグルマップで見ると填薬所の核心とも言える洞窟式弾薬庫がほぼ完存してる様ですが、残念ながら立入禁止区域にあり確認できません。


※訂正※
木造建物
同じ規模の木造建物が2棟並んで建っています。
空撮を見ると奥で連結しており、上から見るとH型をしています。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 G(左)・H(右) 南から(岡山)
▲この建物について当初は填薬所の遺構と思っていましたが、知人の指摘を参考に精査したところ昭和22(1947)年の空撮に写っていない様で、また岡山種畜場設立時の配置図にも掲載が無い事から填薬所の遺構では無い様です


K 側線路床跡
駐屯地前の道路沿いに遺り、駐車場として使用されています。
廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 K 側線  南西から(岡山)
▲道路の右側の高くなっている部分が側線跡です。

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 K 側線 西側の階段 (2)(岡山)
▲側線跡にはコンクリート製の階段があります。

廣島陸軍兵器補給廠三軒屋填藥所 K 側線 西側の階段(岡山)
▲なぜか造りが異なります。

今回紹介の遺構の中で、路床跡だけがいつでも見る事ができます。

また、三軒屋填藥所には将校官舎工員宿舎同独身寮がありましたが、前者は自衛隊三軒屋宿舎、後者は更地、税務署官舎・アパートになりいずれも遺構は遺されていない様です。


主要参考文献
『岡山県畜産史』 (昭和55年3月 岡山県畜産史編纂委員会)

『岡山県郷土部隊史』 (昭和41年 岡山県郷土部隊史刊行会)

『岡山市史 第6巻』 (昭和50年:昭和13年復刻 岡山市役所)

『岡山市史 戦災復興編』 (昭和40年 岡山市役所)

三軒屋駐屯地創立記念行事展示 「三軒屋駐屯地今昔」
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる