当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 柵原疎開工場

岡山県美咲町柵原に所在した柵原(やなはら)鉱山に東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 柵原疎開工場が建設中でした。
宇治製造所 柵原疎開工場 O 内部(岡山)
▲柵原鉱山跡に遺る宇治製造所 柵原疎開工場の地下壕

【探索日時】
平成27年10月17日






遺構について※青字は地図にリンクしています
東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 柵原疎開工場
昭和19(1944)年7月7日、我が国はサイパン島、8月3日、テニアン島、11日、大宮島(グアム)を相次いで失陥、B29による本土空襲が迫る中、陸軍兵器行政本部は東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所の疎開先として岩盤が強固で且つ採掘設備がある柵原鉱山を選定、同鉱山を所有する帝國鉱業開發㈱(藤田組㈱を買収)に地下工場設定を発注、関西方面から続々と應徴士が集結、吉井川右岸に飯場、柵原病院に食堂が建設されます。
昭和20(1945)年5月、地下工場の設定工事が開始され、柵原鉱山の鉱夫も配置転換し工事を急ぎますが、8月15日、工程35%で『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

昭和21(1946)年12月7日、『會社ノ解散ノ制限等ノ件』(昭和20年11月23日、勅令第六百五十七號、所謂「財閥解体」)に基づき帝國鉱業開發㈱は解散、柵原鉱山は同和鉱業㈱(昭和20年12月27日、藤田組㈱から改称、現DOWAホールディングス)に返還されます(平成3年3月、閉山)。
地下工場の一部は鉱山に転用された様ですが、大部分は閉鎖されています。

宇治製造所 柵原疎開工場(岡山)
▲柵原疎開工場 現況
 柵原橋から火の谷隧道にかけ15ヶ所の地下壕が掘削されていました。
 ※以下の遺構配置は上掲地図参照

A 壕口
柵原橋を渡ってすぐ右側の斜面にあります。
壕口はコンクリートで補強されていましたが、残念ながらコンクリートでガチガチに閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 A地下壕 (岡山)
▲写真左側に見えるのが閉鎖されたAの壕口


B 壕口
道路沿いにあり、素堀の壕だったようですが、同じくコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 B地下壕 (岡山)


C 壕口
道路沿いにあり、少し奥まった位置にあります。
素堀の壕で高さ・幅ともに2.5m程ありましたが、残念ながらコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 C地下壕 (岡山)


D 壕口
道路沿いにあり、素堀の壕だったようですが、同じくコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 D地下壕 (岡山)
▲雑草に埋もれ少し分かり難いです。

E  壕口
道路沿いにあり、素堀の壕だったようですが、同じくコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 E地下壕 (岡山)


F 壕口
道路沿いにあり、1m程高い位置にあります。
素堀の壕だったようですが、同じくコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 F地下壕 (岡山)
▲落石防止ネットの裏にあり、かなり分かり難いです。


G  壕口
道路沿いにあります。
30m程の素堀の直線壕で高さ・幅ともに2.5m程あり、鉄扉で閉鎖されていますが内部は遺されています。
壕口、内部にコンクリート補強、金属支保工がありますが、全て戦後の施工の様です。
宇治製造所 柵原疎開工場 G 壕口(岡山)
▲外観

宇治製造所 柵原疎開工場 G 内部地下壕 (岡山)
▲内部
 支保工は戦後の物です。

宇治製造所 柵原疎開工場 G 内部 (2)地下壕 (岡山)
▲内部の奥


H  壕口
道路沿いにあり、1m程高い位置にあり、石で閉鎖されています。
壕は正面側にコンクリート擁壁が施工され、壕口に金属の支保工の様な補強がありますが、戦後の物と思われます。
宇治製造所 柵原疎開工場 H前の基壇とH地下壕 (岡山)
▲壕口(奥)とコンクリート基礎

壕の前に1.5m四方のコンクリート基礎があり、四方にボルトが付いていますが、詳細は不明です。
宇治製造所 柵原疎開工場 H前の基壇地下壕 (岡山)
▲コンクリート基礎は雑草で埋もれていましたが、掃除しました。

宇治製造所 柵原疎開工場 H前の基壇 後ろ側ボルト地下壕 (岡山)
▲ボルトは前後に2本づつ4本あります。


I  壕口
道路沿いにあり、1m程高い位置にあります。
素堀の壕だったようですが、コンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 I地下壕 (岡山)
▲雑草に覆われており、分かり難いです。


J  壕口
道路沿いにあり、素堀の壕だったようですが、同じくコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 J地下壕 (岡山)


K 壕口
落石防止用の覆道の内部にあります。
高さ・幅ともに2.5m程あり、壕口はコンクリートで補強され、且つ装飾が施されていますが、残念ながらコンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 K地下壕 (岡山)
▲扁額の枠が付き、他の壕口に比べ造りが豪華な事から、
 完成の際はこの壕が主坑になったのでは無いでしょうか?


L 壕口
道路沿いにあり、1m程高い位置にある素堀の壕だったようですが、崩落しています。
宇治製造所 柵原疎開工場 L地下壕 (岡山)


M 壕口
火の谷隧道の西側にある落石防止柵の裏にあります。
1m程高い位置にあり、崩落しているうえ隙間も土嚢で塞がれています。
内部から風が流れて来る事から、壕自体は崩れていない様です。
宇治製造所 柵原疎開工場 M地下壕 (岡山)


N 壕口
火の谷隧道の内部にあり、素堀の壕だったようですが、コンクリートで閉鎖されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 N地下壕 (岡山)


O 壕口
火の谷隧道の内部にあり、唯一南に向かって掘削されています。
40m程の素堀の壕で高さ・幅ともに2.5m程あり、鉄扉で閉鎖されていますが内部は遺されています。
宇治製造所 柵原疎開工場 O地下壕 (岡山)

宇治製造所 柵原疎開工場 O 内部(岡山)
▲内部
 よく見ると右側に分岐している様に見えます。

冬場であればもう少し草刈り等して綺麗な状態の写真を撮影するのですが、時期的に苦手なケムシがいそうなので掃除はパスしました。


主要参考文献
『柵原町史』 (昭和62年10月 柵原町史編纂委員会)

『岡山の戦跡』 (平成21年10月 岡山県教職員組合教育運動推進センター)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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