当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

紀伊防備隊

和歌山県日高郡由良町に所在する海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊は紀伊防備隊の跡地にあります。
紀伊防備隊 A 北西から(和歌山)
▲海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊内に遺る建物

【探索日時】
平成26年2月18・19日、3月4日





紀伊防備隊 施設配置
紀伊防備隊 43紀伊防備隊(和歌山)
▲『近畿地区施設一覧(附青図)』所収の「43 紀伊防備隊」

紀伊防備隊 紀伊防備隊(本隊) 現在(和歌山)
▲現在の地図に現存施設・境界を転写


遺構について※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
① 紀伊防備隊
古くから外洋に近く天然の良港として、回船寄港地として栄えた由良港でしたが、紀伊山脈が海岸線まで迫り、後背地が無かったため、大型船の避難港程度しか利用価値がありませんでした。

海軍省軍務局は経済の中心地・阪神地区を内海深くに持ち、太平洋に繋がる紀伊水道の長大な海岸線の中程に位置する由良港に着目、洋上からの阪神方面侵攻を防衛する防備隊新設を決定します。

昭和12(1937)年7月26日、海軍大臣・米内光政大将より呉鎭守府司令長官・加藤隆義中将に対し『由良内防備隊前進基地新設工事施行ノ件訓令左記工事施行セシムベシ』(官房機密二七八一號)が発令され、8月29日、海軍省経理局は大蔵省所轄の元合同電氣會社埋立地10,324坪を買収、9月上旬、呉海軍建築部により測量が実施されます。
10月26日、起工式を挙行、呉海軍建築部指揮のもと、工事を請負った原庄組により買収地先12,000坪の埋め立てが開始、昭和13(1938)年9月、第二期工事として由良川沿の護岸(通称「海軍波堤」)、及び大谷川からの土砂流入防止工事を実施します。

電力不足で工事は難航しますが、昭和14(1939)年11月1日、紀伊防備隊の開隊式が挙行されます。
紀伊防備隊 旧庁舎(昭和28年6月)(和歌山)
▲紀伊防備隊庁舎(昭和28年6月、由良中学校校舎に転用時の写真)

昭和20年6月1日、紀伊防備隊は第六特攻戰隊司令部麾下に編入、決號作戰(本土決戦)の準備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

9月25日、米第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、第98師団第389歩兵連隊が和歌山県に進駐を開始、30日、由良町に進駐して来ます。
紀伊防備隊では兵器、軍需品類(掃海具を除く)の引渡しが行われますが、米軍敷設機雷の掃海基地とするため必要な施設西半分は大阪地方復員局(旧大阪警備府)に移管(後に運輸省管下の海上保安庁に移管)され紀伊補給基地として転用、東側は大蔵省近畿財務局に移管されます。
昭和22(1947)年4月1日、東側(本部庁舎、武道場など)が新設中学校用地として日高郡学校組合に払い下げられ、由良港中学校(現、由良町立由良中学校)が開校、10月15日、町制施行に伴い東側の一角に役場が開庁(昭和28年9月に移転、昭和43年12月15日に再び現在地に移転)します。

昭和27(1952)年8月1日、総理府外局の警察予備隊本部が保安庁に改編され、海上警備隊と航路啓開本部を統合し警備隊が発足、紀伊補給基地は保安庁警備隊大阪航路啓開隊由良基地と改称、昭和29(1954)年7月1日、海上自衛隊の発足に伴い、海上自衛隊大阪基地隊由良基地、昭和29(1954)年10月1日、由良基地分遣隊が新編され、現在も我が国の平和を護っています。

A 倉庫  ※名称は『近畿地区施設一覧(附青図)』による
海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊内に遺ります(以下、「キ 信号灯基礎」まで)。
コンクリート製で内部は仕切られ現在は倉庫、休憩施設として使用されています。
紀伊防備隊内には“倉庫”と呼べる建物は機雷庫、爆雷庫等がありましたが、この建物がどれに当たるのか不明です。
紀伊防備隊 A 南東から(和歌山)
▲南東から
 外壁は綺麗に塗装がされており、築76年の建物には見えません。

紀伊防備隊 A 北東から(和歌山)
▲北東から
 南北側ともに同じ造りです。

紀伊防備隊 A 東側(和歌山)
▲窓は簡素な造りです。


ア 桟橋基礎
元々はこの上に木造桟橋が渡してあったそうですが、現在は木造部分が失われ基礎だけが遺ります。
紀伊防備隊 ア 桟橋 北東から(和歌山)


イ コンクリート桟橋
完存しており、現在も現役で使用されています。
紀伊防備隊 イ 桟橋 北西から(和歌山)
▲海上から見たイ コンクリート桟橋
 奥には上記A 倉庫が見えます。


ウ 桟橋基礎
アと同様、上部の木造部分は失われてしまい、基礎だけが遺ります。
紀伊防備隊 ウ 桟橋 北東から(和歌山)

紀伊防備隊 ウ 桟橋(南端)にある基礎(和歌山)
▲ウ 桟橋に遺る何かの基礎

紀伊防備隊 ウ 桟橋北端の滑走台 東から(和歌山)
▲ウ 桟橋北端には滑走台のような海に伸びる斜面があります。


エ ダビット基礎
イ 桟橋には駆逐艦や小艦艇の模型でお馴染み、爆雷や機雷を艦艇に搭載するダビット(小型のクレーン)の基礎が遺ります。
紀伊防備隊 エ ダビット基礎 南から(和歌山)


オ 運搬軌条
イ 桟橋にある、こちらも駆逐艦や小艦艇の模型でお馴染み、爆雷・機雷運搬軌条(レール)です。
紀伊防備隊 オ 側線 北から(和歌山)

「由良駅からの引き込み線跡」との事ですが、由良駅からの引き込み線は紀伊防備隊北側(由良港内駅)に敷かれており防備隊内には来ていなかったので、このレールは防備隊内の機雷庫、爆雷庫から桟橋までの運搬軌条と思われます。

イ 桟橋と ウ 桟橋基礎の間にも撤去された運搬軌条が放置されています。
紀伊防備隊 イ・ウ間の鉄骨(当時の建物解体時の残骸)(和歌山)
▲レールじゃなくて解体建物の鉄骨だったかも知れません。
 記憶が曖昧ですみません・・・
 奥に見えるのがイ 桟橋


カ 防波堤
石積みの防波堤が遺ります。
紀伊防備隊 カ 防波堤 東から(和歌山)
▲見難いですが、石組の防波堤が伸びています。

紀伊防備隊 カ 防波堤 東から (2)(和歌山)
▲防波堤近影


キ 信号灯基礎
カ 防波堤の先端にコンクリート製箱型の基礎が遺ります。
紀伊防備隊 キ 信号灯基礎 北東から(和歌山)
▲信号灯の機械部分を収納していた箱型の基礎

紀伊防備隊 キ 信号灯基礎 内部(和歌山)
▲基礎の中には機械設置台が遺ります。

現在は太陽光発電で運用されていますが、当時は隊内から電線を引いており、配線をコンクリートで固めた跡が遺ります。
紀伊防備隊 キ 信号灯基礎に続く配線跡(和歌山)
▲この配線を固めた跡が防波堤上に点々と遺っています。

以上の遺構は全て海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊内にあり、見学には事前連絡のうえ調整が必要です。
お忙しい中、応対して下さった分遣隊長、寒い中御案内頂いた総務課長、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。


ク 海軍波堤
昭和13(1938)年9月、紀伊防備隊新設第二期工事として建設されました。
現在、上部はコンクリートで補強されていますが、基礎は当時のままです。
紀伊防備隊 ク 護岸(和歌山)
▲写真左奥にA倉庫が見えます。


B 倉庫
酒屋の敷地内に遺り(以下、「10 境界石標」まで)、外壁には迷彩の黒色塗装も遺ります。
詳細な用途は不明ですがコンクリート製で、現在は酒屋の倉庫として使用されています。
ご主人は海上自衛隊から時事問題まで造詣が深く、話が弾むこと間違いなしです!
紀伊防備隊 B 北東から(和歌山)
▲裏側(南側)にも同じ入口がありましたが、現在はブロックで塞がれています。

紀伊防備隊 B 南東から(和歌山)
▲黒色迷彩の遺る東側の壁

紀伊防備隊 B 西側(和歌山)
▲窓は小さく簡素です。

壁厚は36cmもありますが、屋根は簡単な木造の洋小屋組です。
紀伊防備隊 B 内部北側の出入口壁厚(和歌山)
▲壁の断面厚さ

紀伊防備隊 B 内部屋根 北から(和歌山)
▲屋根は軍建築によく見られる頬杖が斜めに入る洋小屋組です。

※許可を得て立ち入っています(以下同じ)。

なお、数年前までは由良中学校内にも類似の建物が遺っていた様ですが、残念ながら破壊されてしまいました。
紀伊防備隊 由良中学内にあった倉庫(和歌山)
▲由良中学内に遺っていた建物


コ 塀 基礎
塀は遺されていませんが、酒屋敷地内を基礎が横断しています。
紀伊防備隊 コ 塀基礎 北から(和歌山)


9 境界石標(NO9)
敷地内に遺りますが、本体は殆ど埋まり頂部の方向表示だけが出ている状態だったので、許可を得て掘り返したところ、海軍を表す二重波線と番号が刻字されていました。
紀伊防備隊 9 境界石標(NO9) (2)(和歌山)

紀伊防備隊 9 境界石標(NO9)(和歌山)
▲番号はNO(ナンバー)表記の珍しい物です。


10 境界石標(NO10)
同じく酒屋敷地内に遺りますが、本体は殆ど埋まり頂部だけが出ています。
こちらも許可を得て掘り返しています。
紀伊防備隊 10 境界石標(NO10) (2)(和歌山)
▲表面の海軍記号

紀伊防備隊 10 境界石標(NO10)(和歌山)
▲裏面にはNO10の刻字

僕が熱心に境界石標を掘り返してたところ、ご主人が「それならここにも置いてあるよ」と折れた2本を見せて頂きました。
紀伊防備隊 12・13 境界石標(B東側にあった)お持ち帰りしました(和歌山)
▲境界石標NO12・NO13

水路の改修の際に折れたのを置いておいたそうですが、要らないとの事でありがたく頂戴いたしました。
お忙しい中、色々と貴重なお話をして下さったうえ、これまた貴重な遺物を下さった酒屋のご主人、奥様にこの場を借りてお礼申し上げます。
その節はありがとうございました。


C 倉庫
小売業の方ならお馴染み、清掃用品で有名な早川工業㈱由良工場に遺る木造建物で、作業場として使用されています。
かく言う僕も前職で非常にお世話になった取引先様です。
周囲は建物・小学校敷地が近接しており残念ながら見通しは効きません。
紀伊防備隊 C 南西から(和歌山)
▲南西から
 唯一綺麗に撮影ができる角度です。

紀伊防備隊 C 北西から(和歌山)
▲北西からは全体が見えますが、樹木と網が邪魔です。

内部は丸太をそのまま使用した和小屋組で、御案内して下さった工場長、古くから住む近所の方の話では紀伊防備隊時代の建物だそうです。
当時の詳細な用途は不明です。


D 倉庫
同じく早川工業㈱由良工場に遺る木造建物で、C 倉庫に隣接し、戦後に西側、北側が増築され倉庫として使用されています。
紀伊防備隊 D 南西から(和歌山)
▲南西から

Cと同様の造りで、同じく紀伊防備隊時代の建物だそうです。
紀伊防備隊 D 内部 西から(和歌山)
▲内部は柱が建てられています。

紀伊防備隊 D 内部 西から (2)(和歌山)
▲屋根は材木が直角に交わる和小屋組で、梁も製材されていない丸太のままです。

同じく当時の詳細な用途は不明です。

紀伊防備隊 D西側に接続する建物(和歌山)
▲D 倉庫西側には外壁の材質が似た怪しい古い建物がありますが、当時の物か不明です。


ケ 塀 基礎 ・ 水路
早川工業㈱由良工場南側にある更地中央を水路とともに横断して遺ります。
紀伊防備隊 ケ 塀基礎、23 境界石標(前)・24 境界石標(奥)(和歌山)
▲水路にそって鍵型に曲がる塀の基礎と下掲の境界石標23と24

紀伊防備隊 23境界石標西側の側溝(和歌山)
▲海軍用地南側にあった水路(左)と塀の基礎(右)


23 境界石標(NO23)
更地の西端、ケ 塀 基礎に沿って建てられています。
紀伊防備隊 23 境界石標(NO23) (2)(和歌山)
▲正面側はコンクリートの舗装で見えにくくなっています。

紀伊防備隊 23 境界石標(NO23)(和歌山)
▲裏面にはNO23の刻字があります。


24 境界石標(NO24)
同じく更地の西端、23のすぐ北側にあります。
紀伊防備隊 24 境界石標(NO24) (2)(和歌山)
▲埋まっていたので掘り返してみました。

紀伊防備隊 24 境界石標(NO24)(和歌山)
▲裏面にはNO24の刻字があります。


サ 基礎
民家の裏に遺りますが、詳細は不明(遺構かどうかも不明)です。
煉瓦躯体、モルタル塗りの囲いで、内部に井戸があります。
紀伊防備隊 サ 基礎 南西から(和歌山)


シ 塀 基礎
民家の敷地内に遺ります。
外側の境界にはブロック塀が建てられています。
紀伊防備隊 シ 塀基礎 北東から(和歌山)


ス 紀伊防備隊跡 碑
昭和54年11月、紀伊防会により由良町役場東端(紀伊防備隊正門付近)に建立されました。
紀伊防備隊 ス 紀伊防備隊跡(和歌山)
▲生垣内にひっそりと建つ跡碑

紀伊防備隊 ス南側の隊門跡(和歌山)
▲現在の紀伊防備隊正門跡
 紀伊防備隊跡碑の南側道路に正門がありました。


展開部隊
紀伊防備隊
昭和14(1939)年11月1日、和歌山縣日高郡由良村(現、由良町)において紀伊防備隊が開隊します。
紀伊防備隊は呉鎭守府司令長官麾下に編入、海面防備部隊に部署され、友ヶ島・日御崎・伊島各防備衛所、潮岬・室戸崎両特設見張所、第五十一・五十二・五十三號驅潜艇、第八・第九日東丸、第五日正丸、一・二號曳船、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸を指揮下に潮岬-室戸岬の線以北、友ヶ島以南のうち日御崎-伊島以北:第一哨区、同以南~東経134度55分以西:第三哨区(第三哨区以東の第二哨区は第三十二掃海隊担当)の防備、海上交通保護、敵艦船の撃破、見張警戒、外戦部隊の作戦協力を任務としました。

昭和16(1941)年9月1日、大本營海軍部より『昭和十六年度帝國海軍戰時編制』が発令され、各鎭守府、要港部部隊の内戦部隊に対し本土防衛、本土近海の海上護衛、外戦部隊の策源地としての諸準備が、同日、聯合艦隊司令部より臨戦準備が下令されます。

11月20日、阪神海軍部から改編(十一月十二日 軍令海第二十一號)された大阪警備府(小林仁中将)に隷属転移します。

12月8日、大東亜戦争が開戦、『海軍省告示第三十八號』により防御海面が告示され、紀伊防備隊は市江崎灯台-網代崎の線以北、鳴門海峡(門崎-孫崎の線)及び黒崎-宮崎鼻の線以南の海面防御を担当します。

同日、大本營海軍部は大阪警備府司令長官に対し紀伊水道に普通機雷の敷設を下令、13日、紀伊防備隊は友ヶ島灯台南西5kmに九二式機雷3個群連(第四、第五、第六群連)を敷設、31日、紀伊水道一番機雷堰として五號機雷改一630個を敷設します。

昭和17(1942)年1月1日、二・三・四番機雷堰として五號機雷改一870個を敷設、20日、友ヶ島灯台南西5kmに九二式機雷3個群連(第一、第二、第三群連)を敷設します。

4月18日、九二式機雷第五、第六群連の感度が微弱になったため、一號曳船は佐伯防備隊指揮下の敷設艇「黒神」、同「片島」、特設捕獲網艇「檜丸」とともに第五、第六群連を更新敷設(29日完了)します。

5月2日、梶取崎沖において宇山丸が米潜トラウトの雷撃により沈没する等、敵潜水艦による被害が出始めたため、3日、大阪警備府は水上機による対潜哨戒を強化、20日、大本營海軍部は大阪警備府海面防備部隊に敷設艇「成生」、水雷艇「千鳥」、同「真鶴」を編入し対潜掃討戦力を強化するとともに、大阪警備府の防御海面を潮岬-室戸岬の線より太平洋に30浬拡大します。

22日、市江崎沖において第五十三駆潜特務艇(昭和15年11月15日、駆潜艇から艦種変更)は第三十二掃海隊と共同で敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。
6月3日、市江崎沖において真鶴、成生、特掃第三高島丸が敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。
7月14~16日、潮岬沖において成生、千鳥、真鶴、第五十二・五十三駆特、第八日東丸、第二・第三鮮友丸、第二・第三高島丸、第三江口丸、第一・三・四・五號掃海艇が敵潜掃討にあたります。

7月15日、紀伊水道の機雷堰の浮流、自爆が増加したため、第一掃海隊(佐世保)、敷設艇「沙美」、同「夏島」が大阪警備府指揮下に編入され、8月1日、機雷の深深度掃海、処分を開始、23日、作業完了、9月、大阪警備府により機雷1650個を敷設し、機雷堰の更新が完了します。

8月21、22日、樫野崎沖において千鳥、真鶴、成生、第五十二・五十三駆特、第二高島丸、第一・三・四・五號掃海艇が舞鶴空とともに敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。
10月6~8日、市江崎沖において千鳥、第五十二駆特、第九日東丸、第三高島丸は舞鶴空とともに敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。

22日、舞鶴鎭守府籍の敷設艇「新井崎」が大阪警備府の指揮下に編入されます。

25日、敵潜が切目崎沖に20個以上の機雷を敷設したため、31日まで掃海にあたります。
30日、市江崎沖において成生が雷撃を受けますが被害は無く、対潜掃討にあたります。

昭和18(1943)年1月14・15日、潮岬西方沖において千鳥、成生、第九日東丸、阿津丸、第三高島丸、第三鮮友丸、榊丸は敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。

7月、日本海にも敵潜が侵入して来たため、7日、成生、新井崎は舞鶴鎭守府に復帰します。

10月1日、瀬戸崎防備衛所の、11月1日、阿波大島防備衛所の運用を開始します。

12月22日、熊野灘方面において伊勢防備隊に協力し敵潜掃討にあたります。

昭和19(1944)年3月7日、大阪警備府参謀長・松崎彰少将は太地漁業組合長に対し『機密第四三號ノ一一』を示達、出漁時期に捕鯨船に爆雷を搭載、対潜掃討協力を依頼、捕鯨船8隻が対潜掃討に参加します。

5月10日、海防艦第三十號が紀伊防備隊の指揮下に編入されます。

6月、紀伊防備隊本隊防空のため紺源山に北山防空砲臺、笠松山(お禿山)に里山防空砲臺を設営します。

7月3日、大阪警備府司令長官・大野一郎中将より麾下部隊に対し「防空應急措置標準所定ノ被害局限對策」(機密大阪警備府命令第一五一號)が示達され、防備隊では弾薬、爆弾、燃料、指揮所、通信施設等の防護、糧食の分散格納を行うべく笠松山、及び阿戸地区南側の山沿に戦闘指揮所、弾薬庫、横穴式格納壕(33基)を設営します。

8月、笠松山に笠松山防空砲臺を設営します。

8月25日、熊野灘において特掃第十八播州丸、駆潜第十四號は串本空と共同で敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。

9月1日、淡路由良・淡路阿萬・加太深山各海面砲臺、舟艇襲撃隊(後の伏龍)、磁気掃海隊が編成され、田邊・浦神佛岬両連絡基地、宇久井・周参見・和深・古座・白崎・塩屋・相川・沼島・椿泊・新宮・勝浦・梶取崎各機雷監視所の運用を開始します。

9月3・4日、特掃榊丸、第二鮮友丸、特駆第八日東丸は串本空と共同で敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。
15日、潮岬西方沖において掃第二十七號、掃特第二十二號、特設監視艇第三正丸は敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。

10月1日、阿波大島特設見張所、11月1日、江須崎特設見張所、12月1日、市江崎各特設見張所の運用を開始します。

11月28日、紀伊防備隊司令・竹崎武雄大佐は麾下・指揮下各艦艇に、横須賀海軍工廠で建造中の空母「信濃」が最終艤装のため呉海軍工廠に向かう航路付近の海面防備強化を下令します。
信濃
▲空母「信濃」(写真は昭和19年11月11日、東京湾で公試中のもの)
 信濃は大和型戦艦の三番艦でしたが、空母不足を補うべく途中から空母に改装されました。

29日0316、浜名湖南方洋上において信濃が敵潜の雷撃を受けたため、1258、大阪警備府司令長官・岡新中将は麾下・指揮下部隊に信濃の曳航作業の援助を伝えますが、信濃が沈没してしまったため、1335、曳航は取り消されます。

昭和20(1945)年1月1日、樫野崎特設見張所の運用を開始します。
2月24・25日、海防五十號(第三海上護衛隊:串本)、掃特第二十二號は第三海上護衛隊麾下の紀州部隊、熊野灘部隊、九〇三空串本派遣隊、同濱島派遣隊と共同で敵潜掃討にあたり、撃沈確実を報告します。

4月15日、第三海上護衛隊(中邑元司少将、鳥羽)は第四特攻戰隊に改編され、麾下の紀州部隊(串本)が新宮-市江崎間の海上交通保護、対潜対空警戒にあたりますが、28日、紀州部隊は復帰、紀伊防備隊に任務が引き継がれます。

5月1日、海防艦第百九十號が紀伊防備隊に編入されます。
同日、見老津沖において海防第五十號が敵潜の雷撃を受け大破してしまいますが以降、紀伊水道付近での敵潜による被害は皆無となります。

6日、近畿防衛を主管する中部軍管區司令部(内山英太郎中将)、舞鶴鎭守府司令部(田結譲中将)、大阪警備府司令部(岡新中将)の陸海軍が起案、近畿地方行政協議會が承認した『近畿地方總力交戰準備要綱』により、近畿地方は5地区の防衛地帯に区分、南岸防衛地帯(和歌山県の大半、淡路島、大阪府の一部、三重県の一部)を最重点とし、戦力を結集する事が決定します。

6月1日、第六特攻戰隊司令部(横井忠雄少将:田邊海兵團長兼務)が田邊海兵團内に設置され、紀伊防備隊、及び海防艦第三十・百九十號は第六特攻戰隊司令部麾下に編入されます。

7月11日、近畿防衛を担当する第百四十四師團(高野直滿中将)の新防衛体制に基づく軍隊区分が下令され、紀伊防備隊は紀北地区(岩代以北)において陸軍の作戦に協力する事になります。

28日0830、敵艦載機80機が由良港に来襲、宮の鼻海岸に停泊中の海防艦第三十號は対空戦闘を実施、第一波は至近弾多数を受けるも損害はありませんでしたが、1000、第二波で艦橋付近に小型爆弾4発を被弾、艦長・楠見直俊中佐散華、直後に火災発生、1730、浸水により沈没、66名が散華してしまいます。
紀伊防備隊 海防艦第三十號沈没海域(和歌山)
▲海防艦第三十號沈没海域(正面奥が紀伊防備隊跡)

紀伊防備隊 紀伊防備隊鎮魂碑、海防艦戦死者供養塔(和歌山)
▲海防艦第三十號沈没海域を望む位置に建つ紀伊防備隊鎮魂碑、海防艦戦死者供養塔

紀伊防備隊には特攻基地配属前の震洋隊員、伏龍隊員(大井の浜に訓練所)が進出し錬成を開始するなど決號作戰(本土決戦)の準備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『太平洋戦争と和歌山県』 (平成3年11月 川合功一 MBC21)

『由良町誌 通史編 上巻 ・下巻』 (平成3年・平成7年11月 由良町誌編集委員会 由良町)

『紀伊防備隊 戦時日誌 戦闘詳報』

『海上自衛隊阪神基地由良基地分遣隊 リーフレット』
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
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