紀伊防備隊 営外宿舎
和歌山県日高郡由良町里に紀伊防備隊の営外宿舎がありました。

▲紺源山から見た営外宿舎(オレンジ屋根北側の一画)
【探索日時】
平成26年3月4日

<遺構について>※青字は地図にリンクしています
紀伊防備隊の営外宿舎に関しては後述する笠松山水源地の説明に「紀伊防備隊と官舎へ給水を行う浄水タンク・・・」の記述があるのみで、場所、規模、設営時期等情報が全くなかったため、国遷アーカイブの空撮を頼りに位置を特定、現地調査、取材で裏付けを取りました。

▲昭和22年10月4日の営外宿舎跡
国土変遷アーカイブ(NI-53-16-13)より
空撮を見ると主道路北側に大型戸建が3棟(中級将校用?)、道路南側西に2戸1棟が10棟(下士官用?)、同東に戸建が4棟(下級将校用?)、外周に沿ってその他4棟がある様に見えます。

建設時期については、昭和12(1937)年から昭和14(1939)年頃、紀伊防備隊の開隊に合わせて設営されたと思われますが、詳細は不明です。
大東亜戦争停戦に伴い大蔵省に移管されたと思われますが、以降の経緯も同じく不明です。
現在、2戸1棟が完存4棟、半分残存2戸、その他2棟が遺っていますが、殆どの建物が増改築されており状態(現在住むのに適した状態では無く、当時のままの状態)は余り良くありません。

▲オレンジ色が現存建物
あ 建物
宿舎地区の北東隅にあり、宿舎以外の建物の様です。
全面にトタン波板が貼られていますが、元の残存状態は良い方です。

い 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増築されているうえ、周囲に塀が作られているため見通しが効きません。

う 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増改築に加え官舎特有の細い路地のため、これまた見通しがききません。

え 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増改築により建物外観に何となく面影が遺る程度です。

お 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
外壁は鋼板、屋根もスレートに葺替えられています。

か 建物
宿舎よりやや大きい建物2棟(浴場?集会所?酒保?)のうちの1棟の片側が遺ります。
増改築に加え官舎特有の細い路地のため、これまた見通しがききません。

き 宿舎
2戸1棟の片方が遺ります。
全面にトタン波板が貼られていますが、元の残存状態は良い方です。

く 宿舎
2戸1棟の片方が遺ります。
かなり改築されています。

け 宿舎
当該建物は唯一他の建物と向きが異なり、独立して建てられています。
最も当時のままの形で遺る建物です。
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▲紺源山から見た営外宿舎(オレンジ屋根北側の一画)
【探索日時】
平成26年3月4日


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紀伊防備隊の営外宿舎に関しては後述する笠松山水源地の説明に「紀伊防備隊と官舎へ給水を行う浄水タンク・・・」の記述があるのみで、場所、規模、設営時期等情報が全くなかったため、国遷アーカイブの空撮を頼りに位置を特定、現地調査、取材で裏付けを取りました。

▲昭和22年10月4日の営外宿舎跡
国土変遷アーカイブ(NI-53-16-13)より
空撮を見ると主道路北側に大型戸建が3棟(中級将校用?)、道路南側西に2戸1棟が10棟(下士官用?)、同東に戸建が4棟(下級将校用?)、外周に沿ってその他4棟がある様に見えます。

建設時期については、昭和12(1937)年から昭和14(1939)年頃、紀伊防備隊の開隊に合わせて設営されたと思われますが、詳細は不明です。
大東亜戦争停戦に伴い大蔵省に移管されたと思われますが、以降の経緯も同じく不明です。
現在、2戸1棟が完存4棟、半分残存2戸、その他2棟が遺っていますが、殆どの建物が増改築されており状態(現在住むのに適した状態では無く、当時のままの状態)は余り良くありません。

▲オレンジ色が現存建物
あ 建物
宿舎地区の北東隅にあり、宿舎以外の建物の様です。
全面にトタン波板が貼られていますが、元の残存状態は良い方です。

い 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増築されているうえ、周囲に塀が作られているため見通しが効きません。

う 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増改築に加え官舎特有の細い路地のため、これまた見通しがききません。

え 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
増改築により建物外観に何となく面影が遺る程度です。

お 宿舎
2戸1棟の両方が遺ります。
外壁は鋼板、屋根もスレートに葺替えられています。

か 建物
宿舎よりやや大きい建物2棟(浴場?集会所?酒保?)のうちの1棟の片側が遺ります。
増改築に加え官舎特有の細い路地のため、これまた見通しがききません。

き 宿舎
2戸1棟の片方が遺ります。
全面にトタン波板が貼られていますが、元の残存状態は良い方です。

く 宿舎
2戸1棟の片方が遺ります。
かなり改築されています。

け 宿舎
当該建物は唯一他の建物と向きが異なり、独立して建てられています。
最も当時のままの形で遺る建物です。

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