当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

紀伊防備隊 笠松山水源地

和歌山県日高郡由良町に所在する海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊の南側にある笠松山(通称「お禿山」)中腹に紀伊防備隊笠松山水源地がありました。
紀伊防備隊 笠松山水源地 セ 貯水槽 南東か(和歌山)
▲笠松山中腹に遺る貯水槽

【探索日時】
平成26年2月18日






紀伊防備隊 施設配置
紀伊防備隊 横穴式格納庫  紀伊防備隊(全体) 現在(和歌山)
▲現在の地図に現存施設・境界を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
① 紀伊防備隊 本隊
② 紀伊防備隊 営外宿舎
③ 山弾薬庫
④ 笠松山水源地
⑤ 笠松山防空砲臺
⑥ 里山防空砲臺
⑦ 北山防空砲臺

遺構について※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
④ 笠松山水源地
昭和12(1937)年7月26日、海軍省より呉鎭守府司令長官に対し紀伊防備隊新設が発令され、10月26日、起工式を挙行し工事を開始、昭和14(1939)年11月1日、紀伊防備隊が開隊します。

水源地についての資料が無く詳細は不明ですが、紀伊防備隊開隊に合わせ施工されたと思われます。
戦後、水源地は由良町に移管され、現在も現役で使用されている様です。

笠松山水源地への行き方は「海上自衛隊前」交差点から東に20m程の路肩が広くなった場所の擁壁の切れ目(「津波避難所」の表示がある)から、階段を登ります。
すぐ右手に民間墓地があり、その先に避難所まで登る階段があります。

24 境界石標(NO24) ※遺構の位置は上掲地図参照
階段を登り出したすぐの右側に抜けて転がっており、階段整備に伴い抜かれてしまった様です。
紀伊防備隊本隊にも同じ番号の境界石標がある事から、水源地は独立した境界石標が建てられていた様です。
紀伊防備隊 笠松山水源地 24 境界石標(NO24) (2)(和歌山)
▲破棄されかねないので、立てておきました。

紀伊防備隊 笠松山水源地 24 境界石標(NO24)(和歌山)
▲裏面にはNO24の刻字がありますが、頂部に方向表示はありません。


8 境界石標(NO8)
階段をしばらく登った左側にあります。
紀伊防備隊 笠松山水源地 8 境界石標(NO8)(和歌山)
▲これも抜かれて転がっていたので立てておきました。
 斜面にあった境界石標は階段整備に伴い軒並み抜かれてしまっています。

紀伊防備隊 笠松山水源地 8 境界石標(NO8) (2)(和歌山)
▲裏面にはNO8の刻字があります。


22 境界石標(NO22)
上記NO8の辺りから階段を外れ左側の斜面(上掲地図のピンク色線)を登った途中に抜かれて転がっています。
周辺の地形から、元々の水源地に上がる道はこちらだった様です。
紀伊防備隊 笠松山水源地 22 境界石標(NO22)(和歌山)
▲自重で埋まることを信じて立てておきました。

紀伊防備隊 笠松山水源地 22 境界石標(NO22) (2)(和歌山)
▲裏面にはNO22の刻字があります。


11 境界石標(NO11)
津波避難所の階段は途切れ、水源地までの斜面を登った場所にあります。
殆ど埋まっており、頂部しか見えません。
紀伊防備隊 笠松山水源地 11 境界石標(NO11)(和歌山)
▲水源地の境界石標は全て頂部に方向表示がありません。

紀伊防備隊 笠松山水源地 11 境界石標(NO11) (2)(和歌山)
▲掘って見るとNO11の刻字がありました。


12 境界石標(NO12)
NO11のすぐ上にあり、コンクリートで固定されています。
紀伊防備隊 笠松山水源地 12 境界石標(NO12)(和歌山)
▲11、12、20の境界石標は現在も現役で使用されている様です。

紀伊防備隊 笠松山水源地 12 境界石標(NO12) (2)(和歌山)
▲裏面にはNO12の刻字があります。


20 境界石標(NO20)
NO12の横にあります。
水源地の境界石標の並びを見ると登り口右側から貯水槽を反時計回りに進み、登り口左側に戻る様に並んでいたと思われます。
紀伊防備隊 笠松山水源地 20 境界石標(NO20)(和歌山)

紀伊防備隊 笠松山水源地 20 境界石標(NO20) (2)(和歌山)
▲裏面にはNO20の刻字があります。

笠松山水源地の境界石標に関しては津波避難所の階段工事によりかなりの数が破棄されてしまったと思われ、今回見付けた以外にもまだ遺されている可能性があります。

削平地まで登り切ると当時の石組階段が現れます。
紀伊防備隊 笠松山水源地 セ 貯水槽北西側の階段 北から(和歌山)


セ 貯水槽
海軍時代は一般的な軍貯水池同様に貯水槽の上に木造建屋があったと思われますが現在、上面はコンクリートで覆われ配水設備が造られています。
紀伊防備隊 笠松山水源地 セ 貯水槽 南東から(和歌山)
▲貯水槽は周辺は雑草で覆われており、見通しが効きません。
 貯水槽上に見える建物は戦後に造られた配水施設です。

紀伊防備隊 笠松山水源地 セ 貯水槽 南東隅の基礎 南東から(和歌山)
▲貯水槽四隅と両側面には木造建屋の基礎と思しき構造物が遺っています。

紀伊防備隊 笠松山水源地 セ 貯水槽北西隅の基礎 北西から(和歌山)
▲基礎の近影
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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