当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

紀伊防備隊 笠松山防空砲臺

和歌山県日高郡由良町に所在する海上自衛隊・阪神基地由良基地分遣隊の南側にある笠松山(通称「お禿山」)中腹に紀伊防備隊防空のための笠松山防空砲臺がありました。
紀伊防備隊 笠松山砲台 A 砲座 東から(和歌山)
▲笠松山防空砲臺 高射砲座

【探索日時】
平成26年3月4日





紀伊防備隊 施設配置
紀伊防備隊 横穴式格納庫  紀伊防備隊(全体) 現在(和歌山)
▲現在の地図に現存施設・境界を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
① 紀伊防備隊 本隊
② 紀伊防備隊 営外宿舎
③ 山弾薬庫
④ 笠松山水源地
⑤ 笠松山防空砲臺
⑥ 里山防空砲臺
⑦ 北山防空砲臺


紀伊防備隊の防空砲台について
※青字は地図にリンクしています
昭和12(1937)年7月26日、海軍省より呉鎭守府司令長官に対し紀伊防備隊新設が発令され、10月26日、起工式を挙行し工事を開始、昭和14(1939)年11月1日、紀伊防備隊が開隊します。

昭和19(1944)年6月、紀伊防備隊防空のため里山、北山両防空砲臺、8月、笠松山、高見山両防空砲臺が新設されます。
なお、設営時期について『由良市誌』には「昭和十八年五月、高射砲陣地、紺源山山頂に配備」とあり、他の防空砲台の記述はありません。

紀伊防備隊本隊の防空砲台について『紀伊防備隊 戦時日誌』、『紀伊防備隊 砲台』(引渡目録)等、一次史料には笠松山(本記事)、里山上掲地図⑥:後述)、北山同⑦:後述)、蟻島高見山が記載されています。

一方、『由良要塞Ⅱ』所収の「紀伊防備隊本部周辺の防空施設等について」(元ネタは『由良町の文化財26』)によると砲台(監視哨との表現あり)は、笠松山お禿山(里山)、北山紺源山阿戸地区の海岸蟻島にあったと記載されています。
後者では北山(“防備隊北側の山”の意で「北山」。正式な山名は「紺源山」)に監視哨紺源山に砲台とし、同一山上の施設を別々の施設として数えています。

里山(お禿山)、北山(紺源山)防空砲臺についていは後日、詳細を掲載します。


遺構について
⑤ 笠松山防空砲臺
笠松山防空砲臺は笠松山水源地から北西に伸びる尾根筋を進んだ、紀伊防備隊が直下に見渡せる場所にあります。
(笠松山水源地への行き方は前記事「紀伊防備隊 笠松山水源地」を参照)

笠松山防空砲臺については「笠松山にあった」程度の情報しか無かったため、地図を見ながら「自分ならここに設営するだろう」と目星を付け第二候補地で行き着きました。
恐らく下記遺構が笠松山防空砲臺と思われます。
因みに第一候補は水源地南東側のみかん畑、第三候補地は水源地北側の竹藪でした(ともに砲台を設営できる程の地積が無いうえ射界が紀伊防備隊本隊から外れる)。

紀伊防備隊 笠松山砲台 笠松山砲台(和歌山)
▲笠松山防空砲臺 見取図
(下記アルファベットの遺構配置は上掲地図参照)

A 砲座
直径650cmあり、北山及び里山の砲座(350~400cm)より大きく、高射砲の砲座と思われます。
『紀伊防備隊 武器目録』によると、紀伊防備隊には野戦高射砲(八八式七糎野戦高射砲?)が4門あった様で、前出『由良要塞Ⅱ』には「阿戸地区海岸に3門備砲」との記述があり、残り1門を紺源山と推定していますが、現地踏査の結果から残りの1門は笠松山に備砲されていたと思われます。
紀伊防備隊 笠松山砲台 A 砲座 東から(和歌山)
▲東から
 かなり崩れており、余り状態は良くありません。

紀伊防備隊 笠松山砲台 A 砲座 北西から(和歌山)
▲北西から
 斜面を円形に掘り下げ、斜面下側に土堤を築き砲座を形成しています。
 手前の四角い部分がb砲側弾薬置場と思われます。
 左はMに抜ける開口部です。

紀伊防備隊 笠松山砲台 A 砲座北西開口部 砲座内部から(和歌山)
▲砲座内部からMに抜ける開口部

a 砲側弾薬置場
と思われる掘り込みがあります。
紀伊防備隊 笠松山砲台 Ab 砲側弾薬置場 北から(和歌山)
▲特にコンクリートで固められるでも無く、掘り込んであるだけです。

紀伊防備隊 笠松山砲台 A 砲座からBCDに上がる通路(和歌山)
▲砲座北端(a付近)から上部にあるB・C・Dに上がる通路


I 削平地
砲座東側に土堤は無く、削平地になっています。


B 円形掩体
B・C・Dは通路で連結しており、高射装置や指揮所があったと思われます。
Bは斜面を円形に掘り下げ、斜面下側に土堤を築き掩体を形成しています。
紀伊防備隊 笠松山砲台 B 円形陣地 南西から(和歌山)
▲南西から


C 半円形掩体
Dの真下にあり、三日月形の土堤を築き掩体を形成しています。
紀伊防備隊 笠松山砲台 C 半円陣地 西から(和歌山)
▲西から
 余り見たこと無い設備です。


D 方形掩体
Bの横に並んであります。
斜面を方形に掘り下げ、斜面下側に土堤を築き掩体を形成しています。
紀伊防備隊 笠松山砲台 D 方形陣地 東から(和歌山)
▲東から


F 円形窪地
B・C・Dの斜面上にあります。
紀伊防備隊 笠松山砲台 F 円形窪地 東から(和歌山)
▲樹木が固まっている場所が円形窪地


J 通路
B・C・DからA砲座を経由し、Eの地下壕崩落跡の上に出ます。


E 地下壕跡
地下壕の崩落跡と思われる掘り込みがあります。
紀伊防備隊 笠松山砲台 E 地下壕跡 北から(和歌山)
▲北から


G 削平地
水源地から砲台に向かう小道の脇にあり、2ヶ所の通路があります。
紀伊防備隊 笠松山砲台 G 削平地 西から(和歌山)
▲左上が通路

紀伊防備隊 笠松山砲台 G 削平地北側の軍道 西から(和歌山)
▲水源地から砲座に続く通路


H 削平地
砲座からMの崖まで伸びる通路を経て切返してH削平地下りれます。
紀伊防備隊 笠松山砲台 H 削平地 北西から(和歌山)
▲北西から

d 通路
e 通路
H削平地から下段に下りる通路が2ヶ所あります。
戦後に造られた畑跡の痕跡かも知れません。
紀伊防備隊 笠松山砲台 e 開口部 東から(和歌山)


K 削平地
L 削平地
B・C・DとA砲座の間に段々にあります。
これまた畑跡かも知れません。


M 崖際
A砲座から真っ直ぐ進むと見開けます。
紀伊防備隊 笠松山砲台 M から紀伊防備隊(和歌山)
▲Mから見た紀伊防備隊跡(海自・由良基地分遣隊)と由良湾口


N 方形窪地
水源地から里山砲台に登る尾根線脇にあり、笠松山砲台とは関係ないかも知れません。
紀伊防備隊 笠松山砲台 H 方形窪地 東から(和歌山)
▲東から


主要参考文献
『紀伊防備隊 戦時日誌 自昭和十九年六月一日 至六月三十日』 (紀伊防備隊)

『紀伊防備隊 戦時日誌 自昭和十九年七月一日 至七月三十一日』 (紀伊防備隊)

『紀伊防備隊 武器目録』 (紀伊防備隊)

『由良要塞Ⅱ 「紀伊防備隊本部周辺の防空施設等について」』 (平成22年4月 近代築城遺跡研究会)

『由良町誌 通史編 上巻』 (平成3年 由良町誌編集委員会 由良町)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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