当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二十二突撃隊 白崎特攻基地

和歌山県屈指の景勝地「白崎海洋公園」に第二十二突撃隊管下の白崎特攻基地がありました。
白崎特攻基地 白崎基地遠景 南東から(和歌山)
▲白崎特攻基地のあった白崎海洋公園
 (右端に見えるトンネルが回天格納壕)

【探索日時】
平成22年3月12日、平成26年2月18日





名称について
白崎については一次史料に基地としての記載が無く停戦後、近畿地方の各海軍施設を連合軍に引き渡す際に作成された『近畿地区施設一覧(附青図)』にも当地は「紀伊防備隊 白崎倉庫」の記述しかありません。
他の特攻基地は未成にもかかわらず記載があり、基地施設の設営もかなり進捗し、第十六回天隊の配備も決定していた当地が単なる「倉庫」と言うのも謎です。
拙ブログでは他の基地にならい「白崎特攻基地」とさせて頂きます。


遺構について ※青字は地図にリンクしています
白崎特攻基地
明治20(1887)年代、白崎村の坂本倉太郎氏が石灰石の採掘を開始、さらに明治28(1895)年頃、同村の有志により手繰り穿孔、黒色火薬を用いた採石が行われます。
明治41(1908)年、東亞セメントが10,000円で50年間の採掘権を購入、当初は大阪の青木組に採石を委託していましたが、大正12(1923)年、会社直営とし、大正15(1926)年、白崎村の元採掘者・大引七人組に再び委託します。
昭和10(1935)年、東亞セメントは採掘権を淺野セメント㈱に売却、近代的な採掘が開始されます。

昭和14(1939)年11月1日、由良村(現、由良町)に紀伊防備隊が開隊します。
その後(時期不明。昭和19年7月3日、大阪警備府司令長官からの「防空應急措置標準所定ノ被害局限對策」発令後か?)、石灰石採掘の坑道を転用し、紀伊防備隊白崎倉庫が設置されます。

昭和20(1945)年4月15日、決號作戰(本土決戦)に向け紀伊水道に侵攻してくる敵水上部隊を破砕すべく、大阪警備府麾下に第二十二突撃隊(阿部茂大佐、小勝島)が編成され小勝島(蛟龍)、椿泊(海龍)、平松(回天)、下津(震洋)、白崎(回天)、由良(震洋)、田邊(震洋)、勝浦(海龍)各特攻基地の開設、部隊受け入れにあたります。
※第二十二突撃隊本部所在地は多くの資料が水上機基地のあった「小松島」としていますが、正確には名称の似た「小勝島」です。

6月1日、第六特攻戰隊司令部(横井忠雄少将:田邊海兵團長兼務)が田邊海兵團内に設置され、紀伊防備隊、及び第二十二突撃隊は第六特攻戰隊司令部麾下に編入されます。

白崎特攻基地の設営時期については不明ですが、この頃に倉庫から転用、設営が開始されたと思われます。
基地設営は紀伊防備隊から60名、田邊海兵團等から200名が派遣され、7月21日時点での進捗状況は回天格納壕はほぼ完成(地均し、魚雷調整壕は完成間近、陸上軌条が敷設中、水中軌条は敷き始め)、地下兵舎は内装を実施中、基地要員は紀伊防備隊舟艇襲撃隊50名が配置、通信設備は皆無でした。

8月6日、第二十二突撃隊附第十六回天隊隊員(隊長:武永惟雄少尉、柴田文四郎、高山照夫、松場公平各一飛曹)が光突撃隊大津島分遣隊を退隊、9日、白崎に到着し大引の大阪屋旅館に逗留、回天の到着を待つなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦後、基地施設は淺野セメント㈱に返還され、昭和47(1972)年、白崎財産区との契約条項により閉山されます。
昭和33(1958)年7月、白崎海岸が和歌山県自然公園に指定、昭和46(1971)年6月、白崎海岸一帯が特別地域に設定され現在に至ります。

白崎特攻基地 『由良町誌』所収「白崎基地配置図」(和歌山)
▲白崎基地配置図 (『由良町誌』所収)

白崎特攻基地 白崎基地(和歌山)
▲現在の地図に遺構を転写

以下に白崎海洋公園に遺る遺構と思しき物を紹介しますが、当地は戦後もセメント会社による掘削が20年程行われているので、どの程度が基地遺構か不明です。

A 舟艇格納壕
位置、大きさからして上記配置図の舟艇格納壕と思われます。
内部は a ・ b ・ c ・ f に分岐しており、配置図と異なる事から、戦後の採掘により拡張された様です。
白崎特攻基地 A 壕口 (2)(和歌山)
▲A壕口 外から

白崎特攻基地 A 壕口(和歌山)
▲A壕口 内部
 公園化する際、嵩上げされた様です。

白崎特攻基地 A-a 壕口(和歌山)
a 坑は入口にコンクリート巻立が施工されていますが、内部は素堀です。

白崎特攻基地 A-a 内部(和歌山)
a 坑 内部

白崎特攻基地 A-b 奥から(和歌山)
b 坑は側面に櫓?があり、壕床に採石運搬用のローラーが遺る事から、戦後の採掘坑の様です。
  b 坑の壕口は崩落しています。

白崎特攻基地 A-b 突き当り(和歌山)
b 坑の最深部はコンクリートで閉鎖されています。

白崎特攻基地 A-bからc横坑(北側)(和歌山)
b 坑c 坑は横坑で繋がります。

白崎特攻基地 A-c 壕口(和歌山)
c 坑の壕口

白崎特攻基地 A-c 西側(和歌山)
c 坑は内部が部屋の様になっています。

白崎特攻基地 A-d 壕口(和歌山)
f 坑は天井が20m程あり、 戦後の採掘により削られていると思われます。
正面に見える d 壕口は採掘により天井付近にありますが、本来は2層目だったと思われます。
横坑が見える事から配置図にある居住用隧道と思われます。

白崎特攻基地 A-f 砕石場跡?(和歌山)
f 坑には採石設備が遺されています。

e 地下壕
埋められています。
白崎特攻基地 A-e dから(和歌山)
から繋がる e 内部

白崎特攻基地 A e壕口(和歌山)
e 壕口は埋められています。


B 地下壕
コンクリートの柵状になっており、壕口は石積みで閉鎖されています。
白崎特攻基地 B 壕口(和歌山)


C 地下壕
岩山の中腹にあり、コンクリートで閉鎖されています。
白崎特攻基地 C 西から(和歌山)


D 地下壕
岩山の中腹にあり、コンクリートで閉鎖されています。
位置からしてAに繋がっていると思われます。
白崎特攻基地 D 南から(和歌山)


A壕の北側にはコンクリート製の構造物が点在しますが、基地施設か不明です。
白崎特攻基地 ア 山上の基礎(和歌山)
▲コンクリート基礎 ア

白崎特攻基地 イ コンクリート製囲い(和歌山)
▲コンクリート構造物 イ

白崎特攻基地 エ 山上の基礎(和歌山)
▲コンクリート基礎 エ

白崎特攻基地 オ 石垣 北から(和歌山)
▲石積み オ


E・F 壕口
駐車場西端に岩山にありますが、基地施設か不明です。
白崎特攻基地 E・F 北東から(和歌山)


G 回天格納壕
位置的に配置図にある回天格納壕と思われます。
戦後の県道建設に伴い、トンネルに転用されています。
白崎特攻基地 G 北から(和歌山)
▲北から
 以前は素堀でしたが、現在は全面コンクリートで固められてしまい、ただのトンネルになってしまいました。

白崎特攻基地 G 内部(和歌山)
▲南から


g ・ h 魚雷調整壕
位置的に配置図にある調整場(魚雷調整壕)と思われます。
白崎特攻基地 G(g・h) 南西から(和歌山)


海軍水上特攻部隊
昭和19(1944)年6月20日、聯合艦隊はマリアナ沖海戦において壊滅的な損害を受け機動部隊は無力化、7月7日、我が国は絶対国防圏の要所・サイパン島、8月3日、テニアン島、11日、大宮島(グアム)を相次いで失陥してしまいます。

7月10日、甲標的の訓練にあたっていたP基地(広島)を改編し第一特別基地隊を編成、現行の甲標的に加え回天の研究、訓練、要員養成を開始します。

10月20日、米軍はフィリピン・レイテ島に上陸を開始、聯合艦隊は残存の戦艦を中心としたほぼ全艦艇を投入し、敵輸送船団の殲滅を企図しますが、直掩機が皆無のため、敵空母を数日間無力化すべく基地航空部隊による敵機動部隊攻撃を立案します。
しかし、劣勢の基地航空部隊は通常攻撃では最早戦果が見込めず、体当たり攻撃を採用します。

21日、我が国軍初の生還を期さない神風特別攻撃隊が出撃、連日敵空母に体当りを敢行し護衛空母1隻撃沈、4隻撃破の戦果を挙げますが、水上部隊が反転したため戦機は去ってしまいます。

昭和20(1945)年1月9日、米軍がルソン島に上陸を開始、20日、大本營は『帝國陸海軍作戰計畫大綱』を策定、主戦場が本土周辺に至るに及び全軍特攻化を決定します。
大本營海軍部は水上戦力が払底していたため、来るべき決號作戰(本土決戦)に向け航空特攻部隊とともに、次々に考案、制式採用される特殊兵器を用いた水上・水中特攻部隊の整備に着手、従前のその都度部隊の部署による特攻部隊の編成では無く、建制としての特攻隊、即ち34個突撃隊、及びそれを統率する9個特攻戰隊を逐次編成します。

突撃隊は敵上陸の可能性が最も高い九州方面を中心に太平洋沿岸部に管下の特攻基地を集中配置し、「蛟龍」、「海龍」、「回天」、「震洋」、魚雷艇」、「伏龍」を主な装備とし、敵水上部隊の接近とともに「蛟龍」、「海龍」、「魚雷艇」は反復、「回天」、「震洋」、「伏龍」は体当りを実施、敵部隊が着上陸するまでの沿岸において敵兵力斬減を主任務としました。
攻撃成功率は蛟龍が2/3、海龍・回天が1/3、震洋が1/10、特攻基地の10%が敵の事前攻撃により戦闘前に無力化されると算定されていました

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が渙発され、16日、本土決戦は回避されたため、各特攻戰隊、突撃隊は戦うこと無く停戦を迎えましたが、多くの特攻基地が未成でした。


主要参考文献
『由良町誌 通史編 上巻 ・下巻』 (平成3年・平成7年11月 由良町誌編集委員会 由良町)

『日本海軍潜水艦部隊の記録 鉄の棺 資料編4』 (平成17年5月 渡辺博史 ニュータイプ)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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