当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

由良特攻基地

和歌山県日高郡由良町神谷に由良特攻基地がありました。
由良特攻基地 G 震洋格納壕 壕口 (2)(和歌山)
▲斜面に遺る回天格納壕

【探索日時】
平成26年3月4日






遺構について ※青字は地図にリンクしています
由良特攻基地 (由良嵐基地)
昭和20(1945)年1月9日、米軍がルソン島に上陸を開始、20日、大本營は『帝國陸海軍作戰計畫大綱』を策定、主戦場が本土周辺に至るに及び全軍特攻化を決定します。
大本營海軍部は水上艦艇の戦力が払底していたため、来るべき決號作戰(本土決戦)に向け航空特攻部隊とともに、次々に考案・採用される特殊兵器を用いた水上・水中特攻部隊の整備に着手、従前のその都度部隊の部署による特攻部隊の編成では無く、建制としての特攻隊、即ち34個突撃隊(通称:嵐部隊)、及びそれを統率する9個特攻戰隊(同:楠部隊)を逐次編成します。

4月15日、紀伊水道に侵攻してくる敵水上部隊を破砕すべく、大阪警備府麾下に第二十二突撃隊(阿部茂大佐、小勝島)が編成され小勝島(蛟龍)、椿泊(海龍)、平松(回天)、下津(震洋)、白崎(回天)、由良(震洋)、田邊(震洋)、勝浦(海龍)各特攻基地の開設、部隊受け入れにあたります。
※第二十二突撃隊本部所在地は多くの資料が水上機基地のあった「小松島」としていますが、正確には名称の似た「小勝島」です。

由良特攻基地の設営時期については不明ですが、この頃設営が開始されたと思われます。
設営当初は震洋もしくは魚雷艇の配備を計画していましたが、途中から回天の配備に変更され且つ二十二突管下の和歌山側基地の中枢に位置付けられます。
基地設営は紀伊防備隊から400名が派遣され、7月21日時点での進捗状況は回天格納壕7本中5本が完成、2本が8月10日頃完成予定(陸上・海中軌条ともに未着手)、兵舎2棟完成、隧道式電信室・発電機室完成(受信機9、送信機6)、弾薬庫完成、基地要員は電信26、運用1、主計1、衛生1の計29名、他は兵器配備とともに編成予定でした。

現地で当時を知る3名の方(兵役適齢者1、当時子供の男性1、同女性1)に取材したところ以下の証言を得ることができました。
※( )内は僕の注釈
・設営は神子浜の海兵團(田邊海兵團)、及び豫科練生があたり、兵舎は完成していたものの格納壕は未完成で、退避壕として使用されていた。

・アオガエル(震洋)が50隻程、波止場に係留されており、紀伊防備隊との間を航行して訓練にあたっていた(当基地は回天配備に変更されていたので、近隣で震洋配備の田邊特攻基地の震洋か?証言通りなら震洋未配備のはずの田邊は部隊が発令され、進出していた事になる)。

・海軍は兵舎で宿泊し、陸軍が各民家に分宿しており、陸軍の炊事場が畑の真ん中にあり、よく残り物をもらった。

・停戦後、アオガエルは石を積んで自沈、しばらくは海面から見え子供の遊遊び場になっていた。

・防空砲台は無かった。


6月1日、第六特攻戰隊司令部(横井忠雄少将:田邊海兵團長兼務)が田邊海兵團内に設置され、紀伊防備隊、及び第二十二突撃隊は第六特攻戰隊司令部麾下に編入されます。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が渙発、16日、本土決戦は回避され、由良特攻基地は設営中に停戦を迎えました。

昭和58(1983)年12月、春本鐡工㈱の誘致、及び漁船避難港の併設のため、85,300㎡が埋め立てられ、また道路が新設され現在に至ります。

由良特攻基地 62 由良嵐基地(和歌山)
▲『近畿地区施設一覧(附青図)』所収の「62 由良嵐基地」
 英語名が「由良震洋基地」になっていますが、当図は所々誤記があります。

由良特攻基地 由良特攻基地 現在(和歌山)
▲現在の地図に施設を転写(赤:現存 青:崩落跡 緑:滅失 橙:不明

A 地下壕
資材置場の北側にある農道を進んだ突き当り、右上の一段上がった泥濘んだ耕作放棄地にあります。
由良特攻基地 B 震洋格納壕に通じる道(資材置き場北側)(和歌山)
▲この荒れた農道を適当に山際まで進みます。

地下壕Aは幅2.5×奥行13mあり、壕口はやや崩落、内部に不法投棄があり進入が困難ですが、状態は良好です。
他の壕より高い場所にあり、また小さい事から燃料庫と思われます。
由良特攻基地 A 格納壕 壕口(和歌山)
▲壕口

由良特攻基地 A 格納壕 内部(和歌山)
▲内部


B 格納壕
先述の農道を進んだ突き当り、最初に見える壕です。
幅3×奥行15mあり、壕口はやや崩落、内部に不法投棄があり進入が困難ですが、状態は良好です。
位置、配置図から以下も含め回天格納壕と思われます。
由良特攻基地 B 震洋格納壕 壕口(和歌山)
▲壕口

由良特攻基地 B 震洋格納壕 内部(和歌山)
▲内部


C 格納壕
格納壕Bから斜面を南に進んだ場所にあります(以下同じ)。
壕口は崩落し斜面上にあります。
由良特攻基地 C 震洋格納壕 壕口(和歌山)
▲壕口

由良特攻基地 C 震洋格納壕 内部(崩落して斜面)(和歌山)
▲内部


D 格納壕
全体が崩落し、斜面上に僅かに壕口がありますが入れません。
由良特攻基地 D 震洋格納壕(和歌山)
▲格納壕Dは崩落して溝状になっていますが、斜面を登ると

由良特攻基地 D 震洋格納壕 壕口(殆ど崩落)(和歌山)
▲小さい壕口の痕跡があります。


E 格納壕跡
崩落して溝状になっています。
由良特攻基地 E 震洋格納壕(和歌山)


F 格納壕跡
崩落して溝状になっています。
由良特攻基地 F 震洋格納壕 崩落跡(和歌山)


G 格納壕
格納壕Fから斜面移動するか、資材置場南側の通路を進んだ突き当りにあります。
由良特攻基地 G 震洋格納壕に通じる道(資材置き場南側)(和歌山)
▲この路地を進んだ先にあります。

格納壕Gは波の侵食で壕前部が削られていると思われ、幅3×奥行18mあります。
由良特攻基地 G 震洋格納壕 壕口(和歌山)
▲壕口

由良特攻基地 G 震洋格納壕 内部(和歌山)
▲内部

G・Hの前にはコンクリートの塊が転がっており、「配置図」に描かれている滑走台の残骸でしょうか?
由良特攻基地 G 震洋格納壕壕口前に転がるコンクリート片(滑走台の残骸?)(和歌山)


H 格納壕跡
崩落しているうえ、波の侵食で痕跡すら不明です。
由良特攻基地 H 震洋格納壕跡?(可能性高い)(和歌山)
▲崩落した跡???


I 送信室
道路から空家に上がる坂道の右側にある削平地にあります。
崩落しており南北とも溝状になっています。
由良特攻基地 I 北側崩落跡(和歌山)
▲北側の崩落跡はやや分かりにくいです。

由良特攻基地 I 南側崩落跡(和歌山)
▲南側は分かりやすいです。


J 地下壕跡
地下壕跡 I の隣にあり、崩落して溝状になっています。
由良特攻基地 J 崩落跡(和歌山)


K・L  地下壕跡
道路建設により擁壁で埋められ、完全に滅失しています。
近所の方によると、素堀の壕があったそうです。


M 発電機室
道路建設により完全に滅失しています。


N 指揮所・受信室
道路建設により完全に滅失しています。


主要参考文献
『由良町誌 通史編 上巻 ・下巻』 (平成3年・平成7年11月 由良町誌編集委員会 由良町)

『日本海軍潜水艦部隊の記録 鉄の棺 資料編4』 (平成17年5月 渡辺博史 ニュータイプ)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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