当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍練兵場

大阪府東大阪市に大阪陸軍練兵場がありました。
大阪陸軍練兵場 陸軍石標 西側(大阪)
▲民家の車除けに転用された境界石標

【探索日時】
平成22年12月18日、平成25年2月22日






遺構について※青字は地図にリンクしています。
大阪陸軍練兵場
昭和14(1939)年8月25日、大坂城東側にあり第四師團隷下の歩兵第八、同第三十七聯隊が使用していた城東陸軍練兵場を陸軍造兵廠大阪工廠の拡張に充当する事が決定、昭和15(1940)年1月14日、大阪陸軍飛行場の西隣に大阪陸軍練兵場が開場します。
大阪陸軍飛行場 昭和17年 大阪陸軍練兵場・同飛行場(大阪)
▲昭和17(1942)年の大阪陸軍練兵場(左側)、右側は大阪陸軍飛行場

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の煥発を受け、16日、停戦を迎えました。
9月29日、大阪に進駐した米軍により接収され、11月9日、『緊急開拓事業實施要領』が閣議決定、旧大阪陸軍練兵場が返還され農地として払下げられます。
現在は公共施設、商業施設、流通センター、工場、民家になっており、一部は区画すら無くなっています。
現存の遺構はほぼ皆無ですが、少し離れた民家前に境界石標が移設されています。
大阪陸軍飛行場 大阪陸軍飛行場 現在(大阪)
▲現在の地図に範囲を転写
①~⑥ 大阪陸軍飛行場
⑦ 大阪陸軍練兵場

「陸軍」境界石標
練兵場南西端から300m程離れた民家の車除けに境界石標が2本転用されています。
・・・が、実はこの境界石標が練兵場の物との裏付けが取れず、確証はありません。
境界石標を持った事がある方なら御存知と思いますが、見た目以上に重く、この場所から最も近い陸軍施設=大阪陸軍練兵場と言う事から願望の混じった想像です。
大阪陸軍練兵場 陸軍石標 西側 (2)(大阪)
▲1本目

大阪陸軍練兵場 陸軍石標 西側 (3)(大阪)
▲1本目頂部の方向表示
両方とも頂部に方向表示が刻まれていますが、片方向の矢印だけです。

大阪陸軍練兵場 陸軍石標 東側(大阪)
▲2本目

大阪陸軍練兵場 陸軍石標 東側 (2)(大阪)
▲2本目頂部

また、練兵場の遺構としては北西角外周の側溝が一部遺っている様です。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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