当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

善通寺偕行社

香川県善通寺市に善通寺偕行社がありました。

また善通寺駅東側に第十一師團長官舎、遊泉寺原に善通寺陸軍練兵場師團兵器部火薬庫、筆ノ山を挟んで西側に吉原陸軍射撃場がありました。
Q 偕行社 北西から(善通寺)
▲善通寺偕行社 本館

【探索日時】
平成20年1月2日、4月19日、平成24年4月20日





第十一師團関連諸施設配置
第十一師團 大正期(善通寺)
▲『最新善通寺市街圖』(大正末年頃)

第十一師團 大正11年11月『善通寺全景』 空撮(善通寺)
▲『善通寺全景』(大正11年11月空撮)

第十一師團 善通寺 昭和16頃(善通寺)
▲現在の地図に転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 第十一師團司令部
② 歩兵第十旅團司令部
③ 旧善通寺聯隊區司令部
④ 第十一師團経理部 被服庫
⑤ 第十一師團兵器部
⑥ 第十一師團 善通寺倉庫
⑦ 第十一師團 善通寺倉庫
⑧ 山砲兵第十一聯隊
⑨ 砲兵 露天馬場
⑩ 工兵第十一聯隊
⑪ 善通寺工兵作業場
⑫ 第十一師團経理部 糧秣倉庫
⑬ 騎兵第十一聯隊
⑭ 輜重兵第十一聯隊
⑮ 善通寺偕行社
⑯ 第十一師團長官舎
⑰ 善通寺陸軍練兵場
⑱ 第十一師團兵器部 火薬庫
⑲ 吉原陸軍射撃場

⑳ 善通寺陸軍病院
㉑ 善通寺陸軍病院 臨時第一分院
㉒ 善通寺憲兵隊
㉓ 善通寺憲兵分隊
㉔ 善通寺陸軍墓地
㉕ 善通寺歩兵作業場
㉖ 乃木神社
㉗ 香川縣護國神社
※名称は昭和12(1937)年頃


遺構について ※青字は地図にリンクしています
⑮ 善通寺偕行社
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定、6月9日、用地買収及び営舎建設工事が開始されます。
善通寺偕行社の着工時期は不明ですが、建物の建設は与北(よぎた)村(現、与北町)の大工・木村宗八棟梁が10,000円で請負い、明治36(1903)年5月10日に竣工しました。
明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)が勃発、激増する患者数に対応すべく偕行社本館も病室として転用されます。
11月26日、旅順要塞第三回総攻撃に際し陣頭指揮中に頭部を負傷した師團長・土屋光春中将も偕行社の臨時病室に入院します。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が煥発され、16日、停戦を迎えました。

27日、米第24歩兵師団情報視察団7名に続き、11月1・2日、師団の一部1,200名が善通寺に進駐し旧砲兵営に入り香川県下の軍事施設に分駐し、兵器、弾薬、糧食、被服等を接収します。
12月8日、米軍は少数を残置し高知に移駐、同師団対戦車隊が新たに進駐、12月末、米軍と交代し英第5旅団が旧騎兵営に進駐、偕行社本館は将校社交場に転用されます。
昭和22(1947)年3月10日、偕行社は善通寺町に住宅地として払い下げられます。
以降の経緯は不明ですが、善通寺偕行社は住宅地としては使用されなかった様で、昭和43(1968)年、構内北側に善通寺市役所が竣工し上吉田町から移転して来、現在は本館のみが現存し偕行社構内は善通寺市施設が多数建てられています。

国遷アーカイブにの空撮を追うと本館以外の玉突場・食堂・図書館・宿泊棟、炊事場棟、陳列所棟、倉庫棟、便所棟は昭和50(1975)年代に随時破壊されてしまった様です。
善通寺偕行社 平面図(善通寺)
▲善通寺偕行社 配置図(赤色の本館のみ現存)

本館は昭和22(1947)年5月、善通寺区検察局、昭和24(1949)年、香川県食料事務所仲多度支所、昭和25(1950)年、自衛隊クラブ「ドリームランド」、昭和29(1954)年、善通寺市役所、昭和44(1969)年、善通寺公民館、昭和55(1980)年、善通寺市立郷土館として使用されます。
平成13(2001年)年6月15日、本館は国重要文化財に指定され、12月、旧善通寺偕行社調査整備委員会(岡田恒男・東大名誉教授)が発足(後に旧善通寺偕行社整備検討委員会に改称)、復元工事の議論を開始、平成16(2004)年、復元工事を開始、平成19(2007)年、工事完工、創建当時の姿に復元されました。

善通寺偕行社ですが最初、及び2回目の訪問時は復元工事中で見学が叶わず、3度目で漸く見学する事ができました。
Q 偕行社 北東から(善通寺)
▲本館 正面側
  京都偕行社と同じ様な造りです。

Q 偕行社 北東から (2)(善通寺)
▲玄関周り近影

Q 偕行社 玄関 (5)(善通寺)
▲玄関
  玄関は常時閉鎖されており、隣接する偕行社かふぇから入ります。

Q 偕行社 南から(善通寺)
▲裏側

Q 偕行社 南から (2)(善通寺)
▲瓦は全体的に葺き替えられていますが、裏側の中央だけは
  当時のままの様です。

Q 偕行社 南側廊下床下(善通寺)
▲裏側の外廊下床下
  床下の木材は古材と新材が併用されています。

Q 偕行社 ガラリ(善通寺)
▲星章を象った床下ガラリ
  当時の物か復元された物か不明です。

偕行社かふぇにて受付を済ませ、内部の見学に行きます。
善通寺偕行社 平面図(善通寺)
▲内部の部屋配置は見取図参照

Q 偕行社 北側廊下(善通寺)
▲善通寺かふぇからは、この北側の廊下を通って入ります。
  建設当時はこの様な美しさだったと思います。

Q 偕行社 玄関内側(善通寺)
▲正面玄関扉
  備品置き場になっています。

Q 偕行社 北貴賓室(善通寺)
▲北側 貴賓室
  大正11(1922)年11月14~18日、四国初となる香川県下において挙行された
  特別大演習(第五・第十一師團対抗)に際し摂政宮殿下(後の昭和帝)の
  御宿泊所として善通寺偕行社が充てられ、北側貴賓室が御寝所とされました。

Q 偕行社 南貴賓室(善通寺)
▲南側 貴賓室
  同大演習に際し摂政宮殿下御座所・御食堂とされました。

Q 偕行社 南貴賓室 (2)(善通寺)
▲御座所時の写真

Q 偕行社 大広間(善通寺)
▲大広間
 東西31m、南北11m、天井高4.5m、天井に6基の
  シャンデリアを飾り、床はリノリウム貼りです。

Q 偕行社 大広間 天井(善通寺)
▲偕行社によく見られる天井の装飾と復元されたシャンデリア

Q 偕行社 食堂(善通寺)
▲食堂

Q 偕行社 東応接室にある修理品(善通寺)
▲東応接室にある当時の遺物
  星章やガラリ等貴重な遺物が結構無造作に置いてあります(゜Д゜;)
  東応接室は展示室、西応接室は備品置場になっており見通せません。

Q 偕行社 東応接室 壁の内部(善通寺)
▲東応接室の壁内展示
  大正11年頃の補修(特別大演習に合わせた?)では漆喰を
  塗り重ねてありますが、その後はペンキで塗られているそうです。

Q 偕行社 西応接室の壁(善通寺)
▲西応接室の壁内展示

善通寺偕行社本館の見学(10:00~16:00)については併設されている偕行社かふぇで受付しています。
ただ、大広間は結婚式を始め各種催しに貸出をしていますので、使用中の場合は内部見学はできません。


ヌ 偕行社 門柱
香川縣護國神社の一の鳥居をくぐった場所にある注連柱(しめばしら)として、明治100周年を記念し昭和43(1968)年8月23日に移設されました。
ヌ 偕行社正門(鳥居奥の注連柱)(善通寺)

善通寺偕行社(善通寺)
▲善通寺偕行社当時の門柱
  門柱に渡してある飾り金具の根元も遺っています。


⑯ 第十一師團長官舎
大正15年頃、竣工しました。
明治31(1898)年12月1日、第十一師團司令部が開設しますが師團長の官舎は無く、初代師團長・乃木希典大将は金蔵寺の庫裡、2代目・土屋中将からは宮西の宿舎(賃貸住宅)が使用されました。

昭和15(1940)年8月10日、留守第十一師團司令部の改編に伴い第五十五師團長官舎、昭和16(1941)年11月13日、第五十五師團司令部の出征に伴い、留守第五十五師團長官舎、昭和20(1945)年4月1日、留守第五十五師團司令部の改編に伴い善通寺師管區司令長官舎、6月20日、善通寺師管區司令部の改編に伴い四國軍管區司令長官舎として使用されますが、四國軍管區司令長官・原田熊吉中将は第五十五軍司令官兼務のため決號作戰(本土決戦)に備え高知に所在したため不使用と思われ、8月16日、停戦を迎えました。

昭和21(1946)年10月10日、官舎は米軍により接収され(用途不明)、昭和27(1952)年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効に伴い我が国は主権を回復、官舎も返還されます。
以降の経緯は不明ですが、現在は自衛隊官舎になっており、遺構は何も遺されていない様です。
国遷アーカイブの空撮を追うと官舎は昭和48(1973)ないし昭和49年に破壊された様です。


⑰ 善通寺陸軍練兵場
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定した事に伴い、弘法大師霊場・仙遊ヶ原を含む140,000坪を買収、明治31(1898)年12月28日、近隣25町村より出頭した人夫により地均しが開始され、明治32(1899)年1月24日、第十一師團により使用が開始されます。
善通寺陸軍練兵場(善通寺)
▲南西上空から見た善通寺陸軍練兵場
  写真下側に善通寺が見えます。

昭和13(1938)年5月31日、練兵場西側40,000坪に善通寺陸軍病院臨時第一分院が開院、昭和18(1943)年、同分院は善通寺陸軍病院に改称され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦に伴い善通寺陸軍練兵場は大蔵省に移管され2,000坪に香川県財務局庁舎が設置、昭和21(1946)年4月12日、農耕敵地とされ75,795坪が善通寺農業会、28,430坪が筆岡農業会に貸出され開墾されます。
その後、簡易保険局住宅、戦傷者授産施設、農業試験所が設置、農林省へ移管、元地権者へ払下げ等随時分割され、現在は大半が近畿中国四国農業研究センター四国研究センターの農地、農業研究センター、住宅地になっています。

外周を回ってみましたが北・西側は河川護岸、南・東側は道路整備により境界が変わっており、遺構は何も遺されていない様です。
善通寺陸軍練兵場 南から(善通寺)
▲善通寺陸軍練兵場 現況


⑱ 第十一師團兵器部 火薬庫
明治31(1898)年12月1日、第十一師團司令部の開庁とともに善通寺陸軍練兵場から西側の弘田川を挟んだ対岸・甲山東麓に設置されます。
昭和12(1937)年12月21日、火薬庫新設のため練兵場西端3,880坪が師團兵器部火薬庫に用途変更されます。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、11月1・2日、善通寺に進駐して来た米軍により接収されますが、昭和21(1946)年5月10日、接収解除され大蔵省に移管、筆岡村農業会に貸出され倉庫に転用されます。
昭和23(1948)年4月6日、大善工業㈱(瓦業)、13日、旧地権者、5月10日、筆岡村に分割して払下げられ、現在は採石場、化学工場になり遺構は何も遺されていない様です。
火薬庫 東から(善通寺)
▲火薬庫 現況


⑲ 吉原陸軍射撃場
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定、明治30(1897)年1月20日、射的場用地34,622坪の買収交渉が開始されます。
その後の経緯は不明ですが、近隣町村より出頭した人夫により設定が行われ、明治33(1900)年6月5日、第十一師團により吉原陸軍射的場(後に射撃場に改称)の使用が開始されます。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、11月1・2日、善通寺に進駐して来た米軍により接収されますが、昭和21(1946)年5月10日、接収解除され大蔵省に移管、昭和21(1946)年3月10日、吉原村村長に貸出され農耕地として開墾されます。
昭和22(1947)年10月、農林省に移管され、昭和23(1948)年3月、3,598坪が吉原村に学校用地として払下げられ、現在は幼稚園、農耕地、住宅地になっています。
外周を廻ってみましたが、遺構は何も遺されていない様です。

お 吉原射的場跡 碑
射撃場跡北端の郵便局にあります。
お 吉原射的場跡碑(善通寺)
▲平成14年3月に建立され、裏に射撃場の説明が刻字されています。

吉原射撃場 南西側の土塁?(善通寺)
西側の土堤

吉原射撃場  南側の射垜?(善通寺)
射垜


主要参考文献
『善通寺市史 第二巻』 (昭和63年10月 善通寺市立図書館 善通寺市)

『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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