当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

善通寺陸軍病院

香川県善通寺市に善通寺陸軍病院がありました。

また乃木神社北側には善通寺憲兵隊、及び善通寺憲兵分隊がありました。
善通寺陸軍病院 オ 御坤徳之碑(善通寺)
▲在宅通院センター内に移設された御坤徳之碑

【探索日時】
平成24年4月20日





第十一師團関連諸施設配置
第十一師團 大正期(善通寺)
▲『最新善通寺市街圖』(大正末年頃)

第十一師團 善通寺 昭和16頃(善通寺)
▲現在の地図に転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 第十一師團司令部
② 歩兵第十旅團司令部
③ 旧善通寺聯隊區司令部
④ 第十一師團経理部 被服庫
⑤ 第十一師團兵器部
⑥ 第十一師團 善通寺倉庫
⑦ 第十一師團 善通寺倉庫
⑧ 山砲兵第十一聯隊
⑨ 砲兵 露天馬場
⑩ 工兵第十一聯隊
⑪ 善通寺工兵作業場
⑫ 第十一師團経理部 糧秣倉庫
⑬ 騎兵第十一聯隊
⑭ 輜重兵第十一聯隊
⑮ 善通寺偕行社
⑯ 第十一師團長官舎
⑰ 善通寺陸軍練兵場
⑱ 第十一師團兵器部 火薬庫
⑲ 吉原陸軍射撃場
⑳ 善通寺陸軍病院
㉑ 善通寺陸軍病院 臨時第一分院
㉒ 善通寺憲兵隊
㉓ 善通寺憲兵分隊

㉔ 善通寺陸軍墓地
㉕ 善通寺歩兵作業場
㉖ 乃木神社
㉗ 香川縣護國神社
※名称は昭和12(1937)年頃


遺構について ※青字は地図にリンクしています
⑳ 善通寺陸軍病院 (後、善通寺陸軍病院 伏見分院)
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定、25日、臨時陸軍建築部廣島支部は地権者との用地買収交渉及び測量を開始、6月9日、歩兵営の一部、砲兵営、騎兵営の一部とともに衛戍病院用地8,100坪が買収されます。
明治30(1897)年4月、衛戍病院建設が着工、7月5日、第十一師團関連の施設で最も早く善通寺村伏見に丸龜衛戍病院が開院し事務を開始します。
11月、第一病棟が完成、明治31(1898)年、2,600坪が追加で買収され敷地を拡張、第二病棟、炊事棟が完成、明治32(1899)年、本館、被服庫、第三~第五病棟、病理試験室が完成し丸龜衛戍病院が竣工します。
善通寺陸軍病院 本館(善通寺)
▲善通寺陸軍病院 本館(昭和10年代)

明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)が開戦、4月1日、丸龜衛戍病院は善通寺衛戍病院に改称、19日、第十一師團に動員下令、善通寺衛戍病院は臨時編成され善通寺豫備病院に改称(第一~第五、丸龜、松山、高松各分院、塩江、琴平、津田、道後、郡中各轉地療養所が管下に開設)、明治38(1905)年9月5日、講和条約が締結され戦役は終結、善通寺衛戍病院に復称し、各分院、各轉地療養所も随時閉鎖、復称します。

大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(宇垣軍縮)のため、4月26日、丸亀市にあった丸龜衛戍病院は復帰、善通寺衛戍病院丸龜分院が発足します。

昭和11(1936)年11月2日、勅令第三百八十七號『衛戍病院令』中改正に伴い、10日、善通寺衛戍病院は善通寺陸軍病院と改称します。
昭和12(1937)年7月7日、北支事變(8月15日、支那事變と改称)が発生、8月20日、第十一師團が中支に出征、送還患者の増加に伴い善通寺中央小學校講堂、善通寺陸軍倉庫(旧歩兵第四十三聯隊跡)を臨時病棟として患者を収容しますが狭隘だったため、9月24日、善通寺陸軍練兵場西側に分院建設が決定、12月2日、高松赤十字病院を分院に指定、昭和13(1938)年5月31日、練兵場に善通寺陸軍病院臨時第一分院が完成(高松赤十字病院は分院指定解除)、12月17日、道後公園(松山)内に臨時轉地療養所が開所します。

昭和18(1943)年、善通寺陸軍病院臨時第一分院が本院に、善通寺陸軍病院が伏見分院に指定され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の善通寺陸軍病院伏見分院の病床数は306床でした。

10月21日、米第24歩兵師団が愛媛県三津浜港に上陸、11月1・2日、同師団の一部1,200名が善通寺に進駐し旧砲兵営に入り陸軍施設を接収しますが、11月19日、我が国は連合国軍最高司令官総司令部から『陸海軍病院の返還に関する覚書(GHQ AG632)』を受領、12月1日、全国の陸海軍病院は厚生省に移管され善通寺陸軍病院伏見分院には厚生省医務局四国出張所が設置され、国立善通寺病院伏見分院に改組されます(土地建物は昭和26年3月31日、大蔵省から厚生省に移管)。

昭和31(1956)年10月、国立善通寺病院から分離独立し国立香川療養所(結核療養所)に改称、昭和50(1975)年4月、国立療養所香川小児病院(小児専門病院)に改称、平成16(2004)年4月1日、独立行政法人国立病院機構に移管、(独)国立病院機構香川小児病院に改称、平成25(2013)年5月1日、(独)国立病院機構善通寺病院と統合され仙遊町に移転しました。

平成28(2016)年1月、別件でこの辺りを車で通ったのですが、香川小児病院は更地化されており、同病院内の遺構は全滅しました。
また、南側の在宅通院センターも閉鎖されており、移設された石碑類の命運も時間の問題と思われます。

行政が無知だと貴重な遺構も人知れず破壊消滅してしまう典型的な悪しき例です。

ウ 日露戦役記念
香川小児病院の入口を入って正面の築山にありました。
形状、場所からして石碑の基礎の様です。
善通寺陸軍病院 ウ 「日露戦役記念」碑(善通寺)
▲石碑が立っていたと思しき開口部には水が溜まり水槽の様になっています。

エ 排泥辯 蓋
病院の入口を入ってすぐ右側にありました。
善通寺陸軍病院 エ 排泥辯 蓋(善通寺)
▲陸軍の地図記号∧∧∧の付いた蓋です。

カイヅカイブキの並木
昭和6(1931)年、時の善通寺陸軍病院長・片山雄一等軍医正が病院内外の環境整備の一環として、看護長、看護卒を督励して植樹しました。
本来は大日線(県道49号)から病院まで、及び病院入口両側の道路両側に植樹されましたが、現在は県道49号から病院までの片側が半分(一部両側)だけ遺されているのみです。
善通寺陸軍病院 ⑥北側の並木(日露戦役を記念して植樹)(善通寺)
▲現在は全て切り倒された病院西側の並木
  「日露戦役を記念して植樹」と書かれた資料がありますが、
  誤りです。

西側の側溝
玄関前に堀を造った記録はあるのですが、外周の記録が無く詳細は不明です。
善通寺陸軍病院 ⑥ 西側の溝(善通寺)
▲当時の物と思うのですが不明


善通寺陸軍病院の石碑類は昭和56(1981)年3月、小児病院の建て替えに伴い一部が南側にあった在宅通院センター(旧看護学校)に移設されました。
移設された石碑類は全て正面の植栽付近に固められています。
オ 演芸場設置記念碑
明治三十七八年戰役(日露戦争)に際し、時の留守師團長・波多野毅少将の発案で善通寺陸軍病院内に建設された「娯楽室」(明治37(1904)年7月起工、9月竣工)を記念し建立されました。
善通寺陸軍病院 オ 演芸場設置記念碑?(善通寺)
▲表面に娯楽室建設の趣旨が漢文で、裏面に寄進者が刻字されています。
  「人の患難は罹病より大なるはなし。人の快楽は心を慰むより大なるはなし。・・・」
  と刻字されています。


オ 御坤徳之碑
支那事変に際し、昭和13(1938)年11月3日、時の皇后陛下(香淳皇后)より患者に下賜された御歌を、昭和16(1941)年12月8日、大東亜戦争宣戦の大詔煥発を機に碑にしたものです。
善通寺陸軍病院 オ 御坤徳之碑(善通寺)
▲「皇后宮御歌
  あ免津ち乃 神もも里ませ いたつき仁
       いたでになやむ 万壽らをの身を

  と刻字されています。

善通寺陸軍病院 オ 御坤徳之碑 (2)(善通寺)
▲裏面には石碑建立の経緯が刻字されています。

善通寺陸軍病院 オ 歌碑(善通寺)
▲御坤徳之碑のある庭園を読み込んだ歌碑
  「ますらおの いたで忘るゝ この庭に
  御歌の忘る 仰ぎまつりて
  五山」と刻字されている様ですが、
  誰???


オ 皇紀二千六百年記念樹
善通寺陸軍病院 オ 皇紀二千六百年記念樹 (2)(善通寺)
▲昭和15(1940)年の紀元2,600年を記念して植樹されたイチョウ

善通寺陸軍病院 オ 皇紀二千六百年記念樹(善通寺)
▲イチョウの根元には記念碑が建立されていますが、
  こちらは昭和17(1942)年7月7日に建立されています。


オ 「齋藤園」造営記念碑
大正15(1926)年、陸軍病院内にあった庭園の一つ「齋藤園」の築造を記念して建立された道標の様です。
善通寺陸軍病院 オ 「斎藤園」造営記念碑(善通寺)
▲正面には「大正十五年 齋藤園 外科病棟南」と刻字されています。

善通寺陸軍病院 オ 「斎藤園」造営記念碑 (2)(善通寺)
▲側面にはその他の池や丘等の庭園施設築造年が刻字されています。
  三浦池、渡邊池、尾崎丘、四國池と人名が多く、築造した方の名前を
  採って命名されていた様です。

オ 浮島園
善通寺陸軍病院 オ 浮島園(善通寺)
▲詳細不明ですが、こちらも庭園の名前と思われます。


オ 消火栓第三十六號
善通寺陸軍病院 オ 消火栓第三十六號(善通寺)
▲軍用消火栓の位置を示す石標が転がっていました。

上記遺構は在宅通院センターの許可を得て見学しています。


㉑ 善通寺陸軍病院 臨時第一分院 (後、善通寺陸軍病院 本院)
昭和12(1937)年7月7日、北支事變(8月15日、支那事變と改称)が発生、8月20日、第十一師團の出征、送還患者の増加に伴い、9月24日、善通寺陸軍練兵場西側に分院建設が決定、昭和13(1938)年5月31日、練兵場に善通寺陸軍病院臨時第一分院が完成します。

昭和18(1943)年、善通寺陸軍病院臨時第一分院が本院に、善通寺陸軍病院が伏見分院に改称され、2月、小豆島分院(渕崎青年學校を転用)、三島分院(愛媛、専売局煙草収納所を転用)が開院します。

昭和20(1945)年7月4日、高松大空襲、24日、高松陸軍飛行場空襲、8月6日、広島への原爆投下による被災者救護、病棟間引き、医療品の分散疎開、香色山の地下病室掘削にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の病院長は服部己作大佐、病床数は1,894床の二等病院でした。
また管下に伏見(善通寺町、病床数は306)、丸龜(丸亀市、同43)、三島(愛媛、同190)、小豆島(同100)各分院、道後轉地療養所(同130(75の資料あり))がありました。

停戦後は伏見分院と同じく、12月1日、厚生省に移管され善通寺陸軍病院は国立善通寺病院に改組されます(土地建物は昭和26年3月31日、大蔵省から厚生省に移管)。
平成16(2004)年4月1日、独立行政法人国立病院機構に移管、独立行政法人国立病院機構善通寺病院に改称、平成25(2013)年5月1日、(独)国立病院機構香川小児病院と統合され四国こどもとおとなの医療センターとして現在に至ります。

遺構は何も遺されていない様です。


㉒ 善通寺憲兵隊
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定し、11月10日、第十一憲兵隊善通寺村屯所の事務を開始(場所不明)、12月1日、憲兵隊長・影山十蔵大尉が発令されます。
明治32(1899)年2月1日、片町通り(下記場所)の新庁舎竣工に伴い移転、明治40(1907)年10月7日、第十一憲兵隊は善通寺憲兵隊に改称、昭和3(1928)年5月29日、善通寺憲兵分隊と庁舎を供用していたため狭隘だった事から、徳島に転営した歩兵第四十三聯隊の将校集会所を新庁舎として転用、移転します。
善通寺憲兵隊本部
▲将校集会所を転用した善通寺憲兵隊本部庁舎

昭和20(1945)年3月30日、決號作戰(本土決戦)に向け憲兵隊は増強、善通寺憲兵隊本部は四國憲兵隊司令部(大田清一大佐)に改編され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の隷下憲兵隊は善通寺、高松両分隊、機動隊、徳島、松山、高知各地區隊でした。

11月1・2日、米第24歩兵師団の一部1,200名が善通寺に進駐し旧砲兵営に入り憲兵隊司令部は接収、昭和21(1946)年3月10日、接収解除され大蔵省に移管、1,043坪(庁舎含む)は仲多度地方事務所に貸出され、露天馬場217坪は善通寺農業会に貸出され耕作地として転用されます。
昭和23(1948)年4月1日、仲多度地方事務所は香川県地方事務所に転用、6月30日、露天馬場は住宅地として善通寺町に売却され、善通寺町警察庁舎(昭和25年4月、香川県に売却され県庁舎に)になります。

その後の経緯は不明ですが、憲兵隊本部は市駐車場、露天馬場は住宅地になっており、遺構は何も遺されていない様です。

セ 石柵
駐車場の北東隅にあり柵の支柱の様ですが、当時の物か不明です。
善通寺憲兵隊 セ 石柵?(善通寺)


㉓ 善通寺憲兵分隊
明治37(1904)年4月1日、第十一憲兵隊内に善通寺憲兵分隊が発足、丸龜分隊は分遣隊に縮小され善通寺分隊隷下に編入されます。
明治40(1907)年10月7日、第十一憲兵隊は善通寺憲兵隊に改称、大正14(1925)年5月3日、善通寺憲兵隊本部は歩兵第四十三聯隊の徳島転営に伴い将校集会所を転用し庁舎として移転します。
昭和20(1945)年3月30日、決號作戰(本土決戦)に向け憲兵隊は増強、善通寺憲兵隊本部は四國憲兵隊司令部(大田清一大佐)に改編され、善通寺憲兵分隊は同司令部直轄分隊に編入、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

憲兵分隊も同じく接収された後、大蔵省に移管、昭和21(1946)年7月24日、日本遺傳學會に貸出され研究所に転用、昭和22(1947)年3月10日、中部復員連絡局善通寺支部に転用されます。

その後の経緯は不明ですが、憲兵隊分隊は百十四銀行善通寺支店になっており、遺構は何も遺されていない様です。


主要参考文献
『善通寺市史 第二巻』 (昭和63年10月 善通寺市立図書館 善通寺市)

『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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