当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

善通寺陸軍墓地

香川県善通寺市南方の鶴ヶ峰東麓に善通寺陸軍墓地があります。

また陸軍墓地の南西、象頭山に善通寺陸軍作業場がありました。
オ 兵卒個人墓 (2)
▲善通寺陸軍墓地 兵卒墓所

【探索日時】
平成23年3月29日、平成24年4月21日





第十一師團関連諸施設配置
第十一師團 大正期(善通寺)
▲『最新善通寺市街圖』(大正末年頃)

第十一師團 善通寺 昭和16頃(善通寺)
▲現在の地図に転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 第十一師團司令部
② 歩兵第十旅團司令部
③ 旧善通寺聯隊區司令部
④ 第十一師團経理部 被服庫
⑤ 第十一師團兵器部
⑥ 第十一師團 善通寺倉庫
⑦ 第十一師團 善通寺倉庫
⑧ 山砲兵第十一聯隊
⑨ 砲兵 露天馬場
⑩ 工兵第十一聯隊
⑪ 善通寺工兵作業場
⑫ 第十一師團経理部 糧秣倉庫
⑬ 騎兵第十一聯隊
⑭ 輜重兵第十一聯隊
⑮ 善通寺偕行社
⑯ 第十一師團長官舎
⑰ 善通寺陸軍練兵場
⑱ 第十一師團兵器部 火薬庫
⑲ 吉原陸軍射撃場
⑳ 善通寺陸軍病院
㉑ 善通寺陸軍病院 臨時第一分院
㉒ 善通寺憲兵隊
㉓ 善通寺憲兵分隊
㉔ 善通寺陸軍墓地
㉕ 善通寺陸軍作業場

㉖ 乃木神社
㉗ 香川縣護國神社
※名称は昭和12(1937)年頃


遺構について ※青字は地図にリンクしています
㉔ 善通寺陸軍墓地
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定、25日、用地買収、測量、施設建設が開始され、明治31(1898)年12月1日、第十一師團司令部が開庁します。
第十一師團の設置に伴い明治30(1897)年4月20日から明治33(1898)年11月14日、陸軍省は鶴ヶ峰東麓の3,012坪を買収、善通寺陸軍埋葬地が開設されます。

昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により善通寺陸軍墓地と改称されます(但し、同規則制定以前にも「陸軍墓地」と呼称されている様です)。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦後もGHQに破壊される事無く、昭和21(1946)年9月20日、善通寺町に移管され、最下段に民間墓地が増設され現在に至ります。

現在は個人墓標43基、合葬碑5基、戦後の合葬碑2基があります。

管理については年3回、自衛隊隊員、市職員がボランティアで清掃されている様ですが、ボランティアに頼った管理と言うのは限界があるので、国難に殉じた方々を祭祀するのは国が一括管理していくべきだと思います。
善通寺陸軍墓地
▲善通寺陸軍墓地 配置
  記憶が曖昧なので、位置のズレがあるかも知れません。

-最下段 外周の遺構-
A 陸軍墓地入口
県道47号線沿いに建っています。
A 47号沿いの陸軍墓地入口

B 正門
右側の門柱には「陸軍墓地」の門札が掛かっています。
B 南側入口

D 手水舎
正門を入った左側にあります。
昭和10(1935)年3月10日、陸軍記念日を記念して善通寺町内中小学校職員生徒児童一同により寄進されました。
D 南側入口 手水舎

2 「二 陸軍省所轄地」
民家の塀際に境界石標が遺ります。
タ2 「二 陸軍省所轄地」 北東から

3 「三 陸軍省所轄地」
陸軍墓地から1段降りた空地に遺ります。
チ3 「三 陸軍省所轄地」 南から

5 「五 陸軍用地」
陸軍墓地から1段下がった現在は民間墓地になっている場所の物置の横に転がっています。
今回見付けた境界石標の中で唯一「陸軍用地」の表記です。
ツ5 「五 陸軍用地」

7 「七 陸軍省所轄地」
陸軍墓地北側境界の竹林に遺ります。
テ7 「七 陸軍省所轄地」 南から


-最下段 墓標-
a 明治三十七八年戦役戦病死者合葬之墓
昭和5(1930)年、ことに敬神崇祖の念が篤い師團長・松井石根中将(のち大将)の提唱で、工兵第十一聯隊により、3月7日、竣工、10日、陸軍記念日に松井中将を祭主として神仏両式の墓前祭が挙行されました。
この際、同時に墓地参道の改修も実施されます。
a 明治三十七八年戰役戦病死者合葬之墓
▲後ろの木が茂り過ぎて覆い被さってきており、見難くなっています。

a 明治三十七八年戰役戦病死者合葬之墓
▲基壇には工兵の兵科章?が象られています。

エ 下士官・幼年學校生徒・技手 墓所
5名の方が眠ります。
エ 下士官・生徒・技手個人墓
▲北側(写真手前)に「陸軍々人合葬之墓」(明治41年4月建立)があります。

オ 兵卒 墓所
27名の方が眠ります。
オ 兵卒個人墓
▲こちらも最前列北側に「陸軍々人合葬之墓」(明治41年4月建立)があります。

カ 兵卒 墓所
4名の方が眠ります。
手前の一回り大きな墓標は善通寺陸軍墓地で最古の明治10(1877)9月5日、西南の役において散華された方の墓標です。
カ 兵卒個人墓


-中段 墓標-
イ 陸軍主計少佐 碑
南端に1基のみ建てられています。
表記は「墓」では無く「碑」になっています。
昭和11(1936)年8月23日、滿洲國敦化で陣没されました。
少佐が陣没された時期に第十一師團は内地にあったので、善通寺ゆかりの方かも知れません。
イ 将校個人墓

ウ 陸軍歩兵特務曹長 墓
中段の中央付近に1基のみ建てられています。
明治38(1905)年4月20日、式々と刻字されています。
「式々」の部分は元々別の文字が刻字されていた様ですが、削って書き換えられています。
ウ 准士官個人墓


-最上段 墓標-
ア 将校 墓所
5名の方が眠ります。
墓標はお互いが内側を向いて建立されています。
ア 将校個人墓

b 戰沒将士合葬之墓
こちらも松井中将の提唱で、明治7(1874)年の征臺役以降、師團管内に散在していた各英霊の墓所より霊土を集め、毎年陸軍墓地において招魂祭を挙行できる様に昭和5(1933)年3月10日、建立されました。
b 戰沒将士合葬之墓

c 滿洲事變戦没将士合葬之墓
昭和6(1931)年9月18日に勃発した柳条湖事件(滿洲事變)以降の第十一師團管内の英霊を祭祀すべく、昭和8(1933)年3月1日に建立されました。
第十一師團管内の英霊なので、上海事変直後の昭和7(1932)年4月29日、上海で挙行された天長節祝賀会に際し朝鮮人テロリスト尹奉吉により重傷(のち死去)を負った白川義則大将(松山市出身、第11代・師團長、当時上海派遣軍司令官)を筆頭に海軍の方も合祀されています。
昭和10(1935)年4月27日、靖國神社の臨時祭を機に昭和8年3月以降の英霊38柱も合祀されます。
c 満洲事變戦没将士合葬之墓


-戦後の墓標-
あ 日華事變太平洋戰争戦沒者之墓
最上段の北端にあります。
昭和24(1949)年4月1日に建立されました。
あ 日華事変太平洋戦争戦没者之墓

い 米英豪軍人之墓
最下段にあります。
昭和27(1952)年9月、個人により建立されました。
大東亜戦争中、善通寺俘虜収容所内で病没した俘虜の墓標です。
い 米英豪軍人之墓~戦後
▲横においてある水鉢は別物の様ですがなぜここにあるのか不明です。
 因みに鯨部隊は第四十師團、烈は第三十一師團、
 楯は第五十五師團の初期も兵團文字符です。


㉕ 善通寺陸軍作業場
明治29(1896)年5月14日、香川県仲多度郡善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置が決定、陸軍省は象頭山北麓323,076坪を買収し師團隷下部隊の作業場を開設します。
昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、11月1・2日、善通寺町に進駐してきた米軍により接収されますが、昭和21(1946)年3月10日から随時接収解除され大蔵省に移管、大蔵省より善通寺町、善通寺農業会、高松刑務所などに貸出され農耕地として転用、昭和22(1947)年3月7日、大半の27,261坪が農業試験場四国農場に、10月、50,851坪が農林省に移管されます。
その後の経緯は不明ですが、昭和26(1951)年6月9日、瀬戸内海国立公園、天然記念物に指定され現在も山林として遺ります。

裾野は農地化していますが、山の中は殆ど手付かずのままの様なので境界石標があるかも知れませんが、探索していないので遺構は不明です。

明治39(1906)年測図(昭和3年修正)の地図を添付しておきますので、我こそは!と言う方はぜひ挑戦してみてください(^o^)
第十一師團 善通寺 大日本帝國測量部(第十一師團)明治39測図-昭和3修正~着色(善通寺)
▲一番下の赤く塗った場所が作業場です。


主要参考文献
『善通寺市史 第二巻』 (昭和63年10月 善通寺市立図書館 善通寺市)

『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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