丸亀護國神社
香川県丸亀市に丸亀護國神社が鎮座されています。

▲丸亀護國神社 拝殿
【参拝日】
平成24年4月22日

丸亀縣護國神社は西南の役以降、大東亜戦争に至るまで国難に殉じた歩兵第十二聯隊関連の英霊3,963柱がお祀りされています。

▲丸亀護國神社 拝殿
境内には以下の石碑類が建立されています。
西部第三十二部隊 東門
由来は不明ですが、歩兵第十二聯隊兵営の東門が移設保存されています。
西部第三十二部隊とは歩兵第百十二聯隊、同補充隊の事です。
状態が悪くボロボロです。

明治天皇行在所址碑
大正10(1921)年11月、明治5(1872)年7月4日の明治天皇の丸亀行幸を記念し、行在所となった旧県庁跡に建立されました。
明治4(1872)年3月に建設された旧県庁は行在所の聖蹟として明治32(1899)年10月、月浜町に市役所が移転した際に同地に移築、大正7(1918)年12月、幸町に市役所が移転した際に市役所西隣に移設され丸亀市聖蹟記念館として保存、昭和39(1964)年6月、市役所が現在地に移転する際に三船病院が買収し三船会館として移築されました。

▲東伏見宮依仁親王の御染筆で高さ7.3mあります。
忠魂堂屋根葺替寄付者
大正11(1922)年5月、忠魂堂(招魂社)の屋根の葺き替え資金を寄進した方々の名前が刻字されています。

軍旗塚
昭和36(1961)年9月9日、歩兵第十二聯隊軍旗の霊を奉安すべく軍旗を拝受した9月9日に建立されました。
揮毫は第十一師團最後の師團長・大野廣一中将です。

祈平和 丸亀歩兵第十二聯隊百年祭記念之碑
昭和50(1975)年9月9日、建立されました。

西部第三十八部隊記念之碑
平成4(1992)年5月、隊友会有志により建立されました。
西部第三十八部隊とは第五十五師團通信隊、同補充隊の事です。

南支派遣 独立歩兵第七十大隊発祥之地
平成9(1997)年秋、香川七〇会により建立されました。

<丸亀護國神社 略歴> 【地図】
明治10(1877)年、歩兵第十二聯隊附属地(将校集会所か?)に丸龜招魂社(忠魂堂)を創設し維新以来の国事に殉じた英霊を祭祀します。
明治31(1898)年12月1日、善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團司令部が開庁、明治32(1899)年5月6日、善通寺陸軍練兵場において、師團管下の英霊を祭祀すべく第十一師團長・乃木希典中将、香川県・吉原三郎知事を祭主として神式により、7日、仏式により招魂祭が挙行されます。
明治36(1903)年5月10日、善通寺偕行社が竣工、構内に英霊を祭祀します。
昭和13(1938)年、藤岡長敏県知事、第十一師團長・渡久雄中将、他市町村長会長が発起人となり招魂社の建設が計画され、香川縣招魂社建設期成會(香川県知事・藤岡長敏会長)が発足、造営地の選定、社殿等の造営、資金調達など協議が開始されます。
6月、丸亀市は招魂社招致活動を開始、7月1日、丸亀市他168町村の賛同を取り付け県知事、建設期成會に陳情しますが、最終的に師團衛戍地であり、且つ将来的にも神域の静謐が保証される環境から善通寺町に決定、丸亀市はなおも承服せず招致活動を続行します。
9月、県は丸亀市に招魂支社の建設を決定、丸亀市も譲歩し招魂社地選定は決着し、将校集会所東側の敷地に丸龜招魂社(昭和14(1939)年4月1日、招魂社は護國神社に改称)を造営、忠魂堂を遷座します。
大東亜戦争停戦後も存続され、現在は香川縣護國神社の別宮として崇敬されています。
資料が無く造営の経緯や敷地の所有権の移動状況は不明です。
<主要参考文献>
『香川縣護國神社リーフレット』
『新編丸亀市史3 近代・現代編』 (平成8年2月)
『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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▲丸亀護國神社 拝殿
【参拝日】
平成24年4月22日


丸亀縣護國神社は西南の役以降、大東亜戦争に至るまで国難に殉じた歩兵第十二聯隊関連の英霊3,963柱がお祀りされています。

▲丸亀護國神社 拝殿
境内には以下の石碑類が建立されています。
西部第三十二部隊 東門
由来は不明ですが、歩兵第十二聯隊兵営の東門が移設保存されています。
西部第三十二部隊とは歩兵第百十二聯隊、同補充隊の事です。
状態が悪くボロボロです。

明治天皇行在所址碑
大正10(1921)年11月、明治5(1872)年7月4日の明治天皇の丸亀行幸を記念し、行在所となった旧県庁跡に建立されました。
明治4(1872)年3月に建設された旧県庁は行在所の聖蹟として明治32(1899)年10月、月浜町に市役所が移転した際に同地に移築、大正7(1918)年12月、幸町に市役所が移転した際に市役所西隣に移設され丸亀市聖蹟記念館として保存、昭和39(1964)年6月、市役所が現在地に移転する際に三船病院が買収し三船会館として移築されました。

▲東伏見宮依仁親王の御染筆で高さ7.3mあります。
忠魂堂屋根葺替寄付者
大正11(1922)年5月、忠魂堂(招魂社)の屋根の葺き替え資金を寄進した方々の名前が刻字されています。

軍旗塚
昭和36(1961)年9月9日、歩兵第十二聯隊軍旗の霊を奉安すべく軍旗を拝受した9月9日に建立されました。
揮毫は第十一師團最後の師團長・大野廣一中将です。

祈平和 丸亀歩兵第十二聯隊百年祭記念之碑
昭和50(1975)年9月9日、建立されました。

西部第三十八部隊記念之碑
平成4(1992)年5月、隊友会有志により建立されました。
西部第三十八部隊とは第五十五師團通信隊、同補充隊の事です。

南支派遣 独立歩兵第七十大隊発祥之地
平成9(1997)年秋、香川七〇会により建立されました。

<丸亀護國神社 略歴> 【地図】
明治10(1877)年、歩兵第十二聯隊附属地(将校集会所か?)に丸龜招魂社(忠魂堂)を創設し維新以来の国事に殉じた英霊を祭祀します。
明治31(1898)年12月1日、善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團司令部が開庁、明治32(1899)年5月6日、善通寺陸軍練兵場において、師團管下の英霊を祭祀すべく第十一師團長・乃木希典中将、香川県・吉原三郎知事を祭主として神式により、7日、仏式により招魂祭が挙行されます。
明治36(1903)年5月10日、善通寺偕行社が竣工、構内に英霊を祭祀します。
昭和13(1938)年、藤岡長敏県知事、第十一師團長・渡久雄中将、他市町村長会長が発起人となり招魂社の建設が計画され、香川縣招魂社建設期成會(香川県知事・藤岡長敏会長)が発足、造営地の選定、社殿等の造営、資金調達など協議が開始されます。
6月、丸亀市は招魂社招致活動を開始、7月1日、丸亀市他168町村の賛同を取り付け県知事、建設期成會に陳情しますが、最終的に師團衛戍地であり、且つ将来的にも神域の静謐が保証される環境から善通寺町に決定、丸亀市はなおも承服せず招致活動を続行します。
9月、県は丸亀市に招魂支社の建設を決定、丸亀市も譲歩し招魂社地選定は決着し、将校集会所東側の敷地に丸龜招魂社(昭和14(1939)年4月1日、招魂社は護國神社に改称)を造営、忠魂堂を遷座します。
大東亜戦争停戦後も存続され、現在は香川縣護國神社の別宮として崇敬されています。
資料が無く造営の経緯や敷地の所有権の移動状況は不明です。
<主要参考文献>
『香川縣護國神社リーフレット』
『新編丸亀市史3 近代・現代編』 (平成8年2月)
『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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