当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

雲邊寺原陸軍演習場

戦国時代、讃岐に進攻した長宗我部元親が四国統一の大望を語った「四国の蓋」の逸話で知られる雲辺寺(うんぺんじ)山北麓に雲邊寺原陸軍演習場がありました。
雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 南から パノラマ写真(観音寺)
▲みかん畑の農道沿いに遺る監的所

【探索日時】
平成24年4月21日





遺構について※青字は地図にリンクしています
雲邊寺原陸軍演習場
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置を決定、5月25日、用地測量、買収を開始、逐次営舎が建設され、明治30(1897)年12月1日、第十一師團司令部が開庁します。

明治33(1900)年2月18日、陸軍省は紀伊村、粟原村、萩原村、五郷村にまたがる1,210,000坪に雲邊寺原陸軍演習場の設置を決定、農商務省所轄の国有地を管理移管するとともに、民有地の田圃、畑、山林、及び宅地614,075坪を三豊郡長、各村長・村民の協力を得て買収(一部は賃借)を開始します。
3月18日、用地の登記調印を完了し、明治35(1902)年5月20日、陸軍省は各旧地権者に買収覚書を公布、買収価格は田圃:1反100円、畑地:80円、宅地:99円(転居者14名)、溜池、墓地他10円、合計21,293円でした。
用地買収と並行して紀伊村福田原に演習廠舎を建設、完成後は第十一師團管下に置かれ主管1名が常駐(後、雇員1名追加)し管理、第十一師團隷下部隊(後、歩兵第十二聯隊は青野山、歩兵第四十三聯隊は坂東を主に使用)が演習に使用しました。
その後、用地献納、買収により若干の用地拡張が実施され、大東亜戦争停戦時の面積は1,828,650坪(廠舎地区含む)でした。

昭和20(1945)年10月21日、米第6軍第24歩兵師団が三津浜港に入港、11月1・2日、師団の一部が善通寺に進駐し旧砲兵営に入り、4日から香川県下の軍事施設の接収を開始し雲邊寺原陸軍演習場、同演習廠舎は連合軍管理下に置かれます。
昭和21(1946)年4月12日、接収解除され大蔵省四国財務局に移管、570,000坪(旧廠舎2,961坪)は紀伊村農業会に貸付けられ開墾が開始されます。
昭和22(1947)年10月、旧演習場1,416,737坪が農林省に移管され、『緊急開拓事業実施要領』(昭和20年11月9日、閣議決定)に基づき県内から引揚者、戦災者を募集し払下げ開拓(後、農林省から大原野町に移管)、11月、299,790坪が粟井村、11月7日、73,990坪が紀伊村、20,489坪が萩原村に夫々水源地として払下げられ、現在に至ります(廠舎地区は後述)。
雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習場要図(部分)(観音寺)
▲『雲邊寺原演習場要圖』

雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習(現在)(観音寺)
▲現在の地図に範囲を転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 雲邊寺原陸軍演習場
② 雲邊寺原陸軍演習廠舎

A 展望臺
梅花池の北北西300mにあります。
県道240号線からヤマギシズムの看板に従って進み、新池北側沿って梅花池の北側に駐車、点線に沿って山道を登って行きます。
ネット地図では農道も拾ってしまうためあちこちに道が表示されるので、迷わないようにして下さい。
かなり雑草・灌木に埋もれているので、見落としそうになります。
雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習(現在)A(観音寺)
▲A展望臺 周辺図

Bにある説明板や観音寺市の資料では「監的壕」となっていますが、形状から野砲の射撃・弾着を観測する展望台と思われます。
コンクリート製で幅670×奥行275×高さ235cmあり、四方が開放されています。
雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 北から(観音寺)
▲全景

因みに山道から見るとこんな感じです。 ※この先2m程のところにあります。
雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 東から(観音寺)

長辺側に幅206×高さ126、短辺側に223×126の窓状開口部、西側に206×198cmの出入口があります。
雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 北西から(観音寺)
▲少し掃除したので見渡せる様になりました。

雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 北東から(観音寺)
▲北東から

雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 内部 北から(観音寺)
▲内部(左側が演習場)
  柱は26cm角あります。

雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 内部 南隅(北端にも有り)の基礎(観音寺)
▲南側の床面に9cm角の基礎が8基あり、木材が遺されています。

雲辺寺原陸軍演習場 A 展望台 付近から南西側を望む(観音寺)
▲A展望台付近から見た雲邊寺原陸軍演習場


B 監的所
有名な遺構です。
雲辺寺ロープウェイ山麓駅に行く道路沿いにあり、観音寺市により駐車場を完備した「雲辺寺ヶ原史跡公園」として整備され説明板も建てられています。
因みに「観音寺市」は戦国時代、西讃岐守護代・香川信景に長宗我部元親への降伏を進言した信景の弟・観音寺景全(かんおんじ かげはる)からも分かる様に「かんのんじ市」では無く「かんおんじ市」です。
雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習(現在)B(観音寺)
▲B監的所 周辺図

この遺構は所謂「監的壕」と言われる物ですが、「監的壕」をアジ歴で検索すると全て射撃場の監的濠(壕)が出てくるため、これらの演習場の物は「監的所」と呼称するのが正確の様です。 ※参考「射撃場の監的壕
雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 北から(正面)(観音寺)
▲B監的所 正面から

高さ300cm、コンクリート厚は50cmあります。
雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 と俺(観音寺)
▲僕(179cm)と比べると大きさが分かります。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 正面(観音寺)
▲正面にある覘視(てんし)口
幅416×高さ22.5cmあります。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 覘視口 北西から(観音寺)
▲覘視口は内部が狭くなります。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 南東から(観音寺)
▲側面から見ると歪な形をしています。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 南から(観音寺)
▲裏側に出入口があります。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 内部 南西から(覘視口)(観音寺)
▲内部から見た覘視口(内寸は幅173×高さ5cm)
 覘視口の下には何かの台があった様です。
  内部は直径200×高さ200cmあります。

雲辺寺原陸軍演習場 B 監的所 内部 覘視口からの景色(観音寺)
▲覘視口から見た演習場


C 監的所
Bから北西に進み犬の学校を左に見ながら次のY字路付近に駐車し、ひたすら農道を歩き、太陽光発電施設を過ぎた辺り右側に見える2階建の倉庫を過ぎたK型路の右上に進んですぐの農道沿いにあり、農機具小屋として使用されています。
雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習(現在)C(観音寺)
▲C監的所 周辺図

蒜山原にも同様のコンクリート構造物がありますが、形状から監的所と思われます。
雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 南から(観音寺)
▲全景
  農道が狭いうえ、私有地のみかん畑が広がっているため
  全体の撮影は困難です。

正面側にある出入口とその上の覘視口の間の横桟、正面両翼の土留部分が破損していいますが比較的状態は良好です。
開口部は上2ヶ所が覘視口(両方とも幅126×高24cm)、下が出入口(65×93cm)と思われます。
雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 北東から (2)(観音寺)
▲正面側近影
  幅12m程(正面の実測し忘れのため両翼4mづつから推測)×高さ468cmあります。

雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 北東から(観音寺)
▲側面から
  かなりの斜面に設定されています。

雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 北から(観音寺)
▲側背から
  本来この部分は土で埋まっていたと思われます。

雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 西から(観音寺)
▲背後

雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 内部(覘視口) 北西から(観音寺)
▲内部から見た覘視口

雲辺寺原陸軍演習場 C 監的所 内部北東から(観音寺)
▲C監的所の内部

※向かい側の畑の方の許可を得て立入らせて頂いています。

外周を回れば境界石標があると思いますが、時間が無かったので回りませんでした。
我こそは!と言う猛者はぜひ踏査してみて下さい!

最後に探索にあたり観音寺市役所農林水産課の御担当者様に非常に精度の高い地図を頂き、おかげさまで難無くたどり着く事ができました。
お忙しい中、ご丁寧に対応していただきまして、ありがとうございます。


主要参考文献
『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)

『???』 演習場の略歴が書いてあった郷土史系の書籍を参考にしましたが書名失念(゜Д゜;)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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