当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

雲邊寺原陸軍演習廠舎

戦国時代、讃岐に進攻した長宗我部元親が四国統一の大望を語った「四国の蓋」の逸話で知られる雲辺寺(うんぺんじ)山北麓に雲邊寺原陸軍演習廠舎がありました。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 ウ 廠舎 北西から (3)(観音寺)
▲民家に転用された廠舎

【探索日時】
平成28年1月5日





遺構について※青字は地図にリンクしています
雲邊寺原陸軍演習廠舎
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、善通寺村(現、善通寺市)に第十一師團の設置を決定、5月25日、用地測量、買収を開始、逐次営舎が建設され、明治30(1897)年12月1日、第十一師團司令部が開庁します。

明治33(1900)年2月18日、陸軍省は紀伊村、粟原村、萩原村、五郷村にまたがる1,210,000坪に雲邊寺原陸軍演習場の設置を決定、農商務省所轄の国有地を管理移管するとともに、民有地の田圃、畑、山林、及び宅地614,075坪を三豊郡長、各村長・村民の協力を得て買収(一部は賃借)を開始します。
3月18日、用地の登記調印を完了し、明治35(1902)年5月20日、陸軍省は各旧地権者に買収覚書を公布、買収価格は田圃:1反100円、畑地:80円、宅地:99円(転居者14名)、溜池、墓地他10円、合計21,293円でした。
用地買収と並行して紀伊村福田原に演習廠舎を建設、完成後は第十一師團管下に置かれ主管1名が常駐(後、雇員1名追加)し管理、第十一師團隷下部隊(後、歩兵第十二聯隊は青野山、歩兵第四十三聯隊は坂東を主に使用)が演習に使用しました。
その後、用地献納、買収により若干の用地拡張が実施され、大東亜戦争停戦時の面積は1,828,650坪(廠舎地区含む)でした。

昭和20(1945)年10月21日、米第6軍第24歩兵師団が三津浜港に入港、11月1・2日、師団の一部が善通寺に進駐し旧砲兵営に入り、4日から香川県下の軍事施設の接収を開始し雲邊寺原陸軍演習場、同演習廠舎は連合軍管理下に置かれます。

昭和21(1946)年4月12日、接収解除され大蔵省四国財務局に移管、旧廠舎2,961坪(旧演習場570,000坪)は紀伊村農業会に貸付けられ開墾が開始、1,092坪は香川県に払下げられ農業試験場に転用されます。

昭和22(1947)年10月3日、1,458坪が農林省に移管され開拓者住宅、昭和23(1948)年3月5日、1,841坪が紀伊村農業会に払下げられ農業加工場、19日、11,738坪が紀伊村に払下げられ中学校に転用(昭和22年5月5日、豊南中学校開校)、昭和40(1965)年3月27日、豊南中学校は閉校、跡地に森孵卵場が進出し現在に至ります。
雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習場要図(部分)(観音寺)
▲『雲邊寺原演習場要圖』

雲辺寺原陸軍演習場 雲辺寺原陸軍演習(現在)(観音寺)
▲現在の地図に範囲を転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 雲邊寺原陸軍演習場
② 雲邊寺原陸軍演習廠舎

雲辺寺原陸軍演習廠舎 雲辺寺原陸軍演習廠舎(現在)(観音寺)
▲雲邊寺原陸軍演習廠舎 遺構配置

ア 廠舎
他の廠舎から離れた位置にあり、歪な方向を向いています。
そのため最初は遺構では無いと思ったのですが、取材したところ当時の廠舎だったとの事です。
戦後は農業試験場が入っていたそうですが、現在は空家になっており状態からして今後の動向が危ぶまれます。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 ア 廠舎 北東から(観音寺)
▲正面側

雲辺寺原陸軍演習廠舎 ア 廠舎 北西から(観音寺)
▲正面側の窓

雲辺寺原陸軍演習廠舎 ア 廠舎 南から(観音寺)
▲裏側


イ 物置
ア廠舎の裏にあり全面がトタン波板で改修されています。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 イ 南西から(観音寺)


ウ 廠舎
北側が減築され、一部が改修、増築されていますが、状態は良好です。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 ウ 廠舎 南東から(観音寺)
▲正面側は外壁が改修されています。

雲辺寺原陸軍演習廠舎 ウ 廠舎 北西から (3)(観音寺)
▲裏側は当時の下見板張りの外壁が遺ります。

雲辺寺原陸軍演習廠舎 ウ 廠舎 北西から(観音寺)
▲裏側の奥はほぼ当時のままと思われます。


エ 廠舎 ?
独立して離れた位置にあり、ウと微妙に軸線がずれているうえ屋根の形状、外壁の土壁等、廠舎建築と異なる事から戦後の建物かも知れません。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 エ 東から(観音寺)


オ 廠舎 ?
こちらも独立して離れた位置にあり外観は廠舎建築(きれい過ぎる様な気も?)なのですが、これまた南側のカ・キ・クと軸線がずれており何とも言えません。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 オ 北西から(観音寺)


カ 廠舎
本来は南側のキ・クと同一建物だった様ですが、切断され戸建てに改修されています。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 カ 南西から(観音寺)
▲奥に見えるのが下掲のケ


キ・ク 廠舎
本来は同一建物だった様ですが、こちらも切断され戸建てに改修されています。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 ク(左)・キ(右) 東から(観音寺)
▲ク(左)・キ(右)


ケ 廠舎
北側、南側が切断破壊され戸建てに改修されていますが、状態は良好です。
雲辺寺原陸軍演習廠舎 ケ 南東から(観音寺)


主要参考文献
『善通寺市史 第三巻』 (平成6年12月 善通寺市教育委員会市史編さん室 善通寺市)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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