当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

陸軍燃料廠 横島貯蔵所

美しい砂浜が続く事で知られる広島県福山市の横島に陸軍燃料廠 横島貯蔵所がありました。
同貯蔵所は後に大阪陸軍航空補給廠 横島出張所に改称します。
横島貯蔵所 A 油槽防護壁 北西から(福山)
▲ドルフィンビーチ(現、シーパーク大浜)内に遺る貯油槽防弾壁

【探索日時】
平成24年5月14日





遺構について※青字は地図にリンクしています
陸軍燃料廠 横島貯蔵所
昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(滿洲事變)、昭和12(1937)年7月7日、支那事變、8月13日、第二次上海事變が相次いで勃発、陸軍の燃料消費が年々増大するのに伴い陸軍省は従前の民間企業からの燃料調達を改め、政府に働きかけ微弱だった我が国の燃料行政を改善するとともに陸軍内の燃料管理体制を整備、一元化すべく、昭和14(1939)年7月31日、陸軍燃料廠を新設し、次いで燃料製造所、及び成品の貯蔵所建設を計画します。

昭和14年秋、陸軍省整備局は製造所を山口縣玖珂郡麻里布町(現、和気町、岩国市)に選定、昭和15(1940)年5月、貯蔵所を製造所近辺で油槽船の利便性の良い廣島縣沼隈郡横島村(現、内海町)の農耕地に選定し、陸軍航空本部に委託された第五師團経理部が用地買収を実施します。

昭和16(1941)年8月21日、陸軍航空本部は建設費を決済し貯蔵所の建設を開始、昭和18(1943)年、貯油槽(13kl)11基、桟橋(油槽船用1、小型船用1)、送油管、事務所等が完成、陸軍燃料廠 横島貯蔵所が開設され、昭和17(1942)年4月に稼働した陸軍燃料廠第一製造所で精製された航空揮発油の貯蔵を開始します。

昭和19(1944)年10月20日、東京、大阪両陸軍航空補給廠が発足、航空に関する燃料の購買、貯蔵、保存及び補給を管掌する事になり、航空揮発油を貯蔵していた横島貯蔵所は大阪陸軍航空補給廠に移管され大阪陸軍航空補給廠 横島出張所に改称、引き続き航空揮発油の貯蔵を実施するなか、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により大阪陸軍航空補給廠 横島出張所は大蔵省に移管、広島財務局尾道支部の管理下に置かれますが施設は放置されていたため、島民により事務所備品から貯油槽の偽装材が略奪され、さらに構内に山中製粉(サツマイモ加工業者)が無断侵入し操業を開始、昭和23(1948)年、不法占拠が問題になり同社は退去、横島村は食糧難、就職難から旧横島出張所の払下げ陳情を実施します。

昭和28(1953)年9月30日、米軍が旧横島出張所の再利用を打診して来たため、呉調達局(内閣府外局の調達庁管下、のち防衛施設庁)は横島村長に調査を依頼、昭和29(1954)年、旧横島出張所は米軍に貸与され横島油槽所大浜貯油基地として再稼働します。
横島貯蔵所 米軍時代(福山)
▲稼働中の貯油槽
  建物の雰囲気、貯油槽に偽装網が無い事から米軍時代の撮影と思われます。

昭和33(1958)年、大浜貯油基地は我が国に返還され、石油連盟が1ヶ年の期限付で利用した後、昭和34(1959)年、丸善石油㈱に払い下げが決定、昭和35(1960)年、㈱丸善石油大浜貯油所として引き続き稼働しますが、昭和50(1975)年、石油危機(オイルショック)により同社は大浜貯油所の閉鎖を決定します。
同年、常石造船㈱(現、ツネイシホールディングス㈱)が跡地を買収し産業廃棄物処理工場の建設を計画しますが、島民の反対を受けて計画を中止するととともに、石油危機以降の石油のみに頼らないエネルギー備蓄方法として注目されつつあったLPガスに着目、周辺農地の買収を進め敷地を拡張し、昭和56(1981)年、昭和石油㈱と提携し内海町(昭和30年、町制施行)の賛同を得て計画を進めますが、またも町民の反対を受け計画は頓挫、常石造船㈱はLPガス貯蔵施設計画を中止し、順次貯油設備を撤去、キャンプ施設を備えた海水浴場「ドルフィンビーチ」として整備、平成28(2016)年5月1日、「シーパーク大浜」として再整備され現在に至ります。
横島貯蔵所 陸軍燃料本部 横島出張所(現在)(福山)
▲遺構の配置

A 油槽防弾壁
全て直径40×高さ10mの同型で、内部の貯油槽は撤去されています。
一番北西にあり近付きやすく最も見学がしやすいです。
横島貯蔵所 A 油槽防護壁 北から(福山)
▲油槽防弾壁 近影

横島貯蔵所 A 油槽防護壁 西から(福山)
▲油槽防弾壁とワシ(179cm)
  大きさが分かると思います。

横島貯蔵所 A 油槽防護壁 鉄筋(福山)
▲防弾壁の表面に見える鉄筋

横島貯蔵所 A 油槽防護壁 内部 (7)(福山)
▲防弾壁の内部
  内部は雑草や灌木も少なく見やすいです。


B 油槽防弾壁
行った次期が悪く、外周に樹木が茂り僕の最も苦手とするケムシ類が怖くて近づけませんでした。
横島貯蔵所 B 油槽防護壁 東から(福山)
▲規模は他の防弾壁と同じです。

横島貯蔵所 B 油槽防護壁 北から(福山)
▲防弾壁の控壁


C 油槽防弾壁
同じく。
横島貯蔵所 C 油槽防護壁 西から (2)(福山)

横島貯蔵所 C 油槽防護壁 西から(福山)
▲防弾壁の上に何かの台があり、内部にハシゴがあります。
  怖っ!!


D 油槽防弾壁
踏み跡が続いており近づけます。
確か内部に廃材が大量に捨てられていたと思います。
横島貯蔵所 D 油槽防護壁 西から(福山)

横島貯蔵所 D 油槽防護壁 西から (2)(福山)
▲入口まで踏み跡があります。

横島貯蔵所 D 油槽防護壁 内部 (2)(福山)
▲内部は灌木や雑草で余り見通せません。

横島貯蔵所 D 油槽防護壁 内部(福山)
▲入口はかなり巨大です。

横島貯蔵所 D 油槽防護壁 南から(福山)
▲外周にある控壁

海水浴場の施設と砂浜に沿って護岸の様なコンクリート製構造物が遺ります。
横島貯蔵所 貯油槽の海岸側にある擁壁(福山)


ア 貯水塔
この辺には事務所がありました。
蔦に覆われており、殆ど何だか分かりません。
もしかしたら戦後の物かも知れません。
横島貯蔵所 ア 貯水塔(福山)


イ 煙突
何のための煙突か不明です。
同じく戦後の物かも知れません。
横島貯蔵所 イ 煙突(福山)

※上記遺構は全てシーパーク大浜(ツネイシホールディングス㈱)内の私有地にあり、保守点検作業に来られていたドルフィンビーチ(当時)関係者の許可を得て立入り、撮影しています。
ドルフィンビーチ時代は海水浴期間以外は閉鎖されていましたが、現在の開園期間は不明です。
詳細はシーパーク大浜まで直接お問い合わせください。


以下の遺構は自動車道から海岸に降りる林道を抜け行く事ができます。
横島貯蔵所 貯油槽に降りる遊歩道入口にある監視小屋(接収時の物)(福山)
▲林道入口にある米軍の監視小屋

E 桟橋
陸から海上にある島桟橋の手前まで続きます。
稼働中はこの上に送油管が通っていた様です。
現在は陸地に近い部分が崩壊し先端まで行けないそうです。
横島貯蔵所 E 桟橋 北西から(福山)
▲切通を抜けると左側に桟橋の全景が見えます。

横島貯蔵所 EFGH 桟橋 北から(福山)
▲桟橋全景

横島貯蔵所 FGH 桟橋 E北側から(福山)
▲桟橋を陸から

横島貯蔵所 E 桟橋 南から(福山)
▲桟橋を海側から


F 島桟橋
桟橋は先端がなくなっており、島桟橋まで渡れません。
島桟橋は3基並んで造られており、当時はこの上に橋が渡してあった様です。
横島貯蔵所 F 桟橋(福山)
▲桟橋から向かって右側の島桟橋基礎


G 島桟橋
横島貯蔵所 G 桟橋(福山)
▲中央の島桟橋基礎


H 島桟橋
横島貯蔵所 H 桟橋(福山)
▲左側の島桟橋基礎


I 係留場
桟橋両側の岩礁にボラードの付いた係留場があります。
横島貯蔵所 I 係留場 東から(福山)


J 係留場
横島貯蔵所 J 係留場 南西から(福山)

桟橋の陸側には小型の燃料槽(戦後の物っぽい)やコンクリート基礎、堤防の残骸が散在しています。
横島貯蔵所 E 桟橋 西側の残骸(福山)
▲浜辺に転がる護岸や基礎の残骸

横島貯蔵所 E 桟橋 東側の油槽(福山)
▲小型の燃料槽


ウ 貯水槽
切通を抜けたあたりにあり、用途不明です。
横島貯蔵所 ウ 水槽 南から(福山)


電柱
貯油槽から桟橋に向かう道路に添って木造電柱が16本遺りますが、当時の物にしては遺りが良過ぎるので、戦後の物かも知れません。
横島貯蔵所 海岸遊歩道の電柱(関係無い?)(福山)

なお、当貯蔵所について検索すると「陸軍航空燃料廠」(^_^;)や「陸軍燃料廠 岩国工場」(惜しい!)、「岩国陸軍燃料廠 横島出張所」(惜しい!!)、果ては「横島陸軍航空燃料廠」(゜Д゜;) なる名称が出てきますが、まず陸海軍に「航空燃料廠」なる官衙はありません
また、岩國陸軍燃料廠が「岩国工場」と呼称された事もありませんし、「出張所」の呼称は大阪陸軍航空補給廠に移管された後の呼称です。
そして「横島陸軍航空燃料廠」・・・そんな大きな官衙ではありません。
自治体の発行している資料が色々と間違っているので仕方無いですが・・・。


主要参考文献
『陸軍燃料廠』 (平成15年5月 石井正紀 光人社)

『横島貯油基地の編年史』 (内海町文化財協会デジタルアーカイブ)

『駐留軍と県行政』 (広島県立文章館 所蔵文章の紹介)

まち歩き部 【遺講めぐり編】 横島・貯油基地跡(福山市内海町)』 (平成26年4月17日 朝日新聞デジタル版)

受苦圏の認知と地域社会 -広島県内海町のLPG基地建設反対運動の事例から』 (平成19年 武田尚子)

アジ歴各種史料
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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