当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

和泉憲兵分遣隊・同分遣隊長官舎

平安期に活躍した陰陽師・安倍晴明の母親・葛の葉(キツネ)の出身地で知られる信太山に和泉憲兵分遣隊、隣接して分遣隊長官舎がありました。
和泉憲兵分隊長官舎 東から(信太山)
▲大阪府和泉市伯太(はかた)町に遺る和泉憲兵分遣隊長官舎

【探索日時】
平成24年4月29日、平成27年12月18日





野砲兵第四聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
野砲兵第四聯隊(大正11)(信太山)
▲大正11年頃の地図(大正11年測量 大日本帝國陸地測量部)

野砲兵第四聯隊 野砲兵第四聯隊(現在)(信太山)
▲現在の地図に施設を転写
  ※兵営南東端(現、官舎地区)付近、伯太陸軍練兵場の明確な境界(特に西側)は不明です。

※緑文字が当記事の紹介施設
①野砲兵第四聯隊
②大阪陸軍病院 信太山分院
③伯太陸軍練兵場
④信太山陸軍墓地
⑤和泉憲兵分遣隊
なお、射撃場は隣接する信太山陸軍演習場内にありました。
名称については一般的な昭和17(1942)年頃のものです。

和泉憲兵分隊(信太山)
▲現在の和泉憲兵分遣隊跡地 周辺拡大
 赤枠和泉憲兵分遣隊
 灰色:元々あった建物(推定)
 青枠和泉憲兵分遣隊長官舎オレンジ:建物)

⑤ 和泉憲兵分遣隊
大正8(1919)年1月、泉北郡伯太村の用地(258坪)を買収、8月、庁舎が竣工、大正9(1920)年12月23日、伯太村の仮庁舎から移転し大阪憲兵隊 大阪憲兵分隊 信太山憲兵分遣所が開庁します。
大正14(1925)年5月29日、築港憲兵分隊設置に伴い、その管下に配属されます。
昭和3(1928)年8月15日、信太山憲兵分遣所は伯太憲兵分遣所に改称され、大阪憲兵隊 築港憲兵分隊 伯太憲兵分遣所となります。
昭和4(1929)年4月17日、難波憲兵分遣隊が分隊に昇格、「分遣所」は「分遣隊」に改称され伯太憲兵分遣所は難波憲兵分隊管下に配属され伯太憲兵分遣隊に改称します。

昭和11(1936)年8月1日、難波憲兵分隊は再び分遣隊となり大手前憲兵分隊管下に移管、堺憲兵分隊が新たに設置、伯太憲兵分遣隊は伯太村の和泉市への合併移行(昭和8年4月1日)に伴い和泉憲兵分遣隊に改称され大阪憲兵隊 堺憲兵分隊 和泉憲兵分遣隊となります。

昭和20(1945)年3月30日、大阪憲兵隊は中部憲兵隊司令部に改編、和泉憲兵分遣隊は中部憲兵隊司令部の直轄となり和泉憲兵分隊に昇格します。

以下は近所の方に取材した内容です。

現在は公園になり当時の面影は全くありませんが入口は現在と同じ南東隅にあり、停戦時は南から庁舎、厩舎、演武場の順に建物が建っていました。
毎日10:00、15:00頃に憲兵2人が乗馬にて市内警邏に出動、浜寺に不時着した敵機の搭乗員が連行されて来た事もあった様です。

大東亜戰争停戦に伴い和泉憲兵分隊は大蔵省に移管後、和泉市に払下げられ厩舎、演武場は増改築され市営住宅として使用された後、伯太宮前公園が造成され現在に至ります。
遺構は何も遺されていません
和泉憲兵分隊 入口付近(信太山)
▲現在の和泉憲兵分遣隊跡


和泉憲兵分遣隊長 官舎
大東亜戰争停戦に伴い官舎は個人に払下げられ(大蔵省から?)、最近までお住まいでしたが、引越しに伴い隣家の方が購入し現在に至ります。
平成27年12月に訪ねた際は茂っていた庭木が伐採され改装中でしたが、平成28年4月時点では現状維持されていました。
和泉憲兵分隊長官舎 東から (2)(信太山)
▲東から
  門柱も当時の物の様です。

和泉憲兵分隊長官舎 東から (1)(信太山)
▲正面側
  保存度は非常に高く、状態も最高です。

和泉憲兵分隊長官舎 南東から(信太山)
▲南東(正面)から

和泉憲兵分隊長官舎 南から(信太山)
▲公園側(憲兵分遣隊跡)から

和泉憲兵分隊長官舎 南西から(信太山)
▲裏側
  裏側に増築(左側のモルタル部分)がありますが、
  それ以外はほぼそのままの様です。


主要参考文献
『野砲兵第四聯隊並びに関連諸部隊史』(昭和57年4月 野砲兵第四聯隊史編纂委員会)
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これ、そうでしたかっ!

いつも楽しく拝見させていただいております。

実は、先月(11月)にそちら方面へ
お邪魔していたのですが、
和泉~河内長野~羽曳野と
巡った際に、この建物の前を
思いっきり「素通り」しました~(無念)

近いうち、黄金塚古墳を探訪するので
その時にでも記録をしたいと思います。

今回の発表、ありがとうございます m(_ _)m

Re: これ、そうでしたかっ!

祐実総軍三等兵 様

いつも拙ブログをお読み頂きましてありがとうございます!

私も貴ブログを拝見していて来阪は存じ上げていたのですが、せっかく遠方まで来られたのにもう少し早く上げていたら撃ち漏らす事が無かったのにと残念に思います。
この場所は個人的に誤認したりゴタゴタしてしまいアップが遅くなってしまいました。

小金塚は小さな古墳ですが結構荒れており、撮影に苦労すると思います。

それにしても祐実総軍三等兵様の行動力、凄いですね(^_^;)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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