当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

八日市陸軍飛行場

大凧で有名な滋賀県東近江市に八日市陸軍飛行場がありました。
八日市陸軍飛行場 I 北西から (2)(滋賀)
▲遊歩道沿いに遺る大型機用コンクリート製有蓋掩体壕

【探索日時】
平成24年12月27日、平成26年2月4日





八日市陸軍飛行場周辺の施設配置
八日市陸軍飛行場は滋賀縣神崎郡八日市町、同御園村、蒲生郡中野村、同玉緒村(全て現、東近江市)に跨る地域にありました。
八日市陸軍飛行場 八日市陸軍飛行場(部分)着色(滋賀)
▲『大日本帝國陸地測量部地形圖 39 彦根近傍』
  昭和10(1935)年頃の八日市陸軍飛行場周辺

八日市陸軍飛行場 八日市陸軍飛行場(全体図・現在)初期(滋賀)
▲竣工時の範囲
① 八日市陸軍飛行場
② 航空第三大隊
③ 大津衛戍病院八日市分院
④ 警戒線(飛行に支障のある構築物の禁止)
⑤ 大津憲兵分隊八日市分遣所

八日市陸軍飛行場 八日市陸軍飛行場(全体図・現在)最終時(滋賀)
▲最終時の施設を現在の地図に転写
① 八日市陸軍飛行場 (紫:発足当時赤:最終時
② 飛行第三戰隊 (昭和17年4月30日から、第百四教育飛行聯隊)
③ 八日市偕行社
④ 各務原陸軍航空支廠 八日市分廠
⑤ 陸軍気象部 八日市観測所
⑥ 第八航空教育隊
⑦ 八日市陸軍病院
⑧ 八日市憲兵分遣隊
⑨ 高射砲陣地
⑩ 平林陸軍射撃場
名称は昭和16(1941)年頃
※緑文字が当記事の紹介施設


遺構について ※青字は地図にリンクしています
(数字、アルファベット等の遺構配置は上掲地図参照)
① 八日市陸軍飛行場
大正4(1915)年6月、八日市町による飛行学校設立計画とともに、我が国初の民間飛行場である沖野ヶ原飛行場が竣工します。
しかし、技術者の不足、運営資金の欠如から飛行学校設立計画は中止され、飛行場の運用も頓挫します。

大正6(1918)年5月1日、陸軍省は八日市町の誘致により沖野ヶ原飛行場に航空第三大隊の設置を内定、同町は周辺町村とともに沖野ヶ原飛行場を含む飛行場拡張用地を献納、陸軍が買収した用地と合わせ軍用飛行場及び兵舎の建設が開始され、大正11(1922)年1月11日、航空第三大隊の開隊式が挙行、4月、沖野ヶ原飛行場を包含した八日市陸軍飛行場が竣工します。

昭和15(1940)年6月、陸軍は兵営東側一帯の民有地を買収し、航空教育隊兵営の新設工事を実施、昭和18(1943)年、飛行場南側滑走面、昭和19(1944)年4月、西側滑走面を拡張します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、飛行場は大蔵省に移管、10月末、大津に進駐した米軍により接収され、昭和21(1946)年2月、機材、兵器、弾薬、軍需品が焼却されます。
接収品の処理が終了した飛行場は接収解除され大蔵省に返還後、八日市町に払下げられ?、建物類は解体の後、学校、魚市場等に払下げられ、飛行場は農林省に移管され開拓民に払下げられ農地として開墾され、昭和30(1955)年頃から八日市市の誘致により兵営跡地に企業が進出し、現在に至ります。
八日市陸軍飛行場 ケ 「八日市飛行場 道」道標(滋賀)
近江鉄道「長谷野駅」前にある道標ケ
  左道 八日市飛行場と刻字されています。

飛行場は土質が硬く転圧だったため滑走路は無く、戦後の開拓で痕跡は殆ど遺されていませんが、外周の輪郭が辛うじて道路、農道として遺ります。
八日市陸軍飛行場 南西端付近から北側(滋賀)
▲八日市陸軍飛行場跡北端から見た跡地

また飛行場から東側、南側に誘導路が敷設され多数の掩体壕が設定されていました。
特に南側は布引山に沿って設定された事もあり、多数の掩体壕及び痕跡が遺ります。
僕が踏査し発見した内訳はコンクリート製有蓋掩体壕2、コンクリート基礎のある無蓋掩体壕4、土製無蓋掩体壕15、その他3です。
東側は市街地、工業地帯化されており、現在も一部が雑木林として遺りますが、踏査したところ特に人為的な構築物は無く、掩体壕では無く雑木林を切り拓いただけの秘匿場所、もしくは偽装誘導路だったのでは無いでしょうか?

誘導路・掩体壕設営時期については、他の飛行場同様、『防空法』改正(昭和18年10月31日、法律第百四號)により改正された『防空法施行令』(昭和19年1月8日、勅令第二十一號)の「飛行場の偽装・防弾設備の整備推進」示達に則り、昭和19(1944)年初旬に開始されたと思われます。
誘導路は布引山北側の八坂八幡神社辺りを東端とし宮溜池南側を通り、布引小学校付近で布引山を回り込み布引台を通り山南側に抜け里道を利用し東進、シキボウ付近まで回り込んで設定されていました。
八日市陸軍飛行場 USA-M1061-8(230518)(滋賀)
▲昭和23(1948)年5月18日の布引山周辺の空撮(国土地理院 USA-M1061-8)
 誘導路と掩体壕の位置がはっきり写っています。

八日市陸軍飛行場 八日市陸軍飛行場(滋賀)
▲誘導路・掩体壕配置
  オレンジ:混凝土青:土赤:残存誘導路ピンク:滅失

※以下の遺構の寸法は歩測で採寸しているので多少の誤差があると思います。
また『八日市・布引山の戦争遺跡群調査報告書』に記載されている遺構は数値を引用(○印)しています。


A 掩体壕
布引運動公園の遊歩道沿いにあります。
幅16×奥行19mあり、斜面を掘り込み両側に土堤を築き毛抜型を形成しています。
大きさから小型機用の掩体壕と思われます。
八日市陸軍飛行場 A 北から(滋賀)
▲中央の窪んでいる場所が掩体壕

八日市陸軍飛行場 A 西側土堤 北東から(滋賀)
▲右側に低くなっていますが西側土堤が見えます。


B 掩体壕
布引運動公園の遊歩道沿いにあります。
幅9×奥行12mあり、斜面を掘り込みコ型を形成しています。
遊歩道造成で東側の斜面が破壊されている様ですが、大きさから飛行機以外の掩体の様です。
八日市陸軍飛行場 B 北西から(滋賀)
▲中央の窪んでいる場所が掩体壕

八日市陸軍飛行場 B 南西から(滋賀)
▲上から見た掩体壕


C 掩体壕
布引運動公園の遊歩道沿いにあります。
○幅15.6×18mあり、斜面を掘り込み半円型を形成し、入口両側にはコンクリート製の基礎があります。
大きさから小型機用の掩体壕と思われます。
掩体壕背後(斜面側)に溝状の掘り込みがありますが、この遺構は無蓋掩体壕に良く見られ排水用の溝と思われます。
八日市陸軍飛行場 C 北西から(滋賀)
▲写真左右にコンクリート基礎が見えます。

八日市陸軍飛行場 C 東側前面の基礎(滋賀)
▲東側前面の基礎

八日市陸軍飛行場 C 西側前面の基礎(滋賀)
▲西側前面の基礎


D 掩体壕
布引運動公園の遊歩道沿いにあります。
直径10m程あり、斜面を掘り込みC型を形成し、北側に開口部があります。
八日市陸軍飛行場 D 南東から(滋賀)
▲半円形の形状が良く分かります。


E 掩体壕
有名なコンクリート製掩体壕です。
八日市市により説明板が建てられていますが、私有地に有り立入禁止の表示があるうえ前方に竹が繁っておりあまり見通せません。
○開口幅24.5・最大幅28×奥行22.5×高5.5mあり、天蓋前縁部がやや破損していますが、状態は良好です。
大きさから重爆用と思われますが、内部に土が残されている事から完成直前だった様です。
八日市陸軍飛行場 E 北東から (2)(滋賀)
▲もう少し竹を伐採して頂けたらよく見えるのですが・・・。

八日市陸軍飛行場 E 南西から(滋賀)
▲布引運動公園から後端が見えます。


a 方形掘り込み
E掩体壕の東側にあり掩体壕側に開口部があり、開口部前に幅4×奥行2mの爆風除け土堤があります。
○開口幅4・最深部幅6.5×奥行21mあり、飛行機修理場だった様です。
八日市陸軍飛行場 a 南東から(滋賀)
▲上から見た方形掘り込み

b c d 地下壕
E掩体壕から伸びる交通壕によりa方形掘り込みの上部を通り繋がっています。
bcdは元々繋がっておりE型をしていた様ですが、壕口付近は崩落し斜面上に開口部があるも内部は崩落しています。
八日市陸軍飛行場 a 南西側の通路 南東から(滋賀)
▲E掩体壕から伸びる交通壕

八日市陸軍飛行場 b 壕口(滋賀)
b 壕口
  辛うじて開口していますが1m程で崩落しています。

八日市陸軍飛行場 c 壕口跡(滋賀)
c 壕跡
  完全に崩落し溝状になっています。

八日市陸軍飛行場 d 壕口(滋賀)
d 壕口
  開口していますが、3m程で崩落しています。


F 掩体壕
荒れた竹林の中にありほとんど見通せません。
斜面を掘り込み、コ型を形成しています。
幅14mありますが、奥行きは歩測も不能なくらい荒れています。
八日市陸軍飛行場 F 北西側土塁 南西から(滋賀)
▲左の斜面が西側の端

八日市陸軍飛行場 F 南東側土塁 北から(滋賀)
▲東側の端 もはや何か分かりません(´・ω・`)


G 掩体壕
遊歩道から見える場所にあり、造成により西側が滅失し東側半分しか遺っていません。
斜面を半円形に掘り込み、その内部に掩体壕を構築、前端部にL型のコンクリート基礎があり、奥側は斜面を掘り込み台形型をしています。
八日市陸軍飛行場 G 東から(滋賀)
▲誘導路から見たG掩体壕

八日市陸軍飛行場 G 南東側前面の基礎 北西から(滋賀)
▲東側前面の基礎


H 掩体壕
高速道路の側道脇の私有地に有り立入禁止の表示があります。
○開口幅15・奥幅9.3×奥行19mあり、斜面を掘り込み、東側は奥で屈曲し狭くなりコ型を形成しています。
八日市にはこの様な歪な形状をした無蓋掩体が多くありますが、用途は不明です。
八日市陸軍飛行場 H 北東から(滋賀)
▲右側に見えるのが西側の土堤
  中央奥の暗い部分が掩体壕内部


I  掩体壕
非常に有名なコンクリート製掩体壕で、「八日市と言えば!」この遺構が出てきます。
八日市市により説明板が建てられています。
○開口幅25・最大幅28×奥行21.5×高5.3mあり、天蓋前縁部がやや破損、本体も横側に亀裂が入っており右側の天井が崩落するなど危険な状態です。
E掩体壕とほぼ同じ大きさがあり重爆用と思われますが、こちらも内部に土が残っており完成直前だった様です。
八日市陸軍飛行場 I 北西から(滋賀)
▲遊歩道から見た全景
  当記事の扉写真はもう少し脇から近付いて撮影したものです。

八日市陸軍飛行場 I 北東から (2)(滋賀)
▲側面から

八日市陸軍飛行場 I 北東から(滋賀)
▲本来は写真奥に見えている部分の右端まで天蓋があった様です。
  天井が抜け崩壊寸前です。


J 掩体壕
竹林内にあり遊歩道から土堤が見えます。
位置的に平地に土堤を築きコ型を形成していた様ですが、造成により大破し東側の土堤の先端が遺るのみです。
土堤東側から南側にかけ(掩体外周に沿って)掘られた溝の形状から残存土堤を東側の物と判断しました。
八日市陸軍飛行場 J 西側土塁 北西から(滋賀)
▲盛り上がっている部分が土堤先端


K 掩体壕
竹林内にあります。
開口幅7・奥幅6×奥行30mあり、斜面を掘り込み、東側は奥で屈曲し狭くなりコ型を形成しています。
規模、形状から工場等の半地下施設跡の様です。
八日市陸軍飛行場 K 最深部 北から(滋賀)
▲最深部
  斜面はかなり掘り込まれています。

八日市陸軍飛行場 K 最深部から西側土塁(滋賀)
▲西側の斜面


L 掩体壕
雑木林の中にあります。
誘導路(現、遊歩道)から細い通路で内部に入ります。
幅8・奥幅7×奥行30mあり、斜面を掘り込み、西側は奥で屈曲し狭くなりコ型を形成しています。
また掩体壕の後端両外側に溝状の掘り込みがあります。
規模、形状から工場等の半地下施設跡の様です。
八日市陸軍飛行場 L 北から(滋賀)
▲入口側から見たL掩体壕

八日市陸軍飛行場 L 南西側の溝 南東から(滋賀)
▲掩体壕西側後端付近の溝状掘り込み


M 掩体壕
雑木林の外れにあります。
斜面を半円形に掘り込み、その内部にコンクリート製の基礎が遺り、基礎の両端には僅かな土堤があります。
各地で見られる木製掩体壕の基礎と同等の物ですが、全体が落葉と雑草で埋まり不鮮明です。
八日市陸軍飛行場 M 北から(滋賀)
▲入口側から見たM掩体壕
  右側に見える黒い高まりが西側土堤の先端

八日市陸軍飛行場 M 東側基礎 南西から(滋賀)
▲東側奥の基礎

八日市陸軍飛行場 M 西側基礎 南東から(滋賀)
▲西側奥の基礎


N 掩体壕
墓地のすぐ横にある荒れた雑木林の中にあります。
幅21×奥行21mあり、斜面を掘り込み両側に土堤を築き円形を形成、先端は直角に内側に曲がります。
内部底面の最深部両側が高くなっており、これも他所の掩体壕でよく見ますが築造途中の様です。
八日市陸軍飛行場 N 開口部から内部(右は西側土塁前端)(滋賀)
▲入口から見たN掩体壕
  分かり難いですが右側に写っているのが掩体壕西側の土堤先端

八日市陸軍飛行場 N 最深部(滋賀)
▲掩体壕最深部

N掩体壕の北側には幅10mの誘導路の南側縁が遺ります。
八日市陸軍飛行場 N 北側の誘導路 東から(滋賀)
▲平坦な誘導路跡


O 掩体壕
雑木林内にあり、遊歩道から右側の土堤先端(遊歩道造成時に先端が破壊)が見えます。
幅12×奥行21mあり、斜面を掘り込み両側に土堤を築き楕円形を形成しています。
灌木が繁っており余り見通しが効きません。
八日市陸軍飛行場 O 最深部から北側土塁(滋賀)
▲最深部から見た北側の土堤


P 掩体壕
遊歩道沿いにある柵でガチガチに囲まれた私有地にありますが、裏から見えます。
設定途中だった様で西側の土堤しか無く、平地に土堤を築き土堤内部、外周の土を掘削しつつある工程が良く分かります。
八日市陸軍飛行場 P 西側土塁と内部(左) 北から(滋賀)
▲手前から右側にカーブしながら奥のフェンスまで伸びる
  西側の土堤

PからRにかけ両側に側溝を伴う幅10mの誘導路が完存しています。
八日市陸軍飛行場 QP 前の誘導路(滋賀)
▲誘導路両端には排水用の溝があります。


Q 掩体壕
雑木林の中にあります。
○開口幅13×奥幅9×奥行27m、土堤高2mあり、斜面を掘り込み外周に土堤を築きコ型を形成しています。
八日市陸軍飛行場 Q 北東から(誘導路から)(滋賀)
▲誘導路から見たQ掩体壕
  写真両端に掩体壕両端の土堤先端が見えます。

八日市陸軍飛行場 Q 最深部から開口部(滋賀)
▲最深部から見た入口方向

八日市陸軍飛行場 Q 東側土塁前端部と内部 北東から(滋賀)
▲東側土堤(左)と掩体壕内部

八日市陸軍飛行場 Q 西側土塁 内部から(滋賀)
▲掩体壕内部から見た西側土堤


R 掩体壕
杉林の中にありましたが、平成26年に再訪すると殆どの樹木が伐採され見通しが良くなっていました。
まさか掩体壕を見易くするためとは考えにくいので・・・
○開口幅14×奥幅9×奥行19m、土堤高2mあり、斜面を掘り込み外周に土堤を築き、西側は奥で屈曲し狭くなりコ型を形成しています。
八日市陸軍飛行場 R 東から(滋賀)
▲杉林の中にあるR掩体壕(平成24年)
  明るい部分が掩体壕の入口

八日市陸軍飛行場 R 最深部上から内部(滋賀)
▲最深部の土堤上から見た掩体壕内部(以下、平成26年)
杉が伐採され見易くなりました。

八日市陸軍飛行場 R 最深部南東端上から東側土塁(滋賀)
▲東側土堤の屈曲部

八日市陸軍飛行場 R 最深部南西端上から南側土塁(右)・東側土塁(奥)(滋賀)
▲西側土堤上から見た最深部の土堤


S 掩体壕
杉林の中にありましたが、平成26年に再訪すると殆どの樹木が伐採され見通しが良くなっていました。
まさか掩体壕を見易くするためとは考えにくいので・・・
○開口幅16×最大幅19×奥行31.5m、土堤高2mあり、斜面を掘り込み外周に土堤を築き、西側は奥で屈曲し狭くなり毛抜型を形成しています。
八日市陸軍飛行場 S 西側土塁 北東から(滋賀)
▲先端側から見た西側の土堤(平成26年)

八日市陸軍飛行場 S 最深部(滋賀)
▲最深部は両側の土堤が鋭角に繋がります(平成24年)

八日市陸軍飛行場 S 東側土塁外側にある窪地群(滋賀)
▲S掩体壕の東側にある円形窪地、交通壕群
  竪穴式の退避壕、対空陣地と思われます。


T 方形窪地
農道と遊歩道の間の雑木林内にあります。
○幅29×奥行8.05mあり、兵舎跡の様です。
八日市陸軍飛行場 T 西から(滋賀)
▲雑木林になっており、写真では伝わりません。


U 掩体壕
鉄塔横の空地にあります。
造成により均されてしまい元々の形状は不明ですが、東側のコンクリート基礎が僅かに遺ります。
全ての基礎が埋まっている可能性が高いので、掘り出したら全体が分かると思います。
八日市陸軍飛行場 U 東側基礎 北から(滋賀)
▲鉄筋のあるコンクリート基礎

U・∨北側には幅10m程の誘導路と思しき削平通路があります。
八日市陸軍飛行場 U前の誘導路(滋賀)
▲平坦な誘導路が続きます。


∨ 掩体壕
同じく鉄塔横の空地にあります。
こちらも造成により殆ど均されており元々の形状は不明ですが、僅かに土堤状の土盛が遺ります。
ただ、造成の残土の可能性もあり詳細は不明です。
八日市陸軍飛行場 V 東側土塁 北西から(滋賀)


この他、各掩体壕周辺には竪穴式の退避所、対空陣地の様な掘り込みが無数に遺ります。


⑨ 高射砲陣地
飛行場南端付近に高射砲陣地があった様ですが、資料が無く配属部隊、備砲など詳細不明です。


八日市陸軍飛行場 略歴
大正3(1914)年、京都で呉服商を営む滋賀県愛知郡八木荘村(現、秦荘町)出身の飛行士・荻田常三郎氏は郷土初飛行を計画、広大かつ平坦な空間と一定で適度な風が吹き、江戸時代より大凧揚げが行われていた八日市町(現、東近江市)の沖野ヶ原に着目し、横畑耕夫町長に計画を披露します。
同町は荻田氏の申し入れを快諾し実地調査の後、氏の陸軍時代の旧友・熊木久兵衛氏が準備委員会を組織、同町により4,000坪の整地工事が開始されます。
10月21・22日、荻田操縦士、大橋繁三助手搭乗、伏見宮貞愛親王拝名の翦風號による飛行会(21日は天候悪化のため地上滑走のみ、22日は臨時飛行場が狭隘だったため着陸時損傷)が行われます。
飛行会終了後、修交館(町役場内公会堂)で開催された懇親会の挨拶で荻田氏は、沖野ヶ原が狭隘である事以外は飛行場敵地であり、且つ自らが主催する飛行学校設立の計画を披露し、町長始め出席した同町幹部は氏の計画に深く共鳴します。

11月3日、八日市町議会は明治維新以降、幹線鉄道網から外れ鈍化していた町勢の興隆の基幹とすべく荻田氏の計画に賛同、土地買収委員を設立し飛行場用地の選定、買収価格の設定、及び沖野原飛行後援會、飛行學校設立期成同盟會を発足させます。

沖野原飛行後援會は町長、全町会議員計20名が委員となり総予算30,000円を計上、飛行學校設立期成同盟會は早速、氏の愛機に因み翦風飛行學校として修交館内に事務局を開設し開校準備を開始します。
しかし、大正4(1915)年1月3日、資金集めも兼ねた飛行会に挑み京都陸軍練兵場を離陸した翦風號が墜落、荻田操縦士、大橋助手は事故死ししてしまいますが、飛行場建設は続行され、また熊木氏を中心に翦風號は修理され第二翦風號と改名されます。

4月7日、八日市町は飛行場用地を同町字沖野、同梅ヶ原の45,000坪に選定、買収及び工事費15,000円は町会議員全員の連帯により借入し充当(6月21日、借入れ)する事が決定し、また造成工事は自作自家用機の練習場、格納場所を求めていた伏見の建設業者・小畑常次郎氏が完成後の一部借用を条件に安価で請負います。
19日、地鎮祭を挙行、飛行場造成が開始され、6月、我が国初の民間飛行場として沖野ヶ原飛行場が竣工します。
同町は飛行場完成に先立ち運営資金調達のため滋賀縣飛行會を設立し飛行場運営を国家的事業と位置付け県下一円の賛助を求めますが寄付募集は進捗せず、10月24日、計画は一時中止されます。

大正5(1916)年1月29~31日、米飛行士・C.ナイルス氏が第二翦風號の試験飛行、2月、飛行士・中澤家康氏、10月17日、同野島銀蔵氏が小畑氏所有のモーリス・ファルマンの飛行、大正6(1917)年2月6日、米飛行士・F.チャンピオン氏、5月10日、同A.スミス氏がが第二翦風號の飛行を実施しますが、飛行場運営の目処は立たず財政難と技術者不足から八日市町の民間飛行場事業は中止され、運用計画の無いまま飛行場が残されます。

町会議員名義で借入れた飛行場造成資金を開墾費として町税に賦課した事から批判が噴出(各町会議員が多額の寄付をする事で沈静化)するなか、八日市町は飛行場を有効活用すべく日本飛行協会への移管を打診、また大正5(1916)年、航空第二大隊開設の情報を受け、飛行場の献納を条件に陸軍省に誘致陳情を実施(各務原への設置が既定していた)しますが悉く頓挫します。

大正6(1918)年11月14~17日、滋賀・岐阜県下で行われた特別大演習において沖野ヶ原飛行場が飛行機不時着場に指定されたのを機に八日市町は陸軍省等に飛行場運用の陳情を重ねるなか、大正7(1918)年5月29日、陸軍省は『大正七年軍備充實要領』、同『細則』を制定し航空第三大隊の新設を決定、滋賀県に用地500,000坪の準備を打診、森正隆知事は関係2郡(神埼、蒲生)、4町村(八日市、御園、中野、玉緒)に用地、及び必要経費の分担を提示します。
5月1日、八日市町に航空第三大隊の設置が内定、2日、町は飛行場有効活用の好機として陸軍省の申し出を快諾、官民一体となり飛行場拡張、大隊設置の事前準備を開始します。
大正8(1920)年5月、第十六師團経理部は不足分の用地買収を開始、大正9(1921)年3月、滋賀県による用地買収が完了し陸軍省に献納され、6月1日、滋賀県庁主催により陸軍、貴族・衆議院議員、県郡市町村関係者500名が参列し地鎮祭が斎行、飛行場の拡張、兵営建設が開始されます。

大正10(1922)年3月、大隊本部、兵舎が竣工、27日、航空第三大隊先発隊25名、11月、全設備の竣工に伴い、7日、大隊主力が地域住民の歓呼のなか各務原より移駐、大正11(1922)年1月11日、航空第三大隊の開隊式が挙行され、4月、沖野ヶ原飛行場を包含した八日市陸軍飛行場が竣工します。
7月28日、航空第三大隊は飛行第三大隊に改称、大正14(1926)年5月1日、飛行第三聯隊に改編されます。

昭和5(1930)年10月、八日市鉄道・新八日市駅-飛行場駅間の支線が開通します。

昭和13(1938)年7月1日、各務原陸軍航空支廠八日市分廠が設置され、8月31日、飛行第三聯隊は飛行第三戰隊に改編されます。

昭和15(1940)年6月、第一飛行集團経理部により飛行戰隊兵営の東側一帯民有地の買収が実施され、航空教育隊兵営の新設工事が実施されます。

昭和16(1941)年2月9日、満洲国牡丹江省海狼より第八航空教育隊が移駐、昭和17(1942)年3月、飛行第三戰隊は八戸陸軍飛行場に移駐、4月30日、八日市において第百四教育飛行聯隊が編成されます。

7月、陸軍航空本部は大型化する飛行機に対応すべく飛行場滑走面西側・南側の拡張を決定します。

昭和18(1943)年、第五十一教育飛行師團師團経理部は飛行場南側の水田91,000坪を買収し滑走面を拡張します。

昭和19(1944)年2月25日、第百四教育飛行聯隊は第四教育飛行隊に改編されます。

4月6日、第五十一教育飛行師團師團経理部長・山口忠雄主大佐は飛行場西側の拡張用地地権者を八日市偕行社に招集、飛行場拡張の必要性を説明し用地売却を懇請、15日、1坪15円を提示し110,000坪を買収し滑走面を拡張します。

9月27日、八日市は明野教導飛行師團(明野陸軍飛行學校)の教育、作戦用の分飛行場に指定されます。

昭和20(1945)年3月7日、第四教育飛行隊の空中勤務者が、11日、地上勤務者が兒玉陸軍飛行場(埼玉)に移駐、7月18日、飛行第二百四十四戰隊が小牧陸軍飛行場から移駐して来ます。

7月24・25日、連日、敵艦載機が八日市陸軍飛行場に来襲、周辺民家も機銃掃射を受け、24日に少年1名、25日に3名が死亡してしまいます。
25日、邀撃を禁止されていた飛二百四十四は敵機に国土を蹂躙される様を看過する事できず出撃、10機を撃墜、3機を撃破しますが2名が散華してしまいます。
戰隊は中部・近畿地区の防空にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月30日、飛二百四十四の復員式が挙行され、31日、復員完結、同日、戰隊は飛行場監視隊を編成し飛行場管理を開始、9月2日、第八航空教育隊の復員式が挙行され、5日、復員完結、事後残務整理及び逐次復員が開始されます。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により陸海軍施設は大蔵省に移管されます。

10月4日、米第136歩兵連隊が大津海軍水上機基地(大津市)に進駐し、滋賀県下の軍事施設に分駐し軍需品の接収を開始、10月末、八日市陸軍飛行場はゴールキー大尉以下の米軍により接収され、昭和21(1946)年2月、調査用に選別された四式基本練習機、キ一〇二を除く飛行機224機、兵器弾薬軍需品が焼却され、被服類は大津に搬送されます。

昭和20(1945)年11月3日、連合国軍最高司令官総司令部は各軍政部に『連合国軍最高司令官総司令部・高級副官部(SCAP・AG)指令第686号』、12月11日、『SCAP指令第601号』により各陸軍飛行場、海軍航空基地の全面、もしくは一部を農地、塩田として転換する方針を下達します。
接収品の処理が終了した八日市陸軍飛行場は接収解除され大蔵省に返還、居住区は八日市町に払い下げられたと思われますが、経緯は不明です。

本部庁舎、兵舎は八日市、蒲生中学校の校舎、格納庫は高知、下関の魚市場、戦闘指揮所は八日市郵便局分室等として移築、将校集会所に愛知川水利組合、気象観測所は引揚者住宅等に転用、滑走面は農林省に移管され引揚者、空襲罹災者を開拓民として1戸あたり3反まで払下げられ農地として開墾されます。

昭和23(1948)年11月19日、第八航空教育隊跡地に玉緒中学校が創設、昭和37(1962)年3月、八日市市の企業誘致により㈱村田製作所八日市事業所、昭和45(1970)年、凸版印刷㈱滋賀工場、昭和40(1965)年2月、飛行第三戰隊跡地にタキロン化学㈱八日市工場等が進出し現在に至ります。


主要参考文献
『八日市市史 4 近現代』 (昭和62年2月 八日市市史編さん会 八日市市役所)

『八日市の歴史』 (昭和59年 八日市市史編纂委員会 八日市市役所)

『今、語らなければ 八日市市平和祈念展の記録』 (平成17年2月 八日市市平和祈念展開催実行委員会)

『八日市・布引山の戦争遺跡群(旧陸軍八日市飛行場関連遺跡)に関する調査報告書』(平成13年 皇子山を守る会)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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