当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二十一海軍航空廠 工員養成所

長崎県大村市に所在し東洋一の規模を誇った海軍工作庁、第二十一海軍航空廠の東側に工員養成所がありました。
二十一空廠 工員養成所 ア 工員養成所 門柱 西から (2)(長崎)
▲西大村中学校の校門として転用されている工員養成所正門

【探索日時】
平成24年11月27日





第二十一海軍航空廠周辺の施設配置
第二十一海軍航空廠は昭和16(1941)年10月1日、195,454坪、建物62棟で開庁しますが、引き続き整備・拡張を続け、昭和19(1944)年6月、657,000坪、建物130棟(ほか廠外直轄113,000坪、官舎・住宅含まず)に拡張します。
第二十一海軍航空廠 大村(昭和19年)(長崎)
▲昭和19(1944)年末の第二十一海軍航空廠周辺空撮

第二十一海軍航空廠養成所(長崎)
▲第二十一海軍航空廠の範囲、及び施設配置
紫:二十一空廠 橙:官舎・住宅 緑:他海軍施設 赤:陸軍施設

㉑ 第二十一海軍航空廠
㉒        〃
㉓        〃
㉔ 第二十一海軍航空廠 工員養成所
㉕~㊸ 官舎・工員住宅・寄宿舎 名称は省略
名称は昭和20(1944)年頃
ブラウザによっては数字が表示されない様ですが、上から21~です。
※緑文字が当記事の紹介施設
また周辺に佐世保海軍施設部大村地方事務所の施設が点在していましたが、省略しています。


遺構について ※青字は地図にリンクしています
(遺構配置は上掲地図参照)
㉔ 第二十一海軍航空廠 工員養成所
昭和16(1941)年10月1日、佐世保海軍工廠航空機部は分離改編され、長崎県東彼杵郡大村町に第二十一海軍航空廠が開廠します。

昭和18(1943)年2月、工員養成所及び同官舎34棟(養成所西側)が竣工、4月1日、工員養成所(所長は總務部長・山田彪男機大佐兼務、幹事:岡部狂夫機少佐)が開所、佐世保海軍工廠工員養成所の航空機部が移転、教育を開始します。
工員養成所は航空技師を目指す国民学校高等科卒業者(14・15歳)が九州各地から14,400名が入所、全寮制で見習科3年、専科1年、補習科2年の6年間修業、日8時間の授業に加え朝夕の別課がありました。

昭和19(1944)年10月25日、第二十一海軍航空廠にB29爆撃機59機が来襲、全建物の半分が全半焼・壊、275名爆死、重軽傷者320名、零観10機、流星5機破壊の大損害を受けてしまいます。
以降、11日、B29爆撃機80機、11月21日、同61機、昭和20年1月6日、同49機、3月27日、同161機が来襲、他艦載機が15回程が来襲し第二十一海軍航空廠は甚大な被害を蒙ります。

11月18日、飛行機部機械工場が波佐見金山坑道へ疎開を開始したのを始め、昭和20(1945)年2月、全生産工場が周辺林間、公園、さらに諫早町、佐賀県に分散疎開を開始しますが工員養成所は留まり教育を実施するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

17日、工員養成所は授業を停止、同日、米第2海兵団第3大隊800名が大村市に進駐を開始し、19日、第二十一海軍航空廠は接収されます。
28日、技能者養成所は大蔵省に移管され、10月1日、工員養成所跡に長崎から原爆により校舎が全焼した県立長崎工業学校が進出、昭和23(1948)年5月、西大村中学校が寄宿舎跡に進出、昭和24(1949)年4月6日、中央小学校が寄宿舎跡に開校、昭和25(1950)年1月、県立長崎工業学校は長崎市の新築校舎に移転したため、西大村中学が工員養成所跡に移転、学校用地以外は国有地として公共職業安定所、それ以外の大半は大村市に払い下げられ、さらに民間に払い下げられ住宅地になっています。

ア 正門門柱
西大村中学校の校門として転用されています。
二十一空廠 工員養成所 ア 工員養成所 門柱 西から(長崎)
▲外側から見た正門門柱

二十一空廠 工員養成所 ア 工員養成所 門柱 北側 南西から(長崎)
▲左側の門柱近影
  戦後に白色に塗られてしまった様です。

二十一空廠 工員養成所 ア 工員養成所 門柱 南側 北西から(長崎)
▲右側の門柱近影
  よく見ると門扉を取り付けていた蝶番が外され埋められた跡があります。


イ 第廿一海軍航空廠 工員養成所跡
西大村中学校の校門を入ってすぐ左側にあります。
二十一空廠 工員養成所 イ「第廿一海軍航空廠 工員養成所跡」碑(長崎)
▲昭和55(1980)年10月26日、工養会の有志一同により建立されました


主要参考文献
『放虎原は語る』 (平成11年3月 第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会 大村市)

『大村市史 下』 (昭和36年2月 大村市史編纂委員会))

石碑碑文
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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