当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二十一海軍航空廠 高等官住宅

長崎県大村市に所在し東洋一の規模を誇った海軍工作庁、第二十一海軍航空廠北側に廠員(文官)の高等官住宅、及び工員の寄宿舎がありました。
二十一空廠 高等官住宅 1(長崎)
▲民家に転用された高等官住宅

【探索日時】
平成27年9月26日





第二十一海軍航空廠周辺の施設配置
第二十一海軍航空廠は昭和16(1941)年10月1日、195,454坪、建物62棟で開庁しますが、引き続き整備・拡張を続け、昭和19(1944)年6月、657,000坪、建物130棟(ほか廠外直轄113,000坪、官舎・住宅含まず)に拡張します。
第二十一海軍航空廠 大村(昭和19年)(長崎)
▲昭和19(1944)年末の第二十一海軍航空廠周辺空撮
  10月25日の空襲により甚大な被害が出ています。

第二十一海軍航空廠 住宅
▲第二十一海軍航空廠の範囲、及び施設配置
紫:二十一空廠 橙:官舎・住宅 緑:他海軍施設 赤:陸軍施設
㉑ 第二十一海軍航空廠
㉒        〃     
㉓        〃     
㉔ 第二十一海軍航空廠 工員養成所
㉕~㉗ 官舎
㉘ 郡川工員寄宿舎
㉙ 竹松女子寄宿舎 ・ 小路口 〃
㉚ 植松工員寄宿舎(二~十二區 偶数区)
㉛ 植松工員寄宿舎(一~十五區 奇数区)
㉜ 高等官住宅

㉝ 鳥原工員住宅
㉞ 池田工員住宅(九・十・十一區)
㉟ 諏訪工員住宅(七・八區)
㊱ 住宅營團 諏訪工員住宅
㊲ 古町女子寄宿舎(第一~第三)・大村海軍共済病院(廠内から移転)
㊳ 古町工員住宅(五・六區)
㊴ 杭出津工員寄宿舎
㊵ 大佐古工員住宅(一區)
㊶ 水田工員住宅(二區)
㊷ 杭出津工員住宅(三・四區)
名称は昭和20(1944)年頃
ブラウザによっては数字が表示されない様ですが、上から21~43です。
※緑文字が当記事の紹介施設
周辺に佐世保海軍施設部大村地方事務所の施設が点在していましたが、省略しています。


遺構について ※青字は地図にリンクしています
昭和16(1941)年10月1日、長崎県東彼杵郡大村町(現、大村市)に第二十一海軍航空廠が開廠します。
昭和17(1942)年8月、郡川に工員寄宿舎13棟(2,000名分)が、昭和18(1943)年4月、小路口に工員寄宿舎11棟(2,000名分)が、5月、杭出津に女子工員寄宿舎4棟(1,000名分)が、9月、竹松に女子工員寄宿舎7棟(1,000名分)が、昭和19(1944)年1月、植松に工員寄宿舎31棟(6,500名分)が随時竣工します。
10月25日以降、第二十一海軍航空廠は数回の空襲を受け甚大な被害を蒙りますが、高等官住宅・寄宿舎は無傷で昭和20(1945)年8月16日の停戦を迎えます。

8月28日、官舎、高等官住宅、工員宿舎、寄宿舎等の海軍省所有物件は大蔵省に移管され、寄宿舎は解体(戦災復興住宅用?)、他は一部は学校(昭和22年5月22日=県立聾学校)に転用、大半は大蔵省より大村市に管理委託され引揚者等の住宅に転用されます。
現在、高等官住宅、及び寄宿舎跡地の登記は不明(財務省より個人に売却?)ですが住宅地、農地になっています。

なお、空廠関連住宅は膨大な数になるためほぼ目視(一部取材)で踏査しているため、誤認、見落としがあるかも知れません。

㉜ 高等官住宅
参考文献に記載が無く竣工年は不明ですが、官舎と同様に第二十一海軍航空廠の開廠前に竣工したと思われます。
航空廠勤務の高等官なので奏任官(三等から八等:大佐から少尉相当)の住宅と思われます。
この区画内には形状の違う住宅が複数種類ある事から、軍人同様に官等により住宅が異なっていた様です。

1 住宅
戸建ですが、該当区画内では最も小さい住宅です。
二十一空廠 高等官住宅 1(長崎)

2 住宅
戸建で該当区画内では最も大きい住宅です。
当記事の扉写真が正面側、この写真が裏側です。
二十一空廠 高等官住宅 2裏(長崎)

3 住宅
3と4は同型で玄関の位置が正反対になっているだけです。
当時は同型の住宅が横一列に5軒並んでいた様です。
二十一空廠 高等官住宅 3(長崎)

4 住宅
二十一空廠 高等官住宅 4(長崎)
▲左側に見えているのが上掲の3です。

なおこの高等官住宅の西側には有名な大村海軍航空基地のコンクリート製有蓋掩体壕がありますが、公園になっているので曜日・時間によっては子供がウジャウジャいて撮影できないので注意です!
大村海軍航空基地 A 掩体壕 北から(長崎軍跡)
▲遊具・用具置き場に改造された掩体壕


㉘ 郡川工員寄宿舎
㉙ 竹松女子寄宿舎 ・ 小路口 〃
㉚ 植松工員寄宿舎
㉛ 植松工員寄宿舎(一~十五區)

寄宿舎は形状が住宅に向いていなかったのか、停戦後の早期に解体され農地、住宅地に転用され区画すら定かで無く遺構は何も遺されていない様です。


主要参考文献
『放虎原は語る』 (平成11年3月 第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会 大村市)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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