当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二十一海軍航空廠 古町工員住宅

長崎県大村市に所在し東洋一の規模を誇った海軍工作庁、第二十一海軍航空廠の東側に廠員(工員)用の五・六區 古町工員住宅、隣接して女子寄宿舎杭出津工員寄宿舎がありました。
二十一空廠 古町工員住宅 58(長崎)
▲一般住宅に転用された工員住宅 (58 位置は下掲地図参照)

【探索日時】
平成27年9月27日





第二十一海軍航空廠周辺の施設配置
第二十一海軍航空廠は昭和16(1941)年10月1日、195,454坪、建物62棟で開庁しますが、引き続き整備・拡張を続け、昭和19(1944)年6月、657,000坪、建物130棟(ほか廠外直轄113,000坪、官舎・住宅含まず)に拡張します。
第二十一海軍航空廠 大村(昭和19年)(長崎)
▲昭和19(1944)年末の第二十一海軍航空廠周辺空撮
  10月25日の空襲により甚大な被害が出ています。

第二十一海軍航空廠 住宅
▲第二十一海軍航空廠の範囲、及び施設配置
紫:二十一空廠 橙:官舎・住宅 緑:他海軍施設 赤:陸軍施設
㉑~㉓ 第二十一海軍航空廠
㉔      〃          工員養成所
㉕ 葛城工員寄宿舎
㉖㉗ 官舎
㉘~㉛ 工員、女子寄宿舎
㉜ 高等官住宅
㉝ 鳥原工員住宅
㉞ 池田工員住宅(九・十・十一區)
㉟ 諏訪工員住宅(七・八區)
㊱ 住宅營團 諏訪工員住宅
㊲ 古町女子寄宿舎(第一~第三)
   第二十一海軍航空廠職工共済會病院(廠内から移転)
㊳ 古町工員住宅(五・六區)
㊴ 杭出津工員寄宿舎

㊵ 大佐古工員住宅(一區)
㊶ 水田工員住宅(二區)
㊷ 杭出津工員住宅(三・四區)
名称は昭和20(1944)年頃
ブラウザによっては数字が表示されない様ですが、上から21~43です。
※緑文字が当記事の紹介施設
周辺に佐世保海軍施設部大村地方事務所の施設が点在していましたが、省略しています。


遺構について ※青字は地図にリンクしています
昭和16(1941)年10月1日、長崎県東彼杵郡大村町(現、大村市)に第二十一海軍航空廠が開廠します。
昭和17(1942)年9月、古町に五・六區工員住宅150棟(300戸)が、昭和18(1943)年4月、北側に隣接して女子第一~第三寄宿舎9棟(1,500名)が、5月、杭出津に工員寄宿舎4棟(1,000名)が竣工します。
昭和19(1944)年10月25日、第二十一海軍航空廠にB29爆撃機59機が来襲、全建物の半分が全半焼・壊、275名爆死、重軽傷者320名の大損害を受け、廠内にあった第二十一海軍航空廠職工共済會病院も8割が消失し退避壕に避難した患者多数が爆死してしまいます。
27日、第二十一海軍航空廠職工共済會病院は古町の女子第二・第三寄宿舎へ移転(入宿者は小路口寄宿舎に転居)します。
以降、第二十一海軍航空廠は数回の空襲を受け甚大な被害を蒙りますが、工員住宅は無傷で昭和20(1945)年8月16日の停戦を迎えます。

8月28日、官舎、高等官住宅、工員宿舎、寄宿舎等の海軍省所有物件は大蔵省に移管、古町工員住宅は大蔵省より大村市に管理委託され引揚者等の住宅に転用され、現在は敷地が財務省用地のまま、建屋は個人に売却されている様です。

また、第二十一海軍航空廠職工共済會病院は11月14日、日本医療団に移管され大村病院に改組(昭和26年10月1日、大村市立病院に改称)、昭和32(1957)年9月1日、施設老朽化に伴い大村市松並町に移転 、第三女子寄宿舎には昭和22(1947)年5月13日、県立聾学校が入り、昭和39(1964)年2月、植松に移転、現在跡地は払い下げられ個人病院、住宅地、農地になっています。

一方、杭出津工員寄宿舎は昭和23(1948)年5月29日、県立盲学校が入り、昭和24(1949)年7月31日、上野町に移転、現在跡地は払い下げられ住宅地、農地になっています。

なお、空廠関連住宅は膨大な数になるため、ほぼ目視(一部取材)で踏査しているので誤認、見落としがあるかも知れません。

㊲ 古町女子寄宿舎(第一~第三)
   第二十一海軍航空廠職工共済會病院(廠内から移転)

古町女子寄宿舎は第一~第三まであり、各3棟、第一が1,818坪、第二・第三が計5,760坪ありました。
現在、遺構は何も遺されていない様です。


㊳ 五・六區 古町工員住宅
昭和17(1942)年9月、五・六區工員住宅150棟(二戸一棟・300戸 12,880坪)が竣工します。
現在はそのまま一般住宅に転用され75棟程が現存し改築、増築、切断等されていますが、当時の面影が遺る建物も数棟遺されています。
二十一空廠 古町工員住宅 38(長崎)
▲現存住宅の配置
※全ての写真は掲載不可能なので、抜粋して掲載します。

1・2 工員住宅
手前が2、奥が1です。
両方とも奥側がありませんが、2は比較的当時のままの姿で遺ります。
二十一空廠 古町工員住宅 2(手前)・1(奥)(長崎)

5 工員住宅
片方しか遺っておらず、やや増改築されていますが、壁面に下見板が遺るなど当時の姿が良く遺ります。
二十一空廠 古町工員住宅 5(長崎)

10 工員住宅
外壁は改装されていますが、2棟とも遺ります。
後ろ前の所有者が異なるので改装の仕様が異なります。
二十一空廠 古町工員住宅 10(長崎)

11・12 工員住宅
手前が11、奥が12です。
両方とも奥側がありませんが、ほぼ当時のままの11、大幅改装された12と対照的な2棟です。
二十一空廠 古町工員住宅 11(手前)・12(奥)(長崎)

22 工員住宅
片方しか遺っていませんが、驚異的な保存度です!
二十一空廠 古町工員住宅 22(長崎)

27 工員住宅
公民館に転用されています。
二十一空廠 古町工員住宅 27(長崎)

29 工員住宅
外壁が改装されていますが、全体の姿が分かります。
二十一空廠 古町工員住宅 29(長崎)

45 工員住宅
屋根がやや改装されていますが、全体的に当時の姿が良く遺ります。
二十一空廠 古町工員住宅 45(長崎)

53 工員住宅
片方しか遺っていませんが、当時の姿をよく遺しています。
二十一空廠 古町工員住宅 53(長崎)

71 工員住宅
現代風に大改装された例です。
二十一空廠 古町工員住宅 71(長崎)

72 工員住宅
右側が増築されていますが、殆ど当時のままの姿を留めています。
二十一空廠 古町工員住宅 72(長崎)

73 工員住宅
ほぼ完璧な保存状態です。
二十一空廠 古町工員住宅 73(長崎)

64 中等官住宅
参考文献では古町は中等官住宅30棟、工員住宅150棟となっていますが、空撮を確認すると文官住宅は大型13棟、小型15棟ある様に見えます。
64及び両側を含めた3区画は小型の戸建が15棟並んでいました。
二十一空廠 古町工員住宅 64(長崎)
▲小型の中等官住宅

56 高等官住宅
56及び57の並ぶ2区画、上記3区画を挟んだ西側の2区画は大型の戸建が13棟並んでいました。
大きさから高等官の住宅と思われます。
二十一空廠 古町工員住宅 56(長崎)

57 高等官住宅
56と同じ規格の建物です。
二十一空廠 古町工員住宅 57(長崎)


㊴ 杭出津工員寄宿舎
同寄宿舎は4棟あり女子、及び年少工が入居していた様です。
現在、遺構は何も遺されていない様です。


主要参考文献
『放虎原は語る』 (平成11年3月 第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会 大村市)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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