当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二十一海軍航空廠 杭出津工員住宅

長崎県大村市に所在し東洋一の規模を誇った海軍工作庁、第二十一海軍航空廠の南東側に廠員(工員)の三・四區 杭出津工員住宅がありました。
二十一空廠 杭出津工員住宅 30(長崎)
▲一般住宅に転用された工員住宅(30 位置は下掲地図参照)

一ヶ月半に渡り長々と続けてきた第二十一海軍航空廠の工員住宅シリーズでしたが、いよいよ最後です。

【探索日時】
平成27年9月28日





第二十一海軍航空廠周辺の施設配置
第二十一海軍航空廠は昭和16(1941)年10月1日、195,454坪、建物62棟で開庁しますが、引き続き整備・拡張を続け、昭和19(1944)年6月、657,000坪、建物130棟(ほか廠外直轄113,000坪、官舎・住宅含まず)に拡張します。
第二十一海軍航空廠 大村(昭和19年)(長崎)
▲昭和19(1944)年末の第二十一海軍航空廠周辺空撮
  10月25日の空襲により甚大な被害が出ています。

第二十一海軍航空廠 住宅
▲第二十一海軍航空廠の範囲、及び施設配置
紫:二十一空廠 橙:官舎・住宅 緑:他海軍施設 赤:陸軍施設
㉑~㉓ 第二十一海軍航空廠
㉔      〃          工員養成所
㉕ 葛城工員寄宿舎
㉖㉗ 官舎
㉘~㉛ 工員、女子寄宿舎
㉜ 高等官住宅
㉝ 鳥原工員住宅
㉞ 池田工員住宅(九・十・十一區)
㉟ 諏訪工員住宅(七・八區)
㊱ 住宅營團 諏訪工員住宅
㊲ 古町女子寄宿舎(第一~第三)・第二十一海軍航空廠職工共済會病院(廠内から移転)
㊳ 古町工員住宅(五・六區)
㊴ 杭出津工員寄宿舎
㊵ 大佐古工員住宅(一區)
㊶ 水田工員住宅(二區)
㊷ 杭出津工員住宅(三・四區)
名称は昭和20(1944)年頃
ブラウザによっては数字が表示されない様ですが、上から21~43です。
※緑文字が当記事の紹介施設
周辺に佐世保海軍施設部大村地方事務所の施設が点在していましたが、省略しています。


遺構について ※青字は地図にリンクしています
昭和16(1941)年10月1日、長崎県東彼杵郡大村町(現、大村市)に第二十一海軍航空廠が開廠します。
昭和18(1943)年11月、杭出津に三・四區工員住宅130棟(二戸一棟・12,120坪)が竣工します。
昭和19(1944)年10月25日以降、第二十一海軍航空廠は数回の空襲を受け甚大な被害を蒙りますが、工員住宅は無傷で昭和20(1945)年8月16日の停戦を迎えます。

8月28日、官舎、高等官住宅、工員宿舎、寄宿舎等海軍省所有物件は大蔵省に移管され、三・四區工員住宅は大蔵省より大村市に管理委託され引揚者等の住宅に転用されます。
現在、敷地は財務省用地のまま、建屋は個人に売却されている様です。

なお、空廠関連住宅は膨大な数になるため、ほぼ目視(一部取材)で踏査しているので誤認、見落としがあるかも知れません。


㊷ 三・四區 杭出津工員住宅
現在はそのまま一般住宅に転用されており改築、増築、切断等されていますが、当時の面影が遺る建物も数棟遺されています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 42(長崎)
▲現存住宅の配置
※全ての写真は掲載不可能なので、抜粋して掲載します。

4・5 工員住宅
手前が4、奥が5で、両方とも奥が切断され建て替えられています。
両方とも増改築されていますが、基本的な形状は遺されています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 5(手前)・4(奥)(長崎)

8 工員住宅
大幅に改装された例です。
二十一空廠 杭出津工員住宅 8(長崎)

9・15 工員住宅
左側が15、右側が9で、完存しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 9(手前)・15(奥)(長崎)

14 工員住宅
殆ど当時のままと思われます。
二十一空廠 杭出津工員住宅 14(長崎)

16~18 工員住宅
手前から16です。
16は壁が撤去され物置に、17と18は現代風に改装されています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 16・17・18(手前から)(長崎)

19 工員住宅
増築されていますが、下見板が遺り当時の雰囲気を遺しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 19(長崎)

20 工員住宅
増築されていますが、下見板が遺り当時の雰囲気を遺しています。
逆光が多くフレアが入ったヘタクソ写真で恥ずかしい・・・
二十一空廠 杭出津工員住宅 20(長崎)

28 工員住宅
増築されていますが、下見板が遺り当時の雰囲気を遺しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 28(長崎)

29 工員住宅
増築されていますが、下見板が遺り当時の雰囲気を遺しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 29(長崎)

33 工員住宅
増築されていますが、ほぼ当時の姿を留めています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 33(長崎)

39 工員住宅

増築されていますが、下見板が遺り当時の雰囲気を遺しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 39(長崎)

45~47 工員住宅
当時はこの様な町並みだったと思われます。
二十一空廠 杭出津工員住宅 45・46・47(手前から)(長崎)

53~56 工員住宅
同じく4棟が並んで遺り当時の町並みを伝えます。
二十一空廠 杭出津工員住宅 53・54・55・56(手前から)(長崎)

70 工員住宅
増築されていますが、両方が完存しています。
二十一空廠 杭出津工員住宅 70(長崎)


主要参考文献
『放虎原は語る』 (平成11年3月 第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会 大村市)
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No title

熊本からです。こんにちは。

21海軍航空廠の各住宅、かなり残ってるんですね。

整理番号№9と30の住宅・玄関脇のごみ箱がイイ!絶滅危惧種です。

現地での踏査、お疲れ様でした。貴重な資料になったと思います。

Re: No title

いつもありがとうございます。

官舎・住宅はほぼ民家に転用され現在も使用されているため、探索には結構気を使います。
傍から見たら不審者丸出しですから・・・。

各地の住宅を見てきましたが、第二十一海軍航空廠の工員住宅は良く遺っている方だと思います。

確かにあのゴミ箱は久しぶりに見ました!
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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