当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

敦賀陸軍墓地

敦賀駅の南1.7kmに敦賀陸軍墓地があります。
敦賀陸軍墓地 d・c・d 合葬碑(手前から)(敦賀)
▲敦賀陸軍墓地の合葬墓

【参拝日】
平成22年8月4日

【改訂情報】
平成29年4月29日 記事分離






歩兵第十九聯隊 関連諸施設配置
歩兵第十九聯隊 敦賀 現在(敦賀)
▲現在の地図に転写
① 歩兵第十九聯隊 兵営
② 歩兵第十八旅團司令部
③ 敦賀聯隊區司令部
④ 敦賀陸軍病院
⑤ 敦賀陸軍練兵場
⑥ 敦賀陸軍射撃場
⑦ 敦賀陸軍演習場
⑧ 敦賀憲兵分隊
⑨ 敦賀陸軍墓地
⑩ 旧敦賀陸軍墓地
※名称は昭和12(1937)年頃
※緑文字が当記事の紹介施設


遺構について
⑨ 旧敦賀陸軍墓地
   敦賀陸軍墓地
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し第七から第十二師團の編成を決定、29日、敦賀郡に歩兵第十八旅團司令部の新設、歩兵第十九聯隊の名古屋からの転営を決定します。

兵営用地は粟野村金山の畑地・原野に選定、実業家・大和田荘七氏等の献納、及び陸軍省の買収により用地を取得、兵営建設が開始され、明治31(1898)年3月27日、留守隊の第一大隊(聯隊主力は威海衛の守備に派遣中)、5月24日、任務を終えた聯隊主力が竣工間近の兵営に転営、11月25日、兵営の全設備が竣工します。

歩兵第十九聯隊の移駐に伴い兵営の北西1.2kmに敦賀陸軍埋葬地が開設されます。
昭和13(1938)年5月5日、陸軍省令第十六號『陸軍墓地規則』が制定され敦賀陸軍埋葬地は敦賀陸軍墓地に改称します。
昭和16(1941)年12月、遠方にあり遺族の参拝が困難だった事から、省線敦賀駅近傍の現在地に移転、落慶式が挙行されます。
昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の渙発を受け、16日、停戦を迎えました。

10月25日、第136歩兵連隊の一部(ランバータ少佐以下317名)が敦賀に進駐し、旧歩兵第十九聯隊兵営以下陸軍施設を接収、12月28日、第103軍政中隊(ハイランド中佐)が併置され、福井県全域を占領します。
軍政中隊は忠霊塔の爆破を画策しますが、遺族代表・橋本五郎氏がハイランド中佐に談判、氏個人所有とする事で存続が認められます。
昭和21(1946)年12月23日、忠霊塔は敦賀市長から福井県遺族互助会に移管され、嶺南忠霊場と改称、昭和50(1975)年、敦賀市公園緑地法に基づき参道遊歩道の整備、及び美化工事が施工されます。

元々墓地正面に斎庭と参道がありましたが、現在は中郷小学校校地に取り込まれてしまい、参道は小学校との境の分かりにくい場所にあります。

墓地への階段

敦賀陸軍墓地 a 忠霊塔への階段(敦賀)
▲非常に急峻な階段が続きます


階段脇にある手水鉢
敦賀陸軍墓地 a 忠霊塔階段下の手水鉢(敦賀)
▲陸軍の★章が輝きます

元々の参道入口両側に灯籠(小学校内)、門があるのですが、もしかしたら陸軍墓地の門かも知れません。


a 支那事變戦歿者忠霊塔
昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が発生、昭和14(1939)年7月7日、「皇戦二殉ジタル忠死者ノ遺骨ヲ合祀シ其ノ忠霊ヲ顕彰スル」事を目的とし(財)大日本忠靈顕彰會が発足し、全国に忠霊塔の建立運動を開始します。
同年、敦賀忠霊塔顕彰奉賛會が設立、昭和17(1942)年9月17日、支那事變戦歿者忠霊塔が竣工します。

大東亜戦争停戦まで15,000余柱が合祀されますが停戦後、滋賀・岐阜両縣護國神社が夫々出身の御遺骨を引き取り、現在は嶺南地区出身の6,765柱が合祀されています。
敦賀陸軍墓地 a 忠霊塔(敦賀)

b 滿洲事變陣歿者 合葬碑
忠霊塔の西側に下記の合葬碑とともに3基並んで建立されています。
昭和12(1937)年5月に建立されました。
敦賀陸軍墓地 b 滿洲事變陣歿者 合葬碑(昭12年5月)(敦賀)


c 上海事件陣歿者 合葬碑
昭和7(1932)年12月に建立されました。
敦賀陸軍墓地 c 上海事件陣歿者 合葬碑(昭7年12月)(敦賀)


d 明治丗七八年役戰病歿 将校下士兵卒墓
明治39(1906)年1月に建立されました。
敦賀陸軍墓地 d 明治丗七八年役戰病歿 将校下士兵卒墓(敦賀)


e 合葬碑
忠霊塔の東側に1基だけ建立されています。
昭和16(1941)年9月に建立されました。
『陸軍墓地規則』に定められた平時に亡くなった方の合葬碑です。
敦賀陸軍墓地 e 合葬碑(昭16年9月)(敦賀)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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