当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

各務原陸軍飛行場 高射砲陣地

各務原陸軍飛行場(西飛行場)の東端に高射砲陣地がありました。
高射砲陣地 イ 陣営具庫 北東から(岐阜各務原)
▲航空自衛隊岐阜基地内に遺る高射砲陣地陣営具庫

【探索日時】
平成22年7月23日、平成29年4月10日





遺構について
各務原陸軍飛行場 東高射砲陣地
昭和19(1944)年2月7日、防空第十五聯隊第十二中隊が各務原陸軍飛行場(西飛行場)東端付近に進出、陣地設定(八八式七糎野戰高射砲×6)を開始します。
4月19日、防空第十五聯隊は高射砲第百二十四聯隊に改称します。
8月29日、第十二中隊は2分され半隊は名古屋市土古に移駐、半隊は引き続き各務原に布陣します。
12月9日、高射砲第百二十五聯隊(野戰高射砲第八十七大隊から改編)が編成、各務原の半隊は同聯隊第十二中隊に改編(土古の半隊は高射砲第百二十四聯隊第五中隊に)されます。

昭和20(1945)年6月22日、B29爆撃機44機、26日、B29爆撃機101機が来襲、西陣地と共同でB29爆撃機1機を撃墜、17機に損傷を与えますが、各務原陸軍航空廠、川崎航空機工業㈱各務原工場は甚大な被害を受けてしまいます。
27日、中隊は岐阜市鏡島に移駐、7月9日、B29爆撃機135機が岐阜市に来襲、B29爆撃機1機撃墜、1機に損傷を与えますが、岐阜市街地は甚大な被害を受けてしまいます。
7月11日、大垣市御勝山に布陣し大垣市の防空にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

飛行場東陣地は昭和22(1947)年の空撮には写っていますが、昭和23(1948)年までには更地にされてしまった様で、現在はコンクリート製の陣営具庫のみが遺されています。
高射砲陣地 USA-R567-No1-163(221119)(岐阜各務原)
▲昭和22年11月19日の空撮(国土地理院 USA-R567-No1-163)
  陣地南側に南南東を向いた砲座6基、北側に中隊本部・兵舎、北東に弾薬庫、陣営具庫があった様です。

高射砲陣地 イ 陣営具庫 東から(岐阜各務原)
▲陣営具庫
  航空自衛隊岐阜基地内に遺りますが、旧県道から外観を見る事ができます。

高射砲陣地 イ 陣営具庫 南東から(岐阜各務原)
▲入口は上部にあり、梯子で入ると内部に棚が並び被服、小銃弾、陣営具が並んでいたそうです。

高射砲陣地 イ 陣営具庫 東から (2)(岐阜各務原)
▲因みに夏場に行くとこんな感じです・・・


各務原陸軍飛行場 西高射砲陣地
昭和20(1945)年4月、高射砲第百二十五聯隊第三中隊(九九式八糎高射砲×6)が名古屋市森孝より移駐して来ます。
6月22日、B29爆撃機44機、26日、B29爆撃機101機が来襲、東陣地と共同でB29爆撃機1機を撃墜、17機に損傷を与えますが、各務原陸軍航空廠、川崎航空機工業㈱各務原工場は甚大な被害を受けてしまいます。

昭和20(1945)年7月、大垣市、8月、名古屋市土古に移駐、名古屋市内の防空にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

他に昭和20(1945)年4月、野戰高射砲第九十七大隊第一中隊が浜松市弁天島から進出、5月、弁天島へ移駐している様ですが、詳細は不明です。

現在は航空自衛隊・岐阜基地運動場になり遺構は何も遺されていない様です。


各務原陸軍飛行場 高射機関砲陣地
飛行場周辺の蘇原六軒蘇原沢上蘇原興亜町鵜沼大伊木前渡(位置はおおよそ)に機関砲陣地があった様ですが、詳細は不明です。

昭和19(1944)年6月、機關砲第十二大隊第一中隊が進出、昭和20(1945)年5月、弁天島へ移駐し浜松市の防空にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

他に各務原陸軍飛行場に所在した第十教育飛行隊等の防空部隊があった様ですが、詳細は不明です。
陣地の正確な位置が不明のため踏査していません。


高射第二師團 概要
昭和16(1941)年7月2日、我が政府は御前会議において『情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要綱』を決定、隠密裏に対ソ武力行使準備を整え、独ソ戦の推移が有利に進展した際は武力を行使して北方問題を解決し、北方の安全を確保する方針を決定します。
7日、關東軍特種演習の動員が下令、高射砲第一聯隊(浜松)は復帰し、同日、高射砲第一聯隊補充隊(杉野庭義中佐)が動員され、12日、6個中隊が編成完結し名古屋市内に展開し教育にあたります。

昭和16(1941)年11月8日、軍令陸甲第八十號により、22日、6個中隊を基幹として防空第十五聯隊(山田正樹大佐)が編成され中部防空旅團司令部(金岡嶠少将、大阪)隷下に編入され、名古屋地区に展開(高射砲16門、配置場所の詳細は不明)します。

我が国は外交交渉による対米戦争回避を図りますが、26日、『アメリカ合衆國と日本國の間の協定で提案された基礎の概要(ハル・ノート)』の提示により米国に戦争回避の意思が無い事を認識、12月1日、御前会議において米・英国との開戦を決定、3日、大本營は大陸命第五百七十六號(昭和十六年十二月二日)において防衛總司令官・山田乙三大将(東部軍・中部軍・西部軍・北部軍・朝鮮軍・臺灣軍管區の防空戦を指揮)に対し北部、朝鮮軍管區以外の要地防空を下達、12月8日0130、大東亜戦争が開戦し、0600、各防空部隊に要地防空が下令されます。

昭和17(1942)年4月18日、米B25爆撃機、16機が空母ホーネットから発艦し本土に来襲、名古屋地区に来襲した2機に対し中部防空旅團は対空射撃を実施しますが、戦果はありませんでした(ドーリットル空襲)。
被害は僅少だったものの内地が空襲を受けた衝撃は大きく、大本營は要地地上防空兵力強化のため、8月15日、中部防空旅團司令部は中部防空集團司令部(伊藤範治少将、天王寺)に改編されます。

昭和18(1943)年5月18日、防空第十五聯隊の防空通信隊が抽出、中部軍隷下に編成された中部軍防空情報隊に配属転移、8月7日、防空第十五聯隊は同日復帰した高射砲第一聯隊補充隊要員を加え編成改正されます。

昭和19(1944)年4月19日、防空第十五聯隊は高射砲第百二十四聯隊(山田正樹大佐)に改称され、6月21日、大陸命第千百八號により名古屋高射砲隊(入江莞爾少将)の編成下令、9月6日、編成完結し(中部軍隷下)名古屋公会堂に本部を開設します。
聯隊は中部防空集團より隷属転移し名古屋各地に展開します。

12月9日、軍令陸甲第百二十二號により野戰高射砲第八十七大隊が高射砲第百二十五聯隊(中村正光中佐)に改編され、名古屋高射砲隊隷下に編入、名古屋北部の、高射砲第百二十四聯隊が名古屋南部の防空を担当します。

昭和20(1945)年5月10日、軍令陸甲第七十一號により名古屋高射砲隊は高射第二師團(入江莞爾少将)に改編され、中部地区の防空にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えます。

停戦時の隷下・指揮下部隊
高射砲第百二十四聯隊(18個中隊)
高射砲第百二十五聯隊(  〃  )
高射砲第百二十三聯隊第九中隊
野戰高射砲第九十七大隊(3個中隊)
獨立高射砲第五、第十二、第四十七大隊(3個中隊、四十七大隊は4個中隊)
獨立高射砲第五十二、第五十三、第五十四中隊
獨立照空第二、第十一大隊
獨立照空第十八中隊
機關砲第十二(7個中隊)、第百六大隊(3個中隊)
獨立機關砲第二十三、二十四、二十五、四十二、四十三、四十四中隊


主要参考文献
『各務原市民の戦時記録』 (平成11年3月 各務原市戦時記録編集委員会 各務原市教育委員会)

『旧帝国陸軍部隊一覧表 軍令付特設版』 (平成8年 大内那翁逸)

『高射戦史』 (昭和53年 下志津(高射学校)修親会 田中書店)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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