当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍病院 (大阪陸軍病院 大手前分院)

大坂城北西に大阪陸軍病院がありました。

同病院は後に大阪陸軍病院 大手前分院に改編されます。
大阪第一陸軍病院 東側の石組(大阪陸軍遺構)
▲大阪合同庁舎外周に遺る大阪陸軍病院の外周石組

【探索日時】
平成23年(2011)年7月5日

【改訂情報】
平成29年5月31日・・・大阪陸軍病院の略史訂正





大坂城周辺の陸軍部隊、官衙配置
昭和3-(大阪陸軍遺構)
▲昭和3(1929)年の空撮

昭和11(大阪陸軍遺構)
▲現在の地図に軍事施設を転写 ※黄色部分は大坂城天守復興に伴う一般開放地域
① 第四師團司令部
② 大阪陸軍刑務所
③ 大阪陸軍兵器補給廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器補給廠
⑤       〃      城内西兵器庫
⑥       〃      城内北兵器庫
⑦       〃      青屋口門兵器庫
⑧       〃      玉造門兵器庫
⑨ 大阪城南陸軍射撃場
⑩ 歩兵第八聯隊
⑪ 大阪陸軍被服支廠
⑫      〃      被服倉庫
⑬ 歩兵第三十七聯隊
⑭ 第四師團経理部・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑮ 大阪憲兵隊本部
⑯ 歩兵第七旅團司令部
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 第四師團経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑲ 堺聯隊區司令部
⑳ 第四師團長官舎
㉑ 大阪陸軍病院
㉒ 大阪偕行社
㉓ 大阪軍人會館
㉔ 大阪偕行社付属小學校
㉕ 大阪砲兵工廠
㉖ 大阪城東陸軍練兵場
㉗ 第四師團経理部 糧秣倉庫
㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
㉙ 眞田山陸軍墓地
㉚ 陸軍用地
※施設配置・名称は昭和15(1940)年頃
※緑文字が当記事の紹介施設



遺構について※青字は地図にリンクしています
㉑ 大阪陸軍病院
明治3(1870)年2月(明治4年2月25日?)、大坂城内玉造門内⑧大阪軍事病院が開院、明治4(1871)年8月2日、大阪鎭臺設置に伴い大阪鎭臺病院に改称します。

明治19(1886)年、東町奉行屋敷、代官屋敷跡㉑陸軍副病院(明治6年5月24日、東京に陸軍本病院開設)が開院します。

明治21(1888)年5月14日、大阪鎭臺本営の第四師團司令部改編に伴い、11月29日、陸達第二百二十三號『陸軍病院條例』改正により大阪鎭臺病院は大阪衛戍病院に改称し、全機能を陸軍副病院に移し移転します。

明治42(1909)年3月23日、高槻分院が、大正8(1919)年11月25日、信太山分院が、昭和9(1934)年4月1日、金岡分院が開院します。

昭和11(1936)年11月10日、勅令第三百八十七號『陸軍病院令』公布に伴い、大阪衛戍病院は大阪陸軍病院に改称します。

昭和12(1937)年12月13日、日本赤十字社 大阪支部病院を管下に編入し、大阪陸軍病院 大阪赤十字病院とします。

昭和15(1940)年6月26日、第四師團は中支に出征、送還患者の激増に伴い、金岡分院に隣接する金岡陸軍練兵場に病棟37棟を増築します。

昭和17(1942)年5月20日、日本赤十字社大阪支部 阿武野分院を管下に編入し、大阪陸軍病院 阿武野赤十字病院とします。

昭和18(1943)年、多数の病棟を有する金岡分院が本院になり大阪陸軍病院に、大阪陸軍病院本院は大手前分院に改編され、診療、患者収容は主に金岡本院が、大手前分院は管理、衛生材料備蓄を担任します。

昭和20(1945)年5月10日、大阪第二陸軍病院(豊中市柴原:結核専門)の開院に伴い、大阪陸軍病院は大阪第一陸軍病院に改称、大手前分院は大阪第一陸軍病院 大手前分院に改称します。
6月7日、B29爆撃機409機が大阪市東部に来襲(第三次大阪大空襲)、大手前分院は全焼してしまい、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により大手前分院敷地8,600坪は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
昭和25(1950)年、北側1,158坪が大阪歯科大学に払い下げられ、昭和26(1951)年6月12日、500坪が大手前病院に無償貸与され大手前病院(当時、国家公務員共同職域病院)が開院、その後逐次追加貸与(1,854坪)され、南側は大阪合同庁舎等になり現在に至ります。

残念ながら遺構は下記の外周石組しか遺されていません。

大阪第一陸軍病院 東側(大阪陸軍遺構)
▲大阪陸軍病院跡 全景
  東側外周の石組が僅かに遺るだけです

大阪陸軍病院 東側石組 (3)(大阪陸軍遺構)
▲石組近影

大阪陸軍病院 東側石組(大阪陸軍遺構)
▲東中門の跡

大阪陸軍病院 大手前分院は空襲で全焼してしまったため遺構は殆ど遺されておらず、20年程前まで移築されて遺されていた正門門柱も残念ながら病院改修の際に破壊撤去されてしまいました。


陸軍看護婦について
・・・これだけでは少々面白みの無い?記事なので、陸軍病院関連で陸軍看護婦について記載しておきます。

戦時中、軍務に就いた看護婦(いわゆる従軍看護婦)は大別して日赤救護看護婦陸海軍看護婦がありました。

日本赤十字社所属の救護班(救護看護婦)は松嶋菜々子さん主演でドラマ化(『レッドクロス~女たちの赤紙~』平成27年8月1・2日)もされ、以前から非常に有名でネットで検索すると出て来る情報はほぼ全てが日赤救護看護婦です。
と言うよりも日赤救護看護婦しか出てきません・・・。
一方、陸海軍看護婦陸軍看護婦のイラストが1件出てきただけで、殆ど触れられていません。

日赤救護看護婦は平時は民間(必ずしも看護婦就業中では無い)にあり戦時にのみ「戦時召集状」を受け取り、日赤の各支部に応召し救護班として編成され、内地各陸海軍病院、及び戦地(現地の陸海軍病院、兵站病院、病院船)に派遣されました。

陸軍看護婦は平時は各地の陸軍病院に勤務し看護婦として就業(庸人)、戦時には志願者が軍属として戦地(現地の陸軍病院、兵站病院、病院船)に派遣されました。

※海軍看護婦、現地採用の陸軍特別看護婦は資料が無く詳細は不明です。

戦地に出征したのは絶対数の多い日赤救護看護婦が圧倒的に多数なので、この情報量の差は仕方無いとは言え残念です。
しかも戦時看護婦に触れているサイトですら、国防色(カーキ色)の看護衣を着用した陸軍看護婦を“野戦用看護衣の日赤看護婦”と誤説する有様です。
そもそも前提として前線(野戰病院など)に配属されない看護婦に「野戦用」の看護衣は無く、陸軍看護婦は制服、略服ともに国防色、日赤救護看護婦は防暑衣(有名なネクタイ付きの制服、野戦用ではありません!)のみが国防色です。

陸軍看護婦が殆ど知られておらず、しかも日赤救護看護婦と混同され、情報も曖昧にされているのが現状の様で、軍事系のブログを運営している以上看過できないため、関連情報として陸軍看護婦について僕なりに調べた事を発信しておきます。
取り敢えず視覚に訴えるべく上手ではありませんが、またまたイラストにしてみました。

陸軍看護婦 従軍看護婦(イラスト)
▲陸軍看護婦 制服
陸軍看護婦は先述した様に看護衣は国防色(カーキ色)、日赤救護看護婦は白色でした。
また日赤は正装が紺色ですが、陸軍看護婦に正装は無く防寒着が紺色になります。


陸軍看護婦 略史
1860(万延元)年、クリミア戦争に従軍し、傷病兵の悲惨な救護態勢を経験したフローレンス・ナイチンゲールは『看護覚書』を著述し看護のあり方、考え方を定義します。
1861(万延2)年、女史により看護婦養成所が開設され本格的な看護婦養成教育が開始され、従前の杜撰な看護態勢(主に身内、または専門知識の無い下女による看護)は改善されていきます。

明治元(1868)年1月3日、我が国では王政復古の大号令により明治新政府が発足、本格的に西洋医学が導入されます。
10月、皇城(江戸城)山下門内に兵隊假病院が設置され軍人の診察を開始しますが、看護するのは看病人と呼ばれた現地雇用の男性でした。

明治19(1886)年11月、日本赤十字社は救護看護師(看護婦)を養成すべく博愛社病院(明治20年、日本赤十字社病院に改称)を設立します。

明治22(1889)年6月14日、『日本赤十字社看護婦養成規則』が制定され、11月、「第一回看護婦生徒募集並養成手続き草案」を起案、10名の生徒を募集し、明治23(1890)年、戦時における救護看護師の養成を開始します。

明治24(1891)年10月28日、濃尾大地震が発災、第一回生10名と従来からの看護婦10名、計20名が救護班に加わり罹災者の救護活動を実施、救護看護師の養成は戦時救護に災害時の救護が加えられます。

明治27(1894)年8月1日、明治二十七八年戰役(日清戦争)が勃発、陸海軍病院に日赤救護看護師が招集(全て内地)され活躍、新聞にも掲載され、また叙勲の対象になった事もあり女性の新しい職場として認知されます。

明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)が勃発、各地の衛戍病院、海軍病院、分院、転地療養所、俘虜収容所に再び日赤救護看護師が招集され活躍、停戦により患者数が減少するに伴い逐次各支部に引き上げます。

大正7(1918)年、スペイン風邪が発生し各地の師團、鎭守府におて罹患者が激増したため、各師團長、海軍醫務局長は日本赤十字社に看護婦の派遣を要請します。

7月7日、陸軍省令第二十一號『看護長及ビ看護卒ノ代用雇員、庸人トシテ看護婦長、看護婦ヲ採用』により平時における看護婦採用(陸軍看護婦)を決定、8日、陸普第二六四三號『衛戍病院看護婦採用ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒』により採用者は日本赤十字社養成の看護婦(日清・日露戦役での経験値から)である事が規定されます。
同通牒により日本赤十字社本部、福島、茨城、埼玉各支部より看護婦長2、看護婦12名が東京衛戍病院に配属されます。
なお、海軍は日赤養成の看護婦に拘らず採用を開始します。

大正10(1921)年8月12日、東京以外の衛戍病院でも陸軍看護婦制度が取り入れられますが採用は遅れ、大正12(1923)年10月16日に開始、各衛戍病院に陸軍看護婦長1、陸軍看護婦7が配属されます(この頃には日赤養成に拘らず採用)。

昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(滿洲事變)、昭和12(1937)年7月7日、北支事變(8月15日、支那事變と改称)が発生、各陸軍病院(昭和11年11月10日、衛戍病院から改称)は衛戍師團出征に際し師團野戰病院、〃衛生隊、〃防疫給水部等を編成するとともに、衛生兵、志願した陸軍看護婦、応召した日赤救護看護婦の教育を実施し出征各部隊、〃野戰病院、内地各軍病院(戦地において看護婦は現地陸軍病院、兵站病院に配属され前線への配属は無いものの、戦線の後退に伴い多くの方が職に殉じます)に派遣します。
日赤もまた激増する患者に対応すべく救護班(救護看護婦)を編成し内地の各陸海軍病院、戦地の陸海軍病院、兵站病院に派遣します。
還送患者の激増に伴い、各陸軍病院は逐次、分院を開院するとともに日赤病院を陸軍病院分病院として指定、練兵場等に急造病棟を建設します。

昭和16(1941)年12月8日、大東亜戦争が開戦、戦域の拡大による衛生部員の不足から、昭和19(1944)年10月11日、陸密第四百三十二號『昭和十九年度 看護婦生徒採用並ビニ教育に關スル件』により陸軍省は看護婦の養成を決定、各陸軍病院に看護婦養成所を開設し陸軍看護婦生徒を採用、看護婦教育の他、陸軍衛生要務、精神教育(聖訓五箇条(軍人勅諭)、戦陣訓など)、陸軍礼式令、陸軍刑法など衛生兵同様の教育を実施します。

戦局の悪化、空襲の頻発化、戦線の本土接近に伴い陸軍病院では陸軍看護婦、同生徒も協力し空襲対策として建物疎開、地下病院設営、退避壕の掘削、病舎の防爆土堤築造、農耕地の開墾、漁労を実施します。

昭和20(1945)年8月15日、各陸軍病院は決號作戰(本土決戦)に備えるなか『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えます。
連合軍の進駐に伴い陸海軍病院は連合軍に接収され、就業中の多くの陸軍看護婦、日赤救護看護婦、女子従業員は陵辱を恐れ青酸カリを準備しますが、危惧された事は起こらず事なきを得ます。
11月19日、我が国は連合国軍最高司令官総司令部から『陸海軍病院の返還に関する覚書(GHQ AG632)』を受領、12月1日、勅令第六百九十一號『醫務局官製』により陸海軍病院146院は従業員ともに厚生省に移管、国立病院に改編されます。


主要参考文献
『病院展望 No.3 創立十周年記念号』 (昭和31年7月 国立大阪病院)

『大手前病院40年史』 (平成4年3月 国家公務員等共済組合連合会大手前病院)

『日本赤十字社創立130周年記念誌』 (平成19年6月 日本赤十字社)

『日本の軍装』 (平成3年11月 大日本絵画)

『善通寺市史 第二巻』 (昭和63年10月 善通寺市立図書館 善通寺市)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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