当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

三木陸軍飛行場

戦国期、三木合戦が行われた事で知られる兵庫県三木市、同稲美町、同加古川市またがる地域に三木陸軍飛行場がありました。
三木陸軍飛行場 ④格納庫基礎 西側 北側5・6・7・8 南西から (2)(兵庫)
▲住宅地に遺る格納庫基礎

【探索日時】
平成25年2月2・3日、13日





三木陸軍飛行場 概要
三木陸軍飛行場
昭和18(1943)年秋、陸軍航空本部は阪神地区防空のため、兵庫県下に防空飛行場の新設を計画、陸相より中部軍経理部に示達、経理部は中部軍参謀部と協議の結果、兵庫県美嚢郡別所村、加古郡母里村、同八幡村の丘陵地帯に飛行場の新設を決定し、経理部は現地調査を実施の後、各村長を訪問し協力を要請します。

昭和19(1944)年2月、経理部は飛行場予定地の地権者を村ごとに招集し時局の推移から該当用地130町歩5畝3歩の必要性を説明し売却を懇請、相場より高額な田3円20銭、畑2円、山林1円20銭、宅地5円、墓地3円、溜池1円50銭(坪あたり)等、さらに移転、立木、水利補償料を提示し買収契約を締結、移転に際して必要な資材は全て軍が支給します(12月上旬、経理部から各村長に送金)。

3月、中部軍は土木関連の人材・機材を充分有していた内務省近畿土木出張所に協力を依頼し、中部軍・内務省合同の中部軍三木施設工事事務所(所長:内務省・有本欣二技師)が開設され、同事務所指揮のもと近隣県市町村の勤労奉仕隊300名が中心となり、労務者、青年団、婦人会、隣組、学校報国隊等の協力を得て、飛行場設定を開始します。
勤労奉仕隊の日当は日1円50銭(当時、米10kgが3円57銭)タバコ、ビール、食券等も支給されかなり高待遇だった様です。

9月、地上施設、滑走路2本が完成したため試験飛行を実施、10月、第一教育飛行隊第二區隊、次いで第一區隊が加古川から、11月14日、第六錬成飛行隊が張家口(北支)から進出して来ますが、飛行場の転圧が不足し主脚折損事故が発生したため、加古川に移駐します。
三木陸軍飛行場 東西滑走路 西端から(兵庫)
▲東西滑走路の現状

昭和20(1945)年4月、第六錬成飛行隊が再進出、7月16日、飛行第百十一戰隊が移駐、24日、F4U、F6F各数機が来襲し百偵1が地上撃破され、30日、F6F数機が来襲し若干の損害が出てしまいます。
8月15日、飛行場設定を急ぐなか『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
三木は完成とともに飛行第七戰隊(四式重爆、雷撃)が伊丹から移駐し、決號作戰(本土決戦)に際し根拠とする予定でした。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により、10月10日、三木陸軍飛行場は大蔵省に移管、9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、26日、大阪市内の住友銀行ビルに司令部を設置し、近畿各地の陸海軍施設の接収を開始、11月、飛行場管理にあたっていた第五十一航空師團司令部から米軍に引き渡され軍用機、軍需品の処理ののち、師團に返還され(時期不明)、12月1日、大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

11月、残務整理にあたっていた師團司令部員3名が飛行場跡の軍耕作地を引き継ぎ開拓を開始します。
9日、『緊急開拓事業実施要領』の閣議決定、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』(法律第四十三号)施行を受け、昭和23(1948)年4月5日、兵庫県農地委員会は知事の認可を得て、飛行場全域は緊急開拓事業地区に指定され農林省に移管、7月、飛行場跡全域の開拓事業が開始され、昭和24(1949)年2月1日から随時開拓者、地元増反者に払い下げられます。
しかし、登記事務の遅れた別所村の元地権者の一部が結託して登記を拒否、あるいは払い下げ地積に不満を持ち、すでに他者に払い下げられた土地を自所有地として転売、または明け渡しを求めるなどし、所謂「三木事件」と呼ばれる一連の騒動に発展、昭和48(1973)年1月29日、元地権者が国を提訴しますが、昭和55(1980)年4月10日、神戸地裁判決により国側が全面勝訴し現在に至ります。

現在、飛行場は全域が農地、工業地になっており、地元では三木飛行場や相野飛行場と呼ばれている様です。
三木陸軍飛行場 南北滑走路 南から(兵庫)
▲南北滑走路の現状

三木陸軍飛行場 要目
・敷地    423,500 坪
・滑走路  2,000m、1,700m、1,450m(転圧) 3本
・居住施設 2,000名分
・掩体壕  有蓋6?、無蓋大2、中20
・高射砲  八八式七糎野戰高射砲×4


遺構について
現在、全域が農耕地として開拓されていますが、居住区に建物基礎、駐機場コンクリート舗装、外周に境界石標、無蓋掩体壕、地下壕等が遺されています。
三木陸軍飛行場 現在 中心部(兵庫)
▲三木陸軍飛行場の範囲と遺構の配置

① 駐機場
西側は農地造成により滅失していますが、東側半分のコンクリート敷きは遺ります。
三木陸軍飛行場 ①駐機場 東から(兵庫)
▲駐機場全景

三木陸軍飛行場 ①駐機場 近影(兵庫)
▲コンクリート敷き近景


② 駐機場跡
造成により何も遺されていません。


③ 駐機場
南側は宅地造成により滅失していますが、北側のコンクリート敷きが遺ります。
三木陸軍飛行場 ③ 駐機場 南から(兵庫)
▲コンクリート敷き


④ 格納庫基礎
北側の住宅外周、南側の工場道沿いに5基の基礎、敷地中央辺りに扉の軌条が遺ります。
格納庫は木造だった様です。
三木陸軍飛行場 ④格納庫基礎 西側 北側5・6・7・8 南西から(兵庫)
▲南側基礎

三木陸軍飛行場 ④格納庫基礎 西側 中央2 南から(兵庫)
▲南側基礎

三木陸軍飛行場 ④格納庫基礎 東側 中央1(兵庫)
▲北側基礎

三木陸軍飛行場 ④格納庫 扉の軌条(南東角の家西側)(兵庫)
▲扉の軌条


掩体壕
『飛行場要覧』には「有蓋6」となっていますが、空撮を見る限り当飛行場の掩体壕は全て“山”字型で2機収容の土製無蓋掩体壕だった様です。
三木陸軍飛行場 掩体壕A・C 図示(兵庫)
▲掩体壕配置

A 無蓋掩体壕
大型の掩体壕で林の中に完存しています。
三木陸軍飛行場 A 掩体壕 前縁土堤 東から(兵庫)
▲前縁土堤 東から

三木陸軍飛行場 A 掩体壕 南側掩体部 と前縁土堤 南から(兵庫)
▲南側掩体部と前縁土堤 南から

三木陸軍飛行場 A 掩体壕 南側掩体部 東から(兵庫)
▲南側掩体部 東から

三木陸軍飛行場 A 掩体壕 北側掩体部 最深部(兵庫)
▲北側掩体部最深部


C 無蓋掩体壕
中型の掩体壕で、一部破損していますが林の中に遺ります。
造成中だった様で内部が中途半端に掘り下げられています。
三木陸軍飛行場 C 掩体壕 南側格納部・中央土堤(右) 最深部から南西側(兵庫)
▲南側掩体内 最深部から

三木陸軍飛行場 C 掩体壕 南側格納部・南側土堤(右) 最深部から南東側(兵庫)
▲南側掩体内 最深部から

三木陸軍飛行場 C 掩体壕 南側土堤 南西から(兵庫)
▲南側土堤 南西から

三木陸軍飛行場 C 掩体壕 北側格納部 最深部 西から(兵庫)
▲北側掩体内

三木陸軍飛行場 C 掩体壕 北側土堤 南から(兵庫)
▲北側土堤 南から

三木陸軍飛行場 C 掩体壕背面(奥)・北東側溝 北東から(兵庫)
▲掩体壕背面の側溝と掩体壕(奥)

ヤ・ユ 円形窪地
掩体壕の横にあり、「刺し違え陣地」(掩体壕に低空で来襲する敵機に対し機関銃・砲で迎撃するための個人用陣地)と呼ばれる対空陣地か退避所と思われます。
三木陸軍飛行場 ヤ 円形窪地(兵庫)
▲ヤ円形窪地
  見づらいですが入ると結構な深さがあります

三木陸軍飛行場 ユ 円形窪地(兵庫)
▲ユ円形窪地

ヨ 方形窪地
掩体壕の横にあり、ここも刺し違え陣地か退避所と思われます。
三木陸軍飛行場 ヨ 方形窪地 西から(兵庫)


B 無蓋掩体壕
中型の掩体壕で両側の土堤が滅失し大破、内部に水が溜まり池になっています。
三木陸軍飛行場 B 掩体壕 北西側掩体部 北西から(兵庫)
▲西側掩体内

境界石標
飛行場設定に際し、外周に「陸軍」(裏面はアラビア数字の通し番号)と刻字された境界石標が129本設置されました。
戦後の払い下げ、開拓により数本は抜かれてしまいましたが、先述した訴訟の際にコンクリート製の復刻境界(ペンキで「陸軍」と通し番号記載)が設置されます。
三木市側の探索に際し境界石標を調査された室谷敬一様、「三木飛行場を記憶する会」の郷土史家・宮田逸民様に資料提供、及び他の遺構も含め現地の御案内を、稲美町側は稲美町ご担当者様から配置図の御提供を頂きました。
この場を借り篤く御礼申し上げます。
三木陸軍飛行場 現在 中心部(兵庫)
▲境界石標位置
 三木市側:・・・現存 ・・・ふるさと交流館移設 ・・・コンクリート復刻 ・・・未踏査
 稲美町側:・・・現存 ・・・滅失?
 加古川市:・・・現存

<三木市側>
三木陸軍飛行場 三木1(兵庫)

三木陸軍飛行場 25 北西(畑の際) (兵庫)

三木陸軍飛行場 27 北西(林の中)(兵庫)

三木陸軍飛行場 28 北東(林の中)(兵庫)

三木陸軍飛行場 37 北(牧場内) (兵庫)

三木陸軍飛行場 29(ふるさと交流館に移設)(兵庫・三木)

三木陸軍飛行場 38 (牧場入口) (兵庫)
22 池の中に頭だけ出ている
25 畑際の林の中
28、27 林の斜面上
29 ふるさと交流館に移設
30 畦道にあり頭だけ出ている復刻境界
31 上部が欠損しているうえ抜けている
32 B掩体壕の背後、草むら内
36 茂みの中
37 牧場の牛がいる柵を北側に回った場所、牛が寄ってくる
38 牧場の入口付近に抜けて転る
39 林を抜けた草むらの中
40~43 林の中

44 小屋の南側にある復刻境界
三木陸軍飛行場 44(復興)(兵庫・三木)

三木陸軍飛行場 三木2(兵庫)

三木陸軍飛行場 47 (畑中)(兵庫)
45 道路から少し入った林の中。鉄パイプが横に立っている
47 畑の北端に抜けて転がっている
48 トタンの農機具小屋の裏
49 林の中
50 〃
51 〃
52 道路と小道(当時の軍道)の分岐付近
53 軍道を進み西側の斜面上にある資材小屋の裏(軍道側)に見える
54 斜面上
56 同じ標高線にあるらしいが、斜面が大きく削られ踏査不能に

三木陸軍飛行場 三木3(兵庫)

三木陸軍飛行場 60 東(兵庫)
57~64 斜面中ほど ・・・このあたりの記憶が曖昧です・・・
65、66 復刻境界
67 斜面中ほど
68、69 林の中の平地
72 斜面に小道が出て来るあたりの道沿いにある復刻境界
74 養鶏場の民家?空家?の角の草むら内
75 養鶏場の谷際の草むら

三木陸軍飛行場 三木4(兵庫)
76 谷を降りた底
77 斜面を上がった薮を左側に迂回した林の中
78 林の中
79 〃
83 用水池の下にある用水路沿いの畦道、すぐ分かる

<稲美町側>
三木陸軍飛行場 稲美(兵庫)
89 造成されており見つからず
94 畦道と林の際
95 畦道から林に入ったところ、傾いており木の陰にある
97 畦道から林に入ったところ
99 鉄塔から南西に少し下ったところ
100 道路から電柱を入ったところ
三木陸軍飛行場 100 南東(電柱入る)(兵庫・稲美)

104 神社拝殿の北東斜面
103 104から横に移動し球場の際、崖上
113 西側の道路から畑の畦道を進んだ突き当り
114 畦道に抜けて転がっている
121 草むら内の小道南側
122 草むら内の小道沿いにあり、フェンスの際にある

<加古川市側>
3~5 リサイクルセンター北側の土手を入った削平地
三木陸軍飛行場 加古川(兵庫)


ア・イ・ウ 本部地下壕跡
墓地西側斜面下に崩落跡が遺ります。
アは直線型、イとウは爆風を避けるため“Y”型をしています。
証言にある第六錬成飛行隊の本部地下壕と思われます。
三木陸軍飛行場 ア 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ア 直線壕跡

三木陸軍飛行場 イ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲イ Y型壕跡

三木陸軍飛行場 ウ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ウ Y型壕跡


エ・オ 円形窪地
直径1.5m程の円形の窪地が遺ります。
退避所と思われます。
三木陸軍飛行場 エ 窪地(兵庫)
▲エ 円形窪地

三木陸軍飛行場 オ 窪地(兵庫)
▲オ 円形窪地


カ・キ 地下壕跡
谷奥に直線壕の崩落跡が遺りますが、用途は不明(以下同じ)です。
三木陸軍飛行場 カ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲カ 地下壕跡

三木陸軍飛行場 キ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲キ 地下壕跡


ク・ケ 半地下壕跡
谷奥に直線壕の崩落跡が遺り、爆風を避けるため“Y”型をしています。
先の本部壕とは逆にYの足側から入る構造だった様です。
三木陸軍飛行場 ク 半地下壕(兵庫)
▲ ク 半地下壕跡

三木陸軍飛行場 ケ 半地下壕(兵庫)
▲ ケ 半地下壕跡

三木陸軍飛行場 クケ東側の軍道(兵庫)
▲ク・ケ東側の軍道跡


コ・サ 地下壕跡
斜面に“y”型の塹壕状の掘り込みが遺ります。
三木陸軍飛行場 サ 地下壕?(兵庫)
▲サ 地下壕跡


シ 交通壕

斜面に“?”型の交通壕が遺ります。
三木陸軍飛行場 シ 塹壕(兵庫)


ス 方形窪地

古墳東側の竹林に遺ります。
墳丘上に高射機関砲があったらしく、対空陣地関連の遺構の様です。
三木陸軍飛行場 ス 四角窪地(兵庫)


セ・ソ 地下壕
厳島神社参道脇の民家横に小型の地下壕が2基遺ります。
掘り方が甘いので民間用の防空壕かも知れません。
三木陸軍飛行場 セ 防空壕?(民間?)(兵庫)
▲セ 地下壕

三木陸軍飛行場 ソ 防空壕?(民間?)(兵庫)
▲ソ 地下壕


タ 地下壕
八雲神社参道脇に遺ります。
資料が見つからないのですが、「八雲神社周辺に飛行機が隠されていた」との証言があった事から、軍用の施設の様です。
奥行き10m程あります。
三木陸軍飛行場 タ 壕口(兵庫)
▲壕口

三木陸軍飛行場 タ 内部(兵庫)
▲内部


チ・ツ 地下壕跡
タに並んで崩落跡が遺ります。
三木陸軍飛行場 チ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲チ 地下壕跡

三木陸軍飛行場 ツ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ツ 地下壕跡


テ・ト・ナ・ニ・ヌ 地下壕跡
斜面に様々な形状をした地下壕の崩落跡が遺ります。
三木陸軍飛行場 テ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲テ 地下壕跡

三木陸軍飛行場 ト 地下壕(崩落)中央枝坑(兵庫)
▲ ト 地下壕跡

三木陸軍飛行場 ナ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ナ 地下壕跡

三木陸軍飛行場 ニ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ ニ 地下壕跡

三木陸軍飛行場 ヌ 地下壕(崩落)(兵庫)
▲ヌ 地下壕跡


ネ・ノ・ハ 掩体壕?
道路際の斜面に彫り込んだ跡が遺ります。
掩体壕の様に見えますが単なる土採り跡かも知れません。
三木陸軍飛行場 ネ 掩体壕? 北西から(兵庫)
▲ネ 掘り込み

三木陸軍飛行場 ノ 掩体壕?(兵庫)
▲ノ 掘り込み

三木陸軍飛行場 ハ 掩体壕?(兵庫)
▲ハ 掘り込み


ヒ 地下壕跡?
斜面に直線の交通壕の様な掘り込みが遺ります。
三木陸軍飛行場 ヒ 地下壕(崩落)(兵庫)


フ~モ 円形窪地
飛行場のある台地から谷を3m程降った斜面に直径1.5m程の円形窪地が等間隔で並びます。
戦後すぐの空撮にも写っており、「刺し違え陣地」か退避所と思われます。
三木陸軍飛行場 フ 円形窪地(兵庫)
▲フ 円形窪地

三木陸軍飛行場 ヘ 円形窪地(兵庫)
▲ヘ 円形窪地

三木陸軍飛行場 ミ 円形窪地(兵庫)
▲ ミ 円形窪地


所在部隊
第一教育飛行隊
加古川陸軍飛行場』の記事参照


第六錬成飛行隊(空五二三、中部第五百二十三部隊)
昭和19(1944)年3月23日、軍令陸甲第二十三號により張家口飛行場において臨時編成(羽根俊平少佐)され、第五航空軍(下山琢磨中将)隷下に編入され百式司令部偵察機、一式双練により偵察、錬成教育を実施します。
11月14日、軍令陸甲第百五十一號中改正により編制改正、同百五十二號中改正により第五十一教育飛行師團(松岡勝臧中将、岐阜)に隷属転移、三木に移駐しますが、設定中の三木の滑走路は転圧不足のため主脚折損事故が発生したため、加古川に移駐します。
昭和20(1945)年3月、三木に再進出します。
8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄し滿洲に侵攻、ウラジオストクに敵艦隊集結中との報に接し飛行隊から大橋巌軍曹が選抜され、ウラジオストク上空を偵察します。
8月15日、決號作戰(本土決戦)に備え錬成にあたるなか、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
9月3日、三木において復員完結します。


第百十一飛行戰隊
佐野陸軍飛行場』の記事参照


飛行第七戰隊 (移駐予定)
伊丹陸軍飛行場』の記事参照


第百八十九飛行場大隊(燕一九〇三四)
昭和19(1944)年11月30日、三木陸軍飛行場において編成(筒井光雄少佐)され、第一航空軍(安田武雄中将、東京)隷下に編入、三木において補給、同飛行場の管理、警備及び防衛にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月31日、三木において復員完結します。


第二百五十飛行場大隊(靖一九三六二)
昭和20(1945)年6月20日、三木陸軍飛行場において編成(宇佐見利治少佐)され、第六航空軍(菅原道大中将、福岡)隷下に編入、三木において補給、同飛行場の管理、警備及び防衛にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第二百五十五飛行場大隊(靖一九三七六)
昭和20(1945)年6月20日、米子飛行場において編成(小金澤愛治大尉)され、第六航空軍(菅原道大中将、福岡)隷下に編入、三木陸軍飛行場に移駐、補給、同飛行場の管理、警備及び防衛にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『陸軍航空の鎮魂 総集編』 (平成5年4月 陸軍航空碑奉賛会)

『本土航空作戦記録』 (昭和21年12月 第一復員局)

『三木飛行場開拓地訴訟史』 (昭和60年 兵庫県農林水産部農地整備課)

-その他-
第2回 三木飛行場展
第3回 三木飛行場展
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八雲神社の地下壕について

おひさしぶりです。
いつぞやの福崎の高橋弾薬庫でご一緒した穴居人です。
地下壕の写真のおかげで、一つ謎が解けました!
三木市のフィルムコミッションに防空壕の写真があって場所を探していたんです。
http://www.mikicci.or.jp/fc/guide/
これによると最上部に軍の指令所が、後はまだ2箇所あるような書き方です。
僕も一回、探しに行ってみます!

Re: 八雲神社の地下壕について

穴居人さま

こちらこそ、ご無沙汰しています。
『穴場の姫路』ちょいちょい覗かせていただいていますよ!

福崎の記事はまだ出来ていないと言う相変わらずの遅筆でお恥ずかしかぎりです(^_^;)

フィルムコミッション、見てみました。
後の2箇所はブログでも紹介した「崩落跡」と思います。
あの地下壕は古い新聞記事を頼りに行ったのですが、その記事にも「1箇所しか遺っていない」となっていた様に思います。

軍の指令所は初見でした!
昭和23年の空撮を見ると、確かに山上の神社裏にある道?の南側に「円形の何か」が映っています。

三木まで行くのが結構大変なので、調査結果の御教示頂けたらうれしいです!
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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