当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場

長崎県川棚町片島に佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場がありました。
発射場には後に佐世保海軍工廠造兵部分工場が併置されます。
川棚魚雷遠距離發射場 全景 北西から(長崎川棚片島)
▲川棚魚雷遠距離發射場 全景

【探索日時】
平成24年11月28日





佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場 概要
明治22(1889)年7月1日、佐世保鎭守府が開庁し、造船部、兵器部(明治26年5月19日廃止)が設置されます。
明治30(1897)年10月8日、佐世保鎭守府造船部は佐世保海軍造船廠に改編(鎭守府兵器部が復活、明治33年5月20日、佐世保海軍兵器廠に改称)されます。
明治36(1903)年11月10日、造船廠、兵器廠は統合され佐世保海軍工廠(以下、佐廠)が発足(佐世保鎭守府麾下に編入)、兵器廠は造兵部、造船廠造船科は造船部、同造機科は造機部、各部科経理部門は統合され會計部が発足します。

佐廠は軍港に面した鱏(えい)の鼻に水雷発射場を所有していましたが、現用の四四式魚雷の最大射程が7,000mに対し試製中の魚雷(六年式魚雷)の最大射程は15,000mになる事から、大正5(1916)年10月、海軍省は長崎県東彼杵郡川棚村(現、川棚町)の片島を取得し、発射場の新設を決定します。
大正6(1917)年3月、第一工員宿舎、8月、観測所、冷却水槽、大正7(1918)年8月、射場、同上屋、第二工員宿舎、油庫、突堤が竣工し川棚魚雷遠距離發射場が開場、佐世保海軍工廠造兵部の管下に置かれ、制式採用された六年式魚雷の試射(合格した魚雷は再び佐廠に還送)を開始します。

大正8(1919)年3月、佐廠造兵部の管下に水雷工場が竣工し八年式一號魚雷を試作しますが、呉海軍工廠試作の同二號魚雷と競作となり川棚において試射のため船で輸送中に針尾付近で遭難してしまい、試射に間に合わず二號魚雷が採用されます。

昭和4(1929)年、八九式魚雷、昭和5(1930)年、九〇式魚雷、昭和6(1931)年、九一式魚雷(航空用)、昭和7(1932)年、九二式魚雷(水上艦用:電池)、そして昭和8(1933)年、世界唯一の動力素に酸素を用いた九三式魚雷(水上艦用)、次いで昭和10(1935)年、同じく動力素に酸素を用いた九五式魚雷(潜水艦用)、昭和12(1937)年、同じく九七式魚雷(甲標的用)が制式採用され、試射を開始します。
川棚魚雷遠距離發射場 九一式魚雷(長崎川棚片島)
▲九一式魚雷

川棚魚雷遠距離發射場 九二式魚雷(長崎川棚片島)
▲九二式魚雷
 先端が黒いのは実用頭部

川棚魚雷遠距離發射場 九三式魚雷(長崎川棚片島)
▲九三式魚雷

川棚魚雷遠距離發射場 九五式魚雷(長崎川棚片島)
▲九五式魚雷
  赤いのは訓練用の擬雷

昭和13(1938)年、試射の効率化を図るべく、3月、第一魚雷調整場、第二工員宿舎、検査官宿舎、昭和14(1939)年1月、空気圧縮喞筒所が竣工、3月、罐場、第二油庫を建設、観測所を改装し、佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場 分工場を併設します。
昭和17(1942)年1月、貯水槽、4月、第二魚雷調整場が竣工、北側の海峡を埋め立て交通の便を図り、各種魚雷の試射にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

川棚魚雷遠距離發射場では三菱重工業㈱長崎兵器製作所、佐廠、川棚海軍工廠で製造された魚雷の試射を実施、合格した魚雷を佐廠に還送していました。

戦後の経緯は不明ですが、他の陸海軍施設同様、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により、大蔵省に移管、9月22日、佐世保に上陸した米第5海兵師団の1個大隊により、10月、隣接する川棚海軍工廠とともに接収、賠償指定された工作機械の搬出後、大蔵省に返還され、熊本財務局川棚管理事務所の管理下に置かれた後、川棚町、民間に払い下げられたと思われます。

なお当施設の名称について、現地説明板も含め片島魚雷発射試験場との記述が圧倒的で、ネット上ではその他いい加減な名称が氾濫していますが、正確には佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場、もしくは佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場 分工場です。


遺構について
佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場
現在、発射場主要部は定期的に草刈りされ保存されており、主な建物は比較的有名な軍跡となっています。
佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場(現在)(長崎川棚片島)
▲遺構配置(水色部分は滅失)

A 空気圧縮喞筒室
昭和14(1939)年1月に竣工しました。
名称から、九三式、九五式魚雷(酸素魚雷)に対応すべく建設されたと思われます。
非常に有名な遺構で、幅10×奥行20mあり1階外壁は石組、2階はセメント煉瓦でできており屋根が抜けています。
川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室 南西から(長崎川棚片島)

内部は2部屋に分かれており、当時は原動機5台が並んでいました。
川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室内部(西側の部屋 西から(長崎川棚片島)
▲床面はタイル張りです

川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室内部(東側の部屋 西側の構造物 (3)(長崎川棚片島)
▲手前側の部屋にある原動機設置台と思しき構造物

川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室内部(東側の部屋 西側の構造物(長崎川棚片島)
▲同じく手前側の部屋にある原動機設置台と思しき構造物

川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室内部(西側の部屋 東側にある構造物(長崎川棚片島)
▲奥の部屋にある原動機設置台と思しき構造物

川棚魚雷遠距離發射場 A 空気圧縮喞筒室 南側の構造物(長崎川棚片島)
▲A空気圧縮喞筒室南側のコンクリート構造物


B 射場
大正7(1918)年8月に竣工しました。
こちらも非常に有名な遺構で、煉瓦区体にモルタル仕上されています。
当時は魚雷卸口を挟んで同じ建物があり、両方を繋ぐ様に上屋がありましたが、波浪により倒壊してしまっています。
川棚魚雷遠距離發射場 B 射場(右)とC 探信機領収試験場(左) 北から(長崎川棚片島)
▲中央の孔が魚雷卸口

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 北から(長崎川棚片島)
▲魚雷卸口
  魚雷は西彼半島北岸の小島間に向け試射されたと言われています。

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 北西から(長崎川棚片島)
▲現存の東側上屋

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 内部(長崎川棚片島)
▲東側上屋内部

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 崩壊した西側の棟(長崎川棚片島)
▲倒壊した西側上屋の残骸

陸地から繋がる突堤上には艦船模型でお馴染みの魚雷運搬軌条が敷かれていました。
川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 北東から(長崎川棚片島)
▲陸から続く突堤全景

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 東から(長崎川棚片島)
▲突堤上に既に軌条は遺されていませんが、跡が遺ります

川棚魚雷遠距離發射場 B 射場 軌条跡(湾曲部)(長崎川棚片島)
▲崩壊しているカーブ部分

R ダビット基礎
運搬船を直接突堤に接岸し、魚雷積卸ダビット(クレーン)で射場まで運ぶ事ができました。
ダビット取付部の直径2.5m、ボルトは8本(ボルト間7.7㎝、対角200cm、中央の孔経100cm)あります。
川棚魚雷遠距離發射場 R ダビット跡(長崎川棚片島)


C 探信機領収試験場
こちらも非常に有名な遺構で、所謂「新観測所」と呼ばれている様ですが誤りです。
佐廠の営造物一覧に記載が無く建設時期は不明です。
名称からして水中探信機の試験施設の様です。
川棚魚雷遠距離發射場 C 探信機領収試験場 北東から(長崎川棚片島)
▲見て頂ければ分かりますが、この高さでは魚雷の射線は確認できません

川棚魚雷遠距離發射場 C 探信機領収試験場 北から(長崎川棚片島)
▲手前の一段下がった部分に木造の橋が架かっていましたが、既に滅失しています
  泳いで渡った強者もいてる様ですが、流石に無理です(^_^;)

一部崩落していますが、AからDに続くコンクリート舗装の道路も遺ります。
川棚魚雷遠距離發射場 C 探信機領収試験場 へ続く道路 南から(長崎川棚片島)


P 護岸階段
配置図に記載が無く詳細不明ですが、当時の物と思われます。
配置図を見ると北側の駐車場から射場まで護岸があり、当時はこの部分が大きな干潟状になっていた様です。
川棚魚雷遠距離發射場 P 南東から(長崎川棚片島)


D 観測所
大正6(1917)年8月、片島山頂に建設され、昭和14(1939)年3月、改修されます。
こちらも非常に有名な遺構ですが、内部はアホが落書きしています。
川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 北東から(長崎川棚片島)
▲結構な山道を登ると正面に見えて来ます

川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 東から(長崎川棚片島)
▲側面から

川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 2階観測窓 東から(長崎川棚片島)
▲観測窓

川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 2階から大村湾(長崎川棚片島)
▲観測窓から見た射線方向
  右側手前に見える岬頂上に変向魚雷観測所(コンクリート敷遺る)がありましたが、時間の関係で行きませんでした

川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 東側壁面(長崎川棚片島)
▲D観測所内部
  多分に漏れず2階が抜けています

川棚魚雷遠距離發射場 D 観測所 2階北西側壁面(長崎川棚片島)
▲2階部分


E 冷却水槽
大正6(1917)年8月に竣工しました。
幅8×奥行25×深さ1.5mあります。
所謂「試験水槽」と言われている様ですが周辺に起重機の基礎も無く、この中に2tを越える魚雷を出し入れするのは不可能なのが分かります。
川棚魚雷遠距離發射場 E 冷却水槽 西から(長崎川棚片島)
▲全景

川棚魚雷遠距離發射場 E 冷却水槽 東側の仕切り 南西から(長崎川棚片島)
▲冷却水槽の奥に小型の水槽が付いています
 
冷却水槽南側に便所(大正6年8月、竣工)の基礎が遺ります。
川棚魚雷遠距離發射場 E 南側の便所(長崎川棚片島)
▲左側が大便器、右側が小便器です


F 第二油庫
昭和14(1939)年3月に竣工しました。
外壁は石組で凝った造りをしています。
川棚魚雷遠距離發射場 F 第二油庫 北東から(長崎川棚片島)

当時は第二油庫の南側に倍ほどの規模の第一油庫がありました。


G 貯水槽
形状から貯水槽と思われますが、配置図に記載が無く不明です。
鎌を忘れたため掃除できず、何だか分からん写真になってしまいました。
川棚魚雷遠距離發射場 G 水槽?(長崎川棚片島)


H 第二魚雷調整場 基礎
昭和17(1942)年4月に竣工しました。
木造平屋建てのコンクリート基礎のみが一部遺ります。
有名な遺構群の奥にあり、荒れています。
川棚魚雷遠距離發射場 H 第二魚雷調整所 基礎 東側(長崎川棚片島)
▲東側基礎

川棚魚雷遠距離發射場 H 第二魚雷調整所 基礎 北東隅(長崎川棚片島)
▲北東基礎

川棚魚雷遠距離發射場 H 第二魚雷調整場 基礎 北西側(長崎川棚片島)
▲北西基礎


I 建物基礎
配置図に記載が無く詳細不明です。
川棚魚雷遠距離發射場 I 建物基礎 東から(長崎川棚片島)
▲これまた分かりづらい・・・

J 第一魚雷調整場 基礎
昭和13(1938)年3月に竣工しました。
鉄骨平屋建てでしたが上屋は既に無く、コンクリート布基礎のみが遺ります。
川棚魚雷遠距離發射場 J 第一魚雷調整場 基礎 南側(長崎川棚片島)
▲この広場全体にコンクリート基礎が点在しています

川棚魚雷遠距離發射場 J 第一魚雷調整場 建物基礎 西側(長崎川棚片島)
▲僅かに基礎が見えます


K 第一工員宿舎 基礎
大正6(1917)年3月に竣工した当施設で最古の遺構です。
川棚魚雷遠距離發射場 K 第一工員宿舎 基礎 (3)(長崎川棚片島)
▲草に埋もれる基礎

川棚魚雷遠距離發射場 K 第一工員宿舎 基礎(長崎川棚片島)
▲草むら探索には鎌が必需品です・・・


L 貯水槽
形状から貯水槽と思われますが、配置図に記載が無く不明です。
川棚魚雷遠距離發射場 L 水槽?(長崎川棚片島)


M 検査官宿舎
昭和13(1938)年3月に竣工しました。
木造平屋建ての煉瓦基礎のみが一部遺ります。
川棚魚雷遠距離發射場 M 検査官宿舎 煉瓦基礎(長崎川棚片島)
▲草に埋もれ見辛いです

川棚魚雷遠距離發射場 M 検査官宿舎 煉瓦基礎 (2)(長崎川棚片島)
▲煉瓦基礎近影


N 退避壕
配置図に記載が無く詳細不明です。
入口に爆風除けを設け、内部は2部屋に区切られた総コンクリート造りです。
幅2.5×奥行は各部屋3.5mあります。
川棚魚雷遠距離發射場 N 退避壕 北西から(長崎川棚片島)
▲入口付近

川棚魚雷遠距離發射場 N 退避壕 内部(北側) 北から(長崎川棚片島)
▲最初の部屋

川棚魚雷遠距離發射場 N 退避壕 内部(南側) 北から(長崎川棚片島)
▲奥の部屋
  部屋の最深部に空気孔があります

これら発射場中心部の遺構の北側には守衛宿舎、罐場、浴場、烹炊所、第二工員宿舎、便所がありましたが、民宿、駐車場の建設により遺構は何も遺されていない様です。


O 貯水槽
昭和17(1942)年1月に竣工しました。
幅7×奥行12mあります。
現在、危険防止のため一部が破壊されています。
川棚魚雷遠距離發射場 O 南から(長崎川棚片島)
▲貯水槽全景

川棚魚雷遠距離發射場 O 内部 北から(長崎川棚片島)
▲内部

この貯水槽の南側に社跡がありますが、大正2年に三越地区に遷座された片島神社跡で海軍とは全く関係ありません。


① 隧道格納庫
①③は試射用魚雷の格納庫だった様です。
発射場中心部から東側の公園に抜ける山道の左下に北側の壕口があります。
幅2mで陸側から72mで右側に屈曲、25mで海岸に出ます。
川棚魚雷遠距離發射場 ①壕口(北側)(長崎川棚片島)
▲山道から見える北側壕口

川棚魚雷遠距離發射場 ①壕口(南側)(長崎川棚片島)
▲海岸側の壕口

川棚魚雷遠距離發射場 ①壕口(北側)から内部(長崎川棚片島)
▲地下壕内部


② 地下壕
①③の海岸側壕口の中間にあります。
掘削中だった様で5.5m程で行き止まります。
川棚魚雷遠距離發射場 ②壕口から内部(長崎川棚片島)


③ 隧道格納庫
Q 隧道格納庫入口
鉱滓煉瓦で仕上げられていますが、陸側は10m程で崩落しています。
川棚魚雷遠距離發射場 Q ③隧道 北側壕口(長崎川棚片島)

川棚魚雷遠距離發射場 Q ③隧道 北側壕口のセメン煉瓦(長崎川棚片島)
▲鉱滓煉瓦近影
  鉱滓とは鉱物の燃えカスの事です

幅3.5mあり、海岸側から43m程で右側に屈曲、40mで崩落しています。
川棚魚雷遠距離發射場 ③隧道 内部(長崎川棚片島)
▲地下壕内部
  ②は①に比べ壁面が仕上がっており、①は未完成なのかも知れません

海岸側の壕口は斜面上2m程の位置にありますが、樹木で隠れており分かり難いです。
川棚魚雷遠距離發射場 ①②③壕口 斜面の木の中に(長崎川棚片島)
▲左側の樹木部に壕口が3ヶ所あります
  写真に見える崖下の侵食孔を目指して行けば見つける事ができます


主要参考文献
『佐世保市史 軍港編 下巻』 (平成15年4月 佐世保市史編さん委員会)

『わがまちのお宝 川棚町』 (川棚町企画財政課)

アジ歴各種史料
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No title

趣味で川棚の戦時遺構を調べてる者です。偶然貴殿のブログを見つけて、目からうろこの内容で大変興味深く読ませて頂きました。 早速質問です。A空気圧縮喞筒室での仕事内容って何ですか?九三式魚雷(酸素魚雷)に対応してとのことですが、酸素を魚雷の1室に詰め込む(?)との解釈でよろしいのでしょうか?魚雷の仕組みも勉強しなければと思いました。同じくAの六枚目の画像の南側のコンクリート構造物ですが、何が設置されていたのでしょうか?円の跡がありましたが・・・。 C、私も新観測所と聞き、今までそれを信じてました。水中探信機とはどんな役割を果たすのですか? Eの冷却水槽の役割は何ですか?冷却とは何を冷却するのですか? Hの第二魚雷調整場 基礎はどうして木造平屋とわかるのですか?コンクリートの溝で建築構造がわかるのかな?と思いました。 最後に、建物の名称と竣工年月日が詳細にわかるのはなぜですか?何か資料が残されているのでしょうか? お忙しいところ大変申し訳ありませんが回答をよろしくお願いします。

Re: No title

古川様
はじめまして。
拙ブログをお読み頂きましてありがとうございます。
私も弾薬・魚雷についてはそれほど詳しくないので、分かる限りご質問にお答えいたします。


・A 空気圧縮喞筒室での仕事内容
「喞筒」はポンプの事です。
“酸素を魚雷の1室に詰め込む(?)との解釈”で良いと思います。
魚雷は燃料の酸化剤として空気を用いるため、発射の際に空気を気室に圧縮充填する必要があり、位置的にその作業を行っていたと見て間違いないと思います。
ちなみに水上艦艇も空気圧縮機を艦内に備えています。

記事中では“九三式魚雷(酸素魚雷)に対応して”と記載しましたが、従前の魚雷ももちろん空気を充填していたので「元々あった空気圧縮喞筒室を酸素魚雷の需要に合わせ昭和14年に建て替えたのかも知れない」との意で、この様に記載しています。
なお海軍では機密保持のため酸素を「第二空気」と称していたため、「空気」との表示なのかも知れません。


・Aの六枚目の画像の南側のコンクリート構造物
こちらは図面にも記載されておらず不明です。
位置的に隣接の冷却水槽か水を汲み上げるポンプ室の可能性が高いと思います。
“円の跡”との事ですが見てみないと分かりませんが、煙突の基礎が円形をしている事が多いので、空気圧縮喞筒室の排煙を逃がす換気装置室かも知れません。


・C 探信機領収試験場
一般的に「新観測所」と言われていますが、出典が知りたいところです。
配置図には「探信機領収試験場」となっています。
観測所とするなら魚雷の航跡を確認するのにわざわざ低い位置、しかも労力のかかる海中に建てるのも不自然です。

水中探信機(儀)とは所謂「ソナー」(海軍ではソーナー)の事で、音波を発信し海中の敵潜水艦を探知するレーダーの様な物です。

ただ、魚雷を探知する物では無いので、魚雷試射とは別目的の施設である可能性があります。
波静かな大村湾内で佐世保に入る潜水艦を目標として水中探信儀の試験をしていたのかも知れません。


・E 冷却水槽
魚雷を調整、整備するのに必要な工作機械には冷却水槽が不可欠で、当時はディーゼルエンジンが主流のため冷却水槽と燃料庫は必ずセットである事が多いです。
もちろん、試射が終わった魚雷の塩分除去にも使用されていたと思われますが、詳細は不明です。


・Hの第二魚雷調整場 基礎
・建物の名称と竣工年月日が詳細にわかるのはなぜですか?
佐世保海軍工廠が昭和20年10月20日に連合軍に提出のため纏めた『佐世保海軍工廠 造兵部 建築物明細目録』(C08010976100)に記載があります。
この史料には佐廠造兵部管下の建物の構造、面積、建築費、竣工年が網羅されています。
上記史料は一覧表のみなので、『佐世保海軍工廠 引渡目録』の「無線工場、砲熕検査係、構板工場、弾丸工場、機械配置図」(C08010977600)と照らし合わせが必要です。
上記史料は「アジア歴史資料センター」のサイトから閲覧可能です。
カッコ内がリファレンスコードです。


以上、推測も含め分かる範囲での回答となります。

すみません、魚雷に関して疑問が出てきました。製造された魚雷はバラバラの状態で船に積んで発射場に運び、随道格納庫で組み立てたと聞いたのですが、そうでしょうか?現在随道格納庫の前は「組み立て工場」との説明板が立ってます。     あと、試験発射の時は軌道の達する両脇に船で待ち構えていて、走行を終えた魚雷を回収したと聞いたのですが、どのように回収したのでしょうか?単純に鉄だから走行し終えた魚雷は沈んでしまうのでは?と思いましたが、気室に空気が残ってて浮力が働くのか?などと考えました。そして、浮いた魚雷を海上を引っ張って持ち帰ったのかな?とか考えました。

Re: タイトルなし

古川様

私も余り魚雷や弾薬には詳しくないのですが、分かる範囲でご回答します。

魚雷の運搬について
製造した魚雷をわざわざ解体して運搬すると言うのは手間がかかるだけで無意味なので考え難いです。
圧搾空気の充填を組立と言うのであればそうですが・・・。
配置図を見ると調整場はありますが、組立場はありませんし、あの隧道は「格納庫」となっており踏査した感じでは未完成(運搬路も無い)のうえ、かなりの狭さであの広さでは組立は不可能と思われます。


試験魚雷の回収について
先日も記載しましたが試射の際は追躡艇と言う回収用の小型船で試射魚雷を追いかけて行き引き揚げて回収します。
通常の実用頭部付きの魚雷は発射後、目標から外れると気室に海水を注入し自沈する仕組みになっていましたが、試験用魚雷は海水を注入せずそのまま浮いてくる様になっていました(詳しい構造は知識が無いので不明です、スミマセン)。

この方面はあまり詳しくないので、この程度の回答しかできず、申し訳ありません。

連絡が遅くなってしまいました。
川棚小3年生の校外学習、魚雷発射場の案内が無事に終わりました。子どもたちからは直球の質問がどんどん出て、面白かったですよ。 
・魚雷って何ですか?
・魚雷は乗れるんですか?
・どうして魚雷という名前なんですか?
・どうして川棚に発射場ができたんですか?
・雨の日も試験をしてたんですか?
・どうして鳥居があるのですか?
・魚雷はどのくらいの距離を進むのですか?
・どのくらいの人数で働いてたのですか?
・魚雷の大きさはどのくらいですか?
まだまだ思いました。挙手してくれましたけど、時間が来てしまいました。この子たちの年齢なら自分達の町に軍事施設があったってことを知ってくれたらいいかなと思いました。
すみませんが私からまた質問です。
ある人は魚雷卸口に当時は試射用の魚雷発射菅があったと想定されてるのですが、私はにわかに信じられずにいます。なぜなら、航空魚雷の試験も行っていたなら、空中から発射する魚雷に発射菅は不要だろうし、まっすぐ進むのを観測するのであれば、スクリューがあれば充分なのではないかと思うからです。以前長崎で、長崎三菱の兵器工場に勤めてて、設計士をされてたかたとお話をすることができました。その方の話だと、試射のの時はレバーを引っ張ってエンジンを起動してたのではないかとのこと、川棚で試験を行っていた魚雷はプロトタイプだったかもとおっしゃられました。プロトタイプ→試作品?正規のものとは別物?ってことでしょうか?裏付ける記録とか資料はないでしょうか?お忙しいところ大変申し訳ありませんが回答をお願いします。

Re: タイトルなし

古川様

ご報告、ありがとうございます。
校外学習、お疲れ様でした。
なかなか、純粋な質問が子供らしくて良いですね。
推進距離や大きさ、乗れるか否か等、単純な質問ながら我が国の魚雷史の核心を突くような鋭く、且つ重要な質問なだけに全部答えてあげたいくらいです(笑)

ご質問に対する回答です。
・試射場に発射管があったか
おっしゃる通り、試射場に水上発射管はありません。
川棚の発射場は倒壊していますが、呉海軍工廠の大津島(回天で有名ですね)の試射場はほぼ完存しており、試射場は開口部があるだけです。
現地に発射管を据え付けた場所や跡は全くありません。

水上発射管は魚雷戦指揮装置からの諸元(射角や射入角)を発射管側で入力し圧搾空気で魚雷を発射しますが、試射ではその必要が無いため、発射管は不要で発射口から降ろし発射します。

・川棚の魚雷の種類
残念ながら川棚の史料は持ち合わせておらず、詳細は不明です。
本文に記載しましたが川棚では三菱重工業㈱長崎兵器製作所、佐廠、川棚海軍工廠で製造された魚雷の試射を実施していた様です(出典は失念してしまいました)。
以下は推測になります。
海軍はそこまで頻繁に魚雷の試作を行っていた訳では無く、大東亜戦に運用された魚雷も九五式(昭和10年制式)とまぁまぁ古いモノです。
また、佐世保海軍工廠の魚雷試射場は川棚にしか無く、「試作品のみの試射」とは考え難いです。

返信早いですね!ありがとうございます。魚雷発射菅についてはモヤモヤが晴れてスッキリしました。おっしゃられてる方は90近いご高齢で、確証もなくツッこむことができずにいました。        子どもたちには乗れる魚雷として回天の事を話そうかと思いましたが、特攻兵器の分類になり、子どもたちの学習目的(町内に残る戦時の足跡)から脇道にずれてしまうこともあり、今回はやめておきました。話ができる機会があればと待っています。
魚雷の大きさについては、「航空魚雷ノート」に載っていた寸法を参考に実寸大の魚雷を模造紙を繋ぎ合わせて描いたものを広げて見せました。子どもたちには言葉よりも視覚で表現した方がインパクトがあるかと思いまして(^-^)

Re: タイトルなし

古川様

冬季以外は基本インドア派で、休日はPCの前が定位置なもので(汗)
現地を見れば一目瞭然と言う事は良くありますね。
其の方もプロトタイプを「実用段階前の魚雷」と言う意味で使用していたのかも知れませんね。
確かに回天の話をしだすと話しが脱線して時間がなくなりそうです・・・。

現物が近くに無い以上、実寸図は良い試みと思います。
言葉で説明するより視覚に訴える方が子供には分かりやすいですからね。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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