当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

佐世保海軍警備隊 川棚防空砲台

長崎県東彼杵郡川棚町に所在した川棚海軍工廠(百津工場)北側の城山に佐世保海軍警備隊 川棚防空砲台がありました。
川棚防空砲台 a 高角砲座 西から (2)(長崎川棚)
▲畑に遺る高角砲座

【探索日時】
平成24年11月28日、平成28年1月28日





遺構について
佐世保海軍警備隊 川棚防空砲台
昭和16(1941)年11月12日、軍令海第二十三號『海軍警備隊令』により佐世保鎭守府麾下に佐世保海軍警備隊(千葉慶藏少将)が編成され佐世保第一海兵團に本部を開庁、佐世保鎭守府陸上防備部隊に部署、既設の軍港警備隊、防火隊、防毒隊、救護隊、高射指揮所、防空砲台15、防空見張所4・同特設見張所4ヶ所、特設監視艇、聴音照射所を管下に編入し佐世保鎭守府地区、及び西南海面の警戒にあたります。
昭和17(1942)年10月15日、東彼杵郡川棚町に佐世保海軍工廠 川棚分工場(昭和18年5月1日、川棚海軍工廠に改編)が開廠します。
昭和19(1944)年3月10日、大村地区防空のため寄船防空砲台の八糎高角砲4、射撃盤を撤去、川棚町の城山に新設砲台の設営を開始、31日、竣工(濱田正明兵曹長)します。
設営は佐世保海軍施設部川棚地方事務所が指揮したと思われますが、詳細は不明です。
昭和20(1945)年8月15日、近接する三越(みつごえ)防空砲台とともに川棚地区の防空にあたるなか、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の装備は四十口径三年式八糎高角砲4門、望遠鏡1、測距儀1、九六式二十五粍単装機銃4でした。
川棚防空砲台 三年式八糎高角砲(長崎川棚)
▲四十口径三年式八糎高角砲(靖國神社)

戦後の経緯は不明ですが借地と思われ、現在は農地、民家等になっています。
川棚防空砲台 川棚砲台 現在(長崎川棚)
▲遺構の配置

川棚防空砲台 川棚砲台 引渡目録(長崎川棚)
▲当時の配置
  『引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎県の部』を参考にしましたが、当地図は何故か方角がいい加減です

a 砲座
東側の剣道場の敷地を抜ける、もしくは南側道路から農道(踏み跡程度)を登って行けます。
土が流出して本来土中にある砲床路盤、砲側弾薬置場が完全に露出しています。
川棚防空砲台 a 高角砲座 西から(長崎川棚)
▲砲座全景

川棚防空砲台 a 砲座 南西から(長崎川棚)
▲砲床
  分かり難いですが中央に孔が開いています

川棚防空砲台 a 砲側弾薬庫(長崎川棚)
▲砲側弾薬置場
  置場は1ヶ所しか遺されていない様です


b 砲座
a砲座に行く途中にありますが、畑化しており非常に分かり難いです。
コンクリート製砲側弾薬置場2基が遺りますが、1基は殆ど埋まり、もう1基は天板が破壊されています。
川棚防空砲台 b 砲座 東から(長崎川棚)
▲砲座全景
  両端に砲側弾薬置場がありますが、こんな状態です

川棚防空砲台 b 砲座(砲側弾薬庫) (2)(長崎川棚)
▲埋まっている砲側弾薬置場

川棚防空砲台 b 砲座(砲側弾薬庫)(長崎川棚)
▲天板の破壊された砲側弾薬置場

川棚防空砲台 b 東側の砲座(砲側弾薬庫の一部?防弾壁?)南西から(長崎川棚)
砲座東側にあるコンクリート壁も当時の物と言われます

川棚防空砲台 I から見た百津工場(長崎川棚)
▲砲座から見た川棚海軍工廠跡


c 弾庫
衛生センター西側の道路から畑に上がる舗装道路を登り、正面に見える鉄塔の北側の斜面下にあります。
形状は皆同防空砲台(大村市)、三越防空砲台(川棚町)にある弾庫と同様の形状です。
川棚防空砲台 弾庫(長崎川棚)
▲弾庫断面図(数字はm)

川棚防空砲台 cカ 北から (2)(長崎川棚)
▲カ 入口

川棚防空砲台 cキ 北から(長崎川棚)
▲キ 入口

川棚防空砲台 cク キから (2)(長崎川棚)
▲弾庫内部 入口

川棚防空砲台 cク 入口から(長崎川棚)
▲弾庫内部

川棚防空砲台 cク 奥の換気口(長崎川棚)
▲弾庫奥には換気口があります

b砲座辺りで農作業していた御老人の話では「下の民家の中にもある」との事でしたが、場所が特定できませんでした。


d コンクリート製掩体
城山公園の英霊塔北東にある展望塔の基礎に転用されています。
川棚史談会の資料では「探照灯座」となっていますが川棚防空砲台に探照灯の装備が無く、また同様の遺構は近接する三越防空砲台にもありました(太陽光発電所建設により破壊)が、こちらも探照灯の装備位置と異なる事から別用途の物、測距儀か単装機銃用の掩体と思われます。
川棚防空砲台 城山公園 掩体(長崎川棚)
▲形状図

川棚防空砲台 d 南東から(長崎川棚)
▲入口方向から

川棚防空砲台 d 西から(長崎川棚)
▲側面から

最後に川棚町の探索にあたり川棚町役場 企画財政課 N様、及び当日お話を伺う予定でしたが体調不良によりお会いできなかった川棚史談会様には貴重な御時間を割いて頂き、貴重な資料の御提供を含め大変お世話になりました。
この場を借り篤く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。



主要参考文献
『還納目録 佐世保海軍警備隊』 (昭和20年8月 佐世保海軍警備隊)

『佐海警機密第一一號ノ三 佐世保海軍警備隊事変日誌』 (昭和17年1月 佐世保海軍警備隊)

川棚町郷土資料館展示資料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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