当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

川棚海軍工廠 石木工場 (第一機械工場・器具工場)

長崎県東彼杵郡川棚町に所在した川棚海軍工廠(百津工場)より北2kmの石木郷に川棚海軍工廠 石木工場がありました。

石木工場は石木川に沿って広範囲に設営され、風南山北麓には第一機械工場、器具工場が配置されました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aオ 壕口(長崎川棚)
▲道路沿いに遺る第一機械工場の地下工場入口(現在この壕口はフェンスで閉鎖されています)

【探索日時】
平成24年11月28日、平成28年1月27・28日





川棚海軍工廠 石木工場 概要
昭和17(1942)年10月15日、東彼杵郡川棚町に佐世保海軍工廠 川棚分工場が開庁、生産設備建設と並行し九一式魚雷の製造を開始します。
川棚魚雷遠距離發射場 九一式魚雷(長崎川棚片島)
▲九一式魚雷(航空機用)

昭和18年5月1日、佐世保海軍工廠 川棚分工場は川棚海軍工廠に改編、佐世保鎭守府管下に編入され、總務部、會計部、水雷部が設置されます。
昭和19(1944)年4月1日、水雷部は第一水雷部(航空魚雷)、第二水雷部(艦艇用魚雷)に分離、春頃より佐世保海軍経理部は石木、及びその北側の猪乗(いのり)の谷地一帯を買収、佐世保海軍施設部は勤労奉仕隊、学校報国隊等の協力を得て疎開工場を着工、川棚海軍工廠(百津工場)は逐次疎開移転を実施し疎開先で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦時、主要生産設備の移転は完了し、魚雷の月産300本を示達されますが、熟練工員の相次ぐ出征、疎開移転作業により月産30本程に低下、さらに末期には魚雷に加え震洋の製造も行いました。

17日、川棚海軍工廠は操業を停止し学校報国隊、女子挺身隊の勤労を解除・解散、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により、施設・敷地は大蔵省に移管されますが、10月、9月22日に佐世保に上陸した米第5海兵師団の1個大隊により接収され、軍需品の処理の後、大蔵省に返還され熊本財務局川棚管理事務所の管理下に置かれます。
昭和21年(1946)1月20日、GHQ覚書『日本航空機工場、工廠及び研究所の管理、統制、保守に關する件』により川棚海軍工廠は賠償指定工場に指定されたため石木、猪乗両工場より百津工場に生産設備を再移転させ、10月、生産設備は海外に発送されます。

石木工場のその後の経緯は不明ですが『自作農特別措置法』(10月21日、法律第四十三号)により農務省に移管され、入植者に農地として、また砕石業者等に払い下げられた様です。
昭和47(1972)年、石木郷川原(こうばる)地区、岩屋地区に石木ダム建設が決定、現在も反対する住民の方13世帯が頑張っていますが、ホタルの群棲する美しい自然もろとも貴重な遺構も消えようとしています。


遺構について
川棚海軍工廠 石木工場
石木工場は石木郷石木、川原、岩屋一帯に急造建屋、半耐爆建屋、地下工場が設営され、急造建屋は滅失していますが、半耐爆建屋のコンクリート防爆壁、地下工場跡の地下壕が多数遺されています。
川棚海軍工廠 石木工場 川棚海軍工廠 石木工場(長崎川棚)
▲川棚海軍工廠 石木工場(下)配置図

川棚海軍工廠 石木工場全域(最新)(長崎川棚)
▲石木工場遺構配置
A 第一機械工場
B 変圧器室
C 用途不明壕
D 器具工場
E 器具工場

F 仕上・組立治具工具工場
G 仕上・組立治具工具工場
H 発電所
①②第二機械工場・③④⑤第二組立工場・⑥⑦⑧第三組立工場
⑨ 第一組立工場・⑩⑪第二水雷部 機械工場
I  第二水雷部 機械工場
J 第二水雷部 機械工場
K 第二水雷部 機械工場
L 電気倉庫
M 精密工場
N 本部・総務部指揮所
O 刷版工場
P 電気係作業場
Q 会計部格納庫
R 油庫
S 薬品庫
T 戦時治療所
※緑文字が当記事の紹介施設

川棚海軍工廠 石木工場全域(ABCDE)(長崎川棚)
▲紹介遺構拡大
赤:コンクリート製 青:素掘 緑:『引渡目録』記載も未確認・滅失確認
オレンジ:崩落

以下紹介の遺構は比較的簡単に見る事ができます。

A 第一機械工場
非常に有名な遺構で、道路から壕口数ヶ所が見えます。
縦坑はほぼコンクリート巻立が施工されていますが、横坑は素掘りのため崩落(柵があり進入不可のため未確認)している様です。
また進入可能な縦坑も浸水しており長靴では入れません。
ア 地下工場
道路から見えますが鍵付きフェンスで閉鎖、川棚町により管理されています。
全面にコンクリート巻立が施工されています。
壕口上に「1」の表示がありますが、「4」以降無い事から戦後の物の様です。
川棚海軍工廠 石木工場 Aア 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aア 内部(長崎川棚)
▲内部

イ 地下工場
アと同じ状態です。
川棚海軍工廠 石木工場 Aイ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aイ 内部(長崎川棚)
▲内部

ウ 地下工場
平成24年の訪問時は進入可能(浸水していますが)でしたが、平成28年に訪問するとフェンスでガチガチに閉鎖されていました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aウ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aウ 内部(長崎川棚)
▲内部

あ 石木工場 説明
ウ壕口付近にある川棚海軍工廠石木工場の説明板
川棚海軍工廠 石木工場 Aあ 石木工場 説明(長崎川棚)
▲説明板では「航空魚雷」(九一式)のみの製造の様に取れますが、艦艇用の九三式魚雷も製造していました。

エ 地下工場
ア、イと同じ状態です。
川棚海軍工廠 石木工場 Aエ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

管理されている方のご厚意で扉を開けて頂き、内部見学をさせて頂きました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aエ 内部(長崎川棚)
▲内部

ウ、オに繋がる横坑は素掘で崩落しています。
川棚海軍工廠 石木工場 Aエ 最深部からウ方向(長崎川棚)
▲横坑 ウ方向

川棚海軍工廠 石木工場 Aエ 最深部からオ方向(長崎川棚)
▲横坑 エ方向

オ 地下工場
戦後、キノコの栽培業者が使用、その後放置されていたため倒壊したトタン塀の奥にありました。
平成24年の訪問時は進入可能(浸水していますが)でしたが、平成28年に訪問するとトタン塀は無くなっていたものの壕口がフェンスで閉鎖されていました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aオ 壕口(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 Aオ 内部(長崎川棚)
▲内部はコンクリート巻立が一部途切れています

カ 地下工場
林の奥にあり壕口が殆ど埋まっています(埋め戻し?)。
壕口と切羽付近のみコンクリート巻立があり、殆どが素掘のままで浸水しています。
川棚海軍工廠 石木工場 Aカ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aカ 壕口方向(長崎川棚)
▲内部から壕口の巻立

川棚海軍工廠 石木工場 Aカ 内部(長崎川棚)
▲内部

キ 地下工場
竹林の奥にあり壕口が殆ど埋まって(埋め戻し?)います。
総素掘の壕で浸水しています。
川棚海軍工廠 石木工場 Aキ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

壕口付近にコンクリートの塊があり、壕口付近の巻立は破壊されたのかも知れません。
川棚海軍工廠 石木工場 Aキ 壕口方向(長崎川棚)
▲壕口付近に転がるコンクリート塊

川棚海軍工廠 石木工場 Aキ 内部(長崎川棚)
▲内部

ク 地下工場
道路から見え、平成24年の訪問時は廃材が詰め込まれるも開口していましたが、平成28年に訪問するとフェンスでガチガチに閉鎖されているうえ、何故か板で目隠しされていました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aク 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aク 内部(長崎川棚)
▲内部は殆ど見通せません

ケ 地下工場
道路から見え、平成24年の訪問時は廃材が詰め込まれるも開口していましたが、平成28年に訪問するとフェンスでガチガチに閉鎖されていました。
川棚海軍工廠 石木工場 Aケ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aケ 内部(長崎川棚)
▲内部は殆ど見通せません

コ 地下工場
ケと同じ状態です。
川棚海軍工廠 石木工場 Aコ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Aコ 内部(長崎川棚)
▲内部


B 変圧器室
戦後、B、C一帯は採石場になり斜面が大きく削られてしまい、遺構は滅失しています。


C 用途不明壕
『引渡目録』に地下壕の記載はあるものの、用途の記載が無く詳細不明です。
サ 地下壕
建設業者の資材置場奥にあり、道路からも見えます。
『引渡目録』には“E”型壕が記載されていますが、現存しているのは直線壕です。
川棚海軍工廠 石木工場 Cサ 壕口付近の巻立 (2)(長崎川棚)

壕口付近のみコンクリート巻立が施工されていますが、内部は素掘です。
川棚海軍工廠 石木工場 Cサ 壕口付近の巻立 (1)(長崎川棚)
▲壕口付近のコンクリート巻立

川棚海軍工廠 石木工場 Cサ 内部(長崎川棚)
▲車庫として使用されていますが、4m程で埋められています

なおこの壕の横に車庫状、斜面に巨大なコンクリート構造物があり、海軍時代の遺構として紹介しているサイトもありますが全て戦後の採石場の廃墟です(現地取材で確認済み)。
川棚海軍工廠 石木工場 C周辺の採石場残骸 (2)(長崎川棚)
▲採石場の廃墟

川棚海軍工廠 石木工場 C周辺の採石場残骸(長崎川棚)
▲採石場の廃墟

※所有者の許可を得て立入り見学させてもらいました。


D 器具工場
『引渡目録』記載の形状とやや異なります。
縦坑は全てコンクリート巻立が施工され、横坑は全て素掘です。
川棚海軍工廠 D石木地下工場(長崎川棚)
▲D器具工場詳細(数字はm)

シ 地下工場
斜面を登った笹薮の中にあり、やや見つけ難いです。
フェンスでガチガチに閉鎖されています。
川棚海軍工廠 石木工場 Dシ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Dシ 奥方向(長崎川棚)
▲内部

川棚海軍工廠 石木工場 Dシからa(長崎川棚)
▲シ縦坑からa横坑

川棚海軍工廠 石木工場 Dスからa(長崎川棚)
▲a横坑
  壕床はコンクリート貼りで排水溝が掘られています

ス 地下工場
道路から見え、コンクリート製階段が付いています。
川棚海軍工廠 石木工場 Dス 壕口 道路から(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Dス 内部(長崎川棚)
▲内部

川棚海軍工廠 石木工場 Dスからb(長崎川棚)
▲ス縦坑からb横坑

セ 地下工場
自動車整備工場の裏にありますが、コンクリート巻立が倒壊寸前です。
川棚海軍工廠 石木工場 Dセ 壕口(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 Dセ 奥方向(長崎川棚)
▲内部

※許可を得て立入っています。

ソ 地下工場
『引渡目録』では壕口が4ヶ所記載されていますが、痕跡がありませんでした。
ただ、内部から行くと横坑が途中で崩落しるので、壕本体ごと崩落してしまったのかも知れません。
川棚海軍工廠 石木工場 Dc 崩落部(長崎川棚)
▲c崩落部分


E 器具工場
横坑は拡幅され、小さな部屋状になっています。
川棚海軍工廠 E石木地下工場(長崎川棚)
▲E器具工場詳細(数字はm)

タ 地下工場
道路から見え、コンクリート製階段が付いています。
内部はコンクリート巻立が施工されています。
川棚海軍工廠 石木工場 Eタ 壕口 道路から(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Eタ 奥方向(長崎川棚)
▲内部

川棚海軍工廠 石木工場 Eaからチ(長崎川棚)
▲a小部屋

チ 地下工場
道路から見え、壕口付近のみコンクリート巻立が施工されています。
川棚海軍工廠 石木工場 Eチ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Eチ 奥方向(長崎川棚)
▲内部

川棚海軍工廠 石木工場 Edからb(右)・c(左)(長崎川棚)
▲b(右)・c(左)小部屋

ツ 地下工場
道路から踏み跡を数十m入った位置にあり、コンクリート製階段が付いています。
壕口付近のみコンクリート巻立が施工されています。
川棚海軍工廠 石木工場 Eツ 壕口(長崎川棚)
▲この壕は一段下がった場所にあります

川棚海軍工廠 石木工場 Eツ 内部(長崎川棚)
▲内部

テ 円形石組
壕口横に石を円形に並べコンクリートで固めた構造物があります。
同様の遺構川崎航空機㈱高槻地下工場(大阪府高槻市)にもありますが用途不明です。
川棚海軍工廠 石木工場 Eテ 円形石組 北から(長崎川棚)


主要参考文献
『佐世保市史 軍港編 下巻』 (平成15年4月 佐世保市史編さん委員会)

『わがまちのお宝 川棚町』 (川棚町企画財政課)

『川棚町郷土史』(平成14年3月 川棚町教育委員会)

アジ歴各種史料

川棚町郷土資料館展示資料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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