当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

川棚海軍工廠 石木工場 (本部・總務部指揮所、戦時治療所)

長崎県東彼杵郡川棚町に所在した川棚海軍工廠(百津工場)より北2kmの石木郷に川棚海軍工廠 石木工場がありました。

石木工場は石木川に沿って広範囲に設営され、八幡山南麓には本部・總務部指揮所、戦時治療所、刷版工場、電気係作業場、會計部格納庫、油庫、薬品庫が配置されました。
川棚海軍工廠 石木工場 N k電話交換所 西から(長崎川棚)
▲民家裏に遺る本部・総務部指揮所壕の電話交換所

【探索日時】
平成24年11月28日、平成28年1月27・28日





川棚海軍工廠 石木工場 概要
※川棚海軍工廠については『川棚海軍工廠 百津工場』を参照
※川棚海軍工廠 石木工場については『川棚海軍工廠 石木工場 (第一機械工場・器具工場)』を参照


遺構について
川棚海軍工廠 石木工場
石木工場は石木郷石木、川原、岩屋一帯に急造建屋、半耐爆建屋、地下工場が設営され、急造建屋は滅失していますが、半耐爆建屋のコンクリート防爆壁、地下工場跡の地下壕が多数遺されています。
川棚海軍工廠 石木工場 川棚海軍工廠 石木工場(長崎川棚)
▲川棚海軍工廠 石木工場(下)配置図

川棚海軍工廠 石木工場全域(最新)(長崎川棚)
▲石木工場遺構配置
A 第一機械工場
B 変圧器室
C 用途不明壕
D 器具工場
E 器具工場
F 仕上・組立治具工具工場
G 仕上・組立治具工具工場
H 発電所
①② 第二機械工場
③④⑤ 第二組立工場
⑥⑦⑧ 第三組立工場
⑨ 第一組立工場
⑩⑪ 第二水雷部 機械工場
I  第二水雷部 機械工場
J 第二水雷部 機械工場
K 第二水雷部 機械工場
L 電気倉庫
M 精密工場
N 本部・総務部指揮所
O 刷版工場
P 電気係作業場
Q 会計部格納庫
R 油庫
S 薬品庫
T 戦時治療所

※緑文字が当記事の紹介施設

川棚海軍工廠 石木工場 石木工場全域(OPQRST)(長崎川棚)
▲紹介遺構拡大
赤:コンクリート製 青:素掘 緑:『引渡目録』記載も未確認・滅失確認
オレンジ:崩落

以下紹介の遺構は現在、閉鎖され見学できない箇所、私有地内にあり許可がいる箇所があります。

N 本部・総務部指揮所
道路から一段上がった民家の裏にあります。
道路脇に標柱が立っており私道?から a 入口を見る事ができます。
平成24年の訪問時は扉が開いており入れましたが、平成28年の訪問時は釘止され閉鎖されていました。
川棚海軍工廠 石木工場 指揮所 地下壕(長崎川棚)
▲本部・総務部指揮所見取図
  赤:コンクリート巻立 黒:素掘 ×:崩落 -:閉鎖

川棚海軍工廠 石木工場 N い 説明表示 O 本部入口(長崎川棚)
▲簡単な案内標柱が立っています

a 入口
見学できる入口です。
扉は内部の御真影奉安所に遺る扉と同じ仕様なので、もしかしたら当時の扉かも知れません。
川棚海軍工廠 石木工場 N a入口(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 N a入口 (2)(長崎川棚)
▲入口付近のコンクリート巻立

川棚海軍工廠 石木工場 N aからi指揮所(長崎川棚)
▲内部

b 入口 
a の前から見えます。
当時はこの入口前(現在民家が建っている辺り)に本部庁舎がありました。
川棚海軍工廠 石木工場 N b入口(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 N bからi方向(長崎川棚)
▲h通路
  細いコンクリート通路で指揮所に繋がります

c 掘り込み
小さな掘り込みがあります。
全く関係ない祠孔かも知れません。
川棚海軍工廠 石木工場 N c未完成(長崎川棚)

i  指揮所
川棚海軍工廠 石木工場 N i指揮所 西から(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 N i指揮所→Jへの通路(長崎川棚)
▲ i 指揮所から j 御真影奉安所へ向かう通路

j  御真影奉安所
扉が片方遺ります。
川棚海軍工廠 石木工場 N i指揮所とj御真影奉安所(右)(長崎川棚)
▲ j 御真影奉安所 入口

川棚海軍工廠 石木工場 N j御真影奉安所からi(長崎川棚)
▲ j 御真影奉安所 内部から

d 入口
崩落しています。
川棚海軍工廠 石木工場 N d(長崎川棚)

k 電話交換所
川棚海軍工廠 石木工場 N k電話交換所 西から(長崎川棚)
▲かなり広い部屋です

川棚海軍工廠 石木工場 N k電話交換所からi指揮所(長崎川棚)
▲ i から続く通路

e 入口
崩落しています。
川棚海軍工廠 石木工場 N kからe方向(長崎川棚)

f  入口
崩落しています。
川棚海軍工廠 石木工場 N kからf方向(長崎川棚)

n 素掘壕
用途不明の素掘壕です。
川棚海軍工廠 石木工場 N n(左)とm(右)k方向(長崎川棚)
▲左側がn、右側がk 電話交換所

川棚海軍工廠 石木工場 N n(長崎川棚)
▲n素掘壕

g 入口
民家の裏に繋がります。
川棚海軍工廠 石木工場 N mからg入口(長崎川棚)


O 刷版工場
民家の裏にあると思われますが、時間が無く未踏査です。
空撮、地形図を見ると大きく崩れた跡があり、崩落している可能性があります。
ム 壕口
民家裏に怪しい痕跡が見えますが、詳細不明。
川棚海軍工廠 石木工場 O ム(家の奥)?(長崎川棚)

マ 小壕
道路に面した場所にあります。
用途不明です。
川棚海軍工廠 石木工場 O マ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 O マ 内部(長崎川棚)
▲内部
  突き当りは左側に曲がっていますが、すぐ行き止まりです

ミ 小壕
道路に面した場所にあります。
用途不明です。
川棚海軍工廠 石木工場 O ミ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 O ミ 内部(長崎川棚)
▲内部


P 電気係作業場
民家の裏にあると思われますが、時間が無く未踏査です。


Q 会計部格納庫
民家の裏にあると思われますが、同じく未踏査です。


R 油庫
民家へ上がる坂の入口に閉鎖された様な跡があります。
川棚海軍工廠 石木工場 R メ 壕口?閉鎖? (2)(長崎川棚)


S 薬品庫
元々貫通していた様ですが、数年前に埋められたそうです。
モ 壕口
僅かに痕跡が遺ります。
川棚海軍工廠 石木工場 S モ壕口(崩落)(長崎川棚)


T 戦時治療所
民家の敷地内に遺ります。
『引渡目録』では“E”型の壕が記載されていますが、現物は“コ”型壕と斜めに延びる直線壕で構成されています。
川棚海軍工廠 石木工場 石木地下工場T見取図(長崎川棚)
▲戦時治療所見取図

ヤ 地下壕
上段の民家へ上がる坂のすぐ下にあります。
内部は入口からしばらく天井が低く歩きにくいですが状態は良好です。
川棚海軍工廠 石木工場 Tヤ 壕口(長崎川棚)
▲壕口

川棚海軍工廠 石木工場 Tヤ 壕口付近から奥方向(長崎川棚)
▲内部

ユ 壕口
斜面の擁壁化に伴い壕口がヒューム管になっています。
川棚海軍工廠 石木工場 Tユ 壕口(擁壁に組み込まれる)(長崎川棚)

内部の中央付近に戦後、上段の民家へ上げる水の貯水槽があり、残骸が残っています。
川棚海軍工廠 石木工場 Tユ 壕口付近から奥方向(長崎川棚)

水槽からしばらく行くと拡幅します。
川棚海軍工廠 石木工場 Ta 壕口方向(長崎川棚)
▲a拡幅部 奥から

川棚海軍工廠 石木工場 Taからb(長崎川棚)
▲aからb方向への横坑

川棚海軍工廠 石木工場 Td 奥方向(長崎川棚)
▲d内部

川棚海軍工廠 石木工場 Td 切羽付近から壕口方向(長崎川棚)
▲d拡幅部 奥から

ヨ 壕口
川棚海軍工廠 石木工場 Tヨ 壕口(長崎川棚)

川棚海軍工廠 石木工場 Tヨ 壕口から内部(長崎川棚)
▲ヨ 壕口から内部


石木工場から八幡山を挟んだ北側、猪乗(いのり)にも疎開工場の猪乗工場が設営されていました。
猪乗工場は大半が地上建屋で鋼板工場、鉄鋼作業場等が配置されていましたが、未踏査のため詳細は不明です。
川棚海軍工廠 石木工場 猪乗入口(長崎川棚)
▲猪乗地区にある地下壕入口らしき場所
  住民の方がおられず、取材できませんでした。


主要参考文献
『佐世保市史 軍港編 下巻』 (平成15年4月 佐世保市史編さん委員会)

『わがまちのお宝 川棚町』 (川棚町企画財政課)

『川棚町郷土史』(平成14年3月 川棚町教育委員会)

アジ歴各種史料

川棚町郷土資料館展示資料
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

先日は三越片島に関しての疑問に回答していただきありがとうございました。   今回の石木疎開工場の見取り図もアジア歴史資料センターにあるのですか?    すみません、また片島の魚雷発射場についての質問です。ここに従事していた工員の数はわかりますか?宿舎が建てられる程なのでたくさんの人がいたのだろうと思ったのですが(50人以上?)、川棚町が発行された冊子に学徒動員で発射場に配属となられた方の証言が載っています。そこには「試験場で働いていたのは兵隊15人と学徒6人」と記されてました。それほどの人数で稼働できるものだろうか、と疑問も出てきてます。すみませんが回答をお願いします。

Re: タイトルなし

古川様
こんにちは。
先日は私の拙い知識が多少なりとも参考になり良かったです。

早速ですが回答です。
川廠石木工場の配置図ですが、アジ歴の『施設目録 川棚海軍工廠』(C08010996300)が出典です。
説ブログ掲載の図面は見やすい様に分割掲載されている元図を貼り合わせ、ネガ反転させ、ゴミ取りをして加工しています。

川棚魚雷遠距離発射場の従業員数ですが、残念ながら史資料が無く不明です。
当地は生産を行っておらず、魚雷の試射だけの施設ですので検査・調整を担当する軍人、技手、工員、魚雷を回収に行く追躡(ついじょう)艇の乗員を入れても20名程度で妥当と思われます。
宿舎の規模を見ると軍人(技手の可能性大)1、2名、その他は工員の様です。

居住施設も常駐者が起居する「官舎」では無く一時的な宿泊施設として使用される「宿舎」なので、常駐と言うより作業のある際に必要人員を派遣・増員するなど変動していた可能性が高いです。

以上、推測を交えての回答となり申し訳ありません。
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●ほぼ放置ですがこっそりTwitterも始めました。
@yuukyuunotaigi

●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる