当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路海軍航空基地

戦国武将・後藤基次の出身地と言われる兵庫県加西市に、姫路海軍航空基地があり姫路海軍航空隊が所在しました。
“姫路”を冠していますが、所在地は姫路市から北東に20km離れた加西市です。

当記事は「姫路海軍航空基地」としていますが、姫路海軍航空隊の遺構も一部含みます。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 南東から(兵庫加西)
▲一般公開されている戦闘指揮所

【探索日時】
平成25年2月14・15日、3月5日





姫路海軍航空基地 概要
昭和17(1942)年9月下旬、海軍省(海軍航空本部)は兵庫県加西郡九會(くえ)村・下里村一帯に練習航空隊の新設を決定し、昭和18(1943)年1月上旬、内務省猪名川出張所により830,576坪が買収されます。
※当航空基地の設営は海軍航空本部から土木関連の職員・機材を多数有していた内務省に委託された様です。

昭和18(1943)年1月中旬、内務省姫路施設工事事務所が開設され、3月5日、呉海軍建築部指導のもと勤労報国隊、労務者が中心となり地元土木業者、婦人会、学校報国隊も加わり姫路海軍航空基地の設営を開始、9月下旬、転圧滑走路1本が完成します。
10月1日、姫路海軍航空隊が開隊し甲種予備練の実用機教程を開始、昭和19(1944)年3月1日、第三十一・第三十二海軍航空隊が編成され、4月、マニラに移駐します。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 姫路海軍航空隊本部庁舎(兵庫加西)
▲姫路海軍航空隊本部庁舎

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 隊門付近から航空隊敷地 パノラマ写真(兵庫加西)
▲現在の本部庁舎跡

8月1日、航空基地北側に川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場が竣工します。

昭和20(1945)年5月5日、姫路海軍航空隊は復帰、岡崎より第三岡崎空姫路派遣隊が進出して来ます。
さらに3個設營隊が進出し「緊急作戰實施施設工事」が下令され、姫路海軍航空基地は決號作戰(本土決戦)に向け作戦航空基地として強化を開始、7月20日、筑波空戰鬭第四〇三飛行隊が進出、決號作戰に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』により、航空基地は大蔵省に移管されます。
9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、10月23日、米軍先遣隊10名が姫路海軍航空基地に進駐、11月3日、後発隊50名が到着し、航空基地全面を接収します。
11月上旬、調査のため鹵獲された紫電3機を除く残機73機は米軍により焼却、軍需品の処理が行われます(昭和21年5月23日、米軍の九州移駐に伴い、航空基地の大半は内務省を通じ大蔵省に返還)。

11月3日、12月11日、連合国軍最高司令官総司令部は接収中の各陸軍飛行場、海軍航空基地の全面、もしくは一部を農地、塩田として転換する方針を下達、11月19日、『緊急開拓事業実施要領』により鶉野開拓団(戦災者、復員者、引揚者100世帯)が航空基地に入植、また元地権者に増反され開拓が開始され、昭和24(1949)年11月、航空隊、接収中のコンクリート滑走路を除く全域が農地として払下げられます。

昭和27(1952)年4月、警察予備隊が滑走路の共用を開始、11月、建物が解体され中学校校舎資材として転用、昭和32(1957)年9月、滑走路の接収が解除、大蔵省に返還され、昭和37(1962)年夏、北側1/4が農林省、南側残りが防衛庁に移管されます。
昭和41(1966)年、航空隊跡地は陸上自衛隊・第3師団により造成が開始され、神戸大学農学部付属農場(現、附属食資源教育研究センター)として開場し現在に至ります。

現在、地元では所在地名から鶉野(うずらの)飛行場と呼ばれている様です。

姫路海軍航空基地及び姫路海軍航空隊を含む所在部隊の詳細は後述します。


要目
敷地 : 2,531,040㎡
滑走路 : 1,200×60m(コンクリート) 1
       1,500×60m(転圧) 2
飛行機運搬路 : 15,000×30m
掩体壕 : 無蓋中10、小45
格納庫 : 木造(40×120m) 2
防空砲台 : 二十五粍聯装 4ヶ所
          〃  単装 2ヶ所
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 姫路航空基地概要図(兵庫加西)
▲『姫路航空基地概要図』


遺構について
姫路海軍航空基地は耐弾、地下施設を中心に多数の遺構が遺されています。
ただ、姫路海軍航空隊(居住区)跡地の神戸大学農学部附属食資源教育研究センターは以前は見学できましたが、現在は一切の見学を受け付けておらず立入りできません。
写真を撮り直したかったので電話で2回、現地で2回交渉しましたが、その都度「BSE予防」「遺伝子関連の研究のため外部から菌の侵入を防ぐ」「鳥インフルエンザ対策」と返答が異なり・・・よくよく聞いてみると「不法侵入が多いため一切の見学を断っている」との事です。
確かにネットを見ると当地への不法侵入を公言しているサイトもあり、同好者としてどうかと思います。
この趣味をしていると知らないうちに私有地に侵入している事もあるかと思いますが、個人的には出来うる限り許可を取っているつもりです。
一応、正攻法で調査している側からすると非常に迷惑な話です。

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 施設配置(兵庫加西)
▲施設範囲
① 姫路海軍航空隊
①② 姫路海軍航空基地
③ 川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場

④ 稲荷山配水池
⑤ 戦闘司令部
り 電波探信儀室
る 探照灯
※緑文字が当記事紹介施設

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) (神大無し)(兵庫加西)
▲遺構配置
  ひらがな : コンクリート製
  カタカナ : 土製地下壕(崩落含)
  アルファベット : 土製半地下
  薄赤 : コンクリート滑走路
  薄緑 : 転圧滑走路(推定)
  ピンク色 : 滅失

① 姫路海軍航空隊
①② 姫路海軍航空基地
あ 戦闘指揮所
民家敷地に遺ります。
以前は水没していましたが、所有者と有志により整備され資料館として各種資料とともに公開されています。
通常は閉まっているため、所有者の工務店(指揮所裏の民家)に開けてもらいます。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所(兵庫加西)
▲戦闘指揮所 断面図

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 南東から(兵庫加西)
▲当時は土に覆われていました

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 南西から(兵庫加西)
▲左側の小屋から入ります

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 西側入口(兵庫加西)
▲地下に降りていきます

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 西側大部屋から小部屋(兵庫加西)
▲手前側の部屋

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 東側大部屋から西側大部屋(兵庫加西)
▲奥側の部屋

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) あ 戦闘指揮所 東側入口(兵庫加西)
▲東側の入口は閉まっています


い 格納庫基礎
上記“あ”戦闘指揮所の所有者敷地の北側際、廃墟化した養鶏場にありました。
現在、空撮を見ると、ここも!太陽光発電所になっており破壊されたかも知れません。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) い 格納庫基礎 西から(兵庫加西)
▲分かり難いですが草むらに基礎が並んでいます


う 耐弾施設
民家の庭先に遺りますが、用途は不明です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) う 入口(兵庫加西)

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) う 内部(兵庫加西)


A 半地下施設
林の中に遺っていましたが、造成により滅失してしまった様です。
用途は不明です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) A 溝(兵庫加西)


え 発動機調整所
民家敷地に遺ります。
2棟あった建物跡の夫々に別の民家が建っており、一部崩壊しているものの2棟分の基礎が遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) え 発動機調整所 南西側基礎 南東から(兵庫加西)
▲西側の基礎列

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) え 発動機調整所 中央基礎 南西から(兵庫加西)
▲中央の基礎列

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) え 発動機調整所 北東側基礎 南西から(兵庫加西)
▲東側の基礎列

左側の建物跡にはコンクリート敷も完存しています。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) え 発動機調整所 コンクリート敷(兵庫加西)


お 貯水槽
荒地に遺ります。
水は溜まっておらず、内部はゴミが投棄されています。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) お 貯水槽(兵庫加西)


B 半地下施設
L型の掘り込みが遺りますが、用途は不明です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) B 溝 内部 西から(兵庫加西)


か 地下施設
池端に遺りますが、用途は不明です。
階段を降りて左側に小さな部屋があります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) か 入口 北西から(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) か 入口階段(兵庫加西)
▲急な階段を下ります

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) か 内部 北から(兵庫加西)
▲下に小さな部屋があります

この地下施設から池に沿って南側に多数のコンクリート残骸があり、元々同じ様な施設が並んでいたのかも知れません。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) か 西側の構造物(兵庫加西)
▲巨大な残骸

なおこの池の東側の砂利道も神戸大学の敷地ですが、里道になっているため開放しているそうです(確認済み)。


C 半地下施設
直線の掘り込みが遺りますが、用途は不明です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) C 溝(兵庫加西)


く 耐弾施設
建設会社の物置として転用されています。
用途は不明です。
近くにあった機銃砲台(き、や)の弾薬庫にも思えます。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) く 入口(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) く 内部(兵庫加西)
▲内部


け 横穴施設
里道沿いに遺りますが、用途は不明です。
2重扉になった直線壕で、幅2.8×奥行22mあります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) け 入口(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) け 入口から内部(兵庫加西)
▲前室から内部


こ 横穴施設
里道沿いに遺りますが、用途は不明です。
2重扉になった直線壕で、“け”と同規格です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) こ 南から(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) こ 内部(兵庫加西)
▲内部


さ 横穴施設
里道沿いに遺りますが、用途は不明です。
上記同様に2重扉で、10.5mで直角に左側に曲がりさらに19mあります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) さ 南東から(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) さ 入口から前室(兵庫加西)
▲入口から前室

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) さ 内部から入口(兵庫加西)
▲内部から前室と入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) さ 屈曲部から奥(兵庫加西)
▲屈曲部から最深部


D 半地下施設
池端に鉤型の掘り込みが遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) D 南から(兵庫加西)


E 半地下施設
池端にL型の掘り込みが遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) E 北東から(兵庫加西)


し 貯水槽
畑の中に遺ります。
この辺りにあった医務科の関連設備と思われます。
所有者によると「5mくらいある」との事です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) し 西から(兵庫加西)

また「数年前までこの東側(神戸大までの間)に防空壕があったけど壊した」との事でした。



す 貯水槽

畑の隅に遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) す 北東から(兵庫加西)


せ 浄化槽
畑の隅に遺り、幅2.38×奥行3.4mあり、内部は3升に分かれています。
仕切りの形状から浄化槽の様に思います。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) せ 北西から(兵庫加西)


そ 建物基礎
畑の隅に幅1.8×奥行2.8mのコンクリート製の基礎が遺りますが、詳細は不明です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) そ 南東から(兵庫加西)


た 自動車庫地下燃料庫
畑の中に遺ります。
この辺りには車庫、自転車置場がありました。
所有者の方が「入れるんやったら入ってもエエよ」との事だったので、無理やり入ってみました。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 東側入口 北東から(兵庫加西)
▲殆ど埋まっている入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 東側入口から内部(兵庫加西)
▲入口を入って左側にやや広くなり、右側に通路があります

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 内部 南から(兵庫加西)
▲正面奥にある燃料槽と思われる部屋

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 上部開口部 南西から(兵庫加西)
▲地表に露出している上記の燃料槽と思われる部屋

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 内部から天井の開口部(兵庫加西)
▲内部から見た開口部

入口を入って右側の通路奥に部屋があります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) た 北側部屋 南東から(兵庫加西)
▲奥に通路が有りますが埋まっています


ち コンクリート構造物
位置的に上記“た”地下燃料庫の埋まっている通路に繋がっていると思われます。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ち 構造物1(兵庫加西)

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ち 構造物2(兵庫加西)
▲“ち”周辺にある整形されたコンクリート構造物(壕口?)


つ 医務室地下事務所
里道沿いに遺ります。
幅2.8×奥行8.5mあります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) つ 入口(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) つ 内部 西から(兵庫加西)
▲内部から入口


て 横穴施設
上記“た”地下燃料庫の所有者に御教示頂きました。
里道の少し奥にあり、雑草で覆われ分かり難いです。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) て 東から(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) て 内部 (3)(兵庫加西)
▲内部


F 半地下施設
薬師堂の裏に遺ります。
四角の外周に入口を設けた掘り込みが遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) F 西から(兵庫加西)


カ 地下壕
竹林内の林道沿いにあるコ型の素掘壕で、西側に爆風除けの土堤があります。
内部の状態は悪いです。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) カ 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) カ 北側壕口(兵庫加西)
▲北側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) カ 前方(西側)にある土塁(兵庫加西)
▲壕口前にある爆風除けの土堤


キ 地下壕跡
上記同様コ型壕があった様ですが、崩落して溝状になっています。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) キ 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口跡

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) キ 北側壕口(兵庫加西)
▲北側壕口跡


ク 地下壕跡
上記同様コ型壕があった様ですが、崩落して溝状になっています。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ク 北側内部から壕口(兵庫加西)
▲壕跡


と 退避壕
有名な遺構で通路を曲げて爆風除けにしてあり、位置的に北側にあった航空隊本部庁舎、もしくは西側にあった衛兵詰所の退避壕と思われます。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) と 西側の隊門への道(兵庫加西)
▲航空隊正門に繋がる小道
  右側に南側の入口があります

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) と 北側入口(兵庫加西)
▲北側の入口

入口は左右2ヶ所あり、夫々の通路は2度直角に曲がり奥の部屋に繋がります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) と 内部 北側通路 部屋方向(兵庫加西)
▲通路

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) と 内部 北から(兵庫加西)
▲奥の部屋


な コンクリート施設
畑の隅に遺ります。
衛兵詰所退避壕とも言われますが、構造からして倉庫と思われます。
因みにこちらの所有者は「武蔵」に乗艦していた勇士です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) な 南東から(兵庫加西)
▲全景

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) な 内部(兵庫加西)
▲内部


に 横穴施設
“な”コンクリート施設のちょうど下にあります。
入口は幅2.5×高さ1.7m、内部は幅4×奥行10.5mあります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) に 全体(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) に 内部 西側(兵庫加西)
▲内部


G 半地下施設
四角の外周に入口を設けた掘り込みが遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) G 溝(兵庫加西)
▲かなりの深さがあります


H 半地下施設
直線の掘り込みが遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) H 溝(兵庫加西)


ア 地下壕
駅から航空隊本部庁舎に向かう道沿いにあります。
コ型の素掘壕で壕口はやや崩落していますが、内部は支保工跡が遺るなど比較的状態は良好です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ア 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ア 北側壕口(兵庫加西)
▲北側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ア 北側壕口 内部(兵庫加西)
▲北側壕口から内部


イ 地下壕跡
直線壕の崩落跡が遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) イ 壕口(兵庫加西)


ウ 地下壕
コ型の素掘壕で壕口はやや崩落していますが、内部は支保工跡が遺るなど比較的状態は良好です。
この壕のみ壕口が茂みに覆われているため立入禁止の表示が無いので入ってみました。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ウ 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ウ 北側壕口(兵庫加西)
▲北側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ウ 内部 南から(兵庫加西)
▲支保工跡が遺る内部


エ 地下壕
コ型の素掘壕で上記2ヶ所より小さく、内部に支保工跡がありません。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) エ 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) エ 北側壕口(兵庫加西)
▲北側壕口


オ 地下壕
コ型の素掘壕で“エ”同様に小さく、北側壕口は殆ど崩落し埋まっています。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) オ 南側壕口(兵庫加西)
▲南側壕口


ぬ 弾薬庫
有名な遺構で位置的に神戸大学敷地内と思われますが、一般公開されている様です。
幅3.1×奥行7.7mあり、コンクリート厚1mあります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ぬ 弾庫 入口(兵庫加西)
▲入口

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ぬ 弾庫 内部(兵庫加西)
▲内部

近年まで同一規格の弾薬庫が南側(物流倉庫の辺り)にあった様ですが、残念ながら破壊されてしまいました。


t  駐機場
神戸大学から道路を挟んだ北側にもコンクリート敷きが遺ります。
以前は廃墟化した養鶏場にあり見えませんでしたが、太陽光発電所設置に伴い廃材が撤去され見える様になりました。
南側の神戸大敷地にも遺ります。


ね コンクリート滑走路
幅50×1,200mが遺ります。
全体的に砂利が敷かれ分かり難いですが、四角いコンクリート敷が遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ね 滑走路を行く陸自トラック(兵庫加西)
▲南側は現在、陸上自衛隊の演習場になっており、立入禁止です。

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ね 滑走路 北東から(兵庫加西)
▲北端は農水省の所有地で入る事ができます。


の-1 ・ 2 転圧滑走路
『姫路航空基地概要図』にも転圧滑走路の配置は記載されておらず、上掲地図は出所不明の『昭和十九年 日本陸海軍航空基地要覧』に記載された簡易図を参考に塗っています。


は 駐機場
“ね”滑走路に隣接しコンクリート敷駐機場の様な区画が遺ります。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) は 駐機場 北西から(兵庫加西)


ひ 建物基礎
位置的に離発着に邪魔な事から戦後の物かも知れません。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) ひ 北西から(兵庫加西)


へ 耐弾施設
池端に遺ります。
北側にあった機銃砲台の弾薬庫かも知れません。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) へ 南西から(兵庫加西)
▲全景

姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) へ 北から(兵庫加西)
▲内部はミチミチに土が詰まっています


も 姫路海軍航空隊 鶉野飛行場跡
平成11(1999)年10月1日、平和祈念の碑建立委員会により姫路海軍航空隊の開隊日に合わせて建立された様です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) も 姫路海軍航空隊 鶉野飛行場跡 碑(兵庫加西)

滑走路転圧に使用されたローラー
以前は鉄製の持ち手、水道管が展示されていましたが、どこかのクズに盗まれてしまいました。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) も 姫路海軍航空隊 鶉野飛行場跡 碑の転圧用ローラー(兵庫加西)


※神戸大学内(灰色塗り部分)の遺構に関しては『姫路海軍航空基地 (姫路海軍航空隊) 【航空隊編】』を参照

※き・ふ・ほ(防空砲台)は『姫路海軍航空基地 防空砲台』を参照


③ 川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場
昭和17(1942)年4月28日、日本毛織物㈱は商工省繊維局長に対し、原毛不足で遊休化した姫路工場を閉鎖し加印、名古屋両工場への集約、及び姫路工場の川西航空機㈱への譲渡を申請します。
5月18日、川西清司専・川西航空機㈱務取締役は坂千秋・兵庫県知事に対し姫路製作所新設の申請を提出し、工場改造、生産設備据付を開始、7月、紫電の生産を開始します。
川西航空機㈱姫路製作所は毛織物工場転用のため、試験用滑走路を持たなかった事から、昭和18(1943)年8月1日、近隣の姫路海軍航空基地の北側隣接地に組立工場、第一・第二整備工場を有する鶉野(うずらの)工場を建設し、12月から操業を開始します。

5月に竣工したコンクリート滑走路(45×800m)を使用し紫電、紫電改の試験飛行を実施しました。
試験は最初に川西航空機㈱の飛行士により試運転、飛行試験が行われ、次いで第一〇〇一海軍航空隊姫路派遣隊の搭乗員により行われ、検査合格した機材は同派遣隊により各航空隊に、もしくは各航空隊から直接空輸され配備されました。
昭和20(1945)年3月30日、姫路派遣隊の五田上飛曹搭乗の紫電改が試験飛行中に発動機不調により失速、北条線の線路に尾輪が引っかかりズレてしまったところに機関車が通過し脱線、死者11名、負傷者62名が出てしまい、五田上飛曹も殉職してしまいます。

昭和20(1945)年3月、川西航空機㈱は防諜上の見地から「神武秋津社」と改称、4月、姫路製作所は姫路市北条に第三一六海軍設營隊により設営された横穴式、覆土式工場に疎開を開始しますが、6月22日、姫路製作所がB-29爆撃機78機の空襲により大損害を受け操業停止してしまいます。
7月9日、急迫する戦局に神武秋津社は国営化され第二軍需工廠に譲渡、姫路製作所は第四製造廠に改称し疎開先で紫電、紫電改の製造にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

鶉野工場の用地取得から工場建設、停戦後の経緯に至るまで資料が無く全く不明ですが、海軍用地に建設されていた様で姫路海軍航空基地と同様の経緯を辿ったと思われます。
現在は殆ど全域が養鶏場になり、遺構は何も遺されていない様ですが、格納庫1棟が姫路市西中島の山口運送㈱の倉庫として移築されています。

詳細は川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場 格納庫 【移設】参照


姫路海軍航空基地 略歴
昭和10(1935)年3月15日、陸軍省は進化が著しい飛行機を用いた航空攻撃に対処するため『防空四ヶ年計畫』を発表、同計画の一環として商業の中心地でもある阪神地区の防空のため、飛行1個聯隊の関西配備を決定します。
新設飛行場用地として姫路付近が候補地に挙がったため、兵庫県加西郡(現、加西市)は全11町村名入りで林銑十郎・陸相に陳情書を提出しますが、陸軍省は加古郡尾上村字今津(加古川陸軍飛行場)を飛行場用地として選定します。

昭和16(1941)年5月、軍令部は米国の大幅な軍備増強計画に対応すべく、『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み実行可能な事項を先行実施すべく『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、練習航空隊17隊の整備に着手します。

昭和17(1942)年9月下旬、海軍航空本部は現地調査の結果、内陸にあり秘匿性が高く、四方に離着陸の妨げとなる山が少なく、且つ近傍に鉄道停車場があり利便性が良い兵庫県加西郡九會(くえ)村・下里村一帯を新設練習航空隊用地として選定し基本計画を立案、海軍施設本部に送達され詳細計画が作成され、呉鎭守府に下達されます。
呉海軍建築部は実地測量により航空基地用地830,576坪を算出、昭和18(1943)年1月上旬、内務省猪名川出張所?は地権者を招集し時局の推移から該当用地の必要性を説明し売却を懇請、宅地18,711坪(鶉野72戸、中野22戸、下宮下17戸を1戸あたり相場を上回る4,000円(5,000~6,000円説あり))、田241,099坪、畑16,390坪、山林447,667坪(価格不明)で買収します。
※当航空基地の設営は海軍航空本部から土木関連の職員・機材を多数有していた内務省に委託された様です。また、用地買収時期は資料により異なります。

昭和18(1943)年1月中旬、内務省大阪土木出張所は姫路施設工事事務所(所長:有本欣二技師以下50名)を九會國民學校農具倉庫に開設、3月5日、呉海軍建築部指導のもと測量を開始するとともに、加西郡、河東郡、多可郡、印南郡により結成された勤労報国隊1,000、労務者2,500名が中心となり地元土木業者、婦人会、学校報国隊も加わり航空基地設営を開始、9月下旬、幅30×長さ1,500mの転圧滑走路1本が完成します。
10月1日、姫路海軍航空隊が開隊し甲種予備練の実用機教程を開始、昭和19(1944)年3月1日、第三十一第三十二海軍航空隊が編成され、4月、マニラに移駐します。
5月、45×800mのコンクリート舗装滑走路が完成、8月1日、航空基地北側に川西航空機㈱姫路製作所鶉野工場が竣工します(12月操業開始)。

昭和20(1945)年1月、第三一一二、15日、第三一六、6月5日、第五八五海軍設營隊が進出し基地防護施設、鶉野工場の疎開にあたります。

2月10日、神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成(3月23日、宇佐に移駐)、11日、京都府熊野郡峰山町に峯山分遣隊が開隊、5月5日、特別攻撃隊出撃により練習機が払底したため姫路海軍航空隊は復帰します。

3月11日、西宮海軍航空隊第一次派遣隊300名(以降、4月8日、第二次450名と、4月30日、第三次450名と交替し、6月8日、終了)が北条、九會両国民学校に分宿し滑走路延長、誘導路、掩体壕設営に加わります。

19日、F6F艦戦26機が来襲、滑走路にあった横須賀空の零式輸送機(連絡機)が地上撃破され、施設に被害が出てしまいます。

5月5日、第三岡崎海軍航空隊 姫路派遣隊(児玉祐吉大尉以下100名、九三中練)が進出して来ます。

5月5日、大阪海軍施設部より?姫路海軍航空基地を決號作戰(本土決戦)に向け作戦航空基地とすべく「緊急作戰實施施設工事」が下令され、第三一一二海軍設營隊は飯盛山に戦闘司令部を設営、掩体壕、地下施設、耐弾施設の増設・強化をを開始、14日、奈良海軍航空隊480名が同設營隊に配属され設営に加わります。

7月15日、筑波海軍航空隊司令・五十嵐周二中佐が着任、20日、筑波空戰鬭第四〇三飛行隊(紫電改30)が進出して来ます。

24日、F4U艦戦10、F6F艦戦8機、30日、TBM雷爆9、F6F艦戦15機が来襲、人員、基地施設に損害が出てしまいます。

8月15日、決號作戰に備えるなか『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
21日、戦四〇三は惜別飛行を実施、30日、戦四〇二(福知山)の紫電全機が姫路に集結、9月3日、筑波空は復員完結します。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により、姫路海軍航空基地は大蔵省に移管されます。

9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、26日、大阪市内の住友銀行ビルに司令部を設置し、近畿各地の陸海軍施設の接収を開始、10月23日、米軍先遣隊(第33歩兵師団)10名が姫路海軍航空基地に進駐、11月3日、本隊が到着し、航空基地全面を接収します。
11月上旬、米航空技術情報部隊(TAIU)により調査のため紫電3機が鹵獲され、元整備兵により整備ののち元戦四〇三搭乗員(關野大尉以下2名)により横須賀海軍航空基地に回送され、残機(紫電一一甲19、同乙38、同二一10、零練戦3、彗星一二1、銀河一六1、九〇練1、白菊1、九三中練2、陸軍高練(二式?)1、未成紫電二一6(全82機説あり)は米軍により焼却、軍需品の処理が行われます。

11月3日、連合国軍最高司令官総司令部は各軍政部に『連合国軍最高司令官総司令部・高級副官部(SCAP・AG)指令第686号』、12月11日、『SCAP指令第601号』を発令、接収中の各陸軍飛行場、海軍航空基地の全面、もしくは一部を農地、塩田として転換する方針を下達、11月19日、『緊急開拓事業実施要領』の閣議決定を受け鶉野開拓団(戦災者、復員者、引揚者100世帯)が入植、また元地権者に増反され開拓を開始します。
5月23日、米軍は九州に移駐し、姫路海軍航空基地は航空隊敷地、コンクリート滑走路を除き大蔵省に返還されます。

昭和24(1949)年11月、航空隊、接収中のコンクリート滑走路を除く全域が農地として払下げられます。

昭和27(1952)年4月、警察予備隊が滑走路の共用を開始、11月、建物が解体され中学校校舎資材として解体撤去、昭和32(1957)年9月、滑走路の接収が解除され大蔵省に返還され、昭和37(1962)年夏、北側1/4が農林省、南側残りが防衛庁に移管されます。

昭和41(1966)年、航空隊跡地は陸上自衛隊・第3師団により造成が開始され、神戸大学農学部付属農場(現、附属食資源教育研究センター)として開場し現在に至ります。


所在部隊
姫路海軍航空隊
神風特別攻撃隊 白鷺隊

昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が勃発、我が国の早期解決の方針は支那国民党政府の度重なる不法行為により尽く反故にされ、事変は長期化していきます。
昭和13(1938)年10月、海軍省は長期化する支那事変の完遂、及び第三国の干渉を防ぐため戦備の強化を促進すべく『第三次軍備補充計畫』(通称「マル三計畫」)の完成とともに、航空戦備の大幅増強、即ち実用航空隊10隊、練習航空隊8隊の新設、既存航空隊8隊の拡張を盛り込んだ『第四次海軍軍備充實計畫』(「マル四計畫」)を先行実施(成立は昭和14年3月7日、昭和18年末までに完了予定)します。

昭和15(1940)年5月16日、米大統領・F.ルーズベルトは欧州戦線におけるドイツ軍の快進撃に「航空機50,000機要求声明」を発し、6月14日、「マル四計畫」に対抗し、且つ同計画を凌駕する第三次ヴィンソン案に署名します。
昭和14(1934)年11月、第三次ヴィンソン案の概要を入手した軍令部では『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)の案画を開始、昭和15(1940)年8月下旬、海軍省に送達されましたが予算化まで時間がかかる事、また極度に悪化した対米関係に鑑み軍令部は出師準備を進めるとともに、昭和16(1941)年5月、「マル五計畫」の実行可能な事項を先行実施すべく『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、練習航空隊17隊の整備に着手します。

11月1日、我が国は大本營政府聯絡會議において帝國國策遂行要領を策定し開戦の準備に入るとともに、外交交渉による対米戦争回避を図りますが、26日、『アメリカ合衆國と日本國の間の協定で提案された基礎の概要(ハル・ノート)』の提示により米国に戦争回避の意思が無い事を認識、12月1日、御前会議において米・英国との開戦を決定、8日、ハワイ作戦により大東亜戦争が開戦します。

昭和18(1943)年10月1日、呉鎭守府所管の航空隊として姫路海軍航空基地において姫路海軍航空隊が開隊(露木専治大佐)し、第十二聯合航空隊(原忠一中将、練習聯合航空總隊に所属)に編入されます。
隊は練習航空隊に指定され、艦上攻撃機実用教程の教育を担当します。
隊は呉鎭守府部隊(同司令長官指揮)第十二聯合航空隊(同司令官指揮)に部署され、教育にあたります。
同日、甲種飛行豫備練習生・第十三期生(逓信省愛媛航空機乗員養成所・第十二期生47、同長崎55名)102名が入隊(昭和19年1月27日、30時間の飛行訓練を終業し各航空隊へ)、東京飛行場より練習機として九七式艦上攻撃機一一型が配備(九七艦攻30、天山3機説あり)されます。

昭和19(1944)年2月4日、甲種豫備練第十四期(愛媛第十三期生58、同長崎48名)が入隊(4月13日、終業)、5月11日、甲種豫備練第十五期(愛媛第十四期生48、同長崎112名)が入隊(7月23日、終業)して来ます。

7月14日、出口、吉原両練習生、加藤教官搭乗の練習機が社町山国において不時着炎上、3名は殉職してしまいます。
29日、築城空、谷田部空において飛練教程を終業した第三十七期飛行術練習生107名(第十二期甲種飛行豫科練習生(鹿児島空、土浦空前期)106、丙飛十七期1)、第二郡山空より乙飛十八期18名が、30日、入隊し艦攻操縦専修教程を開始します(12月28日、終業し各航空隊へ)。

9月28日、第一期飛行豫備生徒が入隊して来ます。

10月1日、霞空東京分遣隊において飛練教程を終業した第三十七期飛行術練習生16名(第十二期甲種飛行豫科練習生(土浦空後期)が入隊、艦攻操縦専修教程を開始します(2月18日、教程は中止され8名が特攻隊志願、8名は百里原転隊、4月1日、終業認定)。

11月29日、三十七期飛練生・竹田日出男二飛曹操縦の練習機が発動機不調で降下、富合村常吉において民家を避けるべく旋回し失速してしまい大木に激突、殉職してしまいます。

12月20日、第十四期豫備學生が入隊して来ますが、訓練の余地が無かったため百里原空に転出します。

艦攻錬成は姫路を離陸後、姫路的形の赤壁東側から瀬戸内海に進入、高砂沖までの間において上島を敵艦に見立てて行われ、続いて明石海峡まで範囲を拡げ飛行、最終段階で大分沖に進出し訓練用魚雷を懸吊し洋上航走中の艦艇を標的として行われました。

昭和20(1945)年1月、人吉空から実務練習生30名(班長:岡田圭司上等整備兵曹)が派遣(姫路空第四期練習生)、2月、串良空から射撃実務練習生30名(姫路空第五期練習生)、4月、人吉空から実務練習生50名(姫路空第六期練習生)、同50名(姫路空第七期練習生)が派遣されて来ます。

2月8日、姫路空に神風特別攻撃隊編成の内示があり、司令・露木大佐より訓示の後、飛行長・酒井作松大尉は志願者を募集し、10日、志願者から60名が選抜され、神風特別攻撃隊 白鷺隊と命名されます。

11日、第二美保海軍航空隊峯山分遣隊が姫空に移管され、姫路海軍航空隊 峯山分遣隊(菅原英雄中佐)が設置されます。

16日、練習聯合航空總隊司令官・松永貞市中将は機密第一六二二三〇番電により第十二聯合航空隊司令官・原中将に、18日以降、学生と練習生の教育を中止し、4月末日までに特攻要員(教官の1/2または1/3、予備学生の最上級生から隊は40名、峯山分遣隊は100名)の選考、錬成実施及び概成を下令します。

3月1日、練習聯合航空總隊は第十航空艦隊(聯合艦隊麾下)に改編(前田稔中将、霞ヶ浦)、第十二聯合航空隊は第十航空艦隊に編入されます。
第十二聯合航空隊は第八基地航空部隊(第十航空艦隊司令長官指揮)第十二聯合航空隊に部署され、特攻要員の錬成にあたります。

峯山分遣隊は復帰、峯山海軍航空隊に改編されます。

17日、聯合艦隊司令部は『天一號作戰 要領』を発令、第八基地航空部隊指揮官(十航艦司令長官・前田中将)は指揮下にある作戦可能部隊のうち、鈴鹿山脈以西の航空隊を第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦隊司令長官・宇垣纒中将、鹿屋)の作戦指揮下への編入を、第一機動基地航空部隊指揮官は第八基地航空部隊から編入の戦力整理を下令します。
19日、大本營海軍部は白鷺隊の出陣を23日と定め下達します。
20日、白鷺隊は第一機動基地航空部隊に編入され、21日、第十二聯合航空部隊姫路部隊に部署、敵機動部隊撃滅を下令されます。
第十二聯合航空部隊指揮官・原中将は各部隊指揮官所定により、機種ごとに約20機を一隊として特攻隊を編成、原駐地において待機・錬成を下令します。

3月20日、高知空から偵察員4名、21日、青島空から電信員10名、徳島空から偵察員6名、百里原空から偵察員8名、鈴鹿空から偵察員15名が姫路空に転隊し、白鷺隊に配属されます。

23日、駐機場において白鷺隊の出陣式が挙行され、九七艦攻、天山30機に分乗し宇佐海軍航空基地に前進します。

26日、天一號作戰が発動、4月1日、米軍が沖縄本島に上陸を開始します。

5日、白鷺隊は串良海軍航空基地に前進します。
6日、菊水一號作戰の発動に伴い、1239、第一御皇白鷺隊(佐藤清大尉以下39名、14機)は80番1発を懸吊し4機づつ15分毎に串良を発進、1621、米機動部隊に突入し散華(1機発動機不調により引返す)します。
第一御皇白鷺隊
操縦:佐藤清 大尉/偵察:伊藤直譽 中尉/電信:松本源之進 二飛曹
中安邦雄 上飛曹/岩本京一 少尉/三井傳昌 二飛曹 (岩本機のみ天山一二型、他は九七艦攻一一型)
福野重敏 上飛曹/竹内孝 少尉/福喜多重一 二飛曹
海田茂雄 少尉/俵一夢 少尉/渡邉與四三 二飛曹
須藤賢 二飛曹/田原拓郎 少尉/長島義成 二飛曹
山田靜夫 上飛曹/林田直 少尉/藤村勉 二飛曹
桝井利夫上飛曹/志澤保吉 少尉/堀江敬司 二飛曹
石井恭三郎 飛曹長/湯川俊輔 少尉/天野吉三 二飛曹
近田三郎 上飛曹/岡田正 少尉/辻安治 二飛曹
山田鐵雄 少尉/大岩虎吉 少尉/保村正一 二飛曹
坂本靜夫 二飛曹/庄司弘一 少候/佐藤志郎 二飛曹
松永敏比古 少尉/溝川隆 少尉/小林昭二郎 二飛曹
副島幸雄 一飛曹/小室靜雄 少尉/野田哲夫 二飛曹

大岩少尉 辞世
「敷島の 大和男子の 名を負ひて においゆかしき 花と散らまし」

三井二飛曹 辞世
「大君に 盡くすに通は 数あれど 何にたとえん 今日の嬉しさ」

小林二飛曹 辞世
「散りぎはは 櫻の如く あれかしと 祈るは武士の 常心なり」

藤村二飛曹 辞世
「さく櫻 風にまかせて 散りゆくも 己の道ぞ 顧みはせじ」

7日、姫路空通信科に第三期海軍特別年少兵12名が配属されます。

12日、菊水二號作戰の発動に伴い、1124、第二御皇白鷺隊(野元純少候以下11名、4機)は80番1発を懸吊し串良を発進、沖縄西方海上の敵艦隊に突入し散華(宮本機引返すも途中自爆)します。
第二御皇白鷺隊
野元純 少候/菅田三喜夫 少候/澤田久男 二飛曹
田中謙四郎 二飛曹/土家孝一 少候/加藤昭夫 二飛曹
福田茂生 少候/古谷純男 少候/森久 二飛曹
椎根茂 二飛曹/宮本智也 少候/富樫幸夫 二飛曹

野元少候 辞世
「平常と 何等變わらぬ この氣持 國を思うと 同じかるらん」

福田少候 辞世
「いざ行かん 秋(とき)は来にけり 君が代を 千代に壽ぎ 若櫻花」

16日、菊水三號作戰の発動に伴い、0600、第三御皇白鷺隊(粟村敏夫少候以下5名、2機)は80番1発を懸吊し串良を発進、沖縄西方海上の敵艦隊に突入し散華します。
第三御皇白鷺隊
山田眞 一飛曹/粟村敏夫少候/大谷康佳 二飛曹
羽生國明 二飛曹/原正 少候/入江義夫 二飛曹

22日、菊水四號作戰の発動に伴い、28日、1635、白鷺赤忠隊(後藤惇少候以下2名、1機)は80番1発を懸吊し串良を発進、沖縄西方海上の敵艦隊に突入し散華します。
白鷺赤忠隊
後藤惇 少候/山田又市 少候/水野健二 二飛曹
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 白鷺赤忠隊・後藤惇少候(左)と白鷺誠忠隊・小田野正之少候(兵庫加西)
▲送るも征くも今生の別れと知れど微笑みて
  白鷺赤忠隊隊長・後藤惇少尉候補生に惜別の花束を渡し別れを告げる白鷺誠忠隊隊長・小田野正之少尉候補生
  この4時間後、白鷺赤忠隊は沖縄西方海上の敵艦隊に突入します

5月3日、菊水五號作戰の発動に伴い、4日、0515、白鷺揚武隊(白鳥鈴雄少候以下2名、1機)は80番1発を懸吊し串良を発進、沖縄西方海上の敵艦隊に突入し散華します。
白鷺揚武隊
中西要 少候/白鳥鈴雄 少候/朝生和男 二飛曹

5日、姫路海軍航空隊は復帰します。

11日、菊水六號作戰の発動に伴い、0510、白鷺誠忠隊(小田野正之少候以下8名、3機)は80番1発を懸吊し串良を発進しますが、発動機不調、懸装置故障のため全機引き返します。
白鷺誠忠隊
小田野正之 少候/松井龍郎 少候/齋藤儀三郎 一飛曹
藤沼良平 二飛曹/田中幸右衛門 少候/細野登一 二飛曹
桑原敬一 二飛曹/木下榮臧 少候/栗永照彦 二飛曹

任務を完遂した白鷺隊63名は夫々全軍布告のうえ、2階級特進します。
12日、宇佐に待機中の特攻隊員は解散が告示され、姫路に復帰します。


第三十一海軍航空隊
昭和19(1944)年3月1日、舞鶴鎭守府所管の航空隊として姫路海軍航空基地において編成(竹田六吉大佐)、第三南遣艦隊(岡新中将、南西方面艦隊所属)に付属され練習航空隊に指定、フィリピン・マニラ付近第二ニコラス飛行場に配備され、陸上練習機操縦教育を担当します。
隊は南西方面部隊(南西方面艦隊司令長官指揮)比島部隊付属部隊(第三南遣艦隊司令長官指揮)に部署され、教育にあたります。
3月4日、飛練三十七期生160名(三重空)が3月25日も豫科練教程終業を切り上げて入隊、8日、他の飛練三十七期生140名とともに武豐丸、第二小倉丸、サンルイス丸に分乗し門司港を出航、4月1日、第二ニコラス飛行場に到着します。

4月、隊は第二ニコラス飛行場に進出、8日、九三式中間練習機により飛練教程を開始します(8月14日、終業し外地各実用機練習航空隊に配属)。
7月15日、あ號作戰の結果、次の主戦場が比島になる公算が大きいため、第三十二海軍航空隊は復帰し第三十一海軍航空隊に統合のうえ、ジャワ島ジョグジャカルタに移駐を下令され準備にあたります。
9月、マニラとミンダナオ島サランガニに集結、ジャワ島に移駐します。
10月1日、隊は第二南遣艦隊に所属転移、南西方面部隊東印部隊付属部隊に部署され教育にあたります。

昭和20(1945)年1月8日時点での保有機は練習機100機でした。
20日、南西方面艦隊司令部がルソン島山中に孤立したため隊は第十三航空艦隊に付属、南西方面部隊第三基地航空部隊付属部隊に部署され教育にあたります。
29日、西部方面部隊(第十三航空艦隊司令長官指揮)第三基地航空部隊付属部隊に部署され教育にあたります。
2月5日、隊は第十方面艦隊(福留繁中将、昭南島(シンガポール))付属に所属転移、西部方面部隊付属部隊に部署されます。
3月10日、第十方面艦隊司令長官・福留中将は艦隊内の措置として、隊に各種練習教育隊を統合し練習戦闘機隊(旧第十一海軍航空隊)を配属します。
4月1日、隊は第十方面艦隊麾下の第十三航空艦隊に配属され、西部方面部隊第三基地航空部隊付属部隊に部署され教育にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、司令・竹田大佐以下899名がジョグジャカルタにおいて停戦を迎えました。
停戦時の保有機は九三中練30機でした。


第三十二海軍航空隊
昭和19(1944)年3月1日、舞鶴鎭守府所管の航空隊として姫路海軍航空基地において編成(竹田六吉大佐)、第三南遣艦隊(岡新中将、南西方面艦隊所属)に付属され練習航空隊に指定、フィリピン・ミンダナオ島サランガニ飛行場に配備され、陸上練習機操縦教育を担当します。
隊は南西方面部隊(南西方面艦隊司令長官指揮)比島部隊付属部隊(第三南遣艦隊司令長官指揮)に部署され、教育にあたります。
4月1日、飛練三十七期生190名(三重空)が隊に配属され白馬山丸に乗船し呉を出航、16日、マニラに上陸し第三十一警備隊に仮配属され、21日、敷設艦「厳島」に乗船、30日、サランガニ飛行場に到着します。

4月、隊は第二ニコラス飛行場に進出、作戦に関しては所在の第三十二特別根拠地隊司令官の区処を受けました。
5月1日、九三式中間練習機により飛練教程を開始します。

7月15日、あ號作戰の結果、次の主戦場が比島になる公算が大きいため、第三十二海軍航空隊は復帰し第三十一海軍航空隊に統合のうえ、ジャワ島ジョグジャカルタに移駐を下令され準備にあたります。


第三岡崎海軍航空隊
※『岡崎海軍航空基地』の記事で紹介


筑波海軍航空隊 戰鬭第四〇三飛行隊
昭和20(1945)年5月5日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊として編成(三森一正大尉)、第三航空艦隊麾下の筑波海軍航空隊に編入されます。
筑波空は第七基地航空部隊東一空襲部隊(第三航空艦隊司令長官直率)に部署され、筑波海軍航空基地に配属されます。
定数は甲戦(紫電)48(内補用12)機でした。

隊は香取海軍航空基地に移駐し錬成を兼ねて敵機邀撃、哨戒、射撃訓練を実施、26日、筑波に復帰します。

6月5日、筑波空は第三航空艦隊麾下の第七十一航空戰隊に編入され、第七基地航空部隊第七十一航空戰隊に部署され、東日本の防空にあたります。

7月20日、隊は姫路海軍航空基地、戦四〇二は福知山海軍航空基地に移駐、筑波空司令・五十嵐周二中佐は本部を姫路海軍航空基地に前進させます。
隊は戦力温存を下令され、姫路において錬成、及び4機編隊による四国方面の哨戒にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

21日、戦四〇三は可動全機27機で惜別飛行を実施、30日、戦四〇二(福知山)の紫電全機が姫路に集結、9月3日、筑波空は復員完結します。

10月23日、姫路海軍航空基地は米軍に接収され、11月上旬、米航空技術情報部隊(TAIU)により調査のため紫電3機が鹵獲され、元整備兵により整備され、戦四〇三の關野成夫大尉、加藤清上飛曹、鈴木裕之上飛曹により横須賀海軍航空基地に回送されます。


第一〇〇一海軍航空隊
『鈴鹿海軍航空基地』の記事で記載します。


近畿海軍航空隊
大和海軍航空基地』の記事参照


第三一六海軍設營隊
昭和19(1944)年8月15日、呉鎭守府の所管で呉海軍施設部において編成(野田利朗技大尉)、呉鎭守府に所属します。
隊は呉鎭守府部隊に部署され、呉海軍施設部長の指揮下に編成整備の後、9月4日、呉を出発、5日、宮崎海軍航空基地に進出、滑走路2本(1,500×80)のコンクリート舗装、掩体壕(小7、中44)、隧道式魚雷調整壕8本の設営を実施します。
11月15日、第三一四海軍設營隊長・山田稔技大尉が当隊長も兼務します。

昭和20(1945)年1月1日、隊長・明石壽技大尉が着任します。

1月15日、隊は呉鎭守府所属から除籍され大阪警備府に所属転移、大阪警備府部隊に部署され大阪施設部長の指揮下に編入され、2月10日、先遣隊(地京正信技少尉以下83名)は宮崎を出発、22日、本隊が宮崎を出発、23日、姫路海軍航空基地に進出し、北条國民學校の講堂、教室3室を間借りし本部を開設します。

隊は北条國民學校5年生以上の作業奉仕、西宮空甲飛十四期生、奈良空乙整第二十四期生を指揮下に編入し、地下格納庫、変電設備を緊急設営、続いて川西航空機㈱姫路製作所の地下工場設営にあたります。

5月15日、第三一一二海軍設營隊長・橘善雄技少佐が着任し当隊長も兼務します。

隊は決號作戰(本土決戦)に向け川西航空機㈱姫路製作所の地下工場(一部移転を開始)設営中に、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月22日、隊は大阪警備府所属を除籍され、逐次復員します。


第三一一二海軍設營隊
昭和20(1945)年1月1日、呉鎭守府の所管で大阪海軍施設部において編成(澁谷克己技大尉)、大阪警備府に所属します。
隊は大阪警備府部隊に部署され、大阪施設部長の指揮下に編成整備の後、姫路海軍航空基地に進出、賀茂國民學校を間借りし本部を開設し、姫路城北中学校の学校報国隊の協力を得ます。
5月5日、大阪海軍施設部は姫路海軍航空基地を決號作戰(本土決戦)に向け作戦航空基地とすべく「緊急作戰實施施設工事」を下令、隊は飯盛山周辺に戦闘司令部(隧道1,500m)設営を開始します。
14日、奈良海軍航空隊第六十九、第七十分隊480名が同設營隊に配属され設営に加わります。

15日、第三一六海軍設營隊長・橘善雄技少佐が着任し当隊長も兼務します。

7月24日、F4U艦戦10、F6F艦戦8機が来襲、飯盛山の設営現場に50kg爆弾3発が投弾され奈良空練習生1名が散華、30日、TBM雷爆9、F6F艦戦15機が来襲、宿舎の九會国民学校に投弾され、奈良空練習生1名が散華してしまいます。

隊は決號作戰(本土決戦)に向け姫路海軍航空基地の地下施設設営中に、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月22日、隊は大阪警備府所属を除籍され、逐次復員します。


第五八五海軍設營隊
昭和20(1945)年6月1日、大阪警備府の所管で大阪海軍施設部において編成(橘善雄技少佐、第三一六海軍設營隊長兼務)、大阪警備府に所属します。
隊は大阪警備府部隊に部署され、大阪施設部長の指揮下に編成整備の後、6月5日、姫路海軍航空基地に進出し下里國民學校を間借りし本部を開設します。

隊は掩体壕設営を主任務(8月10日、戦四〇三の紫電全72機の防護完了)とし、地下施設、地下格納庫の設営にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月22日、隊は大阪警備府所属を除籍され、逐次復員します。


主要参考文献
『いまに残る姫路基地』 (平成11年10月 上谷昭夫 平和記念の碑建立実行委員会)

『加西・鶉野飛行場跡(旧姫路海軍航空隊基地)』 (平成23年3月 加西市教育委員会)

『鶉野飛行場関係歴史遺産』 (平成23年3月 神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター 加西市教育委員会)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (三)』 (平成21年5月 渡辺博史 楽學庵)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』(平成21年6月 渡辺博史 楽學庵)

戦争遺跡防空壕資料館 展示資料

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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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