当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路海軍航空基地 飯盛山戦闘司令部

兵庫県加西市に所在した姫路海軍航空基地の北3kmの飯盛山に地下戦闘司令部がありました。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ 西側壕口(兵庫加西)
▲フラワーセンター内に遺る戦闘司令部入口

【探索日時】
平成25年2月15日





姫路海軍航空基地 概要
昭和17(1942)年9月下旬、海軍省(海軍航空本部)は兵庫県加西郡九會(くえ)村・下里村一帯に練習航空隊の新設を決定し、昭和18(1943)年3月5日、呉海軍建築部指導のもと姫路海軍航空基地の設営を開始、9月下旬、転圧滑走路1本が完成し、10月1日、姫路海軍航空隊が開隊し甲種予備練の実用機教程を開始します。

昭和20(1945)年1月、第三一一二、15日、第三一六、6月5日、第五八五海軍設營隊が進出、5月5日、大阪海軍施設部より「緊急作戰實施施設工事」が下令され、姫路海軍航空基地の強化(誘導路敷設、掩体壕設営)が開始され、第三一一二海軍設營隊 飯盛山派遣隊(小宮少尉)を中心に奈良海軍航空隊練習生、川西航空機㈱勤労奉仕隊、姫路工業、瀧野中学、近村学童の協力を得て飯盛山に隧道式の戦闘司令部、地下兵舎5本、司令部庁舎、三角兵舎の設営を開始します。

5月5日、姫路海軍航空隊は復帰、岡崎より第三岡崎空姫路派遣隊、7月20日、筑波空戰鬭第四〇三飛行隊が進出、7月24日、F4U艦戦10、F6F艦戦8機が来襲、飯盛山の隧道設営現場に50kg爆弾3発が投弾され奈良空練習生1名が散華、決號作戰(本土決戦)に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

10月23日、米軍により姫路海軍航空基地は接収、11月から基地内不要部分で開拓が開始され、昭和21(1946)年5月23日、米軍から返還、昭和24(1949)年11月、一部を除く全域が農地として払下げられ、昭和41(1966)年、航空隊跡地が神戸大学農学部付属農場(現、附属食資源教育研究センター)として整備され現在に至ります。


遺構について
戦闘司令部第三一一二海軍設營隊 飯盛山派遣隊が奈良空練習生、勤労奉仕隊等の協力を得て県有地の飯盛山に設営し、停戦後はそのまま県に返還された様です。

昭和51(1976)年、飯盛山を含む南側一帯に兵庫県立フラワーセンターが開園し、現在に至ります。

現存する地下壕のうち1ヶ所は遊歩道沿いにあり柵がありますが辛うじて見学可能(水曜休園)です。
なお以下に紹介する遺構の大半はフラワーセンター内にあるため、入園料500円が必要です。
姫路海軍航空基地(姫路海軍航空隊) 施設配置(兵庫加西)
▲施設範囲
① 姫路海軍航空隊
①② 姫路海軍航空基地
③ 川西航空機㈱ 姫路製作所 鶉野工場
④ 稲荷山配水池
⑤ 戦闘司令部
り 電波探信儀室
る 探照灯
※緑文字が当記事の紹介施設

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 姫路海軍航空基地 戦闘司令部(兵庫加西)
▲飯盛山戦闘司令部 遺構配置

ケ 戦闘司令部
フラワーセンター内の飯盛山展望台の直下に遺ります。
昭和20(1945)年5月5日、「緊急作戰實施施設工事」下令により設営を開始、当初は手掘りだった様ですが7月4日、コンプレッサーの据付準備を始め、11日、完了、機械堀りを開始した様です。
停戦時の進捗状況は不明ですが、見た感じ最深部が繋がったばかりで未完成だった様です。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケへの進入路 階段の曲がる角から斜面を下ると東側壕口に出る(兵庫加西)
▲この林道(右側に行くと展望台)の角を斜面に沿って進むと東側壕口があります

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 戦闘司令部(兵庫加西)
▲戦闘司令部 見取図

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ 東側壕口(兵庫加西)
▲東側壕口
  やや崩れており、直上に展望台が見えます

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ-5 東側内部(兵庫加西)
▲東側壕口から内部
  ズリが遺ります

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ-3 中央部の孔(兵庫加西)
▲削岩機のロッド孔

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ-3 中央部 東から(兵庫加西)
▲横坑 中央部
  接続されて直ぐの様で均されていません

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ-1 西側内部(兵庫加西)
▲西側壕口から内部

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ケ 西側壕口(兵庫加西)
▲西側壕口

『第三一一二海軍設營隊 戦時日誌』によると戦闘司令部隧道のほか、一號から五號隧道(10~30m程度)があった様ですが配置図等が無いためどの遺構を指すのか不明です。


コ 地下壕跡
手洗いの裏にあります。
『航空基地図』に記載されていますが、残念ながら崩落しています。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 コ 地下壕(崩落)(兵庫加西)


サ 地下壕跡
手洗いの裏にあります。
『航空基地図』に記載されていますが、残念ながら崩落しています。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 サ 地下壕(崩落)(兵庫加西)


ナ 掩体壕?
駐車場になっている辺に2基の無蓋掩体壕がありました。
斜面が削られていますが、掩体壕の跡なのか造成による物か不明です。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ナ 掩体壕 南から(兵庫加西)


ニ 掩体壕?
斜面が削られ、両側に土堤らしいものがありますが、こちらも何とも言えません。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ニ 掩体壕 南から(兵庫加西)
▲両側に土堤が見えますが???

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ニ 掩体壕 南西から(兵庫加西)
▲右側の土堤???


シ 地下壕跡
山道沿いに遺りますが、残念ながら崩落しており間伐材で埋められています。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 シ 地下壕(崩落)(兵庫加西)
▲同様の地下壕跡?掘り込みがあちこちにあります


ス 地下壕跡?
山道沿いにありますが、ただの岩肌かも知れません。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ス 地下壕(崩落)(兵庫加西)


セ 地下壕
牡丹園の奥の茂み内に遺ります。
奥行10m程で公園管理業者の物置になっていた様ですが、現在は使われていません。
公園管理業者の方に御案内頂きました。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 セ 地下壕(兵庫加西)


ソ 地下壕
入園してすぐの遊歩道沿いに遺ります。
前部は崩落して滅失していますが、最深部3m程が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ソ 地下壕(兵庫加西)
▲遊歩道から

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ソ 地下壕 北西から(兵庫加西)
▲残存部


タ 地下壕
フラワーセンター造成の際に前部が削られてしまった様ですが、管理棟の裏に奥行5m程が遺ります。
立入禁止地区ですが、管理業者の方に事情を説明したところ御案内して頂けました。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 タ 地下壕(兵庫加西)


以下はフラワーセンターの敷地外に遺ります。
チ 地下壕跡
畑の奥に遺ります。
崩落と言うより残土が全く無く、意図的に削り取られている様な感じなので土取として破壊されたのかも知れません。
設営当時は誘導路に接続している事から地下格納庫かも知れません。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 チ 地下壕(兵庫加西)
▲全景

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 チ 地下壕 切羽(兵庫加西)
▲最深部

地下壕に航空機を格納した例は近隣の第二福知山海軍航空基地(綾部牧場)に見られ、中間練習機を解体して収納していた様です。
昭和20(1945)年5月5日、第三岡崎海軍航空隊 姫路派遣隊(児玉祐吉大尉以下100名)が中練20機とともに姫路に進出、決號作戰(本土決戦)に際し四国沖に来寇する敵艦隊に対し夜間に250kg爆弾を懸吊し体当りする計画でした。


ヌ 円形窪地
“チ”の直ぐ前にありますが、詳細不明です。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ヌ 水槽?(兵庫加西)


ツ 地下壕跡
上記“チ”と同様の状況ですが、最深部2m程が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ツ 地下壕(兵庫加西)
▲全景

姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ツ 地下壕 切羽(兵庫加西)
▲最深部


テ 地下壕跡
上記“チ”と同様の状況ですが、最深部3m程が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 テ 地下壕 切羽(兵庫加西)
▲最深部


ト 地下壕跡
上記“チ”と同様の状況と思われますが、間伐材が投棄され詳細は不明です。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ト 地下壕 廃材で埋まる(兵庫加西)


『航空基地図』には青野原陸軍演習場西側の繁昌町に地下壕が数ヶ所図示されています。
用途は不明で残念ながら全て崩落しています。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 姫路海軍航空基地 地下壕(兵庫加西)
▲繁昌町付近の地下壕配置図

ネ 地下壕跡
竹林の中に崩落跡が遺ります。
近所の御老人によると「自分が子供の頃は遺っていた」との事でした。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ネ 地下壕(崩落) 北西から(兵庫加西)


ノ 地下壕跡
竹林の中に崩落跡が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ノ 地下壕(崩落) 南西から(兵庫加西)


ハ 地下壕跡
竹林の中に崩落跡が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ハ 地下壕(崩落) 南西から(兵庫加西)


ヒ 地下壕跡
竹林の中に崩落跡が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ヒ 地下壕(崩落) 西から(兵庫加西)


フ 地下壕跡
『航空基地図』に図示されていますが、天候が悪くかつ進入路の無い山道を進むのが大変なので未踏査です。


ホ 陸軍 381
海軍には関係ありませんが、青野原陸軍演習場の境界石標が遺ります。
姫路海軍航空基地 戦闘司令部 ホ 陸軍(青野原陸軍演習場)(兵庫加西)


主要参考文献
『航空基地図(本土関係)33姫路航空隊』

『第三一一二海軍設營隊 戦時日誌』
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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