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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

長田野陸軍演習場 ・ 長田野陸軍演習廠舎

福知山市郊外に広がる長田野(おさだの)工業団地は長田野陸軍演習場の跡地にあり、また南端に長田野陸軍演習廠舎がありました。
長田野陸軍演習場・廠舎 イ 陸軍用地(京都福知山)
▲陸上自衛隊・長田野演習場に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年4月3日





遺構について
長田野陸軍演習場
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定し第七から第十二師團の編成を決定、明治31(1898)年6月19日、天田郡曽我井村(現、福知山市)の新兵営に京都から工兵第十大隊、8月30日、大阪から歩兵第二十聯隊が移駐し、長田野原を演習場として供用を開始します。
使用団隊は歩兵第二十聯隊、工兵第十大隊、舞鶴海兵團、舞鶴碇泊軍艦乗員、舞鶴要塞砲兵でした。
開設当初は射的場(長田野ガスセンター北側の小山が射垜)のみが陸軍用地で、それ以外は周辺村民共有地だったため、しばしば苦情が寄せられ、また次第に植林により演習が阻害されてきます。
明治43(1910)年5月25日、9月19日、臨時陸軍建築部は長田野原1,900,000坪を買収し、長田野陸軍演習場が開設、第四師團管下(昭和15年8月1日、中部軍司令部の管下に)に置かれ大阪、信太山、高槻、奈良、和歌山、深山諸団隊の演習が行われます。

昭和20(1945)年4月、陸軍航空本部は急迫する戦局に、来るべき決號作戰(本土決戦)に備え全国各地に秘匿飛行場の設定を計画、中部地区では粉河、青野原、神野と並び長田野陸軍演習場内に飛行場の設定を決定、7月末、凡そ完成します(中部軍管區教育隊や勤労奉仕隊が設定にあたったと思われますが詳細は不明)が、実戦使用される事無く、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により長田野陸軍演習場、及び廠舎は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

演習場の停戦後の経緯は不明ですが、11月9日、『緊急開拓事業実施要領』、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』により農林省に移管されたと思われ、一部が海外引揚者、復員軍人、戦災者より入植希望者を募集し払下げられ果樹園として、昭和25(1950)年12月、警察予備隊福知山駐屯部隊の編成に伴い一部が再び演習場として使用されますが、大部分は放置されます。
昭和39(1969)年3月、京都府は総合開発計画の一環として長田野工業団地の造成を計画、昭和40(1965)年4月より国有地取得・及び周辺用地の買収を開始し、昭和45(1970)年10月、造成工事に着手し現在に至ります。
長田野陸軍演習場・廠舎 (京都福知山)
▲長田野陸軍演習場(明治45年頃)の範囲

演習場は範囲が広大なうえ境界も定かで無いため、廠舎外周、南東付近しか踏査できませんでした。

イ 陸軍用地
陸上自衛隊・長田野演習場の入口に境界石標が遺ります。
長田野陸軍演習場・廠舎 イ 陸軍用地 (2)(京都福知山)

この先に福知山陸軍飛行場(秘匿飛行場)の滑走路があるのですが、全く見えません。


ウ 境界石標
この辺り?の道路と林の境に境界石標らしい物がありました。
上部が欠損しておりただの石柱になっていますが、大きさから間違い無いと思います。

HDD破損事故により場所はこの辺り程度、写真は滅失しました。


長田野陸軍演習廠舎
明治43(1910)年3月19日、陸軍省は第四師團に演習廠舎の建設を示達、濱寺、天王寺の臨時廠舎を転用し、10月5日、長田野陸軍演習廠舎が竣工します。
長田野陸軍演習場・廠舎 長田野陸軍演習廠舎 絵葉書(京都福知山)
▲長田野陸軍演習場(左)と同演習廠舎正門

長田野陸軍演習場・廠舎 廠舎入口付近(京都福知山)
▲現在の長田野陸軍演習廠舎正門跡

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、演習廠舎は大蔵省に移管、昭和22年4月30日、新制中学校制度に伴い天田郡組合に払下げられ、組合立六人部(むとべ)中学校(昭和30年4月1日、市立に)が廠舎を転用し開校、昭和35(1960)年3月9日、現在地に新校舎が竣工し移転、跡地は払い下げられ住宅地となり現在に至ります。
長田野陸軍演習廠舎(京都福知山)
▲長田野陸軍演習廠舎の範囲

ア 赤羽籐吉翁頌徳碑
赤羽籐吉陸軍少佐は明治45(1910)年、長田野陸軍演習場の開設に伴い初代主管(管理人)として廠舎に赴任、昭和3(1928)年2月、病没するまで18年間に渡り勤務します。
その間、地元の天田郡聯合分会長を務め地域住民の教化、善導に努めました。
少佐の遺徳を顕頌すべく、昭和6(1931)年4月15日、地元有志により建立されました。
長田野陸軍演習場・廠舎 ア 赤羽籐吉翁頌徳碑(主管としとて教化に尽力)(京都福知山)

長田野陸軍演習場・廠舎 ア 篤志寄付者芳名(京都福知山)
▲隣に篤志寄付者芳名碑があります


主要参考文献
アジ歴各史料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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