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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

福知山海軍航空基地

歩兵第二十聯隊の衛戍地で知られる京都府福知山市に福知山海軍航空基地がありました。
福知山海軍航空基地 A 東側入口 北から(京都福知山)
▲竹林に遺る飛行隊指揮所

【探索日時】
平成25年4月3・4日、11月17・18日





福知山海軍航空基地 概略
昭和19(1944)年7月7日、我が国は絶対国防圏の要所・サイパン島、8月3日、テニアン島、11日、大宮島(グアム)を相次いで失陥し敵の本格的な本土空襲が迫るなか、陸海軍は各飛行場、航空基地の強化に着手するとともに、来たるべく本土周辺の作戦における現有戦力を絶対確保すべく、内陸部への航空基地設営を開始します。

海軍航空本部は軍令部の作戦要求に基づき、福知山海軍航空基地用地として舞鶴鎭守府と連絡が良く、鉄道の便があり、平坦な土地が続き、かつ秘匿性の高い京都府天田郡西中筋村に用地を選定し基本計画を立案、海軍施設本部に送達され具体的計画が立案されます。
10月3日、舞鶴海軍経理部?は戸田、川北、前田、土、石原の地権者を招集し時局の推移から該当用地100,000坪の必要性を説明し売却を懇請、買収契約を締結します(買収、移転補償金額等不明)。
次いで舞鶴海軍施設部?指揮のもと労務者が中心となり滋賀海軍航空隊、勤労奉仕隊、学校報国隊の協力を得て航空基地の設営を開始します(資料不足のため海軍側の詳細は不明ですが、一般的な海軍航空基地設営の指揮系統に則り推定(?表示)で記載しています)。

昭和20(1945)年1月、川西航空機㈱鳴尾製作所(兵庫)の防護工場(正明寺の横穴式、覆土式の部品工場、航空基地の格納庫内の組立工場からなる「福知山工場」)の建設を開始、4月、竣工した一部の工場で操業を開始します。

3月、舞鶴海軍施設部は西中筋村高津の水田に綾部牧場まきば(第二滑走路)の設営を開始、5月、第三千三百十海軍設營隊が進出、設営に加わります。

6月、福知山海軍航空基地の滑走路が竣工(幅50×マカダム舗装900m、金網展張600m計1,500m)、2日、峯山海軍航空隊の中練が着陸し即日、峯山に帰還します。
7月20日、筑波海軍航空隊 戰鬭第四〇二飛行隊が進出、決號作戰(本土決戦)に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時、航空基地は凡そ完成していましたが、一部地下施設は未完成でした。
福知山海軍航空基地 ①滑走路付近(マカダム仕上西端から東側)(京都福知山)
▲滑走路跡西端から
  全く何の痕跡もありません

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』により、航空基地は大蔵省に移管されます。
9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、同日、隷下の第33歩兵師団が三宮駅に到着し神戸市内の神港ビルに司令部を設置、10月1日より京都府、兵庫県、滋賀県、福井県、石川県、富山県の陸海軍施設を接収します。
戦後の経緯も資料不足のため不明ですが、第33歩兵師団に接収され軍需品、兵器の処理後、11月3日、『連合国軍最高司令官総司令部・高級副官部(SCAP・AG)指令第686号』、12月11日、『SCAP指令第601号』に基づき農地への転換が認められた様です。
昭和21(1946)年5月11日、元地権者により結成された耕地組合に払い下げられ復旧・開墾を開始し、昭和27(1952)年3月15日、完了します。
現在、福知山海軍航空基地全域は農地、住宅地、商業地になっています。

地元では地名から石原(いさ)飛行場土(つち)の飛行場と呼ばれている様です。

福知山海軍航空基地 福知山航空基地平面図(京都福知山)
▲『福知山航空基地平面圖』

福知山海軍航空基地 福知山海軍航空基地(配置)(京都福知山)
▲現在の地図に施設を転写
① 福知山海軍航空基地 滑走路(第一滑走路)
② 綾部牧場(第二滑走路)
③ 飛行機待機列線
④ 誘導路
⑤ 列線地区
⑥ 兵舎及び付属地区
⑦ 川西航空機㈱ 福知山工場

⑧ 小貝山防空砲台
⑨ 前田山防空砲台
⑩⑪ 防空砲台?
※緑文字が当記事紹介の施設


要目
敷地 : 303,000㎡
滑走路 : 1,700×50m(マカダム900m、金網展張600m)
飛行機運搬路 : 9,800×30m
掩体壕 : 木造2・無蓋12・彫り込み52
格納庫 : 啓正式(移動式)鉄骨1
兵舎 : 木造9(9×14.5)


遺構について
福知山海軍航空基地は全域が農地に転用されたため航空基地中心部には何も遺されていませんが、決號作戰(本土決戦)に向け周辺に設営された地下施設を中心に遺構が遺ります。
福知山海軍航空基地 福知山海軍航空基地(京都福知山)
▲遺構の配置

① 福知山海軍航空基地 滑走路 ③ 飛行機待機列線 ④ 誘導路 ⑤ 列線地区
A 飛行隊指揮所
竹林の中に遺り、幅10m×奥行4mあります。
当時は土が被せてあったと思われますが、現在は露出しています。
福知山海軍航空基地 A 飛行隊指揮所 南東から(京都福知山)
▲全景(背面から)
  竹が繁り全体が見渡せません

入口は両側にあり爆風除けが付いています。
福知山海軍航空基地 A 西側入口 南から(京都福知山)
▲上から見た入口と通路

福知山海軍航空基地 A 東側入口 北から(京都福知山)
▲東側入口

福知山海軍航空基地 A 西側入口 北東から(京都福知山)
▲西側通路
  東西入口は同じ造りです

福知山海軍航空基地 A 西側入口 通路(京都福知山)
▲入口から通路

福知山海軍航空基地 A 内部から東側入口通路(京都福知山)
▲内部の指揮所の入口には木枠が遺ります

福知山海軍航空基地 A 内部から西側入口通路(京都福知山)
▲指揮所内部

福知山海軍航空基地 A 内部北側壁面の板材(京都福知山)
▲壁面に壁材を貼り付ける木材が遺ります

福知山海軍航空基地 A 内部東側壁面の換気孔(京都福知山)
▲東西に換気口があります

福知山海軍航空基地 A 西側換気孔 外側(京都福知山)
▲外壁から突き出た換気口


B 掩体壕 
A飛行隊指揮所のすぐ横にあります。
掩体壕の右側の土堤と思われますが、確証は持てません(以下の“?”を付けた掩体壕も「と思われる」程度です)。
福知山航空基地には斜面を掘り込んだ掩体壕52基があった様です。
福知山海軍航空基地 B 掩体壕 南西から(京都福知山)
▲左側が微妙に掘り込まれています


C 掩体壕
斜面に掘り込みが遺ります。
本来は左右に土堤が伸びていたと思われますが、畑地化により削られた様です。
福知山海軍航空基地 C 掩体壕 北東から(京都福知山)
▲左側の斜面が湾曲しています


D 掩体壕 ?
左側の土堤が遺ります。
福知山海軍航空基地 D 東側の掩体壕土堤?(京都福知山)
▲右側の土堤らしい物が遺ります

福知山海軍航空基地 D 地下壕跡? 北から(京都福知山)
▲D西側に遺る人為的な掘り込み

福知山海軍航空基地 D 東側の円形窪地(京都福知山)
▲D横に遺る水滴型の掘り込み


E 掩体壕
斜面を半円形に掘り込み両側に土堤を設けており、掩体壕で間違いないと思われます。
福知山海軍航空基地 E 掩体壕 北から(京都福知山)
▲全景
  中央の樹木が生えている場所が掘り込まれています

福知山海軍航空基地 E 掩体壕 最深部掘削部(京都福知山)
▲最深部の掘り込み跡

福知山海軍航空基地 E 掩体壕 西側土堤 東から(京都福知山)
▲内部から見た左側の土堤


G 誘導路
林の中に遺ります。
福知山海軍航空基地 G 誘導路 南東端(京都福知山)


H 掩体壕 ?
かなり薄いですが斜面を掘り込んだ様な形跡があります。
福知山海軍航空基地 H 掩体壕跡?の掘削地(京都福知山)


I 掩体壕 ?
かなり薄いですが斜面を掘り込んだ様な形跡があります。
福知山海軍航空基地 I 掩体壕跡?の掘削地(京都福知山)


J 掩体壕
斜面を半円形に掘り込んでいます。
福知山海軍航空基地 J 掩体壕跡 最深部(京都福知山)


K 掩体壕
斜面を半円形に掘り込んでいます。
幅14×奥行10mあります。
福知山海軍航空基地 K 掩体壕 最深部 北東から(京都福知山)
▲全景

福知山海軍航空基地 K 掩体壕 最深部 北東から (2)(京都福知山)
▲最深部


L 掘り込み
この辺りにも掩体壕があった様で人為的な段差がありますが、詳細不明です。
福知山海軍航空基地 L 南側土堤 西から(京都福知山)


M 掘り込み
草むらの中に遺ります。
前田山の谷地に建てられていた三角兵舎の竪穴部分と思われます。
福知山海軍航空基地 M 窪地南側土堤 南西から(京都福知山)


N 地下壕跡 ?
斜面に掘り込みが遺ります。
福知山海軍航空基地 N 地下壕跡?(京都福知山)


⑥ 兵舎及び付属地区
F 搭乗員待機所 壁
元々はF‘の場所にありましたが、平成15(2004)年、農地整備事業に伴い入口のみが現在地に移築されました。
福知山海軍航空基地 F 搭乗員待機所(移設) 入口(京都福知山)
▲正面側

福知山海軍航空基地 F 搭乗員待機所(移設) 裏側(京都福知山)
▲裏側

福知山海軍航空基地 F 搭乗員待機所(移設) 説明板 (2)(京都福知山)
▲説明板に掲載の元の姿

福知山海軍航空基地 F 搭乗員待機所(移設) 説明板(京都福知山)
▲同じく内部


ア 燃爆格納隧道
建設会社、西中筋プールの裏に遺り、全体的に内部は崩れ状態は悪いですが全て進入可能です。
配置から1・2・3が上掲『配置圖』に記載の燃料爆弾格納庫と思われ、4は用途不明です。
各壕口は40mずつ離れています。
1 地下壕
建設会社の裏に遺ります。
内部は10m程で崩落しています。
福知山海軍航空基地 ア1 燃爆格納隧道 壕口前(京都福知山)
▲壕口付近は崩落しています

福知山海軍航空基地 ア1 燃爆格納隧道 壕口(京都福知山)
▲内部

2 地下壕
内部は33mで崩落しています。
福知山海軍航空基地 ア2 燃爆格納隧道 壕口(京都福知山)
▲壕口

福知山海軍航空基地 ア2 燃爆格納隧道 内部(京都福知山)
▲内部

福知山海軍航空基地 ア2 燃爆格納隧道 内部の支保工残骸(4ヶ所)(京都福知山)
▲壕床両側に支保工の残骸が遺ります

3 地下壕跡
殆ど崩落し溝になっていますが、地下壕の痕跡が僅かに遺ります。
因みに溝の長さは37mあります。
福知山海軍航空基地 ア3 燃爆格納隧道 壕口前から前部の崩落部(京都福知山)
▲崩落した壕前部

福知山海軍航空基地 ア3 燃爆格納隧道 内部崩落部(京都福知山)
▲残存部

※以上は建設会社の許可を得て調査しています。

4 地下壕
西中筋プールの裏に遺ります。
直線壕で16mあります。
福知山海軍航空基地 ア4 前部崩落部(京都福知山)
▲崩落している壕口付近

福知山海軍航空基地 ア4 壕口 (2)(京都福知山)
▲内部


イ 送信所隧道
平野公園の斜面に遺ります。
1 地下壕
壕口は崩落し斜面上に開口部があり、内部は15mで崩落しています。
福知山海軍航空基地 イ1 送信所隧道 壕口(京都福知山)
▲壕口

福知山海軍航空基地 イ1 送信所隧道 内部から壕口(京都福知山)
▲内部から

2 地下壕跡
1から13m離れた位置に崩落跡が遺ります。
福知山海軍航空基地 イ2 送信所隧道 崩落(京都福知山)


ウ 無線機格納隧道
造成、擁壁により完全に滅失しています。


エ 中央指揮所隧道
地下壕は殆ど崩落(造成時に破壊?)していますが、僅かに痕跡が遺ります。
地下壕跡は軒並み間伐材で埋められ、探索するのに苦労しました・・・。
1 地下壕跡
公園の裏に崩落跡が遺ります。
福知山海軍航空基地 エ1 中央指揮所隧道 下から(京都福知山)

2 地下壕跡
斜面に地下壕跡が遺ります。
殆ど埋まっています。
福知山海軍航空基地 エ2 中央指揮所隧道 壕口(京都福知山)

3 地下壕跡
斜面に崩落跡が溝状になり遺りますが、間伐材で埋められています。
福知山海軍航空基地 エ3 中央指揮所隧道 下から(京都福知山)

4 地下壕跡
斜面に崩落跡が溝状になり遺りますが、間伐材で埋められています。
福知山海軍航空基地 エ4 中央指揮所隧道 切羽付近(京都福知山)

5 地下壕
殆ど崩落し溝状になっていますが、最深部に僅かに壕が遺ります。
福知山海軍航空基地 エ5 中央指揮所隧道 下から(京都福知山)
▲エ中央指揮所隧道は全てこの様に間伐材が投棄されています

福知山海軍航空基地 エ5 中央指揮所隧道 壕口(京都福知山)
▲地下壕残存部は埋まっており入れません

6 地下壕跡
斜面に崩落跡が溝状になり遺りますが、間伐材で埋められています。
『配置圖』に記載が無く、用途不明です。
福知山海軍航空基地 エ6 中央指揮所隧道 下から(京都福知山)
▲この間伐材の山を超えていかなくてはなりません

福知山海軍航空基地 エ6 中央指揮所隧道 壕口(京都福知山)
▲地下壕跡


⑦ 川西航空機㈱ 福知山工場
当時はこの谷地に3棟の建屋があった様です。
O コンクリート基礎
貯水池の奥の斜面に遺ります。
福知山海軍航空基地 O 基礎 北東から(京都福知山)
▲埋まっており元々の形状は不明です

福知山海軍航空基地 O 基礎 近影(京都福知山)
▲近影

アキツ工業㈱内に福知山海軍航空基地の格納庫と言われる建物が遺ります。
福知山海軍航空基地 ⑦川西福知山工場移設格納庫?(京都福知山)
▲啓正式(組立式)格納庫なのでありえるのですが、操業していない様で確認できませんでした。

最後に当記事執筆にあたり「中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会」大槻様に下記参考文献、及び講演資料2部の御提供を頂きました。
この場を借りて篤く御礼申し上げます。ありがとうございました。


所在部隊
筑波海軍航空隊 戰鬭第四〇二飛行隊
昭和19(1944)年7月10日、横須賀鎭守府所管の特設飛行隊として第三四五海軍航空隊(局地戦闘機72機(内補用18))の飛行機隊を改編し戦闘第四〇二飛行隊(真鍋富士雄予備中尉)を編成、第三四一海軍航空隊(第二航空艦隊所属、第六基地航空部隊に部署)に編入されます。
隊の定数は局戦48(内補用12)機、機種は紫電で、明治海軍航空基地(愛知)への移駐を予定し館山海軍航空基地で錬成を開始しますが、館山は狭隘なため錬成は制限されます。
28日までに明治に移駐し、錬成にあたります。

8月中旬、三四一空は第六基地航空部隊西一空襲部隊(第三航空艦隊司令長官直率)波部隊に部署され、串良海軍航空基地(鹿児島)に前進を下令されます。
9月1日時点の戦力は紫電53(稼働23)、搭乗員96名(実働34)でした。

9月下旬、串良に前進、10月10日の米艦載機の南西諸島、12日の台湾来襲を受け、基地航空部隊は捷一號、同二號作戦を発令、13日、隊の紫電16と零戦8は二二一空と四航戦の零戦64機とともに第一攻撃隊第一制空隊に部署され、五十一航戦司令官の指揮下に編入され、敵機動部隊攻撃及び台湾進出を下令されます。

14日0630、隊の紫電・零戦(機数不明)は串良を発進、沖縄本島中陸軍飛行場を経由し、敵機動部隊を攻撃ののち、紫電8機が台南に前進します。
17日、聯合艦隊司令部は捷一號作戦警戒発令、米軍のフィリピン・スルアン島上陸を受け第六基地航空部隊指揮官(二航艦司令長官)に残存戦力を台湾に集結し、戦局の推移に伴いフィリピンへの前進を下令します。

18日、聯合艦隊司令部は捷一號作戦を発動、21日、三四一空の紫電40機は第六基地航空部隊捷一號部署で第一攻撃集團制空隊に部署され、22日、クラーク飛行場群への前進を下令されます。
22日、紫電24機がマルコット飛行場にに前進、23日、第一攻撃集團150機はクラーク飛行場群を夫々出撃、ラモン湾東方海上の敵機動部隊の攻撃に向かいますが、密雲に阻まれ接敵できず引き返します。
24日、集團190機は再度ラモン湾東方海上の敵機動部隊の攻撃に向かい、敵直掩機と交戦し11機撃墜(分隊長・横手高明大尉他未帰還3)します。

25日、南西方面部隊指揮官(南西方面艦隊司令長官)は戦力の損耗から第五基地航空部隊(一航艦)、及び第六基地航空部隊(二航艦)により第一聯合基地航空部隊(二航艦司令長官指揮)の編成します。
28日、部隊51機(隊は紫電8で参加)はレイテ島タクロバンを攻撃しますが、零戦6機が未帰還になってしまいます。
29日、米艦載機がマニラ、クラーク飛行場群に来襲、部隊は133機で邀撃し33機を撃墜しますが、22機が未帰還になってしまいます。
11月1日から部隊はレイテ島オルモック湾の哨戒にあたりつつ、来襲する敵艦載機の邀撃、神風特別攻撃隊の直掩にあたります。
12月5日時点での部隊戦力は紫電39機(稼働19機)でした。

昭和20(1945)年1月6日、二航艦司令長官は残存機のルソン島北部、及び台湾への移駐を下令、8日、二航艦は復帰、三四一空は第一航空艦隊に編入され南西方面部隊第一聯合基地航空艦隊第五基地航空部隊に部署、台湾への移駐を下令され、搭乗員、整備員の空輸を実施します。
1月下旬、松山海軍航空基地に集結します。

2月1日、隊は三四一空から第三四三海軍航空隊(三航艦二十五航戦所属)に転属、三四三空は第七基地航空部隊(三航艦)西一空襲部隊(二十五航戦司令官指揮)に部署され、松山において戦力回復にあたります。
10日、二十五航戦は復帰、三四三空は三航艦に編入されます。
3月5日、隊は第六〇一海軍航空隊(三航艦所属)に転属、六〇一空は第七基地航空部隊(三航艦)東一空襲部隊(三航艦司令長官指揮)に部署され、木更津に移駐します。

17日、聯合艦隊は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊指揮官は指揮下戦力を整頓し西方への転進、及び天一號作戦警戒発令に伴い、第一基地航空部隊(五航艦司令長官)の指揮下編入を下令されます。
31日、六〇一空の紫電4機が先遣隊として第一國分海軍航空基地に前進し、逐次集結します。
4月4日1500、隊の紫電8、零戦36機は第一國分を出撃、喜界島上空において敵艦載機30機と交戦、11機撃墜、5機撃破します(紫電2、零戦8未帰還)。
16日、紫電4、零戦26機は他隊の紫電28、零戦26機とともに第一國分を出撃、徳之島付近の制空に向かい喜界島上空において2機撃墜しますが、宮崎富男大尉、塩谷明予少尉が散華してしまいます。

17日、六〇一空は百里原へ移駐、戦力回復と温存にあたります。
5月5日、隊は六〇一空から筑波海軍航空隊に転属、筑波空は第七基地航空部隊(三航艦)に部署されます。
12日、第一機動基地航空部隊(五航艦)と第七基地航空部隊により天航空部隊(五航艦司令長官指揮)が編成されます。
6月5日、筑波空は新編された第七十一航空戰隊(三航艦所属)に編入され、戦力温存を図りながら東日本の防空を下令されます。

7月20日、隊は福知山海軍航空基地、戦四〇三は姫路海軍航空基地に移駐、筑波空司令・五十嵐周二中佐は本部を姫路海軍航空基地に前進させます。
隊は福知山において錬成、及び四国方面の哨戒にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

30日、隊の稼働紫電全機を姫路に集結、9月3日、筑波空は復員完結します。


近畿海軍航空隊
大和海軍航空基地 (大和海軍航空隊)』参照


第三千三百十海軍設營隊
昭和20(1945)年5月15日、舞鶴鎭守府の所管で舞鶴海軍施設部において編成(柳澤一試技術大尉)され、舞鶴鎭守府に所属します。
隊は舞鶴鎭守府部隊に部署され、編制整備ののち福知山に進出、綾部牧場及び隧道設営を開始、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月22日、復帰、舞鶴鎭守府部隊より除籍され復員完結します。


主要参考文献
『福知山に飛行場があった! 海軍福知山航空基地』 (中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会)

『いまに残る姫路基地』 (平成11年10月 上谷昭夫 平和記念の碑建立実行委員会)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』(平成21年6月 渡辺博史 楽學庵)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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