綾部牧場 (福知山海軍航空基地 第二滑走路)
京都府福知山市に所在した福知山海軍航空基地の東4km、綾部市に秘匿航空基地である綾部牧場(福知山海軍航空基地 第二滑走路)がありました。

▲山林に遺る地下壕
【探索日時】
平成25年11月18日

<綾部牧場(福知山海軍航空基地 第二滑走路) 概略>
昭和19(1944)年10月、急迫する戦局に海軍航空本部は来るべき本土周辺の戦闘に備え、軍令部の作戦要求に基づき、京都府天田郡西中筋村に作戦用の福知山海軍航空基地の設営を開始します。
昭和20(1945)年初旬、海軍航空本部は決號作戰(本土決戦)に向け、航空戦力を分散秘匿するとともに戦機に際し迅速に投入すべく全国各地に60ヶ所の牧場(秘匿航空基地)設営を計画します。
3月、舞鶴海軍施設部は西中筋村高津の水田に綾部牧場まきばの設営を開始、5月、第三千三百十海軍設營隊が進出、設営を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時、水締マカダム仕上げの滑走路30×600m、掩体壕16、誘導路1,400m等が完成しており、決號作戰(本土決戦)に際しては九三式中間練習機の特攻基地として運用される予定でした。
綾部牧場の詳細情報は不明ですが、他の牧場と同様に用地は買収した物と思われ、停戦後は福知山海軍航空基地とともに元地権者に払い下げられた様です。
現在は全域が農地になっています。

▲『福知山航空基地平面圖』
右側の滑走路が綾部牧場(第二滑走路)

▲現在の地図に施設を転写
① 福知山海軍航空基地 滑走路(第一滑走路)
② 綾部牧場(福知山海軍航空基地 第二滑走路)
③ 飛行機待機列線
④ 誘導路
⑤ 列線地区
⑥ 兵舎及び付属地区
⑦ 川西航空機㈱ 福知山工場
⑧ 小貝山防空砲台
⑨ 前田山防空砲台
⑩⑪ 防空砲台?
※緑文字が当記事の紹介施設
※福知山海軍航空基地の遺構については前記事『福知山海軍航空基地』参照
<遺構について>
綾部牧場は位置的に西側にあった福知山海軍航空基地と密接な関係にあり、地下施設等は共用する予定だったと思われます。
現在、航空基地中心部には何も遺されていませんが、綾部市安場町に九三式中間練習機の分解格納隧道の痕跡が遺ります。
ケ 中練分解格納隧道
停戦時、山裾に幅3×高さ3.5、総延長284mの素掘壕が掘鑿されていた様です。
現在は残念ながら殆ど崩落しています。

▲中練分解格納隧道の配置
1 地下壕
集会所の脇の草むらの中に2m程の地下壕が遺ります。
大きさから中練用では無く、物資保管壕の様です。

2 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

3 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

4 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

5・6・7 地下壕?
残念ながら西側は川があり渡る事ができず、また斜面も荒れており探索できませんでした。

▲荒れ放題では入れません
<設営部隊>
第三千三百十海軍設營隊
昭和20(1945)年5月15日、舞鶴鎭守府の所管で舞鶴海軍施設部において編成(柳澤一試技術大尉)され、舞鶴鎭守府に所属します。
隊は舞鶴鎭守府部隊に部署され、編制整備ののち福知山に進出、綾部牧場及び隧道設営を開始、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月22日、復帰、舞鶴鎭守府部隊より除籍され復員完結します。
<主要参考文献>
中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会 資料
『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』(平成21年6月 渡辺博史 楽學庵)
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▲山林に遺る地下壕
【探索日時】
平成25年11月18日


<綾部牧場(福知山海軍航空基地 第二滑走路) 概略>
昭和19(1944)年10月、急迫する戦局に海軍航空本部は来るべき本土周辺の戦闘に備え、軍令部の作戦要求に基づき、京都府天田郡西中筋村に作戦用の福知山海軍航空基地の設営を開始します。
昭和20(1945)年初旬、海軍航空本部は決號作戰(本土決戦)に向け、航空戦力を分散秘匿するとともに戦機に際し迅速に投入すべく全国各地に60ヶ所の牧場(秘匿航空基地)設営を計画します。
3月、舞鶴海軍施設部は西中筋村高津の水田に綾部牧場まきばの設営を開始、5月、第三千三百十海軍設營隊が進出、設営を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時、水締マカダム仕上げの滑走路30×600m、掩体壕16、誘導路1,400m等が完成しており、決號作戰(本土決戦)に際しては九三式中間練習機の特攻基地として運用される予定でした。
綾部牧場の詳細情報は不明ですが、他の牧場と同様に用地は買収した物と思われ、停戦後は福知山海軍航空基地とともに元地権者に払い下げられた様です。
現在は全域が農地になっています。

▲『福知山航空基地平面圖』
右側の滑走路が綾部牧場(第二滑走路)

▲現在の地図に施設を転写
① 福知山海軍航空基地 滑走路(第一滑走路)
② 綾部牧場(福知山海軍航空基地 第二滑走路)
③ 飛行機待機列線
④ 誘導路
⑤ 列線地区
⑥ 兵舎及び付属地区
⑦ 川西航空機㈱ 福知山工場
⑧ 小貝山防空砲台
⑨ 前田山防空砲台
⑩⑪ 防空砲台?
※緑文字が当記事の紹介施設
※福知山海軍航空基地の遺構については前記事『福知山海軍航空基地』参照
<遺構について>
綾部牧場は位置的に西側にあった福知山海軍航空基地と密接な関係にあり、地下施設等は共用する予定だったと思われます。
現在、航空基地中心部には何も遺されていませんが、綾部市安場町に九三式中間練習機の分解格納隧道の痕跡が遺ります。
ケ 中練分解格納隧道
停戦時、山裾に幅3×高さ3.5、総延長284mの素掘壕が掘鑿されていた様です。
現在は残念ながら殆ど崩落しています。

▲中練分解格納隧道の配置
1 地下壕
集会所の脇の草むらの中に2m程の地下壕が遺ります。
大きさから中練用では無く、物資保管壕の様です。

2 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

3 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

4 地下壕跡
崩落し溝状になっています。

5・6・7 地下壕?
残念ながら西側は川があり渡る事ができず、また斜面も荒れており探索できませんでした。

▲荒れ放題では入れません
<設営部隊>
第三千三百十海軍設營隊
昭和20(1945)年5月15日、舞鶴鎭守府の所管で舞鶴海軍施設部において編成(柳澤一試技術大尉)され、舞鶴鎭守府に所属します。
隊は舞鶴鎭守府部隊に部署され、編制整備ののち福知山に進出、綾部牧場及び隧道設営を開始、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月22日、復帰、舞鶴鎭守府部隊より除籍され復員完結します。
<主要参考文献>
中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会 資料
『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』(平成21年6月 渡辺博史 楽學庵)
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