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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

詫間海軍水上機基地 (詫間海軍航空隊)

浦島太郎伝説が伝わる香川県三豊郡詫間町に詫間海軍水上機基地があり、 詫間海軍航空隊が所在しました。
詫間海軍水上機基地 塩生防空機銃砲台から水上機基地(香川詫間)
▲詫間海軍水上機基地跡 全景

【探索日時】
平成20年4月19日、平成25年3月28日





詫間海軍水上機基地 概要
昭和16(1941)年5月、軍令部は米国の大幅な軍備増強計画に対応すべく、『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み練習航空隊17隊の先行整備に着手します。

海軍航空本部は現地調査の結果、詫間村香田(現、三豊市詫間)の明神浜一帯を新設水上機練習航空隊用地として決定、10月中旬、設営を委託された内務省神戸土木出張所により地盤調査が行われ、11月下旬、用地買収を実施、12月、呉海軍建築部指導のもと内務省の指揮により建設工事に着工、昭和18(1943)年5月、詫間海軍水上機基地が竣工します。
6月1日、同水上機基地において詫間海軍航空隊が開隊、水上機実用機教程を開始します。
詫間海軍水上機基地 詫間海軍航空隊本部庁舎と隊門(香川詫間)
▲詫間海軍航空隊隊門と本部庁舎

詫間海軍水上機基地 航空隊隊門跡(香川詫間)
▲現在の隊門付近
 遺構は何も遺されていません。

昭和19(1944)年10月1日、第八〇一海軍航空隊(横浜)大艇隊の一部(八〇一空詫間派遣隊)が詫間に進出、12月1日、八〇一空が詫間に進出(昭和20年1月5日、鹿屋に移駐)、昭和20(1945)年3月21日、急迫する戦局に詫間空は神風特別攻撃隊「水心隊」を編成します。
4月25日、八〇一空の全大艇、偵察第三〇二飛行隊が詫間空に転属し、詫間空は実戦航空隊に改編され、沖縄周辺の哨戒(第五航空艦隊の索敵・触接担当)、及び敵艦隊に対し夜間攻撃を実施するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、詫間海軍水上機基地は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、11月7日、米軍により接収され兵器、弾薬類の処分ののち、昭和21(1946)年、一部が大蔵省に返還、農地、製塩工場に転換、昭和23(1948)年、全面返還され、病院、無線電信講習所に転換されます。

※詫間海軍水上機基地、及び所在部隊の詳細は後述


要目
・滑走台×4(大艇用幅35m×3、水偵用幅135m×1)
・格納庫×3(大艇整備1、水偵整備1、水偵格納1)
・機材収容力 大艇×28、水偵×30
・人員収容力 准士官以上100、下士官兵2,100(士官舎2、兵舎4)

詫間海軍水上機基地 『詫間海軍航空隊位置表示圖 其ノ二』(香川詫間)
▲『詫間海軍航空隊位置表示圖 其ノ二』(以下、『表示図』と記載)

詫間海軍水上機基地 詫間施設配置(香川詫間)
▲詫間周辺の海軍施設配置を現在の地図に転写
① 詫間海軍水上機基地・詫間海軍航空隊
② 第十一海軍航空廠 詫間補給工場
③ 塩生防空砲台
④ 天神山防空砲台
⑤ 八幡山防空砲台
⑥ 仁尾照空砲台
※緑文字が当記事紹介施設


遺構について
① 詫間海軍水上機基地・詫間海軍航空隊
現在、詫間海軍水上機基地は神島化学工業㈱詫間工場、香川高等専門学校 詫間キャンパス等に転用され建物類は全く遺されていませんが、水上機基地の主要構造物とも言える滑走台、また外周を中心に地下施設が遺されています。

詫間海軍水上機基地 詫間空(香川詫間)
▲遺構の配置

A 滑走台(乙)
水偵用で幅135mあります。
詫間海軍水上機基地 A 滑走台 南西から(香川詫間)
▲全景

詫間海軍水上機基地 A 滑走台 東から(香川詫間)
▲中央に戦後造られたコンクリート基礎がある以外、状態は良好です


B 滑走台(甲)
大艇用で幅35mあります。
神島化学工業㈱の積出し桟橋に改造されてしまい、上面が平坦にされています。
詫間海軍水上機基地 B 滑走台 西から(香川詫間)


C 滑走台(甲)
大艇用で幅35mあります。
工場用水取水管が敷かれ、また一部破損しています。
詫間海軍水上機基地 C 滑走台 南西から(香川詫間)
▲全景

詫間海軍水上機基地 C 滑走台 南から(香川詫間)
▲上面

詫間海軍水上機基地 C 滑走台 東側の破壊部分から見える内部(香川詫間)
▲破損しているため構造が良く分かります


D 滑走台(甲)
大艇用で幅35mあります。
詫間海軍水上機基地 D 滑走台 東から(香川詫間)
▲全景

詫間海軍水上機基地 D 滑走台 南東から(香川詫間)
▲戦後、滑走台上に建てられた漁業施設の残骸があります


E 防波堤
当時もこの位置にありましたが、かなり改修されています。
詫間海軍水上機基地 E 防波堤 南から(香川詫間)
▲防波堤の現状
  コンクリート製のボラードがありますが、当時の物か不明

詫間海軍水上機基地 E 防波堤付け根の階段(香川詫間)
▲石製の階段


F 史跡 詫間海軍航空隊跡 神風特別攻撃隊出撃の地
平成12(2000)年11月、詫間町教育委員会により建立されました。
詫間海軍水上機基地 F 『史跡 詫間海軍航空隊跡 神風特別攻撃隊出撃の地』 碑(香川詫間)


ア 燃料庫跡
竹林に崩落跡の様な痕跡が遺ります。
『表示図』には“コ”型壕が記載されており、停戦時は完成していました。
同図には「完成」と「未完成」が分けて記載されていますが、未完成がどの程度の未完成、または計画段階を示すのか不明です。
詫間海軍水上機基地 ア 西側壕口?(崩落跡?)(香川詫間)
▲西側崩落跡?

詫間海軍水上機基地 ア 東側壕口?(崩落跡?)(香川詫間)
▲東側崩落跡?


イ 爆弾庫及信管庫・火工兵器庫
空地及び香田ポンプ場の裏に遺ります。
変形“コ”型壕で停戦時は完成していましたが、内部は一部素掘です。
詫間海軍水上機基地 イ見取図(香川詫間)
▲内部見取図

a 壕口
詫間海軍水上機基地 イ a壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 イ b奥からa壕口(香川詫間)
▲ b から a 壕口

詫間海軍水上機基地 イ b奥とc(右)(香川詫間)
▲ b から c 横坑

詫間海軍水上機基地 イ dからc (2)(香川詫間)
▲ d から c 横坑

詫間海軍水上機基地 イ dからc(香川詫間)
▲ d 素掘部分

e 壕口
詫間海軍水上機基地 イ e壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 イ eからd(香川詫間)
▲ e 壕口から内部


ウ 爆弾庫及信管庫跡 ?
民家の裏に崩落跡の様な痕跡が遺ります。
この辺りは民家が並んでおり、詳細確認できませんでした。
詫間海軍水上機基地 ウ 壕口?(香川詫間)


エ 爆弾庫及信管庫
物置に転用されており、内部は廃材が大量に投棄され詳細確認できませんでした。
停戦時は完成していました。
詫間海軍水上機基地 エ 壕口(物置の一部に)(香川詫間)
▲物置の上にコンクリート巻立部分が見えます

詫間海軍水上機基地 エ 壕口(廃材の山で入れず)(香川詫間)
▲物置内にある壕口

内部の撮影もしたつもりですが、写真が見当たりません・・・(゜Д゜;)

※許可を得て見学しています


オ 地下壕
用途不明の壕で、奥は素掘です。
詫間海軍水上機基地 オ見取図(香川詫間)
▲内部見取図

詫間海軍水上機基地 オ 壕口(香川詫間)
▲壕口

詫間海軍水上機基地 オ 入口から奥(香川詫間)
▲壕口から内部

詫間海軍水上機基地 オ コンクリート部奥から入口(香川詫間)
▲素掘部分から
  コンクリート厚は55cmあります

詫間海軍水上機基地 オ コンクリート部から素掘り部(香川詫間)
▲素掘部分

『表示図』にはオ東側に直線壕が記載されていますが、崩落跡か微妙な痕跡しかありませんでした。


カ 戦闘指揮所
詫間海軍水上機基地の遺構として滑走台と並んで、必ず取り上げあられる非常に有名な遺構です。
初回探索時には閉鎖されていましたが、平成25年に再訪したところ入れました。
内部はコンクリート巻立と素掘の併用です。
詫間海軍水上機基地 カ見取図(香川詫間)
▲内部見取図

詫間海軍水上機基地 カ a・b・C 壕口(左から)(香川詫間)
▲左からa・b・C 壕口

a 壕口
詫間海軍水上機基地 カ a 壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ a 壕口から奥(香川詫間)
▲ a 内部

d 部屋
詫間海軍水上機基地 カ d aから奥・e(右)(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ e dから(香川詫間)
▲ d 奥にあるe棚状の窪み

b 壕口
詫間海軍水上機基地 カ b 壕口(香川詫間)
▲壕口付近に二式会(第十一海軍航空廠 詫間補給工場の戦友会)により記念碑が建立されています。

詫間海軍水上機基地 カ b 壕口から奥(香川詫間)
▲ b 内部

詫間海軍水上機基地 カ b(左)・j(右)・g(奥)(香川詫間)
▲ a ・ b ・ c 交差部分

c 壕口
詫間海軍水上機基地 カ c 壕口(香川詫間)
▲壕口付近に海軍少年飛行兵香川雄飛会により記念碑が建立されています。

詫間海軍水上機基地 カ c 壕口から奥(香川詫間)
▲ c 内部

h 部屋
詫間海軍水上機基地 カ h cからi(左奥)(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ i hから(香川詫間)
▲ h 奥にある i 小部屋

詫間海軍水上機基地 カ i 入口の柱穴(香川詫間)
▲ i 小部屋入り口にある柱跡

k 部屋
詫間海軍水上機基地 カ k 入口側から(香川詫間)
▲入口両側の床にに排水口があります

l 素掘部分
詫間海軍水上機基地 カ l k前から奥(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ m 奥方向(香川詫間)
▲ m 素掘部分

詫間海軍水上機基地 カ n からp(香川詫間)
▲ n から o 小部屋(右)と p

詫間海軍水上機基地 カ o nから(香川詫間)
▲ o には壁材と思われる木片が散乱します

p 部屋
詫間海軍水上機基地 カ p からt方向(香川詫間)
▲ p から t 方向

詫間海軍水上機基地 カ p からn方向(香川詫間)
▲ p から n

詫間海軍水上機基地 カ q 掘削跡 入口側から(香川詫間)
▲ q 掘り込み
  ここから更に掘り進める予定だった様です

r  部屋
詫間海軍水上機基地 カ r 奥から(香川詫間)

s  部屋
詫間海軍水上機基地 カ s 奥から(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ s 内部床面(香川詫間)
▲ s 床面にある基礎

詫間海軍水上機基地 カ s 入口のスイッチ跡?(香川詫間)
▲ s 入口横にある何かの跡

t 壕口
詫間海軍水上機基地 カ t 壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 カ t 内部、s(右)・r(左)(香川詫間)
▲ t 内部


キ 電話室跡
停戦時、未完成だった様で、道路際に塞いだ様な痕跡が遺ります。
詫間海軍水上機基地 キ 崩落跡?(香川詫間)


ク 地下壕跡
停戦時、未完成だった様で、斜面に崩落跡が遺り、なぜかロープが張ってあります。
詫間海軍水上機基地 ク 崩落跡(香川詫間)


ケ 地下壕
10m程のコンクリート製直線壕で、内部は棚が詰め込まれています。
『表示図』では「未完成」となっていますが、明らかに完成しています。
詫間海軍水上機基地 ケ 壕口(香川詫間)
▲壕口

詫間海軍水上機基地 ケ 内部(香川詫間)
▲内部


コ 爆弾庫及信管庫跡
畑の奥に痕跡が遺りますが、落石で殆ど塞がっています。
停戦時、未完成だった様です。
詫間海軍水上機基地 コ 壕口(畑の奥、殆ど崩落)(香川詫間)


サ 爆弾庫及信管庫跡
竹林内に40cm四方の壕口跡が遺りますが、殆ど崩落しており進入できません。
停戦時、未完成だった様です。
詫間海軍水上機基地 サ 壕口(香川詫間)
▲壕口

詫間海軍水上機基地 サ 内部(香川詫間)
▲内部


シ 爆弾庫及信管庫
素掘の壕で竹林内に遺りますが全体的に状態が悪く、12mで崩落しています。
『表示図』では西側からの直線壕が記載されていますが、西側(本来の壕口)は採石場化により破壊されており、東側(切羽側:現存部分)が崩落で貫通したのかも知れません。
詫間海軍水上機基地 シ 壕口(香川詫間)
▲壕口

詫間海軍水上機基地 シ 壕口から(香川詫間)
▲内部


ス・セ 燃料庫跡
大型の“コ”型壕だった様で、停戦時は未完成でした。
ス壕口は完全に崩落しています。
詫間海軍水上機基地 ス 壕口 崩落(香川詫間)
▲崩落しているス壕口

セ壕口は僅かに開口していますが、内部は埋め戻された様で全く進めません。
詫間海軍水上機基地 セ 壕口(香川詫間)
▲壕口
  喜び勇んで入ってみると・・・

詫間海軍水上機基地 セ 内部(殆ど崩落)(香川詫間)
▲30年ぐらいの前の週刊誌が散乱しています


ソ 燃料庫跡
斜面に崩落跡が遺ります。
詫間海軍水上機基地 ソ 崩落跡(香川詫間)


タ 地下壕
8m程の素掘壕が遺ります。
用途不明で状態から掘鑿始めたばかりだった様です。
詫間海軍水上機基地 タ 壕口(香川詫間)
▲壕口

詫間海軍水上機基地 タ 内部(香川詫間)
▲内部


チ 戦時治療室
香川高専の敷地内に遺ります。
校地になる様ですが、この道路は地元の方の里道として使用されている様です。
以前は内部に入れましたが、平成25年に再訪したところ網が張られていました。
詫間海軍水上機基地 チ見取図(香川詫間)
▲内部見取図

a 壕口
壕口付近のみコンクリート巻立が施工されていますが、内部は素掘で且つかなり天井が低いです。
詫間海軍水上機基地 チ a 壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 チ a内部から壕口(香川詫間)
▲ a 壕口付近を内部から

詫間海軍水上機基地 チ bからa壕口(香川詫間)
▲ a 内部

詫間海軍水上機基地 チ c bdから(香川詫間)
▲ c 内部

e 壕口
木製扉が付いているのですがボルト位置や型がピッタリのため当時のものかも知れません。
金網で閉鎖されています。
詫間海軍水上機基地 チ e壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 チ e壕口 内部から(香川詫間)
▲ e 壕口の木製扉を内部から

詫間海軍水上機基地 チ e壕口 内部から (2)(香川詫間)
▲ e 内部から

g 壕口
木製扉跡が僅かに遺ります。
金網で閉鎖されています。
詫間海軍水上機基地 チ g壕口(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 チ g壕口 fから(香川詫間)
▲ g 内部から

f  治療室
詫間海軍水上機基地 チ f g奥からe奥方向(香川詫間)

詫間海軍水上機基地 チ f 天井の碍子(香川詫間)
▲天井に遺る碍子

詫間海軍水上機基地 チ f 天井の照明器具取付台(香川詫間)
▲同じく照明金具

詫間海軍水上機基地 チ fからd・e(左)(香川詫間)
▲ d 側の壁


ツ・テ 隧道跡
用途不明の“コ”型壕で、停戦時は完成していました。
草むらの中にあり、ツ壕口は完全に崩落、テ壕口は僅かに開口していますが殆ど崩落しています。
近くで作業されていたチャールズ・ブロンソン似の方の話では「昔は開口していた」との事です。
詫間海軍水上機基地 テ 壕口 殆ど崩落(香川詫間)
▲殆ど崩れている北側の壕口

詫間海軍水上機基地 テ 壕口 殆ど崩落 (2)(香川詫間)
▲内部


ト 燃料庫跡
大型の“⊥”型壕で擁壁工事をされていた方に聞いたところ、最近まで素掘の壕が遺ってたそうです。
初回探訪時に見ておけばよかった・・・orL


他の施設
大見送信所
詫間海軍水上機基地の設営に際し、基地は三方を山に囲まれている事から大見村下地(現、三豊市三野町大見)の畑地8,160坪を買収、内務省委託により木造兵舎1、煉瓦造送信所1、同発電機室、送受信用鉄塔3基が建設されます。

昭和20(1945)年28日、内務省を通じ大蔵省に移管されますが、11月7日、米軍により接収されたのち大蔵省に返還、昭和22(1947)年5月、大見村に貸与され村立大見中学校が設立、昭和31(1956)年4月1日、三津野中学と統合され移転、跡地は三野町の工場誘致により丸善ダンボール㈱(現、㈱丸善)が進出し現在に至ります。

遺構は何も遺されていない様です。


小銃射的場
詫間海軍航空隊の開隊に伴い粟島西浜海岸の一部を買収し開設します。
航空隊からは内火艇で往来し、砂浜に土堤を築き10名程度が並んで射撃できる程度の規模でした。
停戦後は払い下げられた様ですが、詳細は不明です。

未踏査のため遺構は不明です。


下士官営外宿舎
詫間海軍航空隊の開隊に伴い本村の畑地を買収し、4戸1棟2階建の官舎5棟を建設します。
なお、司令以下士官は隊内の宿舎で起居しました。
戦後の空撮を見ると停戦時は12棟程に増築されていた様です。

停戦後は詫間村に払い下げられ、現在は農地になっており遺構は何も遺されていない様です。


詫間海軍水上機基地 略歴
明治16(1883)年、横須賀に続き第二海軍區軍港の開設が内定、香川県三野郡詫間村香田(現、三豊市)が候補の1ツに挙がりますが、明治16(1883)年2月の測量の結果、明治17(1884)年、広島県安芸郡(現、呉市)に鎭守府設置が決定します。

昭和16(1941)年5月、軍令部は米国の大幅な軍備増強計画に対応すべく、『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み実行可能な事項を先行実施すべく『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、練習航空隊17隊の整備に着手します。

海軍航空本部は現地調査の結果、三方を低山、正面を塩飽諸島に囲まれ秘匿性が高く、正面は波穏やかな備讃瀬戸が広がる詫間村香田の明神浜一帯を新設水上機練習航空隊用地として選定し基本計画を立案、海軍施設本部に送達され詳細計画が作成され、呉鎭守府に下達、10月中旬、海軍航空本部から土木関連の職員・機材を多数有していた内務省に委託され、同省神戸土木出張所により地盤調査が開始されます。

11月下旬、片岡勝治村長、倉本治郎・東香田部落長、太田朝太郎・西香田部落長、福岡昱太郎・和田内部落長は香田、和田内在住の130戸の住民を詫間國民學校に招集し、時局の推移から航空隊設置の必要性を説明し所有地の売却を懇請、地権者側は土地の売却が国の役に立つと歓喜、万歳唱和で応じ、夫々移転を開始します(昭和17年5月7日、移転補償料1戸平均4,049円、漁業補償料3,000円が支払われ、昭和18年8月、凡そ移転完了)。

12月、内務省神戸土木出張所は詫間施設工事事務所(主要職員は海軍技師兼務)を須田東の造成した畑地に開設、呉海軍建築部指導のもと内務省の指揮で清水建設㈱(造成のみ)、㈱大林組(造成、建物施工)が地元勤労奉仕隊の協力を得て造成を開始、昭和17(1942)年2月14日、起工式が挙行され、施設建設を着工、3月、海岸の埋立に引き続き、滑走台が設営され、昭和18(1943)年5月、詫間海軍水上機基地が竣工します。

6月1日、同水上機基地において詫間海軍航空隊が開隊、佐世保空から教官、教員、整備兵、飛行練習生、飛行豫備練習生が九七式飛行艇とともに、博多空と天草空から教官、飛練生が九三水上中間練習機とともに進出、水上機実用機教程を開始します。
詫間海軍水上機基地 開隊式(香川詫間)
▲開隊式の様子

昭和19(1944)年10月1日、第八〇一海軍航空隊(横浜)大艇隊の一部が詫間に進出(八〇一空詫間派遣隊:笠松猛医大尉)、12月1日、八〇一空主力が詫間に進出し派遣隊を掌握、昭和20(1945)年1月5日、八〇一空は詫間派遣隊(飛行隊長・日辻常雄少佐)を残置し鹿屋に移駐します。
4月13日、北浦空より特攻機が集結(23日、神風特別攻撃隊「悠心隊」と命名)、25日、詫間空の特攻隊は「水心隊」と命名、悠心隊は「魁隊」に改称し、両隊で「神風特別攻撃隊 琴平飛行隊」を編成します。

4月25日、八〇一空の全大艇偵察第三〇二飛行隊が詫間空に転属、詫間空は練習航空隊指定を解除され実戦航空隊に改編、増加する兵員を収容すべく船越八幡宮、大濱楠濱、桃山、粟島馬城の山林に分散兵舎を建設します。

28日、琴平水心隊は揖宿に前進(同日、2機5名が突入散華)、5月3日、琴平飛行隊全33機が揖宿に前進します(水心隊は4日、11機24名、28日、2機5名が突入散華)。

詫間空は沖縄周辺の哨戒、及び敵艦隊に対し夜間攻撃を実施するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

23日、詫間空全将兵300名が帰還した二式飛行艇前に集合、司令・松浦義大佐より航空隊解隊の訓示の後、復員を開始、残留隊員により保安隊(徳永正利兵曹長)が編成され警備にあたります。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により詫間海軍水上機基地は内務省を通じ大蔵省に移管されます。

10月21日、米第6軍第24歩兵師団が三津浜港に入港、26日、愛媛県立図書館を接収し司令部を開設、11月7日、米第34歩兵連隊第3大隊の一部120名が詫間に進駐し、詫間海軍水上機基地、大見送信所、第十一海軍航空廠 詫間補給工場が接収されます。
米軍接収予定の二式飛行艇1機を除き航空機、補用機、部品、兵器、弾薬類は高松陸軍飛行場に集積され、11月9日、爆破焼却されます。

昭和21(1946)年5月23日、香川県の進駐軍は米軍から英連邦軍(豪第34歩兵旅団)に交替、水上機基地は保養所に転換され、海側97,211坪は大蔵省に返還、21,500坪は農林省に移管され入植者に売却、他は三井物産㈱塩業部詫間工場に貸与、(昭和22年、日新産業㈱に変更)、また建物は三井物産㈱、讃岐食糧工業、詫間町農業会、詫間町青年学校に貸与されます(随時返還され、昭和30年5月、日新産業㈱を吸収合併し設立された神島化学工業㈱詫間工場に払下げ)。

昭和23(1948)年、水上機基地の航空隊居住区が返還され、昭和24(1949)年3月、西側が詫間町、粟島村、荘内村に貸与され永康病院が開院、4月1日、東側31,503坪に大阪府より官立大阪無線電信講習所(昭和24年5月1日、国立詫間電波高等学校に改称、現、香川高等専門学校 詫間キャンパス)が移転し、昭和36(1962)年12月、永康病院の移転に伴い、全域が電波高校敷地となり現在に至ります。


所在部隊
詫間海軍航空隊
神風特別攻撃隊 琴平水心隊
昭和17(1942)年12月26日、詫間海軍航空隊設立準備委員會(古瀬貴季大佐)が開設されます(昭和18年5月20日まで)。

昭和18(1943)年6月1日、呉鎭守府所管の常設航空隊として博多海軍航空隊の要員を基幹として開隊(中島第三大佐)、練習航空隊に指定され、水上機実用機教程の教育を担当、第十二聯合航空隊(原忠一中将、練習聯合航空總隊所属)に編入されます。
装備機は九七式飛行艇、九三式水上中間練習機でした。

10月1日、司令兼副長・海東啓六大佐が着任します。

昭和19(1944)年3月10日、広島県深安郡(現、福山市)に福山分遣隊(堀正夫大佐)、15日、愛媛県周桑郡(現、西条市)に西条分遣隊(室井留雄中佐)を開隊、4月15日、熊本県天草郡(現、天草市)の博多空天草分遣隊(山下深志大佐)が移管(8月15日、再度、博多空に移管)されます。
8月7日、司令兼副長・森敬吉大佐が着任します。
10月22日、教官・江崎和夫予少尉、原田種一・米本彌両予備少尉同乗の零式水偵が飛行訓練中、操縦桿索が切断、引き起こし不能となり丸亀沖に墜落、全員殉職してしまいます。

昭和20(1945)年2月16日、練習聯合航空總隊司令官・松永貞市中将は機密第一六二二三〇番電により第十二聯合航空隊司令官・原中将に、18日以降、学生と練習生の教育を中止し、4月末日までに特攻要員(教官の半数、予備学生の最上級生から隊は50名、福山分遣隊は50名、西条分遣隊は100名)の選考、錬成実施及び概成を下令します。

3月1日、福山、西条両分遣隊はそれぞれ航空隊に改編されます。

3月1日、練習聯合航空總隊は第十航空艦隊(聯合艦隊麾下)に改編(前田稔中将、霞ヶ浦)、第十二聯合航空隊は第十航空艦隊に編入されます。
第十二聯合航空隊は第八基地航空部隊(第十航空艦隊司令長官指揮)第十二聯合航空隊に部署され、特攻要員の錬成にあたります。

17日、聯合艦隊司令部は『天一號作戰 要領』を発令、第八基地航空部隊指揮官(十航艦司令長官・前田中将)は指揮下にある作戦可能部隊のうち、鈴鹿山脈以西の航空隊を第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦隊司令長官・宇垣纒中将、鹿屋)の作戦指揮下への編入を、第一機動基地航空部隊指揮官は第八基地航空部隊から編入の戦力整理を下令します。
21日、詫間空水偵隊は第一機動基地航空部隊詫間部隊に部署され、各機種ごとに約20機を1隊として特攻隊編成、及び錬成待機を下令され、志願者より特別攻撃隊を編成します。

26日、天一號作戰が発動されます。

4月13日から北浦海軍航空隊より特攻機38機(零式水偵11、九四式水偵27)が詫間に集結(23日、北浦空司令・細谷資芳大佐により神風特別攻撃隊「悠心隊」と命名)、25日、詫間空司令・森大佐は詫間空編成の特攻隊を神風特別攻撃隊「水心隊」と命名、悠心隊は「魁隊」に改称し、両隊で「神風特別攻撃隊 琴平飛行隊」を編成します。

25日、詫間空は練習航空隊指定を解除され実戦航空隊に改編、八〇一空の大艇隊、及び八〇一空指揮下の偵察第三〇二飛行隊が詫間空に配属、第一機動基地航空部隊に編入され、一部は揖宿海軍水上機基地に前進し沖縄方面の敵艦船の夜間攻撃にあたります。
2000、偵三〇二の瑞雲3機は古仁屋海軍水上機基地(奄美大島)より発進し、沖縄周辺の敵艦船の夜間攻撃します。

28日0800、22日に発動された菊水四號作戦に呼応すべく琴平水心隊零式水偵第二小隊(4機9名)、九四式水偵第二・第五・第七小隊(12機27名)に出撃が下令され、駐機場において司令・森大佐の訓示ののち壮行式が挙行、別盃がかわされ航空隊総員の見送りを受け、0900、九四式水偵第五小隊は揖宿に前進しますが、爆弾架の寸法が合わず改造のため同第二・第七小隊は出撃が延期、1430、零式水偵第二小隊が揖宿に前進します。
詫間海軍水上機基地 4月28日、琴平水心隊 零式水偵第二小隊(安田少尉・佐藤・中野・山口少尉・小住二飛曹:井上少尉・湯上二飛曹・山田・齋藤一飛曹)(香川詫間)
▲琴平水心隊 零式水偵第二小隊 出陣壮行式
  前列左から隊長:安田少尉・佐藤・中野・山口各少尉・小住二飛曹
  後列左から井上少尉・湯上二飛曹・山田・齋藤一飛曹

詫間海軍水上機基地 4月28日、琴平水心隊 零式水偵第二小隊(安田・井上少尉・佐藤・中野・山口少尉)(香川詫間)
▲航空隊総員の見送りに笑顔で答礼する安田・井上・佐藤・中野・山口各少尉

詫間海軍水上機基地 4月28日、安田友彦少尉/井上靜夫少尉/(小住昭雄二飛曹)(香川詫間)
▲愛機に搭乗し笑顔で別れを告げる安田、井上両少尉、この右側後部座席には電信員の小住二飛曹が搭乗しています

詫間海軍水上機基地 4月28日、佐藤年正少尉/湯上和夫二飛曹(香川詫間)
▲800kg爆弾を懸吊し揖宿に向かう佐藤少尉、湯上二飛曹
  零式水偵は詫間から爆弾を懸吊、九四式水偵は揖宿で搭載しました

詫間海軍水上機基地 4月28日、安田友彦少尉/井上靜夫少尉/小住昭雄二飛曹(香川詫間)
▲4月28日、14:30、爆音高く基地を蹴る安田隊長機
  同機は翌29日2:07、沖縄周辺の敵艦船に体当りを敢行、輸送船1隻を屠ります

2130、特攻員整列が下令、2230、零式水偵第二小隊は80番1発、九四式水偵第五小隊は50番1発を懸吊し揖宿を発進しますが、零式水偵第二小隊二番、四番機は空中集合できず帰還、九四式水偵第五小隊は指揮官機の羅針儀故障のため全機帰還するなか、零式水偵一番機、二番機は29日0155「我敵戦闘機ノ追従ヲ受ク」、0157「我今ヨリ突撃ニ転ズ」、0200「我輸送船ニ体当リス」、0203「天皇陛下万歳、水心隊万歳」、0205「我今ヨリ突撃ニ転ズ」ののち長符(電鍵を押したまま突入し体当りと同時に消滅)を発信、0207、突入、輸送船2隻を撃沈します。
琴平水心隊
零式水偵第二小隊一番機

操縦:安田友彦少尉(指揮官)/偵察:井上靜夫少尉/電信:小住昭雄二飛曹(電信員は指揮官機のみ)
同二番機
佐藤年正少尉/湯上和夫二飛曹

28日、瑞雲3機は揖宿より発進し、沖縄周辺の敵艦船の夜間攻撃します。

29日、0445、九四式水偵第二小隊、0500、同第七小隊は揖宿に前進、1700、特攻員整列が下令、1800、50番1発を懸吊し揖宿を発進しますが、第二小隊一番機は離水直後に失速し墜落、偵察員・川上博行少尉が散華してしまったため、二・三・四番機は帰還、第五小隊も一番機が離水できず全機出撃中止になり、詫間に帰還します。

5月3日、菊水五號作戦が発動され、1430、琴平水心隊零式水偵第二小隊(2機4名)、九四式水偵第五・第七・第八小隊(12機27名)、及び琴平魁隊に出撃が下令され壮行式が挙行、別盃がかわされ航空隊総員の見送りを受け、1500、揖宿に前進します。
詫間海軍水上機基地 5月3日、九四式水偵第七小隊一番機・第八小隊一番機と魁隊)(香川詫間)
▲北浦空の琴平魁隊とともに壮行会に挑む九四式水偵第第七小隊・第八小隊

詫間海軍水上機基地 5月3日、橋本清水少尉/齋藤友治少尉(香川詫間)
▲3日15:00、発進前に見送りに笑顔で応える橋本少尉、齋藤両少尉
  両名は翌9:30頃、僚機とともに沖縄周辺の敵艦船に突入します

4日、0340、特攻員整列が下令、0500・0547、九四式水偵は50番1発を懸吊し、0605、零式水偵は80番1発を懸吊し揖宿を発進しますが、九四式水偵第五小隊一番機、零式水偵第二小隊三番機は故障のため古仁屋に不時着、九四式水偵第五小隊三番機も故障のため帰還するなか、九四式水偵第第七小隊、同第五小隊の二番・四番機は0827、「我今ヨリ突撃ニ転ズ。視界内味方特攻機六機」「天皇陛下万歳、水心隊万歳」「我敵戦闘機ノ追従ヲ受ク」、0832、「我戦艦ニ体当リス」ののち長符を発信、0833、突入し任務を完遂します。

0850、九四式水偵第第八小隊は「戦場到達予定時刻一〇二〇」、0915、「我突撃ニ転ズ」、0917、「攻撃目標発見」、その後混信のため不明瞭な電文を残し、0927、突入し任務を完遂します。
琴平水心隊
零式水偵第二小隊四番機

山口平少尉/細田眞仁少尉

九四式水偵第五小隊二番機
矢野幾衞少尉/新山英夫一飛曹
同四番機
関口剛史二飛曹/中谷榮一少尉

同第七小隊一番機
笹尾愛上飛曹/四方正則少尉/轟彗一飛曹
同二番機
野村龍三二飛曹/別所啓市少尉
同三番機
林眞喜三少候/徳田昭夫一飛曹
同四番機
宇野茂二飛曹/中尾武徳少尉

同第八小隊一番機
碓本守少尉/田中敬治少尉/高橋淳一二飛曹
同二番機
山口久明少尉/齋藤裕一飛曹
同三番機
橋本清水少尉/齋藤友治少尉
同四番機
勝又徳二飛曹/矢野弘一少尉

3日、瑞雲2機は揖宿より発進し、沖縄周辺の敵艦船の夜間攻撃します。
5日、司令兼副長・細谷資芳大佐が北浦空司令から着任しますが、8日、琴平魁隊の戦果報告のため飛行艇で上京する際、米艦載機の襲撃を受け機上にて散華してしまいます。

5月10日1330、琴平魁隊とともに、琴平水心隊零式水偵第二小隊三番機(中野宗道少尉/山田清一飛曹)は特攻員整列ののち揖宿に前進、11日、菊水六號作戦が発動され、0430、三番機は80番1発を懸吊し揖宿を発進しますが、故障のため古仁屋に不時着、16日、詫間に帰還します。

12日、海軍總隊司令部はGB電令作第二十四號により第一機動基地航空部隊(五航艦)、第七基地航空部隊(三航艦)で聯合基地航空部隊を編成(第一機動基地航空部隊指揮官・宇垣纏中将指揮)、天航空部隊と呼称します。

13日、瑞雲2機、15日、瑞雲3機が米軍侵攻下にある沖縄に対し挺身連絡に向かいますが、波が高く着水不能のため失敗してしまいます。

15日、司令・松浦義大佐が着任します。

17日0130、零式観測機1、瑞雲2機が古仁屋から沖縄に挺身連絡に向かいますが失敗してしまいます。
25日、零式水偵1機が沖縄に挺身連絡に向かいますが連絡が取れず失敗してしまいます。

27日1600、琴平水心隊ロ1、ロ2小隊(九四式水偵5機12名)に出撃が下令され壮行式が挙行、別盃がかわされ航空隊総員の見送りを受け、1800、揖宿に前進、28日0130、50番1発を懸吊し揖宿を発進しますが、ロ2小隊・詫間-〇五機は燃料過載のため離水できず発進中止、同・詫間-二四機、同詫間-二六機も燃料過載のため離水が遅れ戦場到達時間が夜明後になる事から発光信号「カレ」(帰還せよ)を受け帰還するなか、ロ1小隊・詫間-〇二機は0435「戦場到達」、0450「名護湾到達」、0457、「伊江島上空敵戦闘機ヲ見ズ」、0505、「敵戦闘機ノ追従ヲ受ク」、0507、「攻撃目標発見」、0508、「我今ヨリ攻撃ニ転ズ。戦艦ニ体当リス天皇陛下万歳、水心隊万歳、戦艦ニ体当リス」ののち長符を発信、0510、火力支援艦アイアンサイドに突入し撃破します。
0445に岩坂機と分離した詫間-一三機も敵艦(艦種不詳)に突入し撃破します。

琴平水心隊 ロ1小隊
九四式水偵・詫間-〇二機

岩坂英夫上飛曹/櫻井武少尉/小林護二飛曹
同詫間-一三機
原光三二飛曹/重信隆丸少尉

6月10日、詫間空は決號作戰(本土決戦)に備え戦力温存、伏勢準備を下令されます。
25日、二式飛行艇2機は夜間哨戒に出撃します。

7月1日、偵三〇二は第六三四海軍航空隊に転属します。
4日、二式飛行艇2機は夜間哨戒に出撃します。
7日、詫間空保有の二式飛行艇3機は天航空部隊偵察隊詫間部隊に部署され夜間哨戒にあたり、二式飛行艇1機が夜間哨戒に出撃します。
10日、二式飛行艇1機、11日、1機は夜間哨戒に出撃します。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えますが、17日、「米機動部隊が本土上陸を企図し土佐湾沖を航行中」の報を受け、全機爆装し出撃準備を完了、待命しますが、誤報と判明し出撃中止が下令されます(土佐湾沖海戦)。

22日、隠岐の島に退避中の二式飛行艇2機が詫間に向かいますが、1機は燃料欠乏のため宍道湖にて自沈処分されます。

23日、詫間空全将兵300名が帰還した二式飛行艇前に集合、司令・松浦義大佐より航空隊解隊の訓示の後、逐次復員を開始します。

9月下旬、飛行長・日辻常雄少佐は米軍より詫間空所在の二式飛行艇1機を接収のため整備するよう命じれたため3機中、状態の良い詫間三十一號機を残務整理中の第十一海軍航空廠 詫間補給工場の整備員の協力により整備します。
11月10日、米軍シルバー中尉以下7名、海航本・深水中佐がPBY飛行艇で来着し、11日、三十一號機は接収され日辻少佐の操縦で横浜に空輸されます(同機は昭和53年10月、我が国への返還が議決され、昭和54年7月13日、祖国に帰還、船の科学館(東京)に展示された後、平成16年4月24日、海上自衛隊・鹿屋基地に移設)。
詫間海軍水上機基地 二式飛行艇(香川詫間)
▲海自・鹿屋航空基地に展示されている詫間三十一號機


偵察第三〇二飛行隊
昭和19(1944)年12月15日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊(定数水偵24、うち補用6、機種:瑞雲)として編成(伊藤敦夫少佐)、第八〇一海軍航空隊に編入されます。
第八〇一空は第七基地航空部隊長官直率部隊(第三航空艦隊司令長官直率)に部署され、兵力の整備にあたります。

昭和20(1945)年1月1日、八〇一空は海上護衛司令長官の作戦指揮下に編入され、本土沿岸の船団護衛、対潜哨戒にあたります。偵三〇二の戦力は瑞雲8、うち攻撃即応は6機でした。
2月10日、八〇一空は新編された第五航空艦隊(聯合艦隊所属)に編入、第一機動基地航空部隊(五航艦司令長官指揮)に部署され、偵三〇二は詫間に進出します。
3月17日、天一號作戦要領が発令され、4月4日から5日、6日、12日、15日、21日と瑞雲3ないし4機で揖宿を経由し沖縄方面の敵艦船に対し夜間攻撃を実施、4月5日、宮本常雄予少尉が散華してしまいます。

25日、偵三〇二は詫間海軍航空隊に転属、引き続き同日、26日から29日、5月2日から4日、10日、瑞雲」1から7機により沖縄方面の敵艦船、敵制圧下の沖縄本島飛行場に対し夜間攻撃を実施、4月27日、八十島秋雄予中尉が散華してしまいます。

13日、瑞雲2機、15日、瑞雲3機が米軍侵攻下にある沖縄に対し挺身連絡に向かいますが、波が高く着水不能のため失敗してしまい、13日、梅林隆雄予少尉が散華してしまいます。
20日、22日から25日、27日、6月1日、3日、6日から10日、15日、19日、21日、22日、25日から27日と連日、瑞雲1から8機により沖縄方面の敵艦船に対し夜間攻撃、索敵攻撃にあたりますが、敵機の来襲もあり服部修三、大谷一雄両予少尉(5月25日)、藁科保大尉、福原春重、落合實両予少尉(5月27日)、杉浦精一予中尉(6月3日)、盛嘉夫予中尉(6月9日)、新井一郎予中尉(6月19日)が散華してしまいます。

29日、戦力温存が下令され、以降は出撃を控えます。

7月1日、偵三〇二は第六三四海軍航空隊(五航艦所属)に転属し、7日、松島海軍航空基地(宮崎)に前進、天航空部隊夜間攻撃隊六三四部隊に部署され、天一號作戰に従事します。
26日、済州島付近の偵察にあたります。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第八〇一海軍航空隊(旧横濱海軍航空隊)
※『横濱海軍水上機基地』の記事で執筆予定です。


主要参考文献
『詫間海軍航空隊物語』 (平成9年7月 詫間海軍航空隊記録編集委員会 詫間町立民族資料館)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (二)』 (平成21年4月 渡辺博史 楽學庵)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 (四)』 (平成21年6月 渡辺博史 楽學庵)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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