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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第十一海軍航空廠 詫間補給工場

香川県三豊市に所在した詫間海軍水上機基地(詫間海軍航空隊)の東1.8kmに第十一海軍航空廠 詫間補給工場がありました。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌa壕口から(香川詫間)
▲塩生(はぶ)山麓に遺る地下工場

【探索日時】
平成20年4月19日、平成25年3月28日





第十一海軍航空廠 詫間補給工場 概要
昭和16(1941)年5月、軍令部は『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、先行して実行可能な練習航空隊17隊の整備に着手します。

海軍航空本部は詫間村香田の明神浜一帯に詫間海軍水上機基地の設営を決定、10月中旬、設営を委託された内務省神戸土木出張所により地盤調査が開始されます。
11月下旬、新浜地区12,427坪の用地買収が行われ、該当用地の16戸が夫々移転を開始します(昭和17年5月7日、移転補償料1戸平均4,049円、漁業補償料3,000円支払い)。

12月、呉海軍建築部指導のもと内務省神戸土木出張所の指揮で清水建設㈱(造成のみ)、㈱大林組(造成、建物施工)が地元勤労奉仕隊の協力を得て造成を開始、海岸の埋立に引き続き事務所1、木造3階建整備工場、啓正式格納庫1、木造倉庫3、滑走台が完成、昭和18(1943)年6月1日、詫間海軍航空隊の開隊とともに呉海軍軍需部 詫間支庫が開設します。
同支庫は詫間海軍航空隊の水上練習機、同練習偵察機、同練習飛行艇、機械類、糧食、衣糧等の補給、及び第十一海軍航空廠で修理の航空機の保管を実施しました。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 第十一海軍航空廠 詫間補給工場(香川詫間)
▲呉海軍軍需部 詫間支庫

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 詫間工場跡(詫間中学校)(香川詫間)
▲現在の跡地

昭和19(1944)年9月中旬、人員の増強が図られ、20日、第八〇一海軍航空隊大艇隊の一部が詫間に進出、支援能力の向上を図るべく第十一海軍航空廠 詫間補給工場に改編、四国所在の海軍航空基地に配備された陸上機、水上機の造修にあたるなか、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、詫間補給工場は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、11月7日、詫間に進駐して来た米第34歩兵連隊第3大隊の一部により詫間海軍水上機基地、とともに接収され、9月下旬、米軍接収予定の二式飛行艇(詫間三十一號機)を整備します。

昭和21(1946)年5月23日、香川県の進駐軍は米軍から英連邦軍(豪第34歩兵旅団)に交替、詫間補給工場は大蔵省に返還され9,150坪を詫間町に貸与、昭和22(1947)年5月3日、町立詫間中学校が開校します。
その後、中学校使用地、周辺国有地とも随時払い下げられ現在に至ります。


詫間海軍水上機基地 詫間施設配置(香川詫間)
▲詫間周辺の海軍施設配置を現在の地図に転写
① 詫間海軍水上機基地・詫間海軍航空隊
② 第十一海軍航空廠 詫間補給工場
③ 塩生防空砲台
④ 天神山防空砲台
⑤ 八幡山防空砲台
⑥ 仁尾照空砲台
※緑文字が当記事紹介施設


遺構について
② 第十一海軍航空廠 詫間補給工場
昭和23(1948)年から始まった詫間中学の校舎新築に伴い海軍時代の建物は随時破壊されてしまい、現在は民有地の境界として滑走台の痕跡、塩生(はぶ)山麓に地下工場の一部が遺っています。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 詫間空(香川詫間)
▲遺構配置

G 滑走台石組
民家境界の側溝に転用され遺ります。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 G 滑走台間知石 北西から(香川詫間)
▲塀の下に遺る石組

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 G 滑走台間知石 北東から(香川詫間)
▲別の位置


H 滑走台石組
こちらも民家境界として遺ります。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 H 滑走台間知石 南西から(香川詫間)

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 G・H滑走台 中央付近 南北(香川詫間)
▲滑走台の現状
  コンクリート舗装ですが戦後の物と思われます


地下工場
時期は不明ですが、塩生山西側麓に設営され、近隣で畑仕事をされていた御老人によると地下壕は3本あったそうです。
また、戦後も内部に水上機の浮舟が遺されており、引き出して船にして釣りに行こうとしたものの巧く行かなかったとの事でした。
現在、2本は完全に崩落していますが、1本はほぼ完存しています。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 疎開工場全景(香川詫間)
▲地下工場跡全景

ナ 地下壕跡
畑を抜けた塩生山の斜面に痕跡が遺ります。
残念ながら崩落しています。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ナ 崩落跡(香川詫間)

ニ 地下壕跡
同じく崩落しています。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ニ 崩落跡 (2)(香川詫間)

ヌ 地下壕
畑を抜けた塩生山の斜面に遺ります。
壕口は殆ど崩落しているうえ、砂のため滑り、出るのに苦労しました。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ見取図(香川詫間)
▲現存部の見取図

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ 疎開工場 壕口(香川詫間)
▲壕口付近

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ 疎開工場 壕口 (2)(香川詫間)
▲壕口

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ 壕口 内部から(香川詫間)
▲内部から壕口

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌa壕口から(香川詫間)
▲壕口から内部
  支保工の残骸が転がります

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ 崩落部から奥(香川詫間)
▲壕口から10m程で崩落しています

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌb aから(香川詫間)
▲ b 横坑
  ハクビシンが凄しています

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌc aから(香川詫間)
▲ c 横坑は“ニ”に繋がっていた様ですが崩落しています

第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ヌ 最深部(香川詫間)
▲ヌ切羽


ネ 貯水槽
コンプレッサーの冷却水槽と思われます。
第十一海軍航空廠 詫間補給工場 ネ 水槽 南から(香川詫間)

※山、畑の所有者の許可を得て探索しています。


主要参考文献
『詫間海軍航空隊物語』 (平成9年7月 詫間海軍航空隊記録編集委員会 詫間町立民族資料館)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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