詫間海軍水上機基地 塩生防空砲台
香川県三豊市に所在した第十一海軍航空廠 詫間補給工場の地下工場があった塩生(はぶ)山に塩生防空砲台がありました。

▲山林に遺る高角砲座
【探索日時】
平成25年3月28日

<詫間海軍水上機基地 塩生防空砲台 概要>
昭和16(1941)年5月、軍令部は『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、先行して実行可能な練習航空隊17隊の整備に着手します。
10月中旬、海軍航空本部は内務省神戸土木出張所に委託、詫間村香田の明神浜一帯に詫間海軍水上機基地の設営のため地質調査を開始、11月下旬、用地買収ののち、12月、呉海軍建築部指導のもと内務省神戸土木出張所の指揮で造成を開始、昭和18(1943)年5月、水上機基地が竣工し、6月1日、詫間海軍航空隊が開隊します。
昭和20(1945)年5月頃、塩生(はぶ)山に塩生防空砲台が竣工します。
8月16日、停戦に伴い、11月7日、詫間に進駐して来た米軍により接収され、高角砲は爆破処分された後、用地は借地だった様で地権者に返還され農地に転用されます。

▲詫間周辺の海軍施設配置を現在の地図に転写
① 詫間海軍水上機基地・詫間海軍航空隊
② 第十一海軍航空廠 詫間補給工場
③ 塩生防空砲台
④ 天神山防空砲台
⑤ 八幡山防空砲台
⑥ 仁尾照空砲台
※緑文字が当記事紹介施設
<遺構について>
③ 塩生防空砲台
同砲台は北側の頂上外周に十二糎単装高角砲4、高射器1が、南側山頂に十三粍単装機銃2、測距儀1(他に内火艇発電機1、信管調停機4など)が配備されていました。
現在、北側の高角砲台は山林化、南側の機上砲台は遊歩道が整備され展望台になっています。

▲塩生防空砲台防空 配置図
防空高角砲台
山全体が灌木で覆われ荒れており探索は非常に困難です。
塩生山登山道を登り、右側に畑に上がる階段のある場所の反対側の繁み(ビニール袋を巻いておきました)に入り、しばらく進むとAに到達します。

▲ここから入ります
A 砲座
4基遺る砲座の内、唯一コンクリート製の砲郭や砲側弾薬庫がほぼ完存しています。

▲A砲座詳細

▲寸法

▲全景

▲ア砲側弾薬庫

▲イ砲側弾薬庫

▲ウ砲側弾薬庫

▲砲郭先端エ・オは斜めに削られてます(エから砲座)

▲オの裏側
砲側弾薬置場の側面が露出しています
B 砲座
A・Cと細い通路で連結していた様ですが、山が荒れており通過できません。
B砲座は削平地が遺る(戦後の畑化の際に砲郭は破壊?)だけですが、よく見ると砲側弾薬置場らしい掘り込みとコンクリート塊、破片が散見されます。

▲全景

▲南側斜面の掘り込み
何と無く掘り込みが遺ります

▲東側斜面の掘り込み
コンクリート基礎

▲北側斜面の掘り込み
C 砲座
灌木、雑草が酷く殆ど探索できません。

▲内部
D 砲座
同じく灌木、雑草が酷く殆ど探索できません。

E 指揮所
山頂部の東端にあります。
総コンクリート造で雑草に埋もれていましたが、小一時間かけて掃除しました。

▲詳細

▲寸法

▲カ円形部 南から

▲カ円形部 北から

▲カ → キの通路

▲キ円形部

▲キ → コの通路

▲ケ出入口(右)とク箱部(右)

▲ク箱部
内部には板材が残ります

▲コ円形部

▲コ内側の配線穴

▲サ出入口
F 防空機銃砲台
砲台までは遊歩道が続き、砲台は整備され展望台になっています。
かなり埋まっていますが、花壇?に転用され辛うじて痕跡が遺ります。

▲
配置

▲寸法
タ 銃座

チ 方形窪地

ト 銃座

ツ・テ窪地の写真がどっかいってしもうた・・・(゜Д゜;)
<主要参考文献>
『詫間海軍航空隊物語』 (平成9年7月 詫間海軍航空隊記録編集委員会 詫間町立民族資料館)
『詫間海軍航空隊 施設目録』 (昭和20年8月 詫間海軍航空隊)
『同 兵器目録』 (昭和20年8月 詫間海軍航空隊)
-個人サイト-
高射砲陣地と防空砲台(Anti Aircraft Battery)
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▲山林に遺る高角砲座
【探索日時】
平成25年3月28日


<詫間海軍水上機基地 塩生防空砲台 概要>
昭和16(1941)年5月、軍令部は『第五次海軍軍備充實計畫』(通称「マル五計畫」)を策定、対米関係の悪化に鑑み『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、先行して実行可能な練習航空隊17隊の整備に着手します。
10月中旬、海軍航空本部は内務省神戸土木出張所に委託、詫間村香田の明神浜一帯に詫間海軍水上機基地の設営のため地質調査を開始、11月下旬、用地買収ののち、12月、呉海軍建築部指導のもと内務省神戸土木出張所の指揮で造成を開始、昭和18(1943)年5月、水上機基地が竣工し、6月1日、詫間海軍航空隊が開隊します。
昭和20(1945)年5月頃、塩生(はぶ)山に塩生防空砲台が竣工します。
8月16日、停戦に伴い、11月7日、詫間に進駐して来た米軍により接収され、高角砲は爆破処分された後、用地は借地だった様で地権者に返還され農地に転用されます。

▲詫間周辺の海軍施設配置を現在の地図に転写
① 詫間海軍水上機基地・詫間海軍航空隊
② 第十一海軍航空廠 詫間補給工場
③ 塩生防空砲台
④ 天神山防空砲台
⑤ 八幡山防空砲台
⑥ 仁尾照空砲台
※緑文字が当記事紹介施設
<遺構について>
③ 塩生防空砲台
同砲台は北側の頂上外周に十二糎単装高角砲4、高射器1が、南側山頂に十三粍単装機銃2、測距儀1(他に内火艇発電機1、信管調停機4など)が配備されていました。
現在、北側の高角砲台は山林化、南側の機上砲台は遊歩道が整備され展望台になっています。

▲塩生防空砲台防空 配置図
防空高角砲台
山全体が灌木で覆われ荒れており探索は非常に困難です。
塩生山登山道を登り、右側に畑に上がる階段のある場所の反対側の繁み(ビニール袋を巻いておきました)に入り、しばらく進むとAに到達します。

▲ここから入ります
A 砲座
4基遺る砲座の内、唯一コンクリート製の砲郭や砲側弾薬庫がほぼ完存しています。

▲A砲座詳細

▲寸法

▲全景

▲ア砲側弾薬庫

▲イ砲側弾薬庫

▲ウ砲側弾薬庫

▲砲郭先端エ・オは斜めに削られてます(エから砲座)

▲オの裏側
砲側弾薬置場の側面が露出しています
B 砲座
A・Cと細い通路で連結していた様ですが、山が荒れており通過できません。
B砲座は削平地が遺る(戦後の畑化の際に砲郭は破壊?)だけですが、よく見ると砲側弾薬置場らしい掘り込みとコンクリート塊、破片が散見されます。

▲全景

▲南側斜面の掘り込み
何と無く掘り込みが遺ります

▲東側斜面の掘り込み
コンクリート基礎

▲北側斜面の掘り込み
C 砲座
灌木、雑草が酷く殆ど探索できません。

▲内部
D 砲座
同じく灌木、雑草が酷く殆ど探索できません。

E 指揮所
山頂部の東端にあります。
総コンクリート造で雑草に埋もれていましたが、小一時間かけて掃除しました。

▲詳細

▲寸法

▲カ円形部 南から

▲カ円形部 北から

▲カ → キの通路

▲キ円形部

▲キ → コの通路

▲ケ出入口(右)とク箱部(右)

▲ク箱部
内部には板材が残ります

▲コ円形部

▲コ内側の配線穴

▲サ出入口
F 防空機銃砲台
砲台までは遊歩道が続き、砲台は整備され展望台になっています。
かなり埋まっていますが、花壇?に転用され辛うじて痕跡が遺ります。

▲
配置

▲寸法
タ 銃座

チ 方形窪地

ト 銃座

ツ・テ窪地の写真がどっかいってしもうた・・・(゜Д゜;)
<主要参考文献>
『詫間海軍航空隊物語』 (平成9年7月 詫間海軍航空隊記録編集委員会 詫間町立民族資料館)
『詫間海軍航空隊 施設目録』 (昭和20年8月 詫間海軍航空隊)
『同 兵器目録』 (昭和20年8月 詫間海軍航空隊)
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