当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

神鋼兵器工業㈱ 伯耆工場

風情漂う白壁土蔵群が有名な鳥取県倉吉市上井(あげい)に所在する神鋼機器工業㈱は神鋼兵器工業㈱ 伯耆工場の後身になります。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 D 北東から (2)(鳥取倉吉)
▲神鋼兵器工業㈱ 伯耆工場の第一工場

【探索日時】
平成25年7月16日





神鋼兵器工業㈱ 上井工場 概略
明治6(1873)年、片倉市助が長野県諏訪郡川岸村(現、岡谷市)の自邸の小屋において10人取の座繰製糸を開始し、片倉光治が管理します。
明治7(1874)年8月8日、片倉光治は分家し、自宅に座繰製糸場を移転、明治11(1878)年6月5日、片倉兼太郎(市助長男)は片倉光治とともに長野県諏訪郡川岸村に32人繰の洋式機械製糸を導入し垣外製糸場を設立、明治28(1895)年、片倉兼太郎は片倉組を設立します。
大正6(1917)年3月、鳥取県東伯郡日下村(現、倉吉市)に上井製絲所を新設、大正9(1920)年3月23日、片倉組を継承し片倉製絲紡績㈱が創立します。

昭和16(1941)年2月20日、片倉製絲紡績㈱は『蠶絲業統制法』の施行(3月12日)を前に経営合理化のため18ヶ所の工場閉鎖を計画、昭和18(1943)年7月、㈱神戸製鋼所が閉鎖された上井製絲所を買収、㈱神戸製鋼所 上井工場を設立、陸軍の薬莢生産を行っていた門司工場よりア式(一体式)鉄薬莢生産設備を移設し操業を開始します。
材料の鉄鋼板は川崎重工業㈱より納入され上井工場で整形、明石工場(兵庫:砲弾弾体製造)で製造された弾体とともに大阪陸軍造兵廠枚方製造所に輸送され、組み立てられました。

昭和19(1944)年2月、上井工場は明石工場、大垣工場とともに分離独立し神鋼兵器工業㈱を設立、同社伯耆工場となります。
5月、需要の増大に対応すべく閉鎖されていた敷島紡績㈱倉吉工場を買収し倉吉工場の建設を開始、鉄薬莢生産を続けるなか、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、無傷で停戦を迎えました。

停戦に伴い神鋼兵器工業㈱は全従業員を全員解雇し、復帰希望者を募り再雇用し残務整理を実施、昭和21(1946)年4月、伯耆工場は大垣工場とともに振興工業㈱と改称し炭鉱用機器(金属製支保工)の製造を開始しますが、資材払底、資金不足から明石、倉吉両工場を閉鎖します。
昭和25(1950)年1月25日、大垣工場と分離し伯耆振興工業㈱に改称、炭鉱機器需要の減少に伴いダンプカーの生産に転換、昭和28(1953)年頃からプロパンガスの使用が開始されたのに伴い、昭和29(1954)年12月、LPガス容器の製造を開始、昭和36(1931)年3月、神鋼機器工業㈱に改称、平成17(2005)年1月、競合メーカーJFEガスシリンダー㈱と事業統合し、神鋼JFE機器工業㈱と改称、平成22(2010)年4月、JFEとの合弁解消に伴い、神鋼機器工業㈱に復称し現在に至ります。


遺構について
神鋼兵器工業㈱ 伯耆工場
神鋼兵器工業㈱ 伯耆工場の後身にあたる神鋼機器工業㈱の敷地内に当時の建物数棟が遺ります。
急遽探索を決めたため交渉していないので、敷地内から見学できるか不明です。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 神鋼兵器上井工場(NI-53-25-4 2398・27112)(鳥取倉吉)
▲神鋼兵器工業㈱ 上井工場の敷地と遺構配置

A 第三号、第四号倉庫
外周からは殆ど見えません。
後日探訪した知人によると、既に破壊されてしまった様です。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 A 西から(鳥取倉吉)


B 鍛造工場
裏門から見えます。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 B 南から(鳥取倉吉)
▲手前側は壁が鋼板に替えられていますが、奥は当時の木造のままです


C 機械工作工場
外周道路に面しており、容易に見る事ができます。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 C 南から (5)(鳥取倉吉)
▲外周道路(南側)から
  3棟が連結していますが、手前と奥のでは規模が異なります

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 C 南から(鳥取倉吉)
▲奥側の大型建物

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 C 北東から(鳥取倉吉)
▲奥側の大型建物を北側から
  外壁は木造で当時のままと思われます

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 C 西から(鳥取倉吉)
▲裏門から見た南端の建物


D 第一工場
最大の建物で外周から見えます。
当時は上記Cに接する程の長さがありましたが、現在南側は切断され建て替えられています。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 D 北東から (2)(鳥取倉吉)
▲外周道路(北東側)から

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 D 北東から (4)(鳥取倉吉)
▲近影

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 D 北東から(鳥取倉吉)
▲壁面は木造のままです

神鋼兵器工業㈱ 上井工場 D 北東から (3)(鳥取倉吉)
▲北側の壁面は波板に替えられています


E 変電所
小型の建物で外周から辛うじて見えます。
神鋼兵器工業㈱ 上井工場 E 北東から(鳥取倉吉)
▲かなり改装されていますが、小屋根の乗る構造に当時の面影が遺ります


㈱神戸製鋼所 略史
明治38(1905)年9月1日、鈴木商店が小林製鋼所を買収、神戸製鋼所(支配人:田宮嘉右衛門)と改称し鋳鍛鋼の製造を開始します。
明治44(1911)年6月28日、鈴木商店から独立し㈱神戸製鋼所(神戸)が発足します。

大正3(1914)年、空気圧縮機の国産第一号機の開発を開始、大正5(1916)年8月、鉄鋼圧延を開始、大正6(1917)年7月、門司工場を新設しマグネシウム合金鋳物製造を開始、12月、銅管・棒の生産を開始します。
大正9(1920)年2月、海岸工場(神戸、昭和8年4月、西海岸工場に改称)を新設、大正10(1921)年2月、帝国汽船より鳥羽工場、播磨造船所を移管され、大正15(1926)年4月、我が国初のセメントプラントを建設します。

昭和5(1930)年9月、国産第一号の電気ショベルを製造、昭和8(1933)年4月、東海岸工場を新設、昭和11(1936)年3月18日、㈱滿洲鋳鋼所、6月10日、高知電氣工業㈱(フェロマンガン生産)を設立します。

※神戸工場(本社工場)は山手・東・西海岸工場から成ります。

昭和12(1937)年2月、名古屋工場が竣工、陸軍機用マグネシウム合金鋳造品の生産を開始、7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が発生、8月13日、『製鉄事業法』、9月10日、『輸出入品等臨時措置法』、『臨時資金調整法』、『軍需工業動員法ノ適用ニ関スル法律』が公布され戦時体制に入るとともに、9月25日に公布された『工場事業場管理令』に基づき、昭和13(1938)年1月、㈱神戸製鋼所は陸海軍管理工場に指定されます。

昭和13(1938)年5月、㈱神戸製鋼所の寄付により(財)興國工業研究所(深江)が設立され軽合金、希有金属の研究を開始(昭和18年、オートジャイロ2機を試作)します。

昭和14(1939)年1月、兵器部を設置、各工場ごとに製品系列を明確化し軍の需用に対応すべく整備拡張を開始、7月、陸海軍機用の軽合金需要に対応すべく長府工場(下関)を新設(陸海軍専管工場)を新設、11月、北朝鮮新義州に朝鮮神鋼金属工業㈱を着工(アルミ精錬、昭和17年操業)します。

昭和16(1941)年3月、山田工場(宇治山田)を設立し、海軍機用電気機器の製作を開始します。

昭和17(1942)年3月、東海岸工場の工具工場を増強すべく大久保工場(明石)を設立します。

昭和18(1943)年1月、有限責任兵庫縣北部乾繭販売利用組合の遊休化した製糸工場を借り受け、神戸工場日高分工場(城崎)を設立、海軍艦艇用の溶接棒製造を開始します。

3月、長府工場の設備能力を巡り陸海軍の対立が顕在化したため、同工場東側隣接地に海軍専管の第一神鋼金属工業㈱下關工場を設立、昭和19(1944)年4月、陸軍専管の中津工場を設立、3月、下關工場の生産増強のため王子製紙㈱の遊休施設を借り受け小倉工場を設立、3月、日本鐵線鋼索㈱を合併し尼崎工場(線材加工の研究)を設立、4月、馬来にイポー工場(鋳鍛鋼)を設立します。

昭和18(1943)年5月、本社工場では主に海軍用機関(ディーゼル、発動艇用小型内燃機)を製造していましたが、陸軍の要求増大(戦車、大発動艇、オートジャイロ、潜航艇用発動機製造)に伴い陸海軍間の調整が困難になった事から、『蠶絲業統制法』(昭和16年3月12日、施行)により閉鎖した帝國人造絹糸㈱大垣工場を買収し、陸軍専管の大垣工場を設立、第五機械工場より陸軍機関関連の製造設備を移設します。

7月、『蠶絲業統制法』により閉鎖された片倉製絲紡績㈱上井製絲所を買収、上井工場を設立、陸軍の中口径黄銅薬莢、ア式(一体式)・ラ式(組立式)十糎鉄薬莢を生産していた門司工場よりア式鉄薬莢生産設備を移設し操業を開始します。

10月、『蠶絲業統制法』により閉鎖された富田敷布工場を借り受け鳥羽工場(直流変圧器製造)の分工場として主に電気部門(山田・松坂工場)の製缶作業、及び直流変圧器の付属品製造を開始します。
10月、東海岸工場の第八機械工場から弾丸工場、第二機械工場の化学機械生産設備を大久保工場に移設(第八機械工場は航空機用シリンダー工場に転換、第二機械工場は第一機械工場に統合され潜水艦機関製造に転換)します。
10月、東京研究所(日野町)を開設、電機部門の総合研究、試作(航空機用発電機、電気製品の修理、改良、試作)を開始します。

昭和19(1944)年1月17日、『軍需會社法』の施行に伴い、㈱神戸製鋼所は軍需会社に指定され、田宮嘉右衛門社長は生産責任者に任命されます。

1月、赤穂工場を設立、陸軍機用薄肉鋳鋼品の製造を開始、敷波織物合資會社の遊休設備を借り受け、尼崎工場能登分工場を設立、2月、上井工場は大久保工場、大垣工場とともに分離独立し、子会社・神鋼兵器工業㈱を設立します。

4月、松坂工場を設立し、陸海軍航空機用電装品、発火装置の製作を開始、昭和18年1月に艦政本部から要求された大型鋳鋼品、内火艇機関増産に応えるべく玉島工場(岡山)を設立します。

3月17日0058、0450、B29爆撃機延べ307機が神戸市に来襲、神戸西海岸工場の線材工場が焼失、5月11日0700、B29爆撃機60機が阪神地区に来襲、㈱神戸製鋼所青年學校(深江)、くろがね寮が焼失、6月5日、7月24日、8月5日と相次いだ空襲により神戸山手、西、東海岸工場は甚大な被害を受け操業を停止、操業可能な各工場(無傷は門司、長府、鳥羽のみ)で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し停戦を迎えました。

停戦に伴い㈱神戸製鋼所は全従業員を解雇、復帰希望者を募り再雇用(神戸工場2,200、全体で9,200名)し残務整理を実施、『兵器等製造事業特別助成法』により借り受けた中津、小倉、下関、赤穂工場、及び産業設備営団から賃借した玉島工場を返却、海外事業所、呉、佐世保、舞鶴、横須賀、光、福岡各出張所を閉鎖、神戸、尼崎、能登、日高、門司、長府、名古屋、大久保、鳥羽、山田、松阪、東京、高知各工場の存続を決定します。

9月1日、神戸商工会議所ビルから本社機能が神戸に復帰(昭和17年、神戸市京町のクレセントビルに疎開、空襲焼失により商工会議所に疎開していた)、17月、田宮社長の辞任に伴い淺田長平・専務取締役が新社長に就任、造機部門を縮小し、消耗品の生産、民需転換を図り、我が国随一の鉄鋼生産企業として現在に至ります。


主要参考文献
『神戸製鋼80年』 (昭和61年9月 80年史編纂委員会 神戸製鋼所)

『神戸製鋼100年』 (平成16年 創立100周年記念事業実行委員会 神戸製鋼所)
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: No title

返信が遅くなり申し訳ありませんでした。

ミャンマーまでの慰霊、お疲れ様でした。
また無事に帰国されて何よりです。

ビルマ戦線は太平洋戦線に比べ余り語られる事がありませんが、ウ号作戦の中止に伴う英軍の攻勢、ビルマ国民軍の背反、悪天候、糧食・弾薬途絶、悪疫の蔓延のなかの転進で多くの方が異国の地に倒れられ壮絶な様相を呈しています。

きっと伯父様を含む英霊も喜んでおられると思います。
カテゴリ
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●ほぼ放置ですがこっそりTwitterも始めました。
@yuukyuunotaigi

●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる