当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

戦艦「扶桑」、「山城」など海底調査

先日、ソロモン海での「比叡」探索の件を記載しましたが、まとめブログを見ていたところ、今度は「扶桑」、「山城」などの海底調査の記事を発見しました。
扶桑・山城(昭和13年)
▲山城、扶桑、金剛型(手前から)





海底調査を行うのは2年前に武藏を発見した米マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏(64)が率いる沈没船探査チームだそうです。

扶桑は我が国初の超弩級(ドレッドノート型を超えるの意)戦艦として明治45(1912)年3月11日、呉海軍工廠で起工、大正4(1915)年(年)11月8日に竣工、大正三四年戰役(第一次世界大戦)に参加、大東亜戦では殆ど出撃機会の無いまま内地で過ごし、昭和17(1942)年5月29日、ミッドウェー海戦に参加の後、伊勢型とともに空母への改装が計画されるも中止となり、昭和18(1943)年8月7日、トラック島に出撃、昭和19(1944)年10月20日、捷一号作戦を迎えます。

山城は扶桑型2番艦として大正2(1913)年11月20日、横須賀海軍工廠で起工、大正6(1917)年3月31日に竣工、大東亜戦では同じく出撃機会の無いまま内地で過ごし、ミッドウェー海戦に参加の後、横須賀方面の諸学校練習艦として従事し、昭和18(1943)年10月15日、トラック島に出撃、昭和19(1944)年10月20日、捷一号作戦を迎えます。
扶桑(昭和14年4月27日)
▲扶桑(昭和14年4月27日)

両艦は捷一号作戦(比島沖海戦)では第一遊撃部隊(栗田健男中将)に部署されますが、低速のため第三部隊(西村祥治中将:山城【旗艦】、扶桑、最上、時雨、山雲、満潮、朝雲)として本隊と別行動をとり、最も敵に発見されやすい南側の航路、すなわちブルネイからスル海を通りスリガオ海峡を突破しレイテ島を目指します。
山城(昭和19年10月24日)
▲スル海において対空戦闘中の山城、最後の勇姿

しかし、スリガオ海峡において強力な米第7艦隊第77任務部隊(J・オルデンドルフ少将:戦艦6、巡洋艦8、駆逐艦26、魚雷艇39)と交戦、扶桑は敵駆逐艦の雷撃を受け艦隊から落伍した後さらに被雷により弾火薬庫が誘爆、艦体が前後に断裂し炎上、漂流ののち沈没、山城も被雷により速度が低下、続く敵戦艦、巡洋艦との砲撃戦により沈没、第三部隊は時雨を除き全艦戦没してしまいます(所謂「スリガオ海峡夜戦」)。

扶桑型は戦歴こそ殆どありませんが、各指揮所を積み上げた上部構造物の歪で不安定な見た目、何より壮絶な最期から艦艇愛好家からは非常に人気のある戦艦です。
記事には「戦艦山城や扶桑など、計6隻の船体を発見する調査を行っている」とある事から、ともに戦没した最上、山雲、満潮、朝雲も捜索している様です。

第三部隊は状況が状況だけに生還者は殆どおらず、西村中将以下4,000名が散華されました。
武藏が発見された際も遺骨の発見には至りませんでしたが、1名でも多くの勇士の帰還を祈念しています。

それにしても全く話は違う?のですが、個人的に巷間で「比島沖海戦」だけが敵側呼称である「レイテ沖海戦」と呼ばれているのが理解できません。
確かに比島沖海戦は作戦海域が非常に広くスリガオ海峡、サマール島沖、エンガノ岬沖海戦は敵側呼称により分類した方が分かり易いのですが、海戦全体を指す「比島沖海戦」を「レイテ沖海戦」と敵側呼称を使うのには抵抗があります。
専門誌ですら「レイテ沖海戦」を使用している有様で、なんかモヤモヤします。
と言う事で個人的には比島沖海戦か捷一号作戦しか使用しない縛りをかけ、各海戦は「第一遊撃部隊本隊」(パラワン水道、サマール島沖)、「同第三部隊、第二遊撃部隊」(スリガオ海峡)、「機動部隊本隊」(エンガノ岬沖)と部署で分類しています。

ついでに・・・同じく軍艦を英語にならって「彼女」とか記載するのも何だかなぁです。
艦これの影響か軍艦を「さん」や「ちゃん」付けで呼ぶのは論外として、真面目な文章で「彼女はミッドウェー海戦に参加後・・・」と書かれると、なんか白けます。

以上、30年この趣味をやっていて気になる愚痴でした(^o^)

米国人資産家の探査チーム、スリガオ沖で戦艦扶桑、山城など発見に向け海底調査実施 2017.10.29


米マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏(64)が率いる沈没船探査チームは、太平洋戦争末期の1944年10月、ミンダナオ地方スリガオ沖で米軍に撃沈された旧日本海軍の戦艦山城や扶桑など、計6隻の船体を発見する調査を行っている。
調査チーム関係者が28日までに、まにら新聞に明らかにした。
既に海域を絞って探索を始めており、年内の発見を目指している。(まにら新聞

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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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