当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

『銀幕裏の声』(産経新聞)について

産経新聞(関西版)に大東亜戦争に参戦した方の体験記が『銀幕裏の声』として不定期に連載されています。
今までに紫電二一型(紫電改)搭乗員、神雷櫻花特別攻撃隊隊員、鳳翔乗組員だった方の話等が掲載されており、興味深く拝読しています。

今週からは重巡「最上」に乗り組み、捷一号作戦から生還され水偵搭乗員の方の話が掲載されています。





その中で少し気になる記載があります。

以下にその箇所を抜粋してみると
「今から73年前の昭和19(1944)年10月、日本海軍はレイテ沖海戦で米海軍と戦い壊滅的な打撃を受けた。
映画「連合艦隊」(昭和56年)の中でも描かれた“囮(おとり)部隊”として、この戦いの渦中にいた重巡洋艦「最上」に乗艦し、撃沈される日本艦隊の最後の姿をつぶさに見ていた目撃者がいる。(以下略)」

「比島沖海戦(捷一号作戦)」を敵側呼称の「レイテ沖海戦」とするのは百歩譲って良いとして、「最上」が「囮部隊」と言うのは疑問です。

重巡「最上」は最上型重巡洋艦の1番艦で、同型艦に三隈、鈴谷、熊野がありました。

最上は昭和17(1942)年6月5日、ミッドウェー海戦において敵潜の魚雷を回避する際に僚艦・三隈と衝突、さらに空襲を受け損傷、復旧工事の際に4番・5番砲塔を撤去し飛行甲板を設置、所謂航空巡洋艦に改装されます。

昭和19(1944)年10月20日、捷一号作戦では第一遊撃部隊第三部隊(西村祥治中将)に部署され、山城、扶桑、満潮、山雲、朝雲、時雨とともにスリガオ海峡を突破しレイテ湾を目指します。
しかし、強力な米第7艦隊第77任務部隊(戦艦6、巡洋艦8、駆逐艦26、魚雷艇39)と交戦、まず敵駆逐艦の雷撃により山雲が轟沈、満潮、朝雲が航行不能、さらに扶桑が大破炎上するも進撃を続け、続く敵艦隊との砲撃戦により被雷していたり山城が沈没、最上も大破し時雨とともに待避中、続行してきた第二遊撃部隊(志摩清英中将)の旗艦・那智と衝突、その後空襲により航行不能となり、曙により雷撃処分され最期を迎えます。
なお、捷一号作戦において最上の偵察機がもたらしたレイテ湾内の敵情が我が方が得た唯一の敵情となります。

最上の解説が長くなりましたが、本題です。
捷一号作戦において敵機動部隊を北方に誘致すべく、空母4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)を基幹とする機動部隊本隊(小澤治三郎中将)は囮(正確な任務は「敵機動部隊の牽制と可能であれば一撃を与える」)だった事は有名です。
機動部隊本隊は記事の通り史実とは異なるところも多々ありましたが、映画『連合艦隊』でも描かれており小澤中将を丹波哲郎氏が好演されていました。
しかし、最上が部署されたのはこの機動部隊本隊では無く、第一遊撃部隊第三部隊なので映画では一切描かれていませんし、言及すらされていません。

最上が部署された第三部隊は山城、扶桑が低速、航続力の問題から、第一遊撃部隊本隊(第一部隊:栗田健男中将、第二部隊:鈴木義尾中将)と別行動でレイテ湾を目指しますが、この別行動は「一方向より、二方向から突入する方が有利」とする聯合艦隊司令部、及び第二艦隊(第一遊撃部隊の主力)司令部の共通した認識でした。

結果から見ると第三部隊は第一遊撃部隊本隊が度重なる空襲、敵艦隊との遭遇により突入が大幅に遅れていたため、先行して進撃しレイテ湾内の敵艦隊を引き付けた様に見えますが、第三部隊の任務は「10月25日黎明時、主力に策応し敵船団、上陸軍を撃滅」であり、囮ではありません(因みに第一遊撃部隊本隊の任務は「敵艦隊の撃滅」)。

僕がこの「第三部隊囮説」を初めて目にしたのは高校時代に見たNHKのドキュメント番組だったと思うのですが、そのような話は聞いた事もなかったので非常に驚いた記憶があります。

その後も戦史モノで「第三部隊囮説を」度々目にするのですが、何を根拠にしているのか不明です。
そこで自宅の蔵書を確認してみると、囮説を匂わすものがあったのですが、根拠は「第三部隊の行動」でした(^_^;)

大東亜戦争について比較的よく取り上げてくれる産経新聞なだけに、正確を期してもらいたいところです。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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