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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

駆逐艦「濱波」?見つかる

艦艇ファンにはお馴染み、米マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏率いる沈没船探査チームが、オルモック湾において夕雲型駆逐艦の濱波と思われる艦体を発見した様です。
夕雲型 (2)
▲五〇口径三年式十二糎七聯装砲(D型)

※チームのFacebook





濱波は夕雲型十二番艦で、昭和18(1943)年10月15日、舞鶴海軍工廠において竣工、第十一水雷戦隊に編入され錬成の後、第三十二駆逐隊(第二水雷戦隊麾下)に編入、南洋方面での船団護衛にあたり、あ号作戦、捷一号作戦に参加します。

昭和19(1944)年11月11日、第三次多号作戦(レイテ島への陸軍部隊輸送)に参加、島風(二水戦旗艦、早川幹夫少将坐乗)、長波、朝霜、若月(以上警戒部隊)、掃海艇第三十號(護衛部隊)とともに泰山丸、三笠丸、西豐丸、天昭丸(第二船団)を護衛し、オルモック湾に突入しますが、濱波は米艦載機延べ347機の空襲を受け大破、艦体放棄後、沈没してしまいます(朝霜を除き全艦沈没)。

上記の様に第三次多号作戦参加艦艇は朝霜以外全てが戦没、同海域では同型(夕雲型四番艦)の長波も沈没しているのですが、調査チームが今回発見された夕雲型(後述の写真から型は確実)を「濱波」と特定した根拠は不明です。

濱波(所謂「中期建造型」)と長波(同「初期建造型」)の見分け方は前檣の形状、すなわち竣工後に前檣中段に22号電探を装備した長波は前檣トップが垂直なのに対し、竣工時に同電探を装備していた濱波はトップが斜め後方に傾いた形状だったと言われています。
艦橋付近の映像があれば確認できるのですが・・・。

個人的にこの時期の夕雲型は「後檣に13号電探が装備されていなかった」とされているので、後部構造物周辺の画像をもっと見てみたいところです。

以下、公開された画像です。
画像は全て左舷後部から見ている様です。
海底の画像
夕雲型 (1)
▲艦体が折れているのか、埋まっているのかしてかなり短い様です


五〇口径三年式十二糎七聯装砲(D型)
夕雲型最大の特徴で後部構造物上に機銃増備は行われず二番砲(左)が残されています
夕雲型 (2)
▲二番砲(左)と三番砲


艦尾の爆雷兵器
左から爆雷装填台(カゴ状)、爆雷積込用ダビット(中央の湾曲状)、舷外電路(手前の黒い線)と思われます。
夕雲型 (3)


艦尾の爆雷兵器2
防弾板の付いた爆雷投下軌道(手前の箱)と25㎜単装機銃(奥)
夕雲型 (4)


艦尾
埋まったスクリュー
夕雲型 (5)

九二式四聯装発射管四型
左舷後方から見た魚雷発射管で手前から2本目の後扉は開いています。
後部構造物前端にあった2m測距儀(右側のT型)が転がっている事から後部の二番発射管の様です。
発射管上に25㎜単装機銃が転がっています。
夕雲型 (6)

駆逐艦は余り詳しくないので、解説は間違っているかも知れません。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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