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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

奈良憲兵分隊

奈良市高畑町に所在し我が国最古の仏教寺院で知られる元興寺の近隣に奈良憲兵分隊がありました。
奈良憲兵分隊 全景 北から(奈良)
▲奈良憲兵分隊跡の全景

【探索日時】
平成23年1月29日





奈良市高畑町の陸軍施設配置
歩兵三十八・五十三聯隊 全体(奈良)
▲陸軍施設を現在の地図に転写
※緑文字が当記事の紹介施設
① 歩兵第三十八聯隊兵
② 奈良陸軍病院
③ 奈良陸軍練兵場
④ 聯隊道路
⑤ 奈良聯隊區司令部
⑥ 帝國在郷軍人会奈良支部
⑦ 歩兵作業場
⑧ 水源地
⑨ 奈良陸軍射撃場
⑩ 奈良陸軍墓地
⑪ 奈良憲兵分隊
⑫ 奈良縣護國神社(昭和17年10月22日、創建)
※名称は一般的な昭和12(1937)年頃

遺構について
⑪ 奈良憲兵分隊
明治三十七八年戰役(日露戦争)後、ロシアが着々と極東の兵備強化を推進するなか、我が陸軍は安全保障の観点から、第十七、第十八師團の増設を決定、明治40(1907)年9月17日、『陸軍管區表』・『陸軍常備團隊配備表』を改正します。
歩兵聯隊増設の情報を得た実業家の木本源吉氏(のち奈良市町)は誘致運動をはかり、高畑町に歩兵営用地45,068坪を買収し陸軍省に献納、明治41(1908)年10月23日、陸軍省は歩兵第五十四聯隊の奈良設置を決定、臨時陸軍建築部大阪支部により施設の建設が開始されます。

11月10日、京都憲兵隊 伏見憲兵分隊 奈良市分遣所が伏見憲兵分隊において事務を開始、明治42(1909)年3月1日、奈良市高畑町の新庁舎に移転します。

明治44(1911)年8月12日、軍令陸乙第六號『陸軍平時編成』改正により、15日、憲兵管区が改正、奈良市憲兵分遣所は奈良憲兵分隊に改編され、8月21日、事務を開始します。

昭和20(1945)年3月30日、「決號作戰」(本土決戦)に向け『憲兵令』が改正され、憲兵司令部(東京)の隷下に各軍管區を管掌する憲兵隊司令部が設置、各憲兵隊司令部の管区内に憲兵隊地区が設けられ、各憲兵隊地区毎に地區憲兵隊が設置されました。
この改編に伴い中部憲兵司令部隷下の奈良地區憲兵隊に増強され、決號作戰に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれ、その後、防衛庁(現、防衛省)に移管され、自衛隊官舎が建設されます。

コンクリート塀
庁舎正面のコンクリート塀、及び当時から植樹されていたイチョウが遺ります。
敷地の正面に塀とイチョウがあるのですが、入口はどこにあったのか不思議な構造になっています。
奈良憲兵分隊 北側の塀 北東から(奈良)

奈良憲兵分隊 東側の塀基礎 北東から(奈良)
境界の石垣も当時の物と思われます


主要参考文献
官報
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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