当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

鳥取聯隊區司令部

鳥取城の麓に所在する鳥取県庁西町分庁舎は鳥取聯隊區司令部の跡地です。
鳥取聯隊區司令部では後に鳥取地區司令部が併設され、また西100mに鳥取憲兵分隊がありました。
鳥取聯隊區司令部 ヤ 陸用(地) 東から(鳥取)
▲鳥取聯隊區司令部の跡に遺る境界石標

【探索日時】
平成25年7月15日





遺構について
鳥取聯隊區司令部・鳥取憲兵分隊(鳥取)
▲鳥取市内の陸軍施設

⑦ 鳥取聯隊區司令部
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定し第七から第十二師團の編成を決定、聯隊新設の情報を得た鳥取県、鳥取市は誘致活動を開始、5月1日、陸軍省は『陸軍常備團體配備表』を改正し鳥取市郊外の岩美郡國府村の耕地を選定し歩兵第四十聯隊の設置を決定します。
※兵営設置の経緯は前記事『歩兵第四十聯隊』を参照

6月28日、臨時陸軍建築部大阪支部は鳥取県より献納用地の引渡証を受領、8月5日、用地の登記を完了、8月下旬、立川町に建築事務所を開設し、聯隊施設を起工します。

12月2日、勅令第三百八十一號により『陸軍管區表』が改定され、第十師管管下に鳥取聯隊區が制定され、鳥取聯隊區司令部(平塚知正少佐)が岡山聯隊區司令部内で事務を開始します。
明治31(1898)年4月15日、鳥取市内(場所不明)に移転、明治32(1899)3月16日、臨時陸軍建築部大阪支部は鳥取市西町の民有地1反27歩を買収、司令部庁舎を新築、移転します。

昭和20(1945)年3月24日、決號作戰(本土決戦)に向け、本土における軍を中核とした有機的作戦組織を強化、決戦に総力を結集し戦場態勢を確立すべく軍令陸甲第四十七號により鳥取聯隊區司令部(原田憲義大佐)は復帰、同日、鳥取聯隊區司令部(片桐護郎少将)及び鳥取地區司令部(聯隊區司令官兼務)が臨時編成され、既存の(特設)警備隊を隷下に編入、地区防衛の準備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により、聯隊區司令部庁舎は内務省を通じ大蔵省に移管され広島財務局管理下に置かれ、昭和21(1946)年11月16日、同局鳥取地方部(現、鳥取財務事務所)が開設、同事務所の移転に伴い、現在は鳥取県庁西町分庁舎になっています。
⑦鳥取聯隊區司令部跡(鳥取)
▲鳥取聯隊區司令部跡に建つ鳥取県庁西町分庁舎

ヤ 陸用(地)
敷地西側の路地に遺ります。
下部は埋まっていますが、埋まっている部分は「地」と思われます。
鳥取聯隊區司令部 ヤ 陸用(地) 東から(鳥取)


ユ 裏門

コンクリート製の門柱がありますが、当時の物か不明です。
鳥取聯隊區司令部 ユ 裏門? 外側から(鳥取)
▲外側から

鳥取聯隊區司令部 ユ 裏門? 内側から(鳥取)
▲内側から


ヨ 元鳥取連隊区司令部跡
昭和45(1970)年7月15日、鳥取聯友会により建立されました。
ヨ 元鳥取連隊区司令部跡(鳥取)


⑧ 鳥取憲兵分隊
明治29(1896)年5月1日、陸軍省は『陸軍常備團體配備表』改正し、鳥取県に歩兵第四十聯隊の設置を決定します。
明治30(1897)年8月、臨時陸軍建築部大阪支部は鳥取市西町の民有地及び宅地352坪を買収、11月2日、鳥取憲兵分隊首部屯所が竣工、12月1日、第四憲兵隊(大阪)管下に配属され事務を開始します。
明治31(1898)年12月1日、『憲兵條例』が改正され憲兵分隊の配置及び憲兵警察区域が制定、鳥取憲兵分隊は第十憲兵隊の管下に編入されます。
明治40(1907)年10月7日、『憲兵条例』が改正され第十憲兵隊は姫路憲兵隊に改称、姫路憲兵隊 鳥取憲兵分隊となります。

昭和20(1945)年3月30日、決號作戰(本土決戦)に向け憲兵隊は増強、鳥取憲兵分隊は鳥取地區憲兵隊(福富勇少佐)に改編され、中國憲兵隊司令官管下に編入、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時、管下に米子憲兵分隊がありました。

資料不足のため戦後の経緯は不明ですが、憲兵分隊は他の陸軍施設同様に、8月28日に大蔵省に移管されたと思われます。
現地取材によると戦後も建物類は遺っていた様ですが、昭和27(1952)年4月17日の鳥取大火で焼失、現在は駐車場になっており、遺構は何も遺されていませんでした。
⑧ 鳥取憲兵分隊の古写真(鳥取大火で消失?)(鳥取)
▲鳥取憲兵分隊庁舎

⑧鳥取憲兵分隊跡 北西から(鳥取)
▲現在の様子


主要参考文献
『鳥取綜合聯隊史』 (昭和58年4月 鳥取綜合聯隊史編纂委員会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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