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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

株式會社 藤永田造船所

大阪府住之江区に大阪市内で唯一、駆逐艦を建造し「駆逐艦の藤永田」と称された株式會社 藤永田造船所がありました。
藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北から(大阪)
▲三井造船マシナリー・サービス㈱に遺る製缶工場

【探索日時】
平成29年8月15日





遺構について
株式會社 藤永田造船所
元禄2(1689)年3月、初代・永田三十郎が堂島船大工町において兵庫屋を創業し木造船の建造を営みます。
その後、船舶の大型化、洋式化に伴い寛政元(1789)年、江之子島、明治7(1874)年、岩崎新田藤永田造船所に改称)、明治17(1884)年、新炭屋町に移転、大正6(1917)年、敷津工場を建設します。
大正12(1923)年4月10日、株式會社 藤永田造船所に改組、大正15(1926)年5月、本社工場を敷津工場に移転、旧本社は新炭町工場に改称、敷津工場対岸の船町造船所を合併し船町工場を開設します。

昭和7(1932)年から8年にかけ永田同族土地㈱は南側隣接地42,000坪を埋立て、工場敷地を随時拡張、昭和12(1937)年、第三船台を拡張、昭和17(1942)年、西側隣接地を借用し第四、第五船台を新設、昭和18(1943)年、船町工場に第二船渠を開設します。

昭和20(1945)年3月13日の第一次大阪大空襲の被害は軽微でしたが、6月1日、第二次大阪大空襲により大半の生産設備が破壊、焼失する甚大な被害を受けてしまい、泉北郡納花(現、和泉市)、住之江に開設した疎開工場で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し停戦を迎えました。

昭和42(1967)年10月1日、㈱藤永田造船所は三井造船㈱に吸収合併され、敷地は一部が日立造船㈱の系列企業に引き継がれますが、大半は売却され現在は物流倉庫、自動車学校、住宅地になっています。
藤永田造船所 ①敷津工場跡(大阪)
▲現在の㈱藤永田造船所跡地

最近はゲーム『艦隊これくしょん(艦これ)』(個人的には色々思うところもありますが・・・)の影響かして、長らく海軍艦艇研究者の間でしか聞かれなかった藤永田造船所の名前をちょいちょい聞くようになり大阪を拠点にしている者としては嬉しい限りです。
ただ、ネット上では跡地の石碑のみで遺構が全く遺っていない様に書かれていますが、下記の遺構が遺されています。
藤永田造船所 『株式會社 藤永田造船所 工場配置図』(大阪)
▲『株式會社 藤永田造船所 工場配置図』
 時期は不明ですが設備から昭和10年代と思われます。

藤永田造船所 現存(大阪)
▲遺構の配置
① 本社工場(旧敷津工場)
② 船町工場
③ 厚生施設・工員宿舎

ア 第二製缶工場
艦艇、船舶の機関(罐:缶かま)を製造していました。
現在は三井造船マシナリー・サービス㈱の倉庫として使用されています。
藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北から(大阪)
▲木津川側から
  ノコギリ屋根がいかにも工場と言う感じです

藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北から (2)(大阪)
▲正面側

藤永田造船所 ア 第二製缶工場 南東から(大阪)
▲陸地側から

藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北西から (2)(大阪)
▲木津川大橋から

藤永田造船所 ア 第二製缶工場 北西から(大阪)
▲ノコギリ屋根に遺る木製のガラリ


イ 第三製缶工場
同じく缶を製造していました。
藤永田造船所 イ(右)・ウ(左)(小屋根)第三製缶工場 北西から(大阪)
▲木津川側から


ウ 第三製缶工場
イとウは一体の建屋ですが、ウは木津川大橋の建設に際し北側が減築されています。
藤永田造船所 イ(右)・ウ(左)(小屋根)第三製缶工場 南西から(大阪)
▲小屋根の乗った手前側がウ、奥の背が高い方がイ


エ 建物
昭和23(1948)年の空撮に写っていますが、用途不明です。
藤永田造船所 エ 建物(大阪)

エの南側に煉瓦建物とコンクリート建物がありますが、こちらは昭和23(1948)年の空撮に写っていない様です。
藤永田造船所 エ 南側建物(関係無い) (2)(大阪)
▲南西から

藤永田造船所 エ 南側建物(関係無い)(大阪)
▲西から


オ 入堀
進水後の艦艇、船舶の艤装を行う設備ですが、本体は埋められてしまい僅かに入口の護岸が遺ります。
藤永田造船所 オ 入堀 北西から(大阪)
▲木津川大橋から

藤永田造船所 オ 入堀 西岸(大阪)
▲西側の護岸は比較的良く遺っています

藤永田造船所 オ 入堀 東岸(大阪)
▲東側の護岸は崩壊しています


カ 貯水池
藤永田造船所 カ 貯水池(大阪)


キ 藤永田造船所跡地 碑

元々は本館があった辺りの三井造船㈱の駐車場隅にありましたが、駐車場が売却されたのに伴い移設されました。
藤永田造船所 キ 跡地碑(大阪)

ちなみに石碑奥にある稲荷権太夫神社は大正9(1920)年、第10代・永田三十郎により伏見稲荷大社より勧請された社内神社で、元々は本館裏にありました、


株式會社 藤永田造船所 略歴
元禄2(1689)年3月、堂島船大工町において初代・永田三十郎が兵庫屋を創業、川舟、ベザイ船(千石船)、操風船、菱垣廻船の建造を開始します。
寛政元(1789)年、4代目は工場を木津川下流の江之子島に移転、嘉永2(1849)年頃から輸入船が増加し船舶の近代化が進みます。
嘉永6(1853)年、紀伊徳川家より御座船「瑞實丸」を受注します。
安政2(1855)年、君澤型御船(ロシア製スクーナ型帆船)の造船を開始、明治2(1869)年、ドイツ人技師・セーガンを招聘し木造小型蒸気船の指導を受け造船の近代化を推進、明治3(1870)年、我が国民間造船所で初となる洋式木造外輪船「神速丸」が竣工します。

明治7(1874)年、木津川のさらに下流、岩崎新田に移転、兵庫屋から藤永田造船所に改称し、藤永田型スクーナを中心にブリガンティン型、バーケンティン型帆船を多数建造、明治14(1881)年、暗車船(汽船)の建造を開始します。

明治17(1884)年、新炭屋町に移転、船渠、機械工場を建設、明治18(1885)年、スクーナ船は蒸気機関付の建造に転換します。

明治33(1900)年、初の鋼製貨物船「第二永田丸」を建造します。

大正5(1916)年5月30日、松田汽船(合)より受注した鋼製貨物船「霧島丸」(2,170t:初の2,000t超船舶)の進水式に際し、対岸への衝突を防ぐため緩斜面に設定された船台から滑り降ろす事が出来ず、3日がかりで進水させます。
この件から第10代・永田三十郎は、今後の大型船舶の建造を見越し工場の移転を計画、東成郡敷津村(現、住之江区柴谷の)木津川河口の埋立地を選定、大正6(1917)年、敷津工場を建設します。
さらに、かねてから大正三四年戰役(第一次世界大戦)後の不況を予見、夫人の父・田所美治文部次官を通じ海軍艦政本部長・岡田啓介中将の紹介を得て、大正8(1919)年11月、藤永田造船所は海軍指定工場に指定され、初の海軍艦艇建造になる駆逐艦「藤」の建造を受注、8月6日、起工します(大正10年5月31日、引渡し)。
以降、大東亜戦争停戦まで56隻の艦艇を建造します。
藤永田造船所 第10代・永田三十郎(大阪)
▲藤永田造船所を躍進させた第10代・永田三十郎

大正7(1918)年5月、『日米船鐵交換条約』に基づき第二回契約に参加、イースタン・リーダー(4,074t)を受注し大正8年11月24日、進水、12月下旬、完工、大正9(1920)年、米船舶院に引渡します(初の輸出船舶)。

大正10(1921)年、鉄道車両(近鉄、東京私鉄)、鉄管の製造を開始、大戦後の不況により貨物船の受注は途絶え雑役船、軍関連の建造に移行します。

大正12(1923)年4月10日、株式會社 藤永田造船所(第10代・永田三十郎社長)と改組(資本金900万円、従業員2,330名)、大正15(1926)年5月、本社工場を敷津工場に移転、旧本社は新炭町工場に改称、敷津工場対岸の船町造船所を合併し船町工場を開設します。
藤永田造船所 藤永田造船所社章(大阪)
▲㈱藤永田造船所 社章

大正末年からの不況、関東大震災の震災手形の焦げ付きに加え、昭和2(1927)年3月14日、片岡直温・蔵相の失言に端を発し昭和恐慌が発生、7月19日、閣議決定により海軍艦政本部は海軍艦政本部臨時艦船建造部を設置し、指定工場の救済を開始します。

昭和3(1928)年11月4日、㈱藤永田造船所は艦船部に救済を請願し、12月、軍艦部門のみが建造部の管轄下に置かれ、他部門の再建を行います。

昭和4(1929)年6月、会社再建の目処が付いたため艦船部の管轄下を離れますが、11月、永田社長は引責辞任し、池田岩三郎海軍予備役中将が新社長に就任し再建に着手します。

昭和5(1930)年10月2日、「ロンドン海軍軍縮条約」が施行、駆逐艦の建造が制限されたため会社再建を海軍艦艇の建造に活路を求めていた㈱藤永田造船所は低迷期に入ります。

昭和6(1931)年5月、遊休化していた造機工場を活用し化学工業機器に進出、日本石油㈱のガソリンプラント、ガスクーラーを受注、11月、元海軍燃料廠(徳山)長の岸本信太中将が社長に就任、化工機に造詣が深かったこともあり、昭和7(1932)年末、徳山海軍燃料廠より常圧蒸留装置を受注するなど、徳山を中心に、四日市、大船、臺灣各海軍燃料廠、丸善石油㈱、昭和石油㈱、東亜燃料工業㈱、昭和11(1936)年12月には三井物産㈱を通じタイ国よりから化工機を受注します。

昭和7(1932)年から8年にかけ永田同族土地㈱は南側隣接地42,000坪を埋立て、㈱藤永田造船所が買収し工場敷地を随時拡張します。

昭和8(1933)年2月、業績の悪化していた車両工場を閉鎖し兵器工場に転換します。

昭和6年12月13日、政府(犬養毅内閣)による金輸出再禁止、及び一般産業の立ち直りによる船舶需要の回復、昭和7年10月、『船舶改善助成施設』により進水量が徐々に増加、さらに昭和11年1月15日、ロンドン海軍軍縮会議の脱退、12月31日、ワシントン海軍軍縮条約の失効、昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)の勃発に伴う戦時体制への移行に伴い艦艇、船舶の需要は急増して行きます。

昭和12(1937)年、第三船台を拡張(幅18×長さ150m)します。

昭和14(1939)年5月、造機部から化工機部が独立、昭和15(1940)年3月、海軍管理工場に指定されます。

昭和17(1942)年、西側隣接地を借用し第四、第五船台を新設、昭和18(1943)年、船町工場に第二船渠を開設、工員不足を補うべく『國民徴用令』に基づき応徴士を増員、昭和19(1944)年12月時点での従業員数は16,508名となり、大阪では大阪陸軍造兵廠、住友金属工業㈱に次ぐ3位の人員を擁します。

昭和19(1944)年1月17日、『軍需會社法』の施行に伴い、㈱藤永田造船所は軍需会社に指定され、岸本社長は生産責任者に任命されます。

昭和20(1945)年3月13日、大阪にB29爆撃機274機が来襲(第一次大阪大空襲)しますが、被害は軽微でした。
6月1日、B29爆撃機458機が来襲(第二次大阪大空襲)、大半の生産設備が破壊、焼失する甚大な被害を受けてしまいます。
23日、丁型駆逐艦「桂」が進水、同艦の艤装、泉北郡納花(現、和泉市)、住之江に開設した疎開工場で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し停戦を迎えました。

9月2日、混乱状態を収集すべく全従業員に自宅待機を指示、10月1日、待機を解除し、空襲により破壊された工場の整理を開始、12月、全従業員を解雇、復帰希望者を募り再雇用します。

連合国軍最高司令官総司令部は5,000t、15ノット以上の船舶建造を禁止(以下でも許可制)していたため、12月、政府は食糧難打開のためGHQの許可を得て鋼製、及び木造漁船の建造2ヵ年計画を策定、昭和21(1946)年、㈱藤永田造船所は大洋漁業㈱、日東漁業㈱、日魯漁業㈱へ漁船を納入します。

昭和21(1946)年8月、GHQにより㈱藤永田造船所の全工場が賠償工場に指定され、岸本社長は辞任、梅村榮社長が就任します。
昭和22(1947)年4月7日、船舶公団が発足、昭和23(1948)年4月、第二次計画造船、9月、第三次計画造船に参加、F型船を建造します。
昭和24(1949)年、米ソ対立の表面化に伴い米国は占領政策を転換(我が国の強化)、対日賠償計画の打ち切り、及び輸出船の建造許可を含む造船業の規制緩和を行います。
㈱藤永田造船所は早急に外航船舶の増強を図るべくA型戦時標準船の改造を開始、昭和25(1950)年6月25日、朝鮮戦争の勃発に伴い業績は一気に回復します。

昭和28(1953)年7月27日、朝鮮戦争の休戦協定成立、昭和29(1954)4月、造船疑獄の発覚に伴い造船業界は沈滞しますが、人員整理と石炭から石油へのエネルギー革命に伴うタンカー建造で業績を回復、昭和32(1957)年、再度の造船不況(なべ底不況)では化工機部門と共同でLPG船を建造し業績を回復します。
昭和37(1962)年10月4日、化工機部門を分離独立させ、藤永田エンンジニアリング㈱を設立します。

昭和42(1967)年2月28日、㈱藤永田造船所は三井造船㈱との合併を発表、10月1日、三井造船㈱に吸収合併され、昭和52(1977)年3月、藤永田エンンジニアリング㈱も三井造船エンジニアリング㈱に吸収合併され278年の歴史に幕を閉じます。


株式會社 藤永田造船所が建造した艦艇
-二等駆逐艦-
 (樅型十三番艦) ※昭和15(1940)年4月1日、第三十六號哨戒艇に艦種変更・改称
大正10(1921)年5月31日~停戦

 (樅型二十番艦)
大正10(1921)年12月19日~昭和2(1927)年8月24日、美保ヶ關事件において軽巡「神通」と衝突して沈没
 
 (樅型十三番艦) ※昭和15(1940)年4月1日、第三十九號哨戒艇に艦種変更・改称
大正11(1922)年7月31日~昭和18(1943)年4月23日、船団護衛中、与那国島南方において敵潜水艦の雷撃により沈没。
藤永田造船所 藤(大阪)
▲藤
  ㈱藤永田造船所が建造した初の駆逐艦
  昭和19(1944)年3月30日、パラオにおいて敵機の空襲を受け小破、スラバヤにおいて停戦を迎えます。


芙蓉 (若竹型七番艦) ※進水時は第十六驅逐艦
大正11(1922)年3月16日~昭和18(1943)年12月20日、船団護衛中、マニラ湾西方沖において敵潜の雷撃により沈没。

刈萱 (若竹型八番艦) ※進水時は第十八驅逐艦
大正12(1923)年8月20日~昭和19(1944)年5月10日、船団護衛中、ルソン島沖において敵潜の雷撃により沈没。


-一等駆逐艦-
皐月 (睦月型五番艦) ※進水時は第二十七號驅逐艦
大正14(1925)年11月15日~昭和19(1944)年9月21日、マニラ湾において敵機の空襲を受け沈没。

文月 (睦月型七番艦) ※進水時は第二十九號驅逐艦
大正15(1926)年7月3日~昭和19(1944)年2月18日、トラック大空襲により直撃弾、至近弾多数を被弾、浸水沈没。

夕月 (睦月型十二番艦) ※進水時は第三十四號驅逐艦
昭和2(1927)年7月25日~
藤永田造船所 夕月(昭和12年夏)(大阪)
▲夕月
昭和19(1944)年12月13日、多號作戦(第九次)において揚陸を終え帰投中に敵機の空襲を受け航行不能、砲撃処分。


白雲 (吹雪型八番艦)特型 ※進水時は第四十二號驅逐艦
昭和3(1928)年7月28日~昭和19(1944)年3月16日、船団護衛中、釧路沖において敵潜の雷撃により沈没。

叢雲 (吹雪型五番艦)特型 ※進水時は第三十九號驅逐艦
昭和4(1929)年5月10日~昭和17(1942)年10月12日、ガダルカナル島輸送の帰途敵機の空襲により航行不能、雷撃処分。

綾波 (吹雪型十一番艦)特型II ※進水時は第四十五號驅逐艦
昭和4(1929)年10月5日~

 (吹雪型十八番艦)特型II
昭和6(1931)年7月31日~昭和19(1944)年11月13日、マニラ湾キャヴィテ桟橋に係留中、敵機の空襲を受け擱座。

 (吹雪型二十四番艦)特型Ⅲ
昭和7(1932)年11月15日~昭和19(1944)年5月14日、船団護衛中、シブツ海峡において敵潜の雷撃により沈没。
藤永田造船所 綾波(昭和6年8月23日)(大阪)
▲綾波
  昭和17(1942)年11月15日、第三次ソロモン海戦においてサヴォ島沖合で敵艦隊と交戦、単艦で敵駆逐艦2隻撃沈、1隻撃破、戦艦サウスダコタを損傷させる戦果を挙げるも魚雷が誘爆し沈没。


村雨 (白露型三番艦)
昭和12(1937)年1月7日~昭和18(1943)年3月5日、コロンバンガラ島輸送作戦中、クラ湾において敵駆逐艦隊と交戦、敵機の雷爆撃を受け沈没。

江風 (白露型九番艦)
昭和12(1937)年4月30日~昭和18(1943)年8月6日、コロンバンガラ島輸送作戦中、ヴェラ湾海戦において敵駆逐艦2隻と交戦、被雷により沈没。

満潮 (朝潮型三番艦)
昭和12(1937)年10月31日~昭和19(1944)年10月25日、比島沖海戦で第一遊撃部隊第三部隊に部署、スリガオ海峡において米駆逐艦の雷撃により航行不能、米艦の追撃を受け沈没。

山雲 (朝潮型六番艦)
昭和13(1938)年1月15日~

峯雲 (朝潮型八番艦)
昭和12(1937)年11月4日~昭和18(1943)年3月5日、コロンバンガラ島輸送作戦中、クラ湾において敵艦隊と交戦し沈没。
藤永田造船所 山雲(昭和13年1月)(大阪)
▲山雲
  昭和19(1944)年10月25日、比島沖海戦で第一遊撃部隊第三部隊(西村祥治中将)に部署、山城、扶桑、最上、満潮、朝雲、時雨とともにレイテ湾を目指しますが、スリガオ海峡において強力な米艦隊と交戦、米駆逐艦の雷撃を受け轟沈。

黒潮 (陽炎型三番艦)
昭和15(1940)年1月27日~昭和18(1943)年5月8日、ムンダ輸送作戦中、コロンバンガラ島付近で触雷沈没。

夏潮 (陽炎型六番艦)
昭和15(1940)年8月31日~昭和17(1942)年2月9日、マカッサル攻略作戦中、米潜の雷撃により航行不能、黒潮に曳航されるも浸水により沈没。

浦風 (陽炎型十一番艦)
昭和15(1940)年12月15日~ 昭和19(1944)年11月21日、捷一號作戦終了後、内地に向け航行中、台湾海峡において米潜の雷撃を受け金剛とともに沈没。

谷風 (陽炎型十四番艦)
昭和16(1941)年4月25日~昭和19(1944)年6月9日、タウイタウイ湾外で対潜掃討中、米潜の雷撃により沈没。

舞風 (陽炎型十八番艦)
昭和19(1944)年7月15日~昭和19(1944)年2月17日、トラック大空襲において米機、及び艦艇による攻撃を受け沈没。
藤永田造船所 舞風(大阪)
▲舞風
 

巻雲 (夕雲型二番艦)
昭和17(1942)年3月14日~昭和18(1943)年2月1日、ガダルカナル島転進作戦中、サヴォ島付近において触雷沈没。

長波 (夕雲型四番艦)
昭和17(1942)年6月30日~昭和19(1944)年11月11日、第三次多號作戦中、敵機の爆撃を受け沈没。

大波 (夕雲型七番艦)
昭和17(1942)年12月29日~昭和18(1943)年11月25日、ブカ島輸送作戦の途次、敵駆逐艦5隻と交戦、沈没。

玉波 (夕雲型九番艦)
昭和18(1943)年4月30日~昭和19(1944)年7月7日、旭東丸護衛中、マニラ湾西方において米潜の雷撃により沈没。

藤波 (夕雲型十一番艦)
昭和18(1943)年7月31日~昭和19(1944)年10月27日、比島沖海戦において早霜の救難に向かう途次、敵艦載機の攻撃を受け沈没。

朝霜 (夕雲型十六番艦)
昭和18(1943)年11月27日~

秋霜 (夕雲型十七番艦)
昭和19(1944)年3月11日~昭和19(1944)年11月13日、多號作戦において艦首切断、マニラ湾係留中、敵機の空襲を受け沈没。
藤永田造船所 長波(昭和18年11月15日)(大阪)
▲長波
昭和17(1942)年11月30日、ルンガ沖夜戦において第二水雷戦隊(田中頼三少将)旗艦として参加、高波、黒潮、親潮、陽炎、巻波、江風、涼風とともに米巡洋艦1隻撃沈、3隻撃破の戦果を挙げます。

藤永田造船所 朝霜(大阪)
▲朝霜
  昭和20(1945)年4月7日、天一號作戰に第二十一駆逐隊(小瀧久雄大佐)司令駆逐艦として参加、沖縄に向かう途次、機関故障により落伍、米艦載機の空襲を受け沈没。


 (松型三番艦)
昭和19(1944)年6月28日~昭和20(1945)年1月31日、搭乗員輸送のため比島に向かう途次、敵機の空襲を受け航行不能、砲撃処分。

 (松型五番艦)
昭和19(1944)年7月25日~12月3日、第七次多號作戦において米艦隊と交戦し沈没。

 (松型七番艦)
昭和19(1944)年8月25日~呉において停戦。

 (松型十番艦)
昭和19(1944)年9月30日~呉において停戦。

 (松型十二番艦)
昭和19(1944)年11月26日~門司において停戦。

 (松型十四番艦)
昭和20(1945)年1月18日~8月9日、大湊において敵機の空襲を受け擱座、停戦。

 (松型三十一番艦)
昭和20(1945)年5月29日~7月24日、呉において敵機の空襲を受け小破、停戦。

 (松型)
未成
藤永田造船所 桑(昭和19年10月25日)(大阪)
▲桑
  昭和19(1944)年10月25日、比島沖海戦において機動部隊本隊警戒隊に部署され、瑞鶴、瑞鳳を直衛し対空戦闘中の勇姿
  丁型駆逐艦は名称から雑木林と称されますが、抗湛性に優れ且つ強力な対空兵装を持ち大戦末期に活躍します。

-砲艦-
二見 (熱海型二番艦)
伏見 (伏見型一番艦)
隅田 (伏見型二番艦)

-水雷艇-
真鶴 (千鳥型二番艇)
初雁 (千鳥型四番艇)

-丁型海防艦-
第三十六號、第四十號、第四十八號、第五十八號(未成)

-掃海艇-
第十三號型 ・・・ 第十三號、 第十五號
第十九號型 ・・・ 第三十八號、第四十一號


主要参考文献
『旧藤永田年表』 (平成6年3月 旧藤永田資料保存会)

『藤永田二七八年』 (昭和42年9月 ㈱藤永田造船所)

『日本海軍艦艇写真集 16 17 18』(光人社)
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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